Mar. Week 2, 2016
★ Finding Happiness When You've Hit Rock Bottom
運勢のどん底から幸せを見つけるには…


今週はちょっと趣向を変えて、2週間ほど前に久々に再会した私の友人のストーリーについて書かせていただきます。

この友人は、頭脳明晰でルックスも良く、自信に満ち溢れているのを通り越して、少々エゴが強く、 身勝手なところもある男性。 本人も人の好き嫌いが激しい一方で、周囲も 彼のそんな性格やルックス、華やかさをチャーミングだと思う人も居れば、嫌う人も居るという状況。
私が時々 彼を見ていて気に入らないと思ったのは、自分にどんなに良くしてくれても、 自分が見下している友達のことは、虫けらのように扱うことで、 それ以外にも待ち合わせ時間に大幅に遅れて、謝りはしても、その次にまた遅れるという時間のルーズさ。 そんな待たされる時間を無駄にするのが嫌で彼と会わなくなる共通の友達が何人も居たほどでした。 また出席するといったディナーやパーティーのドタキャンも多くて、とにかく”予定を立て難い相手”。 態度が良いと思える時は、殆どと言って良いほど 何か頼み事がある場合でした。

ところが数年前、彼はある神経性の病気を患ってしまい、その発見の遅れに繋がる誤診をした医師を訴えようとする一方で、 病気の治療に当たるため、 金融の仕事からディセーブル・リーブ(体調不良による休暇)を取ることになりました。 そこから始まったのが彼の転落劇で、医療というただでさえ被害の立証が難しい分野の訴訟をしようとしている割には、 非協力的で、我がままなため、まず弁護士との喧嘩が続いた挙句に、見放されてしまい、 そのストレスと 病気治療のストレスから、 顔の半分が麻痺して動かないという状態が数週間続きました。
その間は、顔の表情が恐ろしいので 誰にも会うことができず、食事は流動食しか食べらませんでしたが、 ガールフレンドが持って来てくれたスープが不味いと文句を付けたことがきっかけで、 ガールフレンドとも大喧嘩をして 別れを宣告されて どんどん彼の周囲から人が去っていく思いを味わいました。 やがて、さほど病気治療が成果を見せないうちにディセーブル・リーブが終了し、職場に戻ることになりましたが、 以前と同じように仕事に集中することができなかった彼は 欠勤が多く、 程なく受け取ったのが解雇通知。 それでも 高給の金融業が幸いし、失業手当と貯金で数年は遊んで暮せるくらいには豊かだったため、 周囲は全く心配 していませんでした。

解雇後の彼がまず悟ったのは、 仕事をしていた時は しょっちゅう連絡してきて、自分に会いたがって、情報交換をしていたような金融仲間が、 一切自分に会いたがらなくなったこと。 その理由について 彼自身は、「彼らは自分に会うと 仕事を紹介して欲しいと言われると思っている。 あんな奴らに世話になろうなんて思っていないのに…」 と言っていましたが、またしても自分の周囲から どんどん人が去っていく状況に 更なる焦りを感じていたのは見て取れる状況でした。

その後も金融の仕事に戻れなかった彼は、経済的な焦りから いくつかのスタートアップ企業に投資をしましたが、 いずれも上手く行かず、資産を減らす一方。 そのため ローンの払いが残っているコンドミニアムと その中の家具やアートを処分することにしましたが、 家具は彼の派手な高級志向が災いして、払った価格の10分の1でも売れないだけでなく、 アートも彼の望む金額で 買い手がつかず、自分では投資と思って購入したものが結果的には大損。 それだけでなく、車を売ろうとした矢先に 車で事故に遭い、車体は保険で直ったものの、事故が原因で売却価格が下がり、 彼自身も軽い怪我を負ってしまうという、何をやっても上手くいかない状況が続き、 それに伴って 財産もどんどん減っていったとのこと。

私が最後に彼に会ったのは 恐らくこの頃で、その時の彼は、落ち込みと焦りが 入り混じって、 見た目に 驚くほど老け込んでいたのが当時の強烈な印象でした。 共通の友達によれば、その頃には彼は借金を抱えていたとのことで、 心配した友達が「まずは収入源を確保して、借金の返済プランを立てるべき」とアドバイスしても、 「そんな事、今は話したくない」と問題に向き合うのを避けるばかりで、 ”人生に無気力になっている”とさえ友達に指摘されていました。




その彼と私が再会したのが2週間ほど前のことで、彼と会うきっかけになったのは、人づてに彼のご家族に不幸があったと聞いたため。 私はそのご家族に過去に1度お会いしたことがあったので、友達としてお悔みのメッセージを伝えるべきと思ってメールをしたところ、 彼の方から会いたいと言ってきたので、久々に再会することになりました。

すると、驚いたことに彼は待ち合わせ時間ぴったりに現れて、以前のギラギラした印象が消えて、遥かに穏やかな雰囲気。 以前はまくし立てるような早口でしたが、話し方も穏やかになっていて、私はまずその変化に少々ビックリでした。
聞けば、彼は新しい仕事のために 4月にはLAに移住が決定。 「住み慣れたニューヨークを離れるのは寂しい」と言いつつも、 彼は そもそも西海岸出身なこともあり、新しい仕事にエキサイトしている様子でしたが、 彼によれば その仕事が見つかるまでの道のりに導いたのが、 以前私が彼に語った2つのこと。 それが、人生のどん底をつけた彼にインスピレーションを与えてくれたと言ってくれたのでした。

そのうちの1つは、 「I am not what happened to me. I am what I choose to become. / 自分は自分に起こった出来事によって形成された人間ではない、 自分がなろうとしてなった人間だ」 というカール・ユングの言葉。 実は私はこの語録を言われた時は 直ぐに思い出せなくて、「本当に私が引用した語録?」と訊いてしまったほど。 ユングは 私が心理学に興味を持つきっかけになった人物でしたが、 私がベンジャミン・フランクリンとマーク・トゥエイン以外の語録を引用するのは極めて珍しいこと。
その友達は 「自分に何度も、何度も災難や悪いことが起こる度に、その言葉を自分に言い聞かせてきた」とのことでしたが、 「もうこれで最後だろう、もうこれ以上は 運が下がることはないだろう」と思っているうちは、 まだまだどん底を付けた訳ではないことを 過去数年で学ぶ羽目になったと言っていたのでした。

そして彼曰く 「彼をどん底から救った」というのが 私が彼に語った以下のセオリー。
「自分がどうやっても幸せになれない時は、せめて人のことを幸せにするべき。 自分が少しでも人を幸せに出来れば、それによって自分の状況は変わらなくても、人から幸せを感じることはできるはず。 そもそも自分の幸せばかり考えていたら、幸せになれたとしても、それは自分の1人分だけ。 でも幸せになって欲しいと思う人が多ければ、その人達が幸せになる度に、自分が幸せになれるのだから、幸福感は無限に増やせるはず」
これは私が持論にしていることなので、さすがに覚えていましたが 彼は最初はこれを 「キリスト教の説教のようなことを言う」と思って聞いていたとのことでした。

その彼は、仕事もお金も無かった3年ほど前に スターバックスで知り合った高校生のために 無料で大学入試SATテストのための 家庭教師をしてあげたところ、口コミで アッパー・イーストサイドの大金持ちの娘や息子にも 家庭教師をするようになり、彼は大した金額はチャージしていなくても 非常にやり甲斐を感じていたただけでなく、 高校生が彼を慕ってくれるので、とても楽しい経験をしたとのこと。 やがて彼らの大学入学が決まった途端に、大金持ちの親たちが彼に払ってくれたのが多額のボーナス。 そうするうちに親のうちの1人が彼の能力を買って、セットアップしてくれたのが 仕事のインタビュー(面接)。 すると その仕事に雇われて 数ヶ月後には 職場のボスに気に入られて、 西海岸でスタートする新プロジェクトに加わることになったというのが 彼が4月からLAに移住する理由。
もちろんその間には大変なことも沢山あったというものの、 「自分がどうやっても幸せになれない時は、せめて人のことを幸せにするべき」という意味が本当に分かったし、 「それを心掛けてからは 初めて自分にやる気やエネルギーが戻ってきて、何かに向かって前進し始めたのを感じた」 というのが 目に涙を浮かべながら彼が語ってくれたことでした。

私も、そんな彼の話を聞いて幸せな気分になっただけでなく、何か良い事をしてあげたような気分にもなってしまいましたが、 それと同時に強く感じたのは 自分が持論にしてきたセオリーを 彼から改めて学んだということ。
人間の運というのは、年齢や社会的地位、財産などに関係なく、数年ごとにアップ&ダウンを繰り返すもの。 人は苦しい状況にあると 「他人を助けている余裕なんて無い」と自己中心的になって、 自らの運を閉ざしてしまう傾向にありますが、そういう時ほど 自分の焦りやフラストレーションに費やしているエネルギーを ポジティブな形で周囲に向けて、人を助けたり、 親切にしたり、幸せにしてあげるように心掛けることは、人の幸運をシェアしながら、自分も一緒に幸せにする最も確実な方法。
自分の運気が落ちていると感じる時、物事が思うように進まないという時に、 これほどまでに確実なカンフル剤は無いと私は信じています。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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