Apr. Week 1, 2016
★ Why is Falling & Tripping Funny?
誰かが転んだり、転落したり、つまずくのを見て、笑える人の気が知れません!


秋山さま、
友達に教えてもらって、3年くらい前にこのコーナーを知りました。 以来、ずっとこのコーナーだけでなく キューブさんのサイトをずっと愛読し続けています。
私も秋山さんのアドバイス、もしくはお考えを聞きたいと思ってメールをすることにしました。 ちょっと抽象的な質問なんですが、取り上げていただけたら嬉しいです。

私は、あるスポーツにかなり本格的に取り組んでいましたが、怪我をしてからそれがトラウマになって そのスポーツを諦めました。以来ピラテスとかヨガ、水泳みたいな危険の無いスポーツしか しなくなりました。 そんなトラウマがあるせいかもしれませんが、人が転んだり、つまずいたり、どこかから転落する様子を笑って 見る人の気が知れません。 ユーモアのつもりでふざけてわざと転ぶのを笑うのなら分かりますが、 本当に危ない転び方をした人を笑ったり、いたずらで 座ろうとした椅子を引いて人に尻餅をつかせる人とか、 私は残酷な人柄だと思ってみています。 私は怪我で辛い思いをして、リハビリでも苦しい経験をしたので、転んだり、落ちたりすることの怖さを知っていますので、 人が転んだら まず怪我はないか?を心配します。 一見何処も怪我をしていなくても、後から打撲した場所が痛み出すことなどもありますから、その時大丈夫と言っても 安心できないと思ってみています。
でも人によっては、怪我をしているのでは?とは全く考えずに ただ大笑いして、転んだ人に気の毒だし、 不謹慎だと思えることもあります。 一度、「人が転ぶのは笑い事じゃないでしょ?」と思い切って文句を言ったことがありますが、「笑い事だってば!」とか、 「だって おかしいんだもん」みたいな返事がかえって来て、1人でイライラしている私が悪いみたいに言われました。

先日は、姉の6歳になる子供が 人が転ぶのを見て笑ったので 「そういう時は笑っちゃダメ」と注意したら、 姉にも「まだまだそういうのが可笑しい年齢なんだから、そう怒らないでよ」と言われて、 私の方が了見が狭いみたいに言われました。
私は人が転んだり、つまずいたり、落ちたりするのを見て笑うなんて、不幸を笑いものにするようで 考えられません。 が、あまりに周囲と意見が食い違って、何が何だか分からなくなってきました。
秋山さんは、私の方がおかしいと思いますか? 私が大怪我をしたトラウマのせいで転ぶことに過敏になっているのでしょうか? 何かアドバイスをいただけたらとても助かります。 抽象的ですみません。よろしくお願いします。
もしアドバイスが頂けなくても、これからもずっと応援しています。

- M -




Mさんのご質問は、実は心理学の世界でも答えが出ない問題の1つなのです。
すなわち、人間は何故 人が転んだり、落ちたりするのを見ておかしいと思うのか?という問題です。
子供は物事の善悪などを理解する以前から 人が転んだり、何かが落ちたりすると笑うものですし、 コメディアンが笑いのネタとして転んで見せるというのは 文化や言語が異なる世界中の国々で行なわれているものです。 通常、人は自分が転んだり、つまずいたりした場合、よほどの怪我をしない限りは、”みっともない” もしくは ”恥かしい” と思って 照れ隠しの笑いをしたり、あるいは自分自身が転んだ様子を可笑しいと思って 笑ってしまうことは少なくありません。
心理学者の中には、「可笑しいと思える転び方と、そうでないものがあって、うずくまったり、血が出ているなど 危機感を煽る状況でない限りは 人間はそれを 可笑しいと捉える」という人も居ますが、転んだ後にうずくまったり、血が出たりしなくても、 転んだ人を見て 可笑しいと思わない人、笑わない人はいくらでも居るものですので、私はそれは違っていると考えています。

私の中では それはどちらかと言うとユーモアの捉え方の違いだと判断しています。 世の中には、フィジカルなユーモアを好む人と 好まない人がいます。フィジカルなユーモアは”ウェット・ユーモア”とも言われますが、 俳優のジム・キャリーが人気絶頂だった時代に代表されるような 大袈裟な顔の表情や、過度に面白可笑しく演出した身体の動きや喋り方に 代表されるものです。アメリカの親達は往々にして それが言語能力が親ほど発達していない子供にウケるタイプのユーモアだと思い込んでいるので、 子供のバースデーに 大袈裟な動きや、話し方をするクラウン(サーカスのピエロ)を雇って、 子供をエンターテインしようとします。でも実際には それを面白いと思わない子供、 周囲に合わせて笑うのが面倒だと思う子供、中にはクラウンを怖がったり、うっとうしいと思う子供さえ居るのが実情で、 親がせっかくお金を払ってクラウンを雇っても、 それを心から 可笑しい、楽しいと思う子供は半分程度と言われています。

そんなフィジカルなウェット・ユーモアの対角線上にあるのが、ドライ・ユーモアで これはちょっと捻ったユーモア、客観的に状況を把握したり、比較することによって矛盾点を指摘するなどの、頭を使ったユーモアです。 時に皮肉めいて聞こえるユーモアですが、国民的にドライ・ユーモアを好むといわれるのがイギリス人です。
ドライ・ユーモアを好む人は、転んだり、落ちたりという状況を見ると、 面白いと思うより、怪我やダメージを考えるもので、 笑いを誘うためにそれをやっている人を見ると 「あんな事までして人を笑わせようとするなんて…」と批判的に捉える傾向にさえあります。

もちろんMさんのように、トラウマになるような大怪我をされた方の場合は、 ”転ぶ、転落”という行為が 直ぐに ”大怪我=苦しいリハビリ&快復プロセス” に結び付いてしまいますので、 それを笑い事に出来ないのは当然のことと思います。またMさんは私が察するところ、 そもそもウェット・ユーモアを 好まない方のようにもお見受けします。
本来ウェット・ユーモアを好んでいた人でも トラウマになるような事態を経験をしたり、目撃したりすると それが笑い事に捉えられないケースも多いものです。 私の知人は、子供のころ車のエンジンのチェックをしていた父親を おどかしてみようと思って、クラクションを鳴らしたところ、父親が驚いて ボンネットの蓋の支えを倒してしまったので、蓋が背中に降って来て、病院に運ばれるという惨事になってしまい、以来 たとえ 軽い気持ちのいたずらであっても、人に危害が加わる可能性があることは止めさせるようにしてきたと語っていたことがあります。

かく言う私は 怪我、それも転ぶことの常習犯で、それは学生時代から続いていることなので、 時々長年の友人に 「普通は大人になったら転ばないものなのに…」などと言われます。 そんな転び慣れている私の場合、ハイヒールを履いて転んだ場合は シューズがダメージを受けなかったか?、ジュエリーから石が落ちなかったか?、服が擦り剥けて居ないか?、バッグからお財布などが落ちなかったか? など自分の持ち物をチェックしてから、打撲や擦り傷のチェックをするのが常ですが、それはもちろん それらがチェックできるほど 自分自身が深刻なダメージを受けて居ないということでもあります。
スニーカーを履いて転んだ場合は、破けても、擦り切れても構わない エクササイズ・ウェアを着用していることが多いので、 まず自分に怪我が無いかをチェックしますが、周囲のニューヨーカーの反応にしても、ハイヒールを履いて転ぶと2〜3人が起してくれることも珍しくありませんが、 スニーカーを履いていると、「大丈夫?」と声をかけてくれる人はいても、自力で起き上がるケースが殆どです。 したがって、スポーツ、エクササイズのように転ぶことが珍しくないセッティングで 転んだ場合は、 周囲の人が深刻に捕らえない傾向にあることがよく分かります。


要するに、転ぶ、転落する という行為には様々なヴァリエーションがあるもので、 転んだ人を見て 通常なら笑わない私も、上のような写真を見ると 何となく笑ってしまいますし、 「あんな服装で、しかもヒールを履いて わざわざ不安定なところに座って写真を撮影するメリットが一体何処にあるんだろう?」とも思う一方で、 バランスを崩した友達を反射的に支えてるのに、その友達の脚で蹴られている左の女性を気の毒にも思います。

これが転落や、転ぶという話から 怪我という問題になると、誰もが共通して笑い事ではない反応を示しますし、人によっては出血や傷口を見るだけで 気分が悪くなったり、時に倒れたりするケースもあります。
私はセントラル・パークで自転車をレンタルした時に転んで、脚のすね、いわゆる”弁慶の泣き所”を 骨が見えるほど 深く擦り剥いたことがありますが、 転んだのがレンタルを開始した直後だったので、 自転車を返しに行った際に お金をチャージされないように 窓口の若い男性2人に 証拠として傷口を見せようとしたところ、2人して「見せないでくれ!」、 「傷なんて見せなくても、お金はチャージしないから!」と大騒ぎをして、狭いカウンターの中を逃げ回っていたのを覚えています。 そんな怪我や傷口を見て 笑ったり、喜んだりする人には私は未だかつて出会ったことはありませんが、 もしそんな人が居たとしたら、それこそ残酷で、殺人を犯して死体を切り刻むような人ではないかとも思います。

いずれにしても、怪我の段階まで行かない転ぶ、転落する、つまずくという状態で 常に自分が考える通りに 人にも考えてもらうのは難しいと思います。 私自身は、わざと ウケを狙って転ぶようなユーモアは好みませんし、転んだ人を笑うのは不謹慎であったり、 冷たいと感じることは多いですが、大怪我をした経験が無い人にとっては、転んだり、転落したりという行為自体は、 さほど深刻に捉えらることができないのだと思います。
でも 転んだ人を見て笑っている人の目の前で、「大丈夫?」、「怪我は無かった?」という気遣いをすると、 笑った人が気まずい思いをしたり、笑ったことに罪悪感を覚えるケースが多いので、 私の考えでは 転んだ人を気遣うようにした方が、笑った人にお説教をするよりも Mさんのメッセージが端的に伝わるのでは?と思います。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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