May Week 4 2017
★ "Sometimes I have Death Wish… "
"人間嫌い、何かにつけ死にたくなることも…"



秋山 様
いつもこのコーナーを特に大変楽しみにしております。的確で心に刺さるアドバイスを読む度にぐいぐいと引き込まれています。 今回秋山様にご相談したいことがありまして、それは人間全般に対する私の想いについてです。

私は43歳の女性で、彼と一緒に住んでいます。3年前から猫を飼っているのですが、 猫に限らず動物が本当に大好きで、人間よりも確実に動物の方が好きなのです。 もちろん仲の良い人や自分が好きな人は別ですが、人間の悲しいニュースよりも動物の悲しいニュースの方が 心が痛むし、とにかく人間より動物の方がピュアで愛を感じることができます。
そのような想いを持ち続けながら生活をしていると仕事でも自然と人嫌いの本音が出てしまっているのか、 必要最低限しか関わりあいたくないという行動になってしまって、周りから浮いてしまうことがあるような気がします。

私は海外ドラマのハンニバルが大好きで、ハンニバルを見ていると共感する事も多くて 落ち着く一方、これで大丈夫なのかと思ったりもします。 人生は楽しく感じることもあるのですが、40を過ぎた辺りから本当に波乱万丈で、 何かにつけ死にたくなることもしばしばです。

どうすれば人間好きになって、心から生きたいと強く思えるようになるのでしょうか。
こんな質問で本当に申し訳ないのですが良かったらお答え頂ければ大変嬉しいです。
これからも秋山様のサイトを楽しみにしております。

- K -





メールを拝見して私からKさんに差し上げるアドバイスは以下の3点です。

  1. 人間を好きになる努力をする前に、もっとご自分を好きになってください。

  2. 周囲に合わせて自分の本質とは異なる人間になろうとしたり、死に価値を見出すのは間違っています。

  3. 自分にとって情熱が注げるものを見つけて、そこから生き甲斐や幸福を見い出して下さい。


正直申し上げて、私は「人間嫌いで、動物が好き」というKさんの何処かどう悪いのか分かりません。 故マイケル・ジャクソンも「動物は決して裏切らない」と人より動物を好むコメントをしていましたし、 著名なミュージシャンやアーティストも 交友関係についてインタビューで尋ねられて、 「友達は3人しかいない」とか、「自分に友達なんて居ない」などと堂々と答える人は珍しくしくなかったりします。 アメリカの大企業の名物CEOの多くも、知人は沢山居ても、孤独と言えるほど友達が少ない人が多いのは広く知られることです。
私のヨガ・クラスで会う知人は、「家族が死んでも泣かなかったけれど、愛犬が死んだ時は1週間泣き続けた」と 平然と語っていたりします。かく言う私は動物が苦手ですが、それでもドラッグのオーバードース等で命を粗末にする人間には同情しませんが、 人間に虐待を受けた動物のことは心から可哀想だと思います。
従ってもしKさんが、「人間が苦手で動物の方が好き」というのが、ご自身の特殊性だと考えていらっしゃるのであれば、 それは違うように思います。

そもそも世の中は良い人や、有益な時間をもたらしてくれる人で溢れている訳ではないので、 人間全般を好きになる必要などないのです。 人間嫌いでも世の中には心豊かに生きている人は沢山います。
それよりも前述のようにKさんがもっと好きになるべきなのはご自分なのです。 メールの文面からは、Kさんがまるでご自身に問題があるかのように考えて、違う人間になろうとしていらっしゃる様子が窺えましたが、 私はむしろそんなKさんのご様子に大きな問題を感じます。
社会一般のスタンダードに合わせようとして、本来の自分ではない人間になろうとして苦しんでいる方は、 プライベート・セッションで悩みをご相談して下さる方の中にも非常に多いのが実情です。 そんなお話を聞いていると、「これは日本という国の国民病なのかもしれない」とさえ思えてしまうことがあります。

確かに20世紀までの日本であれば、学校を出て、仕事をして、貯金をして、結婚して、子供を設けて、家を買って、リタイアして…というような 判でついたような人生のシナリオが、普通の人生を送る殆どの人々に用意されていて、そのように生きていれば良い社会でした。 その時代であれば よほどの野心や才能が無い限りは、人と同じように生きる、もしくは親と同じような人生を送るのが 当然の選択肢だった訳ですが、もはや時代は変わったのです。 人の意識や常識、価値観よりも早く時代が動いてしまっているのです。

周囲と同じような人間になって、周囲の人に合わせて、同じような幸せを求めて、同じように生きなければ…というオブセッションや、 人と同じにしている安心感というのは、これから時代の流れに逆行するものです。 自分の本来の個性や能力を抑えつけてまで、誰とでも入れ替えが可能な人間になる必要が何処にあるのでしょうか?
むしろ変わり者と思われるくらいの方が、意地悪をされない限りは他人と同じ尺度で判断されたり、周囲に合わせるために 自分を鋳型にはめる必要が無い分、伸び伸びと生きられるはずです。 またアメリカでは「Think outside of the box」というセンテンスが頻繁に用いられるように久しい状況ですが、 既成概念や常識にとらわれずに、人と違う考えや人とは異なる見方が出来る人材に価値を見出す企業や経営者が増えているのです。 この「Think outside of the box」という思考は、自分に正直に、ユニークさを大切に生きている人にのみ出来ることなのです。

メールに「何かにつけ死にたくなることもしばしばです」と書いていらしたのですが、 Kさんにとって「死」とは何なのでしょうか? 解決策なのでしょうか? 逃げ場なのでしょうか?
死んでしまえば、今の自分の苦しみから逃れられると考える人は多いようですが、本当にそうなのでしょうか? 死んで楽になるというのは、苦しみながら生きている人間の思い込みだと思ったことはありませんか? 今の人生がどんなに辛いものであったとしても、死後がそれよりも楽だなどと、誰が保証をしてくれるのでしょう? 何故、死後に今と同じ地獄、もしくはそれを遥かに超える地獄が待ちうけているかもしれないと考えないのでしょう?
私は以前、ある人から「人生を全うしないと、魂が150年間苦しみを味わう」と聞いたことがあって、 そちらの方がよほど信憑性があると思っていたりします。 とは言っても死んだ後の実態など、生きている人間にとっては想像の域を出ないことなので、 「死んで楽になる」のと 「人生を全うしないと 150年の苦しみを味わう」という 可能性をフィフティ・フィフティだと想定するとします。 その場合、人生を全うしてから死に至ることによって100%確実に「死んだら楽になれる」のですから、 私だったら、たとえ苦しい時期があったとしても、余生を全うして100%確実に成仏できる道を選びます。

よく自殺をほのめかす人に向かって「死んだ気になって頑張れ」、「死ぬ気になったら何でもできるはず」と励ます人が居ますが、 私はこのセンテンスが長期的に本当に功を奏した例は少ないと思って見ています。 本能的に生命力を持って生まれてきた人間にとって、死はモチベーションのソースにはなり得ないのです。
人間を辛い時にも駆り立てるのは、夢や希望や愛情といった生きることに幸福を見出せる要素です。

私が小学生の時に教科書か参考書で読んだストーリーに、細かい設定は忘れましたが、 飢餓状態で何処か安全なところに逃れるための長旅をしなければならない男性の話がありました。その長旅に出る前に、 彼が友達に渡されたのが一切れのパンが入っているという包みで、友達は「これを食べる時は、もうこれ以上頑張れないという時だ。 それまでは決して包みを開けてはいけない」と言って渡します。男性は長い道中に、何度も包みを開けてパンを食べようと考えるほど 辛い思いをしますが、その度に「未だその時ではない」、「まだもう少し頑張れる」と自分を励まして、 遂に包みを開くことなく、安全で食べ物がある土地に辿り着き、やっとまともな食事にありつくことが出来ました。 そして彼が、もはや必要でなくなったパンの包みを開いてみると、中に入っていたのは木片。 男性がそれをくれた友達に「ありがとう」と呟くのがこのストーリーの終わりです。
私がこのストーリーを忘れられないのは、人間というのは実態が伴わなくても、何かすがるものや、 心の支えになるものがあれば、苦境を乗り切れるということを学んだからで、このストーリーの場合、 固くなったパンだと思い込んでいた木片が、僅かな希望と心の支えになって、苦しい長旅を強いられた男性を救ったのです。 この男性に「死んだ気になって頑張れ」などと言って送り出したところで、同じストーリーになったとは私には思えません。

ですから、私がKさんに「心から生きたい」と思って頂くために必要だと思うのは、夢や希望なのです。 非現実的な夢でも、他人から見れば ”エンプティ・ホープ” としか思えない希望でも構いません。 その夢や希望を抱くには、自分が情熱を注げることを見つけること、そしてそのために精一杯生きることだと思います。
そういう人生は苦労のし甲斐がある人生ですから、時に苦しいことがあっても、充実感や幸福感が得られるはずです。 良い人間関係や信頼できる交友関係というのは、そんな情熱をシェアする人や、 それに共鳴してくれる人との間に無理なく、自然に生まれるものです。

マンハッタンには ”ドッグ・ウィスパラー”という職業の人が居て、それがローカル紙の記事になっていたことがあります。 その人は人間嫌いで、犬とだけ話している間に だんだんと犬の言うことが分かるようになってきたそうで、 同じ建物の住人の犬が、新しいドッグフードを嫌っていることを飼い主に伝えたりしているうちに、 口コミで評判が広がり、言葉でのコミュニケーションが出来ない愛犬の気持ちや好み、体調が知りたい というドッグ・オーナーが続々とセッションを申し込むようになり、ウェイティング・リストに名前が連なる大繁盛になったというのがその記事でした。
私はこういう、ちょっと変わったサクセス・ストーリーを読む度に、「自分に正直に、自分の情熱が注げることを見つけて生きている人の勝利」 と感じますが、 人間には誰にでもこの世に生まれてきた理由があるのです。人生というのは楽しいから生きられて、辛いから死にたくなるような 短絡的なものではありません。たとえ波乱万丈な状況が続いたとしても、 死ぬことに思いを巡らせる前に、まずは自分が何のためにこの世に生を受けたかを見極めるべきなのです。 世の中には無駄に存在する命などないのです。

Yoko Akiyama

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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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