Dec. 26 2005 〜 Jan. 1 2006
Year 2005 Was...
私が、「Catch of the Week」のコラムを書き始めたのは、2002年の1月1週目から。
つまりこのコラムも既に丸4年が経過して、今週から5年目に突入した訳であるけれど、元旦にこのコラムを執筆したのは
初めてのことで、未だ2006年に頭を切り替えるよりも、2005年を振り返っているのが私の頭の中のモードなのである。
2005年は、メディアから「Year Of Disaster」すなわち「災害の年」と名付けられ、ハリケーン・カトリーナからパキスタンの大地震まで、
世界各地で様々な災害が起こった年であるのは周知の通り。
そして石油価格の高騰が庶民の生活にシワ寄せをもたらし、また石油ほど報道されないためにそれほど知られていないけれど、
ゴールドの価格も過去25年間で最高額をつける値上がりを見せたのも2005年で、これはCUBE New YorkのCJセクションで
ゴールドのアクセサリーを売る立場としては、石油高騰より こたえた値上がりだったのである。
それと同時に、エンターテイメントの世界では、年明け早々ブラッド・ピットとジェニファー・アニストンが離婚をし、アンジェリーナ・ジョリーと
くっついたかと思えば、11月末にはジェシカ・シンプソンとニック・ラシェイが離婚を発表。
その間も、トム・クルーズ&ケイティ・ホルムズ、パリス・ヒルトン&パリス・ラスティス、レネー・ゼルウェガー&ケニー・チェズニーといったカップルが、
くっついたり 別れたりして、「カップルの年」と言われたのが2005年のエンターテイメント業界だった。
その一方で、2005年は セレブリティが被告人席に立つ法廷ドラマが派手に報道されたのも記憶に新しいところで、
その最たる例はマイケル・ジャクソンの少年虐待裁判。彼が病院に立ち寄ったことを理由に 法廷にパジャマ姿で現れた映像は、
年末に様々なメディアによって再放映されていたけれど、ニューヨーカーにとって もっと身近なのは、
ソーホーのマーサー・ホテルのコンシアージュに電話を投げつけて傷害罪に問われたラッセル・クロウ。
また結果的に不起訴になったものの、アッパー・イーストサイド路上での性的嫌がらせの容疑で逮捕されたクリスチャン・スレーター、
さらに年末には、ラッパーのフォクシー・ブラウンがチェルシーのネール・サロンの店員への暴力容疑で法廷入りし、
ガムを噛んでいるふりをして判事を怒らせ、危うく拘留されそうになるトラブルを起こしていたりする。
そうかと思えば、2004年末からイン・クローン株不正取引の操作妨害で拘留されていたマーサ・スチュアートが 3月には出所し、
メディアにカムバックを見せたけれど、秋からスタートした ドナルド・トランプのヒット・リアリティTV「アプレンティス」の
マーサ・スチュアート・バージョンは低視聴率のため、1シーズン限りで番組終了が決定。それでも彼女が出所の際に着用した
ニット・ポンチョは、ちょっとしたトレンド・アイテムになっていた。
さて、ニューヨークに絞って2005年を振り返ってみると、以下がニューヨーク・ポスト紙が掲載した数字で見るニューヨーク・ライフ 2005 である。
- ニューヨークで年間に販売されたホットドッグの数 : 3430万(世界の都市の中で最高の記録とのこと!)
- ヤンキー・スタジアムで年間に販売されたホットドッグの数 : 136万
- グルメ・ガレージ(マンハッタン内に5店舗を擁するグルメ食材店)が年間に販売したキャビアの量 : 57パウンド
- ミッドタウンのステーキ・ハウス、スミス&ウォーレンスキーで来店客が年間に食べたステーキの量 : 60万パウンド
- 年間で消費されたシャンペンの量 : 330 ガロン
- 年間で消費されたウォッカの量 : 734 ガロン
- チェルシーのナイト・クラブ、マーキーの年間来店客数 : 52万人
- ニューヨーク市の居住者数 : 810万人
- マンハッタン内の職業総数 : 220万
- 年間の地下鉄利用者数 : 14億人
- 自動販売機で売られたメトロカードの総数 : 1236万枚
- JFK空港に降り立った人々の数 : 4160万人
- スタッテン・アイランド・フェリーを利用する1日の乗客数 : 6万人
- ニューヨーク市のタクシーの数 : 1万2779台
- ニューヨーク市のタクシー・ドライバーの数 : 4万2000人
- 平均的なタクシー運賃 : 8.8ドル
- ニューヨーカーがインターネットで費やした年間の平均時間 : 692時間
- 結婚したカップル : 13万7153組
- 離婚したカップル : 6万2794組
- スモーカーの数 : 95万9000人
- 禁煙を試みている人の数 : 57万5000人
- 2005年に禁煙に成功した人 : 6万人
- ニューヨーク市に住むビリオネアの数 : 178人 (昨年の188人より10人減少!)
- 6カラット以上のダイヤモンドの販売数:1000
- ベントレー・コンチネンタルGT の販売台数 : 100
- パーク・アベニューのアパートの平均価格:175万ドル(約2億500万円)
- サリー・ハンセン(数年前メグ・ライアンのシャギーカットで有名になったセレブリティ・ヘアスタイリスト)の600ドルヘアカットの顧客数:355人
- 年間行われた豊胸手術の数 : 2万2500件
- 年間行われたボトックス注射の数 : 30万1884件
これらの数字から特に2005年のニューヨークが見えてくるとは思えないけれど、ニューヨークの1年を振り返って、
私が個人的に最も好まなかったイベントと言えば、2002年2月12日から16日間に渡ってセントラル・パークで行われた
「ザ・ゲート」である。
これはクリスト&ジャンヌ・クロード夫妻による自称”アート・イベント”で、パーク内の23マイルに渡って、
サフラン色のカーテンを付けたゲートが7500設置されたプロジェクトで、$21ミリオン (当時約22億円) の費用が投じられ、
構想に26年の月日が掛けられたと報道されるものだった。
しかし、「サフラン色(通常は黄色のこと)」とは名ばかりのアグリーなオレンジ色のカーテンは、工事現場の被いを彷彿させる安っぽいカラーで、
初心者のローラーブレーダーは、ゲートにぶつかって随分危ない思いをしていたというし、毎朝ジョギングしているニューヨーカーは
「3日で飽きた」と話していたような状態。しかも専門家の見積もりによれば、同プロジェクトはとんでもないオーバー・プライスで、
実際にはどう高額に見積もっても、設置された7500のゲートの製作、輸送費は、発表された金額の10分の1程度の費用しか掛かっていないとの
批判も飛び出し、かなりのバック・ラッシュを呼んでいたイベントでもあったのだった。
結局、「ザ・ゲート」に用いられた鉄柱は、その後一般家庭用バルコニー等の鉄柵にリサイクルされたことが伝えられているけれど、
「アート・イベント」という謳い方、「サフラン色」という表現、$21ミリオンの巨費の見積もりといい、私にとって「ザ・ゲート」は、
「言ったもの勝ち」という言葉を印象付けるイベントに過ぎなかったのである。
そして「ザ・ゲート」と共に、私がある種の無意味なイベントと思って見守っていたのが、
ニューヨークへのオリンピック誘致運動、NYC2012である。
そもそも「ザ・ゲート」のイベントもNYC2012の一環として行われたもので、
ゲート開催当時、ニューヨークを訪れていたIOCの視察団は3億円の巨費を賭けたもてなしを受けていたけれど、
実際にはオリンピック誘致のカギを握ると言われた、ウエスト・サイド・スタジアムの建設には67%のニューヨーカーが反対しており、
NYC2012の関係者とブルームバーグ市長以外に、ニューヨークへのオリンピック誘致を真剣に望んでいる人は
それほど居なかったのが実情だったのである。
その2012年のオリンピックが、本命 パリではなく、ロンドンに開催が決まったのは サプライズであったけれど、
それ以上に驚かせられたのは、その翌日、7月7日のロンドンで起こったテロだった。
これによってニューヨークでも地下鉄の荷物検査が再開され、ロンドンのテロの映像を見て、
9/11の記憶を新たにするニューヨーカーは多かったけれど、
その9/11の4周年を迎える頃には、ニューヨークはもちろん、アメリカ全土のメディアが
ハリケーン・カトリーナの被災者とその救援の遅れを指摘する報道に溢れていたのだった。
ハリケーンが地震やテロと異なる点は、数日前から予測可能であることだけれど、
カトリーナの場合、6日も前に専門家がその危険を指摘、警告していたにも関わらず、
3日前に避難命令は出したものの、避難手段を提示しないという「手抜き政策」のために、多くの命が失われることになってしまった。
加えて その後のシェルターの対応の遅れ、人種差別などで FEMA(Federal Emergency Management Agency:連邦危機管理庁)、
レッド・クロスに批判が集中することになったけれど、当時FEMAのヘッドは ジョージ・ブッシュ大統領と親しい友人であるだけで、
緊急災害対策の経験が全くないマイケル・ブラウン。彼は国民からのFEMAに対する大バッシングを受けて9月に辞任しているけれど、
一方のレッド・クロスでも、CEO、マーシャ・エヴァンス女史が、11月に行われたハリケーン・カトリーナの救援活動遅れについての
公聴会直前に職を退いており、政府関係者からは寄付金集めと救済活動をレッド・クロスに任せるために、
同団体に大きな権限を与えすぎた事に対する反省の声が聞かれていたという。
こうして振り返ってみると、2005年は本当に災害や災難に溢れた年で、ニューヨーク・タイムズやロイター、タイムといったメディアの
「The Year In Pictures」(1年を振り返る報道写真)の特集を見ても、被災者、イラク情勢、ヨハネ・パウロ2世の死去等、
どれをとっても幸せそうな光景とは無縁のものばかりだったりする。
でも社会情勢というのは、人間1人、1人にとっては時代背景、すなわち自分が生きた1年のバックグラウンドな訳で、、
個人レベルでの2005年は、世の中がどうあれ、幸せになった人も居れば、空しさを味わった人も居るし、それまでの努力が報われた人も居れば、
辛い別れを経験した人も居る訳で、この先、人生を振り返った時に、自分に起こった様々な出来事と共に思い出されるのが、
その年、その年に起こった社会における事件や災害、出来事の数々である。
記憶というものは、自分に関わるレベルが高いほど、そして精神的なインパクトが強いほど鮮明に残っていくものであるから、
その意味では、5年も経てば「ザ・ゲート」のことなど、殆ど覚えている人は居なくなると思うけれど、
年末のMTAのストのこと、この時に歩いた道のりや、ストのシワ寄せで味わった苦労のことは、ニューヨーカーは何年経っても忘れないと思うのである。
そもそも人間の思い出には、楽しいもの、辛い経験、恥ずかしい失敗など、様々な種類があるけれど、
どんな思い出でであっても、それを後から振り返る時は、人それぞれの財産なのである。

執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に
ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。
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