Mar. 14 〜 Mar. 20 2005




See No-Evil, Hear No-Evil …



英語には、「見ざる、聞かざる、言わざる」と同様の言い回しで 「See No-Evil, Hear No-Evil, Speak No-Evil」 というものがあるけれど、 このフレーズが盛んにアメリカのメディアで聞かれ始めるきっかけとなったのが、 今週木曜に下院で行われたメジャーリーグ選手のステロイド使用に関する公聴会である。
公聴会には、1998年にロジャー・マリスの記録を破って年間最多ホームラン記録保持者となったマーク・マグワイア、 彼とその記録を争ったサミー・ソーサ、2月にメジャー・リーグにおけるステロイド使用を暴いた著書、 「Juiced / ジュースト」を出版し、 今回の公聴会のきっかけを作ったホゼ・カンセーコを含む6人が召集され、ステロイド使用に関する聴聞が行われたけれど、 終わってみればその証言は、ウソも真実も語らない、疑惑だけが強まるような内容で、 「フェア・プレー」と「スーポーツマン・シップ」の世界で功績を残したはずのメジャー・リーガーとて、 「議会証言を求められた政治家や、粉飾決済の罪を問われた企業CEOと変わりはない」 という印象が残るものとなった。

ことに公聴会の後に、メジャーリーグ・ファンとメディアの非難が集中したのは、「I'm not here to talk about the past./過去の事を話すためにここに居る訳じゃない」 という発言で顰蹙を買ったマーク・マグワイアである。彼はカンセーコの著書「ジュースト」で、ステロイド使用を指摘されて以来、 一貫してその疑惑を強く否定し続けてきたものの、下院公聴会の宣誓証言という、ウソの証言には偽証罪が適用されるという状況になった途端に、 口が重くなり、自らのステロイド使用についての言及を避けており、その姿には ホームラン記録を打ち立てた当時のヒーロー像の 面影すら感じられないものであった。
メディアは、カンセーコの著書を「事実無根」として、「ステロイド使用がもしあるとすれば、それはごく僅かなプレーヤーだ」と 語ったボストン・レッドソックスのカート・シリングに対して 「See No-Evil」 、ステロイド疑惑を知りながら、あえて何の手を打たなかった MLBコミッショナー、バド・シーリグに対して「Hear No-evil」、核心に触れる証言ゼロに終わったマグワイアに対して「Speak No-Evil」と言うように、 「見ざる、聞かざる、言わざる」をそれぞれに当てはめて報じていたけれど、 「Speak No-Evil」 どころか、「Speak No English」で、ごまかしていたのはサミー・ソーサで、 選手時代には英語でインタビューに応えておきながら 「英語が流暢に話せない」という彼は、弁護士が代わってステートメントを読み上げていた。

でも今回マグワイアに メディアや人々の関心が集まる理由の1つには、彼がホール・オブ・フェイム、すなわち野球の殿堂入りを承認する 投票を控えているためで、殿堂入りを果たすには、この投票権を持つ各メディアのスポーツ記者達の75%の承認票を集めなければならないことになっている。 本来ならば、その記録と功績で、殿堂入りが確実視されるマグワイアであるけれど、今回の公聴会で ステロイド疑惑を完全否定しなかったことにより、彼がかなり票を失ったのは紛れもない事実である。
実際に彼の選手生命を振り返っても、そのステロイド疑惑は深まるばかりで、 マーク・マグワイアが15年間のメジャー・リーグ歴で放ったホームラン数は583本。これは歴代6位の成績であるけれど、 このうちの42%に当たる245本のホームランが、彼がステロイドを使用していたと見られる1996年から99年までの4シーズンの間に 量産されており、彼のキャリアが終焉を迎えるきっかけとなったのは、2000年〜2001年に掛けての膝の怪我であったけれど、 これもステロイド・ユーザーに顕著な症状として知られるものなのである。
それでもマグワイアに投票すると語っている記者は、「彼は汚い、恥知らずのウソつきだが、 彼と同じくらい劣悪な連中が既に何人も殿堂入りしていることを思えば、彼に投票するのには抵抗はない。」、 「ステロイドを使ったからと言って、ホームランが打てるとは限らないのだから・・・。」などとコメントするけれど、 こんなことを聞かされると 益々強くなってくるのが、プロ・スポーツや それを報じるスポーツ・メディアに対する疑惑の念である。

その一方で、3月20日、日曜のニューヨーク・タイムズ紙では、スポーツ界におけるステロイドのような 「パフォーマンス・エンハンシング・ドラッグ (パフォーマンスを向上させる薬物)」が、メジャー・リーグに止まらず アメリカ社会中に蔓延していることが指摘されている。
その例として挙げられているのが、極度の緊張によって、本来のパフォーマンスが出来なくなる、いわゆる「アガッてしまう状態」を 防ぐための「ベータ・ブロッカーズ」。これは、ステージに上がったり、オーディションを受ける前のミュージシャンやダンサー等の エンターテイナーを中心に使用が増えているもの。スポーツの世界でも勝敗を分けるパターを打つゴルファー、ペナルティ・キックや フィールド・ゴールを蹴るサッカー、フットボール・プレーヤー等が摂取すれば、緊張による「まさか」のミスが防げることになる。
また、大学入試の試験を受ける高校生の間で摂取が増えていると言われるのは「リタリン」で、これは 一般的にはADHD (注意欠陥/多動性障害) 用の治療薬として用いられているもの。脳の中枢神経を刺激することにより、 楽観的な気分にし、集中力を向上させるため、整理能力や仕事&学習効率がアップするというもので、食欲抑制の効果もある。 同薬については 学生の間に広まる以前に、若いビジネスマンやダイエット目的で服用する人々の間に 依存症が増えていることが、2〜3年前からレポートされていたりする。
また、短時間に多量の仕事をこなさなければならない人々が服用していることで知られるのは、 「アンチ・スリープ・ドラッグ」とも呼ばれる「プロヴィジル」で、これは本来、睡眠障害で昼間でも睡魔に襲われる人々のために開発された薬品。 服用すれば、身体がその神経から「目覚めた」感覚となり、集中力も増すけれど、登場以来、 同薬は 睡眠障害はないものの、 寝ずに仕事をしなければならない ビジネス・ピープルに服用者が増えており、彼らが机の上でついつい眠ってしまったり、 目を擦りながらコーヒーを飲んだりすることもなく、一晩中 機械のように 仕事がこなせるのは この薬のお陰である。
ステロイドにしても、そもそもは 筋肉が失われる病状の治療に使われてきた薬品であるものの、 それが健康者の筋肉を増強することが判明したため、より筋肉質な体型になりたいボディビルダーの間に広まり、 やがてスポーツにおけるパフォーマンス向上のために使用されるようになって、今日の問題を引き起こしている訳である。
こうしたパフォーマンス・エンハンシング・ドラッグの中で、プロ・スポーツにおけるステロイド使用が 特に大きな問題となっているのは、モラルの問題もさることながら、 プロ・スポーツ選手を目指す若い層のステロイド使用による副作用、引いては生命への危険が取り沙汰されているためで、 それについては木曜の公聴会で、ステロイド使用で息子を失った母親が証言していた通りである。
でも、ニューヨーク・タイムズ紙では、「正々堂々とテストを受けて低レベルの大学に進学する」のと 「薬を使って、一流大学に進学する」のでは、親たちは前者を奨励しながらも、自分の子供が後者を行うことに抵抗を感じていないことを例に挙げ、 「これだけパフォーマンス・エンハンシング・ドラッグが蔓延してしまうと、何処で善悪の区別をするべきなのかが 全く定かではない」と述べるに至っている。

かく言う私も、かつてパートナーとの揉め事が絶えなかった時代には、感情の起伏やストレスを抑えるために プロザックを知人から薦められたことがあるし、仕事が山積している時などは、先述のプロヴィジルがあったら・・・と思うこともあるし、 何より、毎週このコラムを書こうとしても集中出来ない時や、いろいろな事で頭の中がグチャグチャになって、何を書いて良いのか 分からないような時などは、「リタリンとかを飲んだらどうなるだろう?」という考えが、冗談でも頭を掠めたことがあるのは事実である。
それでも私がこうした薬物を服用しないのは、そもそも私が薬というものが風邪薬に至るまで嫌いであることに加えて、2つの理由があって、 1つは 薬に頼らなくても これまでやってこられたし、これからもやって行けるだろうと自分を信じていて、その自信を失いたくないから、 そしてもう1つは、例え薬を摂取して何かをやり遂げたとしても、その功績が全て「薬のお陰」になってしまうからである。
特に2番目については、薬を摂取する人というのは 「薬を飲んでいるから大丈夫」、「薬を飲んでいるから出来るはず」という 気持ちの裏返しから、「薬がなければダメだ」という依存症に陥る場合が多く、 例え自分に物事を成し遂げたり、仕事をこなす能力が備わっていても、それが出来るのは薬を服用しているからだと考えて、 やがて薬物の中毒症状や精神的な落ち込みを招く危険があることは、専門家の多くが指摘するパフォーマンス・エンハンシング・ドラッグの 落とし穴である。

さて、メジャー・リーグに話を戻すと、現在一般の人々やメディアが疑問視しているのが、マグワイアの殿堂入り以前に、彼や、 同じくステロイド疑惑で名前が浮上しているバリー・ボンズのホームラン記録を 果たして 正規の記録として残すべきか?というもの。
少なくとも現時点では両者やサミー・ソーサのステロイド使用は、確実視されているものの、疑惑に過ぎず、 こうした疑惑は、オリンピック選手のように厳しくドーピング検査を行わない限りは、立証は極めて難しいものである。 したがって、彼らの名前を歴代の記録から消し去ることは難しいけれど、一部には「ステロイド疑惑が存在したことを 記録と共に残すべき」との意見も聞かれており、これは言ってみれば「但し書き付きの記録」ということになる訳である。
実際、これだけ時代が複雑になって来ると、但し書き付きの記録というのは様々な世界に存在するようになっていて、 例えば映画の興行成績にしても、歴代の興行最高売り上げ記録を持っているのは「タイタニック」であるけれど、 時代の通貨価値換算を取り入れると、1977年に公開された「スター・ウォーズ」の第1作目(正式にはエピソード4)が 「タイタニック」を抜いて1位とされている。さらに、「スター・ウォーズ」シリーズは 2000年に入ってから劇場再公開が行われており、その再公開分の興行成績を加えれば 通過価値換算がなくても 「タイタニック」を破って歴代1位になっており、昨今公開された歴代の興行成績チャートでは、 1位の「スター・ウォーズ」のところに*マークが付いて、その但し書きとして「劇場再公開の売り上げを含む」と記載されていたりするのである。

でも、今回のステロイド疑惑のお陰で、それまで色褪せて見えていた 1927年にシーズン60本のホームランを打ったベーブ・ルース(当時ヤンキーズ)、 その記録を1961年に、61本のホームランで塗り替えたロジャー・マリス(当時ヤンキーズ)の 「ステロイドなど存在していないのだから 使用しているはずが無い」という成績が、 歴史的に非常に重みがあるものに思えてきたのは事実である。 しかも当時の、移動交通機関の不便さと、それから来るシーズン中の身体の疲労や負担を思えば、 彼らの打ち立てた記録が益々偉大に見えてくるというものである。
しかしながら、ロジャー・マリスが、1961年10月1日にシーズン最終戦である対レッドソックス戦で放った61本目のホームランは、 当時のMLBのコミッショナー、フォード・クリストファー・フリックによって 正規のシーズン最多ホームラン記録とは見なさないと判断をされたことは、 ロジャー・マリスの公式ウェブサイトにさえ記載されていない 事実である。 これはベーブルースが記録を打ち立てた1927年にはシーズンの試合数が154であったのに対し、マリスがその記録を破った61年は、 シーズン・ゲーム数がそれより8試合多い162試合であったためで、 その後1989年にMBLコミッショナーがフェイ・ヴィンセントに代わり、彼の記録をシーズン最多ホームラン記録として正式に認めたものの、 ロジャー・マリスはそれを見届けることもなく、1985年12月に51年の生涯を終えているのである。
すなわち、ステロイドなど使用していない、クリーンなロジャー・マリスの記録でさえも、当時は達成試合数を理由に 「但し書き付きの記録」と見なされていた訳であるけれど、マーク・マグワイアやバリー・ボンズの記録については、 それがもし歴史に残るのであれば、ステロイド使用が違反行為であり、ベースボール・ファンを欺くものであるだけに、 「ステロイド使用疑惑」の但し書きは決して消えるべきではないというのが私の考えである。

もしも、ボンズ、マグワイアの記録が無効になった場合、再びレコード・ホールダーとなるのがロジャー・マリスであるけれど、 マリス・ファミリーは、「今回のマグワイアのステロイド使用については一切コメントしない」ことが、ロジャー・マリスの息子、 ランディ・マリスによってメディアに通達されているという。彼は父が記録を達成した1961年に生まれ、マグワイアが1998年に記録を破った際には、 父のバットをマグワイアに持たせて彼を激励、祝福したエピソードは記憶に新しいところである。
もし、マグワイアが本当にステロイドを使用していて、マリス・ファミリーからのこうした好意を 何食わぬ顔で受けていたのであれば、 彼はかなりの恥知らずであると思うし、マリス・ファミリーがこの1件について 「Speak No-Evil」 を決め込んでいることは、 ロジャー・マリスという偉大なプレーヤーの尊厳を守るためにも 正しい選択であると思う。



Catch of the Week No.2 Mar. : 3月 第2週


Catch of the Week No.1 Mar. : 3月 第1週


Catch of the Week No.4 Feb. : 2月 第4週


Catch of the Week No.3 Feb. : 2月 第3週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。