Mar. 23 〜 Mar. 29 2009




” Frenemy / フレネミー ”


今週のアメリカではダウが5.07%値を上げて、7000ドル台後半で取引を終了しているけれど、 これについてはオバマ大統領がコメントしたように、「経済政策が徐々に功を奏している」という見方よりも、 「エコノミーが底をつける前には、一時的な上昇ラリーがあるもの」というような慎重論の方が多く、 まだまだリセッションが続くだろうという見方が強いようである。
そんな中、大企業や金融機関のエグゼクティブの給与制度に規制を設ける動きが高まっているのは周知の通りであるけれど、 つい先ごろラスムッセン・レポートが行った世論調査によれば、アメリカ人の3人に1人が ハリウッドのセレブリティや スポーツ選手にもサラリー・キャップ制度、すなわち給与の上限を設けるべきだという意見を持っていることが明らかになっているのだった。
ハリウッド・スターはトム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、トム・クルーズといったスーパースターだと、 映画1本につき$20ミリオン(約19.5億円)の出演料を受け取っている一方で、 野球選手として最も高級取りのヤンキーズのアレックス・ロドリゲスの年収は$32ミリオン(約31.4億円)。 スポーツ選手として初のビリオネアになったタイガー・ウッズの場合、昨年こそは怪我で収入が少なかったものの、 2007年度には$128ミリオン(約125億円)を稼ぎ出していることが伝えられているのだった。
このアンケート調査によれば、女性の方がスポーツ選手の高額サラリーに厳しく、 低所得者の方が法外な高額報酬に対して政府が何らかの規定を設けるべきという意見が多かったという。
思い起こせばスポーツ選手やハリウッド・セレブリティのギャラが大幅にアップしたのは、1990年代以降。 企業エグゼクティブのボーナスが徐々に高額になっていった時期と重なっていたりする。 またシーズン成績や、ボックス・オフィスの興行成績にかかわらず高額のサラリーを受け取ってしまうスポーツ選手やハリウッド・セレブリティは、 業績にかかわらず高額ボーナスが支給されてしまう金融エグゼクティブに通じる部分があるのだった。

さて、私のアメリカ人の友達のグループの中で、昨今頻繁に話題に上るのが ”とある20代嬢”のことである。
話が進めやすいように、仮に彼女の名前を ”サラ” としておくと、 私はサラはあまり親しくなくて、今までに5〜6回しか会ったことがないけれど、 それほどしか会っていない理由は、彼女はとにかくドタキャンが多いのである。 ディナーやドリンクに参加すると言っておいて、前日や当日、それも約束の2〜3時間前になってから いきなりキャンセルをしてくることが多いので、 私達の間では 彼女のことはあらかじめドタキャンされても良いように、 0.5人と考える習慣さえあるほど。
彼女がドタキャンをした日は、皆がそれを話題にすることも多く、 サラ自身は決して性格が悪い訳ではないのだけれど、ドタキャンの習慣については私達の間では極めて評判が悪いのだった。

でもサラと特に仲が良い女の子に言わせると、サラは 友達が皆フェイスブックに最低100人は友達がリストされているのに、 自分は50人程度しか友達がリストされて居ないのをコンプレックスに思っていて、 新しい友達を作ることに躍起になっているのだという。
とは言っても 人を見極めないで 一方的に友達になろうとするので、思っているような交友関係が築けなくて 傷つくことが多いのだそうで、 そういう状況に疲れてしまうと、自分のアパートに引きこもりたい日もあるのだという。 なので、私達とのディナーやドリンクなどをキャンセルするのは、もっぱら新しい友達と出掛けることにした場合か、 そうでなければ、その新しい友達のせいで落ち込んでいる場合であるという。
すなわち、サラは既に存在している友達よりも、友達であるかどうかも分からないような新しい人間との 付き合いを重んじている訳であるけれど、 「それが 本当にフェイスブックの体裁を保つためだったら、程度が悪すぎる」というのが この一部始終を聞いた別の女友達のコメント。
でも 私の知る限りでは、 フェイスブックに ”友達” とリストされている顔ぶれ 全員と 本当に ”友達” と呼べる深い友人同士である人など そうそう存在しないのである。

かく言う私自身は、フェイスブッカーではないし、どんなに友人に誘われてもフェイスブックやマイ・スペースはやらないと決めていたりするのだった。
理由はまずソーシャル・ネットワーキング・サイトをブラウズする時間を持てないことが1つ。 友達に対しては自分の近況をサイト上で伝えるより、出会ったときに会話でキャッチアップする方が、久々に出会った時に楽しいと思えるのがもう1つの理由。 さらにフェイスブックの場合、一度アップロードした自分の情報を完全に消すことが出来ないためである。
私が最も恐れるのは、そうやって一度 公のサイトに情報や写真などのプライバシーをアップして 人とシェアしてしまうと、 それが自分の財産では無くなってしまうという点で、やがてそれが 何時、どんな形で他人や企業などに利用されてしまうか分らないのである。 しかもソーシャル・ネットワーキング・サイトでシェアされた情報のデジタル・コピーライトについては、 確かな取り決めが無いので、法律でプロテクトされることは無いという。
アメリカでは、2月にフェイスブックがユーザーポリシーを変更して、アップロードされた情報が全てフェイスブックの知的財産となると したことで、アメリカ中から大バッシングを受けたばかりである。 そのフェイスブックと言えば2007年10月時点での企業価値が$15ビリオン(約1兆4700億円)にまで膨れ上がった 急成長企業であったけれど、8カ月後の2008年6月には その価値が約4分の1である$ 3.7 ビリオン(約3600億円)に低下し、 ユーザーが増えているにも関わらず、収入源が出尽くしたと言われる会社。 なので、もし今後フェイスブックが身売りなどすることがあれば、買い取った企業は 既にサイト上にあるコンテンツに関する規約を幾らでも そのビジネスに有利に 変えることが出来るのである。
「そんな先のことまで心配しなくても・・・」という利用者は多いけれど、現時点でも アメリカでは詐欺師が 偽のIDをでっち上げる際の 写真やプロフィールは フェイスブックやマイスペースからのダウンロードが殆どと言われていたりする。
なので、ソーシャル・ネットワーキングのサイトで自分の情報を公開すればするほど、 偽のIDが作られ易かったり、なりすまし詐欺など、様々な形で悪用される可能性が出てくる訳で、 私からみれば 自分のプライバシーを 好んで公のサイトで公開しようとするのは、例え公開先を”友人” だけに限定したところで、 非常にリスキーなことに思えるのである。


ところで、 ソーシャル・ネットワーキング・サイトで、一度も会ったことが無い人間が ”友達” としてリスト されてしまう時代になると、かつて無いほどに曖昧になって来ているのが ” 友達=Friend ” という言葉である。 例えばパーティーで友達がその友達を紹介してくれた場合、日本人同士だったら「どういうお友達なんですか?」、 英語だったら「How do you know each other?」 という質問が必ず出てくるもの。
これはもちろん 友達との関係を通じて相手を知ろうとする試みであると同時に、最も ありがちな初対面同士の会話でもあるけれど、 例えばその返事が「ミクシー/フェイスブック を通じたお友達」であれば 「あまりお互いのことは知らない付き合いだなぁ・・・」と判断されるし、 「学生時代からの付き合いだから、もう15年!」などと言われれば、かなり親しいと判断されるのが通常。 すなわちインターネットが絡んだ知り合いだと 交友関係のグレードが下がり、 時間の経過が長い場合は友達関係も深いと判断されがちなのである。
でも時代に関わらず ”友達” と呼ばれる 人々の中には、 本当の友達とそうでない人々が混じっているのが常で、 私の身をもって学んだ経験では ”友達” というカテゴリーの中で最も 恐ろしい要素を持っているのは、 自分が親しくしている ”友人の顔をしたエネミー(敵)”、すなわち フレネミーである。
フレネミーとは、フレンドとエネミーをくっつけた造語で、TV版の 「セックス・アンド・ザ・シティ 」にも登場した言葉。 フレネミーには 「友達でありながら時にライバル関係になる人」 という解釈も存在しており、 「セックス・アンド・ザ・シティ 」のエピソードでは、 こちらの意味にフォーカスが当てられていたけれど、 これは さほど有害な存在とは言えないもの。
一方の 友達を装ったエネミーというのは 「トキシック・フレンド」 とも呼ぶべき、人生に毒をもる存在で、 今回のコラムで私がトピックにする ”フレネミー” とはこちらの意味のことである。

フレネミーになりうる人というのは、心の中では 敵視、もしくは好んでいない人間ともとりあえず 友達関係を続けているくらいなので 孤独を嫌う人。 実際、フレネミーになる人間は 周囲からは社交的だと見なされている場合が多いし、 知り合ったばかりの人には 極めて親切だったり、 良い人に思える場合が殆どである。
そもそも人間関係というのは 最初の 遠慮があるうちは、誰とでも上手くやって行けるものだし、人付き合いの始まりというのは 相手のことを知ろうとする情報収集の時期。 何が起こっても「ああ、この人はこういう人なんだ」程度で片付けられるので、 フレンドシップというのは 比較的簡単にスタートするものである。
でも、友達付き合いを続ければ、 様々な思いをしたり、いろいろな出来事が起こるもので、 人間関係というのは 過去の経験や、それまで抱いていた感情が 新たに起こった出来事と絡み合って 拗れて行くもの。 そのプロセスで、本当の友達であれば 様々な出来事が起こっても、それを乗り越えたり 許しあったりしながら 友達であり続けるけれど、 フレネミーとなる人は 徐々に敵意を 態度や言動に表してくるので、よほど上手く立ち回らない限りは 人が離れて行ってしまう場合が殆どである。

またフレネミーは打算的に人間関係を築く場合が多く、相手との人間関係に何らかのメリットを見出すからこそ、 心の中では 相手を馬鹿にしていたり、鼻持ちならない存在だと思っていても 一緒に時間を過ごすものである。
その打算の要因は金銭面であったり、相手が持っている人間関係やコネクションである場合、 もしくは相手が遊び上手だったり、ルックスが良かったりして、くっついて出掛けると楽しい思いが出来るといったケースもあるけれど、 金銭面の要因の中には食事やドリンクを支払ってもらうなど実際に恩恵を受けている場合と、 相手が単にリッチでその華やかさに惹かれている、もしくはいつかはその恩恵を受けることを期待している というケースがあるようである。
もちろん中には、相手のそういう部分を本当に尊敬したり、珍しく思って友達で居る人々もいる訳で、それらはフレネミーとは 区別されるべき存在。 フレネミーとなるのは、相手のそうしたメリットを自分が利用しようと思っている野心家であると同時に、 相手より自分の方が勝っていると考える 勝気でジェラシーが強いタイプである。 なので たとえ打算があって、好んで友達のふりをていても どこかで 憂さ晴らしをしなければいられない部分を持っており、 さり気なく相手の悪口や、自分に有利に脚色した噂話などを流すのが常である。
でもそうした悪口や噂話を隠れて流す人に限って理解していないのが、「世の中には本人の耳に入らない悪口や噂話など存在しない」ということ。 その結果、噂や悪口を言われた側は 自分が友達だと思っていた人間が 実は ”フレネミー”であったこと悟る訳で、 フレネミーの存在は 自分で 気が付くよりも、もっぱら人づての話で知らされるものなのである。
見方を変えれば、フレネミーとなる人間は 相手の前では極めて上手く友達を演じているものの、 自らの陰の言動で尻尾を出している訳だけれど、巧妙で社交的なフレネミーであればあるほど、”化けの皮が剥がれる” のに時間を要するもの。 逆に、あまり賢くないフレネミーは、2〜3回友達付き合いをしただけで 本性を見抜かれて 見切りを付けられてしまうもの。 しかも周囲がその本性を見抜いているだけに、フレネミーと新しく知り合った人は 「あの人とは関わらない方が良いと思う」など 周囲から忠告されることもしばしばである。

ではフレネミーの何がそんなに恐ろしいかと言えば、自分は友達だと思って 心を開いて様々なことを話したり、 相手に親切にしたりすることが 全て自分を不利にする要素となって降りかかってくることで、 これは単なる噂話や悪口の流布に止まらない場合も多いのである。
例えば脱税の密告、アメリカの場合ならば不法移民就労の密告などは、非常に近しい交友関係によって 行われるもの。この他、インターネット上の書き込み等、相手が情報を持っていれば持っているほど、 その武器は数多い上に、普通の人なら頭で思い描くだけで決して実行しない 「まさか!」 と思うような 裏切り行為を やってのけるフレネミーは少なくないのである。
そして その正体を知らないばかりに、あらぬ噂を立てられた悩みなどを、その真犯人である フレネミーに相談してしまう人も多いようである。

こうしたトラブルを防ぐための、フレネミーとなりうる人間を見抜くバロメーターとしては以下のようなものがある。


これまで精神医学の世界では、「友達」というものは常にポジティブなものとして捉えられており、 友達のサポートがある人は、ストレスを感じにくく、病気や怪我の回復も早く、また長生きするとも言われてきたのだった。
ところが90年代に入った頃から、全ての「友達」が必ずしも人間生活にポジティブな影響を 及ぼす訳では無いことが、 様々な専門家や学者の研究によって明らかにされて来たけれど、 どうして そんな近年まで 「友達」の 毒性が見過ごされてきたかと言えば、 心理学や精神医学の世界では、親や兄弟などの 家族が人格形成に与える影響が 最も強いと考えられて来たため。
でも時代は変わって、家族と離れて暮らす人々が増える一方で、通信手段の変化等に伴い、 友人と過ごす時間、交信する時間が激増しているのが現代。 これを受けて 「友達」 に関する研究が進むうちに明らかになってきたのが、「信頼していた友人に裏切られた」という思いが、 時に「親に虐待された」経験に匹敵するほどの精神的ダメージを与えるという事実である。

世の中の殆どの人々は ”自分が友達だと思っている人間=フレネミー”との付き合いを通じて、相手の小さな裏切りや 中傷によって怒りやストレスを感じたり、身勝手な行動に振り回されたりしながら 「友人関係」を続けていくことになるけれど、 それは、最初から嫌いだと思って付き合わされている会社の上司との関係や、 苦手な姑など との関係よりも、強い毒素を秘めているのである。
その理由は、最初から嫌だと思っている関係には 自分は何も期待していないので、義務として こなすだけで、相手によって不快な思いをさせられても 諦めがつく状況なのである。 しかし 「友達」だと思っているフレネミーとの関係には、楽しい時間や体験を期待するものだし、 時に悩みを相談するなどして安らぎやサポートを得たいと思っているもの。 それだけに、フレネミーによるちょっとした意地悪や中傷が、知らず知らずのうちにストレスになっている場合は多いし、 もっと悪質な裏切り行為は 精神的な落ち込みや怒り、悔しさといったネガティブな感情ををもたらすもの。 引いては心や身体の健康を害するほどの「毒」にもなり得るものである。

では人間はどうして頭に来るようなことをされたり、言われたりしながら、「友達」 付き合いをするのかといえば、


という理由からである。

とは言っても友人関係というのは、結婚相手やビジネスのパートナーシップとは異なり、関係を終わらせるのに法的手続きが要る訳ではなく、 また相手がストーカーのような異常者で無い限り、片方が関係を終わらせたいと希望した時に 連絡を絶つなどして 終わらせることができるもの。 従って一度相手がフレネミーであることが分かった場合、終わらせることについてはそれほど深刻に考えなくても良い関係であるのも事実なのである。
なので、 出来るだけ多くの人と出会って、新しい友達を見つけるのは、決して悪いことではないし、 世の中にいろんな人が居て それが必ずしも良い人ではないこと、 逆に良い人に巡り会えることが如何にラッキーであるかを 知っておくことは真の友達を見つける上で とても大切なことである。
特にリセッションで、人々が落ち込んだり、気分が荒んだり、金融機関に対する怒りやフラストレーションを覚える一方で、 失業や生活の心配を強いられるご時世だと、本当の友達が居てくれて、辛い時に励ましてくれたり、楽しいこと、楽しい時間をシェアするのは 人生を何倍にも意義深くしてくれる一方で、精神的にも安定した豊かな気分にさせてくれるもの。
その意味で、真の友人というのは株のように リセッションでも価値が下がることはない本当の財産。 でも財産と呼ぶからにはインベストをするべきで、それは時間であったり、思いやりであったり、 様々なものであるけれど、 人生においてこれほど確実な投資は無いのである。





Catch of the Week No. 4 Mar. : 3 月 第 4 週


Catch of the Week No. 3 Mar. : 3 月 第 3 週


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執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。