Mar. 28 〜 Apr. 3 2005




God Be With You



ご存知のように、今週土曜日にはヨハネ・パウロ2世 (英語ではジョン・ポール・ザ・セカンド) が死去したため、 友人には「今週のキャッチはヨハネ・パウロの事を書くの?」と訊かれてしまったけれど、 答えは「NO」で、その理由は 単に私がカソリックを語るにはあまりに無知であるためである。
私は、カソリック教徒が本来は、婚前交渉、避妊、離婚、妊娠中絶も禁止されているのは知っていても、どうして現代の社会で 多くのカソリックが婚前交渉を交わし、エイズや妊娠を防ぐために避妊をし、離婚をしているにも関わらず、妊娠中絶に対してだけ 躍起になって禁止しようとしているのかが よく分からないし、どうして一部の敬虔なカソリックが、同じ人間の命でも、 妊娠中絶医は暗殺リストを公開して、殺しても構わないとしているのに、母体に危険がある場合の妊娠、 レイプや近親相姦による妊娠の中絶は 神の教えに背く として反対しているのかが分からなかったりする。
さらに言うならば、聖書が書かれた時代には、妊娠中絶や、避妊、さらにはCS細胞の研究も存在していなかった訳で、 それが存在する時代になって、人間が解釈したことを「神の教え」として布教しても良いのだろうか?という疑問を抱かざるを得ないのも実際のところである。
また、キリスト教右派を支持母体とするブッシュ政権は、最高裁での判決を覆して、再び妊娠中絶を禁止しようとしているけれど、 もしそれが実現した場合、アメリカ国内に居る女性は仏教やユダヤ教のように、中絶に関する定めのない宗教を信仰していても、 キリスト教の教えに従わなければならない訳で、キリスト教を異教として尊重する考えはあっても、それに従う法律を設定されることに 難色を示す人々はアメリカ国内にも非常に多いと言わなければならない。

さらに私を混乱させているのは先週このコラムにも書いたテリー・シャイボのケースで、 私はこれまで、キリスト教が妊娠中絶、避妊、クローン研究のように、人工的に人間の命に関わる問題をコントロールすることを 禁止しているのだと思い込んでおり、テリー・シャイボのように自分で栄養や水分が取れない植物状態の人間に対して、 体に管を通して、人工的な延命措置を取ることの方が、カソリック教徒が言う「神の意思に反する行為」だと思っていたのである。 ところが、実際はその逆で、人工的に通した管を人間の判断で抜くことが神の意思に反する行為だと見なされているというのは、 私には非常に理解に苦しむ解釈だったのである。
これに対しては、キリスト教を理解する人からは、「キリスト教では生命が最も大切とされている」として、 管を通してまで守るべきなのが人間の生命だと説明されてしまったけれど、それならば、パーキンソン病を始めとする様々な難病治療に 役立つCS細胞の研究に対して、どうして反対の立場を取るのかが、やはり私には理解出来ないのである。

でもこうしたことに限らず、世の中では一般にまかり通っていても、理解に苦しむことは非常に多い訳で、 それらは往々にして、古くからの思想を受け継ぎながら、新しいものを導入しようとして生まれる矛盾であったり、 新しいものの登場に対応しきれない法律による歪んだ判断である場合が多いようである。
特に、現代のようにテクノロジーが著しい進歩を遂げ、多様化したメディアで情報が交錯する時代では、 人々も、その価値観も瞬く間に変わって来る訳で、それに応じて、40年前では考えられないようなことが、 今の世の中では当たり前になってしまったり、それによって新しい時代の社会問題を生み出していたりもするのである。

例えば、昨今のアメリカでは貧困家庭ほど肥満率が高く、裕福な人々ほどスリムな体型を保つ傾向があるけれど、 こんなことが起こってしまうのは、貧困家庭ほど、安価で、高脂肪、高カロリーのファスト・フードで3度の食事を賄うため、 親子で肥満になる一方で、 裕福な家庭は健康的な食生活に気を配り、ジムに通ったり、スポーツを楽しむだけの経済力を持っているためで このような「貧困者ほど肥満になる」という傾向は、現代の世の中でも、後進国ではあり得ない現象である。
また、30年も前なら、顔に毒を注射してシワを取るなどということは、誰もやりたがらなかったことであるけれど、 昨年では、アメリカ国内だけで、2000万件以上のボトックス注射が行われている訳である。 さらに豊胸手術にしても、かつては自分の胸に対してよほどのコンプレックスがある女性、もしくはストリッパーなど、バストが大きいことによって 何らかのメリットがある女性のみが受けていたものであるけれど、 今やアメリカでは、ごく一般的な高校生が卒業記念に親に費用を支払ってもらって手術を受けることが決して珍しくない時代になっているのである。
そんな時代になれば、人々の価値観や見解も変わってしまっているから、普通ならば、豊胸手術をした胸に対して「本物みたい」というのが 褒め言葉になるところが、今ではナチュラルなバストの女性に対して「ブレスト・インプラント(豊胸手術)をしたみたいにカッコ良い胸」という表現が、 褒め言葉としてまかり通ってしまうのである。 すなわち、偽物が進化を遂げたことにより、ナチュラルな本物を褒めるのに、「偽物みたいに完璧」という表現が用いられる訳であるけれど、 先日、私もダイヤモンド・ディストリクト(マンハッタンのミッドタウンにある、宝石専門街) で、業者から本物のダイヤを見せてもらっていた時に、 「君のビジネスで扱っているシミュレーテッド・ダイヤモンドと同じくらい不純物が無い」という表現で、 本物のダイヤのクォリティを保障されて、不思議に思う反面、妙に納得してしまったのだった。

ブレスト・インプラントやシミュレーテッド・ダイヤモンドに止まらず、進化していくテクノロジーを見せ付けられることによって、 現代の社会では、人々がそれまでの概念や価値観をどんどん改めていく、もしくは改めざるを得ない状況になっているのは事実である。
でも、こうした時代と共に変わって行く価値観というのは、社会の表面的な部分で、それが めまぐるしく変わっていけば、変わって行くほど、人々が拠り所とするのはもっと普遍的なもの、 例えば、道徳であり、正義であり、人間の良心、家族愛、友情、社会の平和、心の平和であり、 それらを説くことによって 時代を超えて人々から信仰されてきたのが宗教というものである。

私は以前、友人に「宗教は人間にとって綿アメを巻きつける割り箸のようなもの」と説明して妙に納得されてしまったことがあるけれど、 実際、人間の思想や考えというのは、モヤモヤした綿アメのようなもので、どんな宗教を信仰していても、していなくても、思想の中心に「神」 という存在を設定しただけで、綿アメが形を成すように、自分の中での善悪の判断や、世の中の仕組みが理解し易くなるのは紛れも無い事実である。
一般に、「運勢の弱い時ほど宗教にのめりこむもの」と言われるけれど、自分のモヤモヤした考えや、努力しても報われないフラストレーションを 巻き付かせることが出来る主軸として、宗教というものを見出し、 その教えから希望を見出したり、自分の不遇の理由を説いてもらって、救われた気持ちになるのは理解出来なくない状況なのである。
かく言う私も、良くこのコラムの中で、「神様」という表現を使うけれど、では敬虔な仏教徒とは言えない私にとってその「神様」とは一体何なのか? と考えると、それは自分の中にある正義の象徴であり、信念であり、道徳概念であり、それは自分がこれまで生きてきた人生の中で、 徐々に形成されてきたと言えるものなのである。
「神は自分の中に居る」という表現は、仏教の教えでも、キリスト教の教えでも聞かれるものであるけれど、 特定の宗教を信仰していても、していなくても、人間が辿り着くところというのは、結局は「自分の中の神様」ということなのかもしれない。



Catch of the Week No.4 Mar. : 3月 第4週


Catch of the Week No.3 Mar. : 3月 第3週


Catch of the Week No.2 Mar. : 3月 第2週


Catch of the Week No.1 Mar. : 3月 第1週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。