Apr. 30 〜 May 6 2007
”Parlez-Vous Francais? ”
今週のアメリカは 「スパイダーマン 3」の封切のニュースが大きく報じられていたほどであるから、それほど大きなニュースは無かったけれど、
その「スパイダーマン 3」に 新キャラクター ”サンドマン”として出演している トーマス・へイデン・チャーチが
ゲスト出演している トークショーを見ていたところ、彼が映画のプロモーションで日本に行った際のエピソードを語っていた。
彼はノーファット(脂肪分ゼロ)・ミルク入りのコーヒーかカプチーノをオーダーしようとしたところ、日本人のウェイターが
「サチュレ、サチュレ」を連発するという。彼はてっきり「Saturated fat / サチュレーテッド・ファット(日本語では飽和脂肪酸)」のことだと
思ったというけれど、どうも話が噛み合わない。そこで混乱しながら 「サチュレーテッドも良いから、ロー・サチュレーテッドのミルクにしてくれ」と
言うと、いきなりウェイターに 「Listen!(聞け!)」 と乱暴な態度を取られたと文句を言っていたのだった。
実はウェイターが言っていた 「サチュレ」 は 「Certainly / サータンリー (かしこまりました)」だったそうで、
「Certainly」 と受け答えしていたウェイターに 「Listen!」などと命令されたと思った彼は
「Hey! We have a communication problem around here!」 (コミュニケーションに問題があるんだ!)と叫んでしまったと語って、
笑いを取ろうとしていたのだった。
でも彼のこのエピソードは スタジオ内の観客にはそれほどウケが良くなく、シラケそうになったところをトーク・ショーのホストが
「イギリスで朝食にパンケーキ(ホット・ケーキ)を6枚オーダーしたら、ウェイターに物凄く驚かれて、散々待たされた挙句
出てきたのは、6つの巨大なパウンド・ケーキだった」というエピソードを紹介してその場を救っていたのだった。
このトーマス・へイデン・チャーチのインタビューを見ていて、日本人として面白くないと感じたのは
「日本人の英語が下手」と言わんばかりの部分よりも、アメリカ人が日本にやって来て 日本人が英語でコミュニケートしようとしているにも関わらず、
少しくらい問題があったからと言って それが文句の対象になってしまうという点。
もし彼がアメリカに居る日本人の英語が理解出来なくて、不便な思いをしたのであれば 文句を言うのは まだ理解できるけれど、
日本にやって来て 日本人が英語を話せないと文句を言うのは、典型的な英語に甘やかされているアメリカ人という感じがして、
私はトーマス・へイデン・チャーチに全く好感が持てなかったのである。
でも実際に英語をある程度話すようになってみると、英語というのは本当に便利な言葉で 世界中の全ての都市で通じるもの。
それだけに、特にヨーロッパではアメリカ人旅行者の 「英語が通じて当たり前」という態度が嫌われる傾向にあるけれど、
アメリカ人でも学歴や収入が高ければ高いほど、外国語を学ぶ人は多いもの。
アメリカで人気の外国語クラスは やはりスペイン語、フランス語で、アジアの言語では日本語、中国語を学ぶ人口が過去数年の間に
急速に増えつつあるという。
かく言う私も、今年1月から週に3時間のフランス語のクラスを取り始めているけれど、クラスは私を含めて移民が2人。
残り8人は皆アメリカ人である。
私がフランス語の勉強を始めた理由は3つあって、まず1つ目は今以上に英語が上達しないと思ったため。
2つ目はフランス語圏を旅行をする際に言葉が話せた方が楽しいし、便利であるため。
そして3つ目はスノッブなアメリカ人に馬鹿にされないためである。
3つめの理由が何処から来ているかといえば、私が時々出掛けるワイン・テイスティングからで、
個人のワイン・コレクターを集めたテイスティングに出掛ける際、フランスのワインが出てくると 必ずと言って良いほど
始まるのがフランス語会話なのである。
しかも参加者の殆んどはフランス・ワインのラベルをフランス語の発音で読むので、
そんなテイスティングに参加しているうちに 自分がすっかり無教養な気分になってしまったためである。
そこで 昨年から独学でフランス語の勉強を始めたけれど、ふと思い返してみれば 私は大学で第二外国語としてフランス語を2年間も
勉強していた訳である。アメリカ人の感覚からすると、2年も言語を勉強すると かなり話せるレベルになっていなければならないので、
このことはあまり人には言わないようにしているけれど、「この大学での2年間は一体何だったんだろう?」と真剣に首を傾げるほど
身に付かなかったのがフランス語なのである。
実際、大学時代のフランス語のクラスでは日本人の先生に発音を何度も直されており、私のフランス語に対する苦手意識は
ここで植え付けられてしまったし、大学でフランス語を勉強し始めてから「私にはフランス語は向いていない」と思い込むようになったので、
今では 「大学でフランス語を勉強しない方が良かったのかもしれない」 とさえ考えていたりする。
そのフランス語への苦手意識がかなり払拭されたのは、実際にフランスを旅行して、フランス人には自分のフランス語が
通じることをが分かったため。でも やはり独学では限度があるので、
きちんとフランス語のネイティブ・スピーカーから学びたいと思ったのが 今年からクラスを取り始めた理由だった。
さてアメリカ人がフランス語を学びたいと思う理由は、「フランスのカルチャーが好きだから」、「フランス語が話せるのは
ある種のステイタスだから」というものが多いそうだけれど、これから想像できるのはアメリカ人で
フランス語を学ぼうとするのは ある程度 生活に余裕がある人々であるということ。
事実、私のクラスメイトは20代半ば〜40代前半で 金融関係が3人、ロイヤー(弁護士)が3人、マーケティング会社勤務が1人、
PhDを取るために勉強している学生が1人、あとはサックス・フィフス・アベニューのバイヤーという見事なキャリア。
しかも皆、世界中の様々な国を旅行しているのにもビックリしてしまった。
そのフランス語のクラスであるけれど 私が通っているのはバーニーズ・ニューヨークに程近いフレンチ・インスティテュート。
私はビギナーの一番下のクラスから取り始めたけれど、にも関わらず最初の授業から 先生が殆んど英語を話さないのには驚いてしまった。
一部のクラスメートも、私も 何度と無く 「このクラスにはついて行けないかもしれない・・・」と感じたけれど、
そうやって危機感を覚えさせて勉強せざるを得ない状況にするのがフレンチ・インスティテュートのスタイルだそうで、
今では学生時代より ずっと真面目に宿題や予習をしている状況である。
でもクラスメイトと学ぶうちに気付くのは、やはり言語に長けたDNA を持つ人が存在するということで、
習ったばかりの言い回しや単語をスラスラ使っている様子には感心するばかり。
もちろん英語とフランス語は共通の単語が沢山あるので、アメリカ人はそもそも有利であるけれど、それを度外視しても
私は日本人で そんな風に言語の対応に早い人々というのには出会ったことが無いだけに、
6ヶ国語、7ヶ国語をスラスラ喋るヨーロッパ系のDNAが入っている方が、言語能力があるのでは?と
真剣に考えてしまうのである。
ところで、フランス語の先生が語っていたところによると、同じフランス語のビギナーでも、私達のような大人になってフランス語を学ぶ人々と、
親に連れられてクラスに通ってくる子供達とでは、学び方や話し方も全く異なるそうで、
どちらがベターとは言い難いものだという。
子供のクラスはそもそも人間としても学習段階であるから、フランス語の単語を覚えるにしても その英語の意味も
同時に学んでいかなければならないけれど、話す内容がシンプルであるから
直ぐに会話を始めてしまうという。
一方、大人になって学ぶ人々は思考が大人になっているから、自分の考えていることを表現するのに
語学力が追いつかない場合が多く、簡単なセンテンスで話すことを学んで、実際にフランス語を使い始めるまでは
なかなか進歩しないそうである。
そう言われて思い出したのが、もう何年も前のインタビューでコム・デ・ギャルソンのデザイナーの川久保 玲さんが、
「外国語で話そうとすると、自分が考えているよりずっと稚拙な表現で甘んじなければならないので、私は日本語でしか話さないようにしている」
と語っていたこと。
実際、自分がクラスで話しているフランス語を考えると、「朝8時に起きて、シャワーを浴びます」、「朝食はオフィスの隣のカフェで
取るのが好きです」のような シンプルなセンテンスばかりで、全然 利口そうには聞こえないもの。
でも 英語にしても「This is a pen」 とか 「There is a car under the tree」 のような、日本語では口にしない
シンプルなセンテンスから学んでいった訳で 根気良く取り組むつもりではいるけれど、
きちんとフランス語が話せるようになるまでに あといくら授業料を支払うことになるか と思うと 気が遠くなってしまうのも事実。
フレンチ・インスティテュートの1セミスターの授業料はマノーロ・ブラーニック1足分。
すなわち1セミスターに マノーロ1足分に匹敵する 語学力を身につけなければ、クラスを取る意味が無いのである。

執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に
ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。
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