June 22 〜 June 28 2009




”Death of King of Debt ”


今週のアメリカでは、このところ大きく報じられていたイラク選挙と、その後の市民の抗議活動に加えて、 今年に入ってからアメリカのタブロイドの表紙を独占し続けてきたリアリティTVのスター・カップル、ジョン&ケイトが 離婚を発表したニュース、サウス・キャロライナの州知事が突然姿を消し、その後不倫告白の記者会見を行ったニュース、 そしてスポーツの世界ではサッカーで 一時はワールド・カップ出場も危ないと言われていたアメリカ・チームが、 世界ランキング第1位のスペインをコンフェデレーションズ・カップで下し、決勝に進出したこと 等、 ニュースのネタがギッシリの1週間であったけれど、それらを全て霞ませてしまったのが、アメリカ東部時間水曜夕方に報じられた マイケル・ジャクソン死去のニュース。
彼の死亡が報じられた6月25日には、先ず午前9時半に ガンとの闘病生活を続けていたファラー・フォーセットの 死去が報じられ、各メディアはこの日の夜に放映される芸能ニュース番組や、プライムタイムの番組で 急遽、ファラー特集を組んでいたのだった。
ところが、その日の午後にマイケル・ジャクソンがUCLAメディカル・センターに運び込まれたことが 伝えられ、その後 死亡が発表されたことを受けて、この日の夜のTVは 事前に編集されたファラー・フォーセットの追悼報道と 生放送で彼の死を悼むファンの様子などをフィーチャーした マイケル・ジャクソン追悼報道が入り混じった特番攻勢が 各局で繰り広げられていたのだった。

ことにマイケル・ジャクソンの死去は、突然のことであったためにニューヨークではタイムズ・スクエアの ジャンボ・トロンで彼のミュージック・ビデオがエンドレスで放映され、ここにファンが集まり始めたのに加え、 マイケル・ジャクソンがジャクソン・ファイブの1員として 9歳にしてアマチュア・ナイトに出演したアポロ・シアターにも、 多数のファンが詰め掛け、シアターの サイン(看板)も 「マイケル・ジャクソン、トゥルー・アポロ・レジェンド」と書き換えられていたのだった。
また、同じ頃ユニオン・スクエアでもファンが集まってキャンドルを灯したり、マイケルの歌を歌ったりという光景が見られたけれど、 これは周知の通り世界中のありとあらゆる都市で見られた光景。 フィリピンのマニラの刑務所内でさえ、彼の死を悼んで、囚人達が ”スリラー” の追悼ダンスをしたことが報じられていたのだった。

現在、メディアと世界中のファンが最も関心を抱いていることの1つが、彼の本当の死因で、 こればかりは約6週間を要すると言われる司法解剖の結果を待たなければならないけれど、 現時点で発表されている死因は心臓発作。
でもマイケル・ジャクソンが かなり以前から処方箋薬の中毒であったことは周囲も認める事実で、 ザナックス、ゾロフト、パクシルといった うつ病治療薬を始めとする数多くの薬をミックスして過剰に摂取していたことが 死因として疑われているのだった。

そうなると、当然のことながら これを処方したドクターが一体誰か?ということになるけれど、 死亡の日、マイケル・ジャクソンがレンタルしている邸宅に居合わせたのが、医師のコンラッド・マレー。 彼は、この週末LAPD(ロサンジェルス市警察)との3時間に渡る取調べに応じたと言われているのだった。 とは言っても、これはあくまで死亡捜査であり 殺人捜査では無いので、 本来マレー医師は取り調べに応じる義務はなく、 警察も取り調べを強要する権利は無いと言われるけれど、マレー医師は弁護士を伴い、自主的に捜査に協力したという。
マレー医師の弁護士によれば、彼はマイケルに対して こうした多量の薬品を処方しておらず、 また彼自信がマイケルの家族に対して司法解剖解剖をするよう説得したのだそうで、 LAPDもマレー医師を拘束する用意は無いことを明らかにしているのだった。
一部で指摘されているのは、この夏ロンドンで行われることになっていた50回のコンサートのプレッシャーが マイケルにのしかかっていたということだけれど、彼の父親であり、幼いマイケルを虐待してまでパフォーマンスを仕込んだと言われる ジョー・ジャクソンは、この説を否定しているのだった。
それでも死亡時のマイケルは178cmの身長で、体重が 50.8kg。1日に1回しか食事を取らずに ハードなコンサートのリハーサルをこなしており、彼の50歳という年齢と、危険なドラッグのミックスを考慮すると、 彼の死は決して不思議ではないとさえ言われるのだった
(6月29日付けのNYポスト紙によれば、死亡時の彼の胃の中には薬物しか入っておらず、髪の毛はウィッグで、自毛はほぼ全て抜け落ちて、 禿げた状態。加えて彼が殆ど骨と皮に近いコンディションであったことが報じられている。)

マイケルの死因と共に人々の関心事になっているのは、彼の3人の子供の親権問題。
マイケル・ジャクソンは彼の2人目の妻、デビー・ロウとの間に2人の子供がおり、3人目の子供はサロゲート(代理母)出産をしているけれど、 当初、親権争いに絡んでくるであろうと思われたデビー・ロウは今週末に、「子供達を混乱させたくない」、「自分はマイケルへのギフトとして、 母体を提供しただけ」と、親権を主張しないコメントを発表。でも子供の面倒を見続けたナ二ー(子供の世話役)がマイケルの母親と 親権争いをするという噂も流れており、その動向が注目されているのだった。
加えて、最も処理に時間が掛かるであろうと指摘されるのが ソニー・ミュージックから、保険会社、金融機関、不動産会社までが 絡んだ マイケルのファイナンス。
彼はその黄金時代に「キング・オブ・ポップ」というニックネームが付いたけれど、 ここ数年、彼のファイナンスを語る際に用いられてきたヘッドラインが 「キング・オブ・デット」、すなわち 「借金の王様」 というもの。
事実、1980年代から パフォーマー兼ソングライターとして $700ミリオン(約667億円)を稼ぎ出しているマイケル・ジャクソンであるけれど、 死亡時の借金の総額は約500ミリオン(約476億円)。 中でも彼の出費の大半を占めていたといわれるのが度重なる整形手術もさることながら、 彼が 世界中の子供達を招待してきたカリフォルニアの邸宅、 ”ネヴァーランド”(写真左)の維持費である。 このネヴァーランドは、邸宅に加えて動物園と遊園地が敷地内にあり、マクドナルドが出店していた時期もあると言われる巨大施設。 一時は125人ものスタッフを雇っており、年間の維持費は日本円にして5億円。
加えて彼はパーソナル・エクスペンスとして年間に7億円ほどを必要としていたというけれど、 これはもっぱらボディガードやプライベート・ジェットのチャーター代で、 この中に 毎週のように億円単位の絵画を購入してしまうという彼の浪費癖バジェットが含まれていないのは当然のことである。

ここまで聞くと、多くの人々はマイケル・ジャクソンがミュージシャン、アーティストとしては一流でも、 ビジネス・センスが欠落していると思うようだけれど、実際には彼は収支のバランスを理解出来ないだけで、 非常にサヴィーなビジネスマンであったことが伝えられているのだった。
その象徴と言われているのが、彼がソニー/ATVミュージック・パブリッシングと50%ずつ権利を所有する約200曲もの ビートルズのコピーライト。 そもそもマイケルがコピー・ライトが投資対象になることに気付いたのが、ポール・マッカートニーと会話をしていた際。 彼とマッカートニーは80年代のヒット曲「セイ・セイ・セイ」で共演もしているけれど、 マッカートニーがマイケルに対して、ビートルズの楽曲のコピーライトがいかに利益を生み出すかを話したところ、 マイケルが 85年に これを本当に買い取ってしまい、マッカートニーからの「自分に売却して欲しい」との依頼を あっさり断わったため、2人の関係が拗れたことも伝えられているのだった。
いずれにしてもマイケル・ジャクソンは、ビートルズのコピーライトを$47.5 ミリオン(約45億円)で買取り、それを抵当に借金をし、 いよいよ金回りが悪くなった1995年に その50%の権利を ソニー/ATVミュージック・パブリッシングに $100ミリオンで売却。 すなわち、自分が買い取った半分を倍以上にして売った訳である。

でもその後も彼は 10億〜100億円単位の借金とギリギリの返済を繰り返しており、 1998年にはやはりビートルズのコピーライトを抵当にバンク・オブ・アメリカから140億円の借金をし、 その後2000年には さらに60億円のローンを受けている。 2003年にはそのバンク・オブ・アメリカへの支払いが滞ったために、 フォートレス・インヴェストメント・グループに ローンが買い取られ、利率が大幅にアップ。
破産寸前になったところを 2006年にはまたしてもソニー・ミュージックが、 マイケル・ジャクソンが所有する全てのコピー・ライトの半分を買い取るという措置で彼の財政を救っているのだった。
そのマイケル・ジャクソンとソニー/ATVミュージック・パブリッシングが 50%ずつ所有するコピーライトの資産価値は、 今や$1ビリオン(約9500億円)と言われているのだった。

マイケル・ジャクソンは昨年にも、$24.5 ミリオン(約23.3億円)の住宅ローンを支払うことが出来ず、 危うく ネヴァーランドを差し押さえられるところであったけれど、これを不動産会社、コロニー・キャピタルに救ってもらい 、 現在、ネヴァー・ランドは 同社と彼のジョイント・ベンチャー企業の所有となっているのだった。
そして、今年4月にはネヴァーランド内の メモラビリア・グッズ、2000点をオークションに掛けて 約20億円を稼ぎ出すプランがあったけれど、 オークションの僅か数週間前に マイケル自身の訴えで これが阻止されるという事態が起こっている。
でも今となっては、ビジネスの見地からは これが非常に幸いしたと言われているのだった。 というのも マイケルの死後、既にネヴァーランドをエルビス・プレスリーの ”グレースランド” 同様、 メモラビリア・テーマ・パークにするという 案が持ち上がっており、彼のトレードマークであったグリッター・グローブ (シークィンの手袋)を含む オークションに掛けられようとしていた品々は、その目玉になる展示品であったためで、 マイケルの墓地も ネヴァーランド内に設置される可能性が高いという 。

さらにビジネスの見地から 人々が関心を注いでいるのは、既に完売している彼のコンサート・チケットの 払い戻しで、果たしてプロモーターが損害を被るのか?ということ。
通常、映画の撮影でも、ミュージシャンのコンサートでも、プロデューサーやプロモーターが必ず行うのが保険をかけるという行為。 これは映画の撮影中のトラブルや、コンサート・ツアーを継続できない事態が起こった際に備えてのもので、 そういう後ろ盾がなかったら、マイケルのコンサートのプロモーターである AEGライブ社 がいかに大手とは言え、約20億円の 先行投資など出来ないのである。
もちろん保険会社も、保障に当たっては ミュージシャンや俳優の健康状態をチェックしたり、 映画の場合だったら 危険な撮影シーンが含まれていないか?、ミュージシャンの場合なら、過去に同等のツアーをこなした経験があるか? などが逐一チェックされるものだけれど、マイケルの場合、健康状態のチェックは 問題なくクリアしていたとのこと。
AEGライブは約80億円分のチケットの払い戻しをすることになるけれど、これが保険でカバーされるかは、司法解剖の結果が 明らかになってから判断されるという。

マイケル・ジャクソンは2通の遺言書を残していると言われ、彼の家族は死因がはっきりしないこと、遺言書にアクセスできないことに フラストレーションを募らせているという。
もし彼が全財産を家族に託した場合、たとえ$500ミリオン(約476億円)の借金があろうとも、 マイケルの子供3人が一生働く必要など無い 以上の資産をもたらす事は確実視されること。 というのも、マイケルには自分自身のアルバムの売上とコピーライトで 毎年 約30億円の年収があるのに加えて、 彼は 「自分の死後にリリースして欲しい」 という条件付きで、100曲以上をレコーディングしているとのことで、 これらは彼の子供の将来のための経済的なギフトであることが関係者から説明されているのだった。 加えて、今後 ”マイケル・ジャクソン” というアイコン=ブランドを使えば、ライセンシング、出版、映画など、 ありとあらゆるメディアやプロダクトで莫大な利益が上げられるのは誰もが指摘するところ。
ジョン・レノン、エルビス・プレスリー、マリリン・モンローなどは、死亡後に生前よりも 多くを稼ぎ出したセレブリティであるけれど、 マイケル・ジャクソンには彼らをさらに上回るマーケティング・パワーがあると見込まれているのだった。

その意味では 近年、 幼児虐待容疑や、奇行の数々、度重なる整形手術ですっかりイメージを低下させた彼であるけれど、 カムバックにして最後のコンサートを行おうとしていた現在は、マイケルの周囲の一部の人々から見れば 「絶妙のタイミングの死」であったとも言われているのだった。
実際、ビルボード誌のライターがマイケルのコンサートのリハーサルの取材に訪れ、 プロダクションとして全体的に纏まっていなかったことを語っていたのに加え、 彼の周囲では 50回のコンサートをこなすだけの体力が彼に備わっていないことが早くから囁かれていたという。
その一方で、マイケルはツアーが決定してからというもの、ボディーガードなどの側近を くるくる替えて、誰とも長時間のコンタクトを持たないようにしていたことも伝えられているのだった。
そうなってくると、頭をよぎるのが マイケル・ジャクソンが計画的な自殺を図ったのでは?ということだけれど、 私は もしそうだったとしても決して驚かないというのが本音だったりする。

彼を知る人間の誰もが口を揃えて語るのが マイケルがいかに完璧主義者であったか ということ。
また、マイケル・ジャクソンと言えば80年代には 「ガラスのカプセルの中で眠っている」 という写真入の報道が行われ、 ちょっとしたスキャンダルになったことがあるけれど、その報道の仕掛け人はマイケル自身で、写真撮影に協力しただけでなく、 「こういう記事にするように」という指示まで与えていたというのである。 5歳の頃からステージに立って、記者会見の席上で「このアングルは嫌いなんだ」といってフォトグラファーのレンズを 手で覆ってしまうほどに自分のイメージをコントロールしてきた彼ならではのエピソードであるけれど、 幼児虐待のスキャンダルまでは それらが功を奏し続けてきたのは紛れも無い事実なのである。
また彼の結婚にしても、 1度目のエルビス・プレスリーの娘、リサ・マリーとの結婚によって エルビスのレガシーを手に入れて、2度目のデビー・ロウとは子供を産んでもらうために結婚したというのは、 多くのメディアが指摘するところ。 リサ・マリー・プレスリーは マイケルの死後、彼が「自分もエルビスのように早く死ぬ運命にあると思う」 と語っていたことをそのホームページで明らかにしているけれど、 彼が本当に完璧義者なのだったら、借金を返済するために 50回も満足の行かないコンサートをするより、 センセーショナルな死を選んでも不思議ではないように思うのだった。

とは言っても、ヒース・レジャーが死去した際もそうであったけれど、トキシコロジー(毒物学)というのは、 死に至った薬品のコンビネーションが分かったとしても、それをどういう意図で本人が摂取したかまでは 分からないもの。
なので、解剖の結果が出たところで彼の死はミステリアスなものであり続けるであろうし、 それがスーパースターのレガシーであったりするのである。

ところで、マイケル・ジャクソンのファイナンス・レコードを見て 個人的に改めて感じたのが、いかに金融会社のエグゼクティブが 高額な給与やボーナスを受け取りすぎているか?ということ。
マイケル・ジャクソンが 音楽業界でいかにビッグな存在であっても、80年代以降に稼ぎ出したのが$700ミリオン。 でも、例えば 破綻したリーマン・ブラザースの元CEO、リチャード・フルドは マイケルのようにミリオン・セラーのアルバムを8枚出したり、 コンサートツアーに出ることも無く、CEOになってから僅か数年でビリオネアになった訳で、 彼だけでなく、ヘッジファンド・マネージャーを含む 金融エグゼクティブで$700ミリオンを稼ぎ出した人物は決して珍しくないのである。 しかも、彼らは人のお金を動かすだけの仕事で、悪徳金融商品以外の 何を生み出した訳でも、作り出した訳でもなく、 間接的とは言え、人をホームレスや失業者に追いやっている訳であるから、世の中とは全く理解しがたいもの。
でもマイケル・ジャクソンにはあっても、金融ビリオネアには 無いのが ”レガシー・アセット”。 すなわち、死んでからも稼ぎ続け、愛され続けるパワーであり、この財産は金融のエグゼクティブには 決して手に入れられないものなのである。


最後に、私はマイケル・ジャクソンのアルバムは1枚も持っていなくて、アイポッドにも彼の歌は1曲しかダウンロードしていないけれど、 未だ日本に居たころ、来日したマイケル・ジャクソンのコンサートを当時の後楽園球場で見たことがあって、 この時、マイケルがステージを駆け下りて、球場のネットによじ登るパフォーマンスを見せたのを良く覚えていたりする。
これは毎回やっていたのではなくて、私が出かけたコンサートの日だけだったのを 後でTVの報道で知って、 「マイケル・ジャクソンって リハーサル以外のこともするパフォーマーなんだなぁ・・・」 と思ったことも同時に覚えているけれど、 私は彼の偉大さは熟知していても、決して彼のファンだったことは無かったのだった。
アメリカ人の多くは、今回の彼の死に際して マイケル・ジャクソンの音楽を 「自分の人生のサウンドトラック」と語り、 それまでの自分の人生の様々なシーンに彼の音楽が存在していたと語っていたけれど、 今日、セントラル・パークで友達と話していて 「マイケル・ジャクソンの歌で自分の人生の一部って言える曲はある?」と訊かれた時の答えは、 「No」なのであった。
私のアイポッドに僅か1曲だけ入っているマイケル・ジャクソンの歌はというと、友だちには「ビリー・ジーンでしょ?」と言われたけれど、 これは見事にハズレで、実際には「ロック・ウィズ・ユー」。 私にとってはこの曲がマイケル・ジャクソンのベストで、時々自分でカラオケでも歌うほど好きな曲なのだった。








Catch of the Week No. 3 June : 6 月 第 3 週


Catch of the Week No. 2 June : 6 月 第 2 週


Catch of the Week No. 1 June : 6 月 第 1 週


Catch of the Week No. 5 May : 5 月 第 5 週







執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。





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