June 23 〜 June 30 2008




” ロッタリー・ウィナーの悲劇 ”


今週のアメリカでは、ついに原油価格が1バーレル当たり 140ドルを突破し、それと同時に株価が連日のように下がり続け、 否応にも経済に対する危機感を募らせる状況となっていたのだった。
こんなガソリン代や航空運賃が高い一方で、ドルが弱く、可処分所得が減っているご時世だと、 バケーション・シーズンを迎えても 旅行に行かない、もしくは行けない人々が増えているのが実情で、 こうした人々の休暇の過ごし方を表す新しい造語が、「Staycation / ステイケーション」というもの。 これはバケーションに出かけず、ニューヨークにステイしたまま シアターやレストランに行ったり、近場のビーチやセントラル・パークで日光浴をするような 休暇の過ごし方を表す言葉。
ステイケーションならば 飛行機の遅れや空港での荷物チェックの行列に煩わされることもなく、 休暇が終わってからやってくるクレジット・カードの請求書に怯える必要もない訳で、 この夏は、ステイケーションをポジティブに捉えて楽しむ人々が多いことが報じられていたりする。

さて、リセッションと言われて久しいアメリカであるけれど、 そんな中でも売り上げを伸ばしているものはあって、その最たる例がロッタリー、すなわち宝くじである。
アメリカでは、2008年に入ってから 宝くじの売り上げが昨年よりも30%も伸びていることが伝えられており、 いかに庶民が一攫千金を夢見ているか?が伺い知れるけれど、 実際、アメリカの宝くじは 当選者が出なければ 賞金が どんどん繰り越されるので、 時にその賞金額が$200ミリオン(約214億円)を越すことも珍しくなかったりする。
でも日本の宝くじと異なる点は、アメリカの宝くじでは 賞金の支払いを 1回払いか、26年間に渡る分割払いのオプションから選ぶことになっており、 1回払いを選ぶと、賞金額が30〜40% 減らされて支払われることになっている。 これは、家や車を買う時に 20年払いのローンで支払うと 利息が付く分 総額が高くなって、1回払いだと 利息が無い分 割安になるのと同じようなこと。 それでもロッタリー購入者の多くは1回払いを選ぶ傾向にあるという。
また、アメリカの宝くじは 賞金から税金が差し引かれることになっており、もし当選者が1回払いを選んだ場合、 アフター・タックスの賞金は 額面の半分以下になると計算するべきもの。
例えば今年の初めに、メガ・ミリオンというロッタリーで、$270ミリオン(約289億円)の当選者が出たけれど、この人物は1回払いを選んだので、 その賞金がまず$164ミリオン(約175億円)に減らされ、さらにそこから税金が差し引かれたため 実際に当選者が受け取ったのは 賞金額面の3分の1以下である$82ミリオン(約88億円)であったという。
とは言っても たった1ドルで買った宝くじで こんな大金が当たれば誰だって万々歳。 特にこんなリセッション期には、アメリカの庶民はお金儲けの難しさを身にしみて感じていたりする。 なので宝くじに夢を託して 毎週のように買い続ける人々は 特に貧しい層を中心に 非常に多いのが実情となっている。

一度 宝くじに当たれば、一夜にしてミリオネア、殆どの場合マルチ・ミリオネアになる訳だから ロッタリー・ウィナー(宝くじ当選者)は、誰もが憧れる存在。 でも実際には メディアがロッタリー・ウィナーのその後を追いかけてみると、 意外にも 彼らが 裕福に幸せに 余生を暮らしているという例は極めて少なく、 宝くじが当たる前より貧乏になってしまった人、破産してトレーラー住宅に暮らすことになってしまった人など、 その当選金をあっという間に使い切った上に、離婚や金銭を巡る仲たがいで、 家族や友人を失い、むしろ以前より不幸になってしまうケースが多いという。

では、どうしてそんな状況に陥ってしまうかといえば、ロッタリー・ウィナーの転落にありがちのシナリオというのは、 以下の通りである。

  1. 賞金を使うことばかり考えて、税金対策や投資ををしようとしない。


  2. 家族や友人を含む、周囲に賞金をたかられる。


  3. 受け取った金額以上に、自分が裕福になったと勘違いしている。



まず 1. については、ロッタリー・ウィナーが賞金を受け取ってまず購入を試みるのが家。
でも大きな家に住んだことが無い人間は、購入時の値段のことだけしか考えおらず、 大きな家を維持するのにどれだけのお金が掛かるか、購入した家の改築に どれだけの費用を要するか、更に税金や保険料、電気・水道代なども嵩むこと を全く理解していない場合が多いそうで、 この時点で思い描いているよりも遥かに多くの出費をしてしまうことになるという。
また突然大金を手にして、気持ちが大きくなっているので、下らない無駄遣いやバケーションで豪遊するなど、 金遣いが荒くなり、それに歯止めが掛からなくなるとのこと。
殆どのロッタリー・ウィナーは、ファイナンシャル・コンサルタントを雇って、 当たった賞金を投資や資産運用に回して、それだけで一生食べていけるようにする といったことには 考えが及ばないようで、そういったことはまずお金を好きなことに使って、 その残りで行うべきことだという 楽観的な考えを持っているという。

でも 実際には 自分の好きなことにお金を使う前に 資産を減らす要因となるのが、2.の家族や友人を含む周囲の人々に 賞金をたかられるという状況。
ロッタリー・ウィナーは、よどの大金を当てた場合以外は 全米規模のメディアで報じられることは無いけれど、 地方都市のローカル・メディアは ミリオネアになった当選者を報道する傾向は根強く、 当選者は宝くじのプロモートのために記者会見や写真撮影に応じなければならないことになっているという。
なので、嬉しさのあまり 人に言いふらしたりしなくても 地方都市では ロッタリー・ウィナーであることが周囲に明らかになってしまう場合が 多いけれど、そうすると やがて始まるのが、友人や親族からの 「お金を貸して欲しいと」、「投資して欲しい」、「借金を肩代わりして欲しい」という依頼。 その多くが「子供の学費が払えない」、「健康保険も無いのに、病気になってしまった」など、 「 断われば ”人でなし” 」 のような ストーリーを涙ながらに語ったり、「絶対儲かる」といかにも美味しい話を持ちかけたり、 さもなくば 「自分が稼いだお金でもないのに 家族のために出し渋るなら 絶縁する」 といった脅しを掛けてくるもので、 殆どのロッタリー・ウィナー達は これに対して 「No」 とは言えないのだという。
でも、当選者が宝くじの賞金をポンポン使ってしまうのと同様に、宝くじの賞金を投資してもらったり、借りた人々も、 あまり深く考えずに お金を使ってしまうようで、往々にしてこうした投資や、借金は回収できずに終わるという。
そして往々にして、お金を貸しても、拒んでも、家族や友人を失って孤独になるのがロッタリー・ウィナーであるけれど、 それ以前に 賞金が支払われた直後に妻に離婚され、その半分を持っていかれるというのも 非常にありがちなシナリオとなっている。

でも、最大の問題点は3番目、 ロッタリー・ウィナーが 自分がどの程度の資産持ちになったかを理解していない点であるという。
それまで食費も切り詰めていたような家族が、突然宝くじに当選して 例えばアフター・タックスで5億円を手にしたとする。 その金額自体はそれまでの生活では考えられないような大金な訳だけれど、これを受け取った人は 5億円以上の大金持ちになってしまったと勘違いをしがちであるという。
例えば、旅行にはプライベート・ジェットでしか出かけず、世界中に5つも6つも家を所有するようなリッチ・ピープルは、 数百億円規模のマルチ・ミリオネア、もしくはビリオネアであったりする訳であるけれど、 殆どのロッタリー・ウィナーで 突然1億円〜5億円を手にした人々は 自分達もそのクラスのリッチ・ピープルの仲間入りをした気分になってしまうという。
とは言っても 実際に5億円という金額は、幼い子供を2〜3人抱えている場合、 過剰な贅沢はせずに、有効な資産運用をしていれば、一生食べていくのには困らない程度の金額。 でもそういった計算が、突如大金を得たロッタリー・ウィナーには出来ないようで、 気持ちが大きくなっているだけに、ムダ使いや、周囲にたかられる状況を 容認してしまうのだという。

では具体的に彼らがどのような転落ぶりを辿るのかを、実際にロッタリー・ウィナーの追跡調査を行うことによって 分析したのがウェブサイト、バンクレイト・ドット・コム。
同サイトの記事の具体例を引用すると、まず1988年にペンシルヴァニア・ロッタリーで$16.2ミリオン(約17億円)の賞金を手にした ウィリアム・ポストは 現在借金を抱え、月々450ドルの生活保護とフード・スタンプを受け取って じり貧の生活を強いられている。 そうなってしまった原因は、ロッタリーが当たった途端に 彼はまず同居していたガールフレンドに訴えられて 賞金の半分を持っていかれてしまったという。 加えて、ウィリアム・ポストの唯一の家族である弟が 彼の財産を相続しようと 殺し屋を雇ったのが発覚し、弟が警察に逮捕されてしまったという。 身近な人間の裏切り行為が続いて 傷ついた彼が 親類に安らぎを求めようとすれば、その親類達も 彼らが経営するビジネスへの投資を迫り、ウィリアム・ポストは無理やり 親族の車のビジネス と レストランに投資をさせられることになってしまう。
しかし、投資した多額の金額が彼に戻ってくることはなく、彼は17億円の賞金を手にした 僅か1年後には、 1億円の借金を抱え、その取立てに追われる身になっていたという。 しかも彼はある日、自暴自棄になって借金の取立てに対して銃を発砲したことから 逮捕され、刑務所に3ヶ月服役する羽目になったという。

一方、1989年にミシガンのロッタリーで 約3億3000万円の賞金を当てたウィリー・ハートは、その2年後には 破産し、殺人の罪で起訴されている。 彼の弁護士によれば、ウィリー・ハートは離婚訴訟で賞金の大半を持って行かれ、 その後コカインとクラックでお金を使い果たし、麻薬がらみの殺人罪で逮捕されたという。

同様に、1975年のミシガン州のロッタリーで1億円の賞金を当てたチャールズ・リドルも、離婚に加えて、 幾つもの訴訟で賞金を使い果たした挙句、コカイン売買で有罪となり、その後服役する身となっている。

1993年にミズーリ州のロッタリーで19億円を獲得したジャナイト・リーは、政治家、教育機関、地方コミュニティへの寄付を 支払い続けるうちに、宝くじに当たって8年後に自己破産を申告。 手持ちの現金は僅か7万円程度になってしまったという。

この他90年代に、約5億円の賞金を当てた南部の家族も、大きな邸宅を購入し、親類から借金を肩代わりするうちに、 どんどん財産を減らして行き、11年後には夫婦が離婚。邸宅は売りに出され、 夫妻に掛けてあった生命保険を解約して キャッシュにしなければならないほど貧しい状態に陥ったことがレポートされている。


このように、ロッタリー・ウィナーの中には、1〜6年程度の間に賞金を使い果たしただけでなく、借金を抱えたり、 訴えられたり、法を犯して逮捕される人々が決して少なくなく、それぞれに 「もう一度 賞金が当たった時点からやり直したい」、 もしくは 「当たり券を破いて捨ててしまえば良かった」 と 後悔しているという。
でもこうした人々はもっぱら ロッタリーによって これまで手にしたことが無いような大金を手にして舞い上がってしまった例。 では、もともとマルチ・ミリオネアであった人物が ロッタリー・ウィナーになった場合はどうなるか?と言えば、実際には それほど大差が無かったりする。

近年のアメリカで、最も有名なロッタリー・ウィナーと言えば、2002年のクリスマスに 賞金額が大きいことで知られるパワーボール・ジャックポットで $315ミリオン(約337億円)を勝ち取った ウエスト・ヴァージニアの ジャック・ウィッタカー(当時55歳)である。
彼は宝くじに当たる前から、 年商17〜18億円の建築ビジネスを 自ら経営する マルチ・ミリオネアであったけれど、 パワーボール・ジャックポットの当選によって、税引き後の手取りで $114ミリオン(約122億円)のキャッシュを手に入れたのだった。 この$315ミリオンという賞金額面は、アメリカのロッタリー史上最高の当選金額であったことから、 アメリカ中のメディアがこのニュースを伝えたのに加えて、ウィタカーの妻と娘が8つのTV番組に出演したことから、 彼は一躍 $315ミリオン長者として知れ渡ることになったのだった。
しかし、既にミリオアネアであった彼は仕事を辞めて 豪遊したりはせず、 まずその賞金で、 彼が当選のチケットを購入した 女性店員に お礼として 車と家をプレゼントし、彼が通う地元の教会に 新しい建物の建設費として6億円の寄付をしたのだった。 ところが この教会の建設費は、敬虔なクリスチャンであるウィタカーの善意に甘えて どんどん膨らんで行き、 最終的に彼が支払った金額は 16億円になってしまったという。
彼はこれ以外にも恵まれない人々を助けようと 非利益団体、ジャック・ウィタカー・ファンデーションを設立。 このファンデーションには、彼に金銭的な助けを求める全米の人々からの手紙が寄せられたというけれど、 その多くは 「自宅にカーペットを敷いて欲しい」、「大学を出た息子のために車を買って欲しい」というような 身勝手なリクエストであったという。
その一方で、ウィタカーが宝くじに当たってからというもの、彼が経営する建築ビジネスに対する訴訟が相次いだという。 これは 彼に賠償金を支払う能力があることが明らかであるため、些細な事にも文句を付けて何とかお金をむしり取ろうという 訴訟社会、アメリカにはありがちな現象によるもの。このためウィタカーは複数の弁護士を雇い、年間に約3億5千万円を 訴訟対策に費やしていたというけれど、こうした訴訟の数々のせいで、彼のビジネスは徐々に信頼を失ってしまうことになってしまう。
更に ウィタカーは犯罪のターゲットにもなってしまい、ある日バーに出かけた彼は ドリンクに薬を入れられ、車の中で眠っている間に 現金を入れたアタッシュ・ケースを盗まれるという被害にあっている。このバーテンダーはやがて逮捕されたものの、 この他にも 彼の車と自宅は 窃盗のターゲットになっており、ウィタカーは寄付を求める人々、訴訟で彼の資産を狙う人々に加えて、 犯罪行為でこれを奪い取ろうという人々の格好の収入源と見なされてしまったのだった。

そんな彼にとって唯一の幸せは17歳になる孫娘、ブランディで、彼は孫娘のためにファンシーな家を建て、 彼女に毎週2100ドル(約22.5万円)の小遣いを与えただけでなく、4台の車を買い与えたのだった。
しかし、突然大金を手にしたティーンエイジャーは 直ぐにドラッグ・ディーラーと、ドラッグ・ユーザーの友達を引き付け、 逆にブランディの周囲に居た まともな友人達は どんどん彼女から離れていってしまったという。 やがて、ドラッグ・ユーザーであった ブランディのボーイフレンドが ブランディのお金で購入したドラッグのオーバードース(過剰摂取)が原因で ウィタカー宅内で死亡。 ボーイフレンドの父親は、ブランディと 彼女に大金を与えたウィタカーが 息子の死の原因であるとして 訴訟を起こし、 この示談が成立するまでには5年の月日を要している。
しかし、ボーイフレンドの死から数週間後には ブランディも行方不明になり、2週間の捜索の末 プラスティック・バッグに包まれた遺体で発見されたのは、 ウィタカーがパワーボール・ジャックポットを当てた ほぼ2年後、2004年12月20日のことだった。
この孫娘の死で ウィタカーは落胆のどん底に陥って、「パワーボールの呪いが家族に襲い掛かった。人間はお金では幸せになれない。」 と語っていたのだった。

しかしこの話はまだまだ終わっておらず、翌年2005年5月にはウィカーの妻が離婚訴訟を起こし、2006年には妻の弁護士が 既に借金の抵当に入っている彼の物件から離婚の慰謝料を取り立てる訴えを起こしている。 加えてウィタカーはこの年、アトランティック・シティのカジノのスロットマシーンで1億6000万円を失っており、 この支払い小切手が不渡りになったことから、カジノからも訴訟を起こされ、 それとは別に 女性からセクハラの訴えを 起こされたものの、その 賠償金が支払えない状態となっていた。

「パワーボール・ジャックポットの呪い」で何もかも失ってしまったウィタカーであるけれど、 何も無くなってしまうと やはりよりどころにするのも パワーボール・ジャックポットのようで、 彼は今年、2008年2月に再びパワーボールの宝くじを購入し、僅か1つの番号を当て損ねて 額面で1万ドル(約107万円)の賞金を獲得している。(パワーボールでは、6つの当選番号を全て当てるとジャックポットとなり、億円単位の賞金全額を受け取れることになる。)
もちろん、この賞金は1回払いを選んで、税金を差し引かれれば日本円にして40万円程度になってしまうもの。 でもこの金額であれば、人生をそれ以上狂わせることは無いのもまた事実なのである。

こうしたロッタリー・ウィナーの悲劇から学べることは、「Easy Come、Easy Go / イージー・カム・イージー・ゴー」。 すなわち簡単に手に入れたものは、簡単に無くなってしまうということ。 でも実際には 無くなるだけならば まだ良い方で、以前よりもひどい状態に陥ってしまうのがありがちな傾向である。
私のかつての知り合いでも、突然 数億円の遺産を相続して 結局はコーク・ヘッド(コカイン中毒)になってしまった人が居るけれど、 セレブリティでも一般の人々でも、 お金がある人の転落に往々にして絡んでくるのがドラッグ。 ふと考えると、ロッタリーで多額の賞金を当てるというのは ある意味ではお金のオーバードース(過剰摂取)とも言えるものだけれど、 ドラッグとお金の共通点は 人間を変えてしまうということ。逆にこの2つの大きな違いは、 誰も お金に対しては警鐘を鳴らしてくれないことである。
お金は無くては生活していけないものだし、あればあるほど 少なくとも表向きには幸せに思えるだけに、 どういう手段で 幾ら儲けたら 人間を変えたり、破滅させてしまうかは 実際のところ 誰にも分からないもの。 それだけに、お金というものはドラッグと同じくらい危険な存在 とも言えるのである。





Catch of the Week No. 4 June : 6 月 第 4 週


Catch of the Week No. 3 June : 6 月 第 3 週


Catch of the Week No. 2 June : 6 月 第 2 週


Catch of the Week No. 1 June : 6 月 第 1 週






執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。