June 27 〜 July 3 2005




Learn English!



今日、7月3日は ウィンブルドンの男子シングルス決勝の日。 私は寝坊をしたので、TVをつけた時は既に第3セットが始まる直前で、 朝食をとりながら(アメリカでは時差の関係で試合が生放送されるのは午前である) ロジャー・フェデラーとアンディ・ロディックの対戦を見ることになった。
結果は、ディフェンディング・チャンピオンであるフェデラーが 3−0 のストレートでロディックを破ってしまったため、 試合はあっという間に終わってしまい、表彰式とインタビューが始まったけれど、 フェデラーのインタビューを聞きながら、 解説を担当していたジョン・マッケンローが口にしたのが、 「フェデラーにとって英語はサード・ランゲージ(第二外国語) なんだ。アメリカ選手も彼を見習うべきだ」というコメント。
ロジャー・フェデラーがスイス人であることを考えると、彼の母国語、第一外国語に当たるのは恐らくドイツ語とフランス語であるかと思うけれど、 そんな訛りが若干あるものの、フェデラーは流暢な英語で ユーモアを交えてインタビューに応えており、 英語を話すことに全く抵抗が無いように見受けられるのだった。

ヨーロッパ人が、頻繁に言うアメリカ人の悪口の1つに、 「アメリカ人は、何処へ行っても 英語が通じて当たり前だと思っている」というのがある。
これは、同じ英語を話すイギリス人でさえ指摘することで、やはりイギリスは他のヨーロッパ諸国と隣接した立地ということもあり、 国境を越えれば、別の国、別のカルチャー、別の言語という概念が彼らに備わっているのである。
でも、実際のところは 英語さえ話せれば、何処の国でも、都市部であれば、殆ど不自由な思いをせずに旅行くらいは出来るもので、 私もパリに滞在中、喋っていたのはもっぱら英語であったけれど、全く不自由は無かったし、 旅行前にレストランの予約やオペラ座のチケットの手配などを電話で済ませた際も、電話を取ったフランス人はことごとく流暢な英語を話したので、 こちらが感心してしまったほどだった。
昨年秋の ニューヨーク・タイムスに、「あの母国語を重んじるフランスでさえ、英語が話せないと仕事が探せないご時世になってきた」 という記事が掲載されていたけれど、今や英語が万国共通語になってしまったことは紛れも無い事実で、 この事が、アメリカ人の外国語学習の意欲を低下させていると指摘されて久しかったりする。 例えば、ヨーロッパやロシア等のスポーツ選手は、母国語と英語を含む3〜4ヶ国語を話すのがアヴェレージであると言われているけれど、 アメリカのスポーツ選手の場合、外国でトレーニングをしていても、英語しか話せないケースが多いのである。
また、アメリカ人というのは往々にして、言語を学ぶ苦労を知らない人々であるから、 よほどの恋愛感情でも持っていない限り、英語が話せない人に対して忍耐強く接しようとはしないし、 自分が思っていること、言いたいことが説明できないフラストレーションというのを経験したことがないから、 人がつたない言葉で喋っているレベルが、そのままその人間の頭脳レベルだと判断しがちでもあったりする。

でも先日パリに居て感じたのは、日本人として英語を話すのと、アメリカ人として英語で話すのは意味合いが異なるであろうことで、 日本人がフランス人と英語でコミュニケートするというのは、互いに会話の手段として母国語以外の言葉を使っているというイーブンな関係であるけれど、 アメリカ人がフランス人と英語で会話をするというのは、人の国に来てまで自分の国の言語を押し付けているような意味合いが 出てくる訳である。
しかもアメリカ人は、世界中どこでも英語が通じて当たり前と思っているだけに、日本人が「英語が通じて良かった!」と感じるほどの 感謝の気持ちを、英語を話してくれたフランス人に対して抱かない場合が多いようで、そういった態度も アメリカ人が諸外国で顰蹙を買う結果になっているようである。


どの国においても、外国人がその国の言語を話す というのは、その国を理解している、その国に好意や敬意を抱いているとして 受け取られるものである。
先日、日本のニュース番組の中で、卓球の福原愛選手が中国のトークショーに出演し、 司会者から厳しい質問を受けて 涙したことに対し、中国の視聴者から同情が寄せられているというニュースが報じられていたけれど、 これも通訳を通さず、自分の言葉で受け答えしていたからこそ、反日感情が強い中国でも彼女に対して同情が集まり、 好感が持たれた訳で、「その国の言葉を話す」ということは外国人が行った場合、実際に交わしている言葉以上の コミュニケーション・パワーを発揮し、ポジティブなメッセージを発信するのは紛れも無い事実なのである。

また、私の個人的な見地から言わせてもらえば、外国語を話す人の方が、国際人としてのマナーや、 異文化や外国人に対するオープンな姿勢が備わっており、パリでも英語を話すフランス人の方が、話せないという人よりも 遥かに親切であったし、店の店員にしても英語を話す人の方が話せない店員より 遥かに態度が良かったと言える。
また、アメリカにおいても、英語以外の言葉も話せる人の方が、往々にして インテリで社交的で、 英語しか話せないアメリカ人に限って、外国人の英語にケチをつけてくるような人物が多かったりする。 ちなみに、こういうアメリカ人に出会った場合は、「How many languages do you speak?」、すなわち、「あなたは何ヶ国語を話すの?」 と訊ねて やり返すのが撃退法である。

でも、悲しい事に、言葉を学ぶというのは決して簡単なことではない訳で、私もニューヨークに15年も暮らしていながら、 適当に喋っていれば通じる状況に甘んじて、英語の上達はすっかり頭打ち状態。 そこで、これを反省して、今年の春のセミスターで、 NYU (ニューヨーク大学) の ビジネス・コミュニケーションという英語のクラスを取っていたけれど、 カリキュラムの中で、自分のビジネス・プレゼンテーションをビデオ撮影するというものがあり、 そのビデオで私は自分が40分間も英語で 喋り続けている姿を初めて見たけれど、 正直なところ、あまりの下手さにショックを受けて、思わず寝込んでしまった。
たとえ、日本語であっても、自分が喋っている言葉というのは、自分の耳で聞いているようには、 聞こえていない訳であるけれど、それが英語となると、さらにギャップは大きく、 「自分はこんな風に英語を発音していたんだ・・・」と、改めて思い知らされることになってしまったのである。

でも、自分の英語のレベル(の低さ)を正確に把握していない日本人というのは、世の中にも沢山居る訳で、 それが時に英語が出来て当然の職場に存在していたりするのが 日本の恐ろしいところである。
例えば、私の知人は、映画を日本語字幕で見ていると、頻繁に誤訳や、不適切な訳を見つけると言っていたけれど、 実際、私も先日、日本に帰国した際にTVで放映されていた、女優のサンドラ・ブロックのインタビューで、 「It worked well」を、本来の意味の「上手く行ったわ」ではなく、「よく働いたわ」と誤訳されていたのを見て、 唖然としてしまったのだった。 この場合、「よく働いた」ならば、「I worked hard」となる訳で、こんな簡単なセンテンスを誤訳する人物が、 翻訳者として務まるというのは、やはり その間違いに気がつく人間が職場に存在しないからである。
そんな状態であるから、人の名前や単語の発音は、かなり間違った形で日本に入って行っているのが現状であるし、それとは逆に、 外国に居る日本人が、限られたボキャブラリーと不完全な英語(もしくは他の言語)で日本について語ることによって、 諸外国において 日本の社会やカルチャーが 実際とは異なるイメージで 伝えられる傾向にあるのも事実である。

よく、国際社会における日本について語る時、「日本はPRが下手な国」と指摘する日本人は多いけれど、 その意味でこれを改善する一番の近道は 国民の英語のレベルを向上させることと言えるかもしれない。



Catch of the Week No.4 June : 6月 第4週


Catch of the Week No.3 June : 6月 第3週


Catch of the Week No.2 June : 6月 第2週


Catch of the Week No.1 June : 6月 第1週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。