June 26 〜 July 2




勝敗の分かれ目



私がこのコラムを書いている7月2日、日曜の前日に終了したのが、ワールドカップのクォーター・ファイナル(準々決勝)。
私がここで改めて報じるまでもなく、昨日は優勝候補筆頭だったブラジルがフランスに敗れて、 イングランドがPK戦の末、ポルトガルに敗れており、アメリカのメディアでは 勝ったチームよりも 負けたチームの方が ニュースになっていた感があったのは事実である。
そのイングランドが敗れて、先ず私の頭に浮かんだのは、1998年大会の際にイギリス人の友人が語っていたコメントで、 「イギリスでは、自分の国が敗れたら、喪に服したような状態になるから、 その後はワールドカップには夢中になれないんだ」というもの。98年大会と言えば、デビッド・ベッカムのレッド・カードのせいで、 イングランドが敗北し、その直後からベッカムはイギリス中の嫌われ者になってしまい、自国に戻るのに身の危険さえ感じなければならなかった彼は、 当時、全米ツアーの真っ最中でニューヨークを訪れていたスパイス・ガールズのガールフレンド、ポッシュ・スパイス=現ヴィクトリア夫人のもとに しばし身を寄せることになったのである。

実際、ヨーロッパのサッカー・ファンの間でも、イングランドのサポーターは「負けを引きずる」と指摘されがちであるけれど、 それ以外の国の人々というのは、自国が負けて、一時的に落ち込んでも、その後もセカンド・チョイス、サード・チョイスのチームを応援して 試合を楽しむし、好きなチームが1つも残っていなくても、「この国とこの国には勝たせたくない」など、 様々な理由を付けて ワールド・カップをファイナルまで熱くエンジョイするものである。
そのセカンド・チョイス、サード・チョイスのチームを選ぶ基準というのは、 地理的な距離より、DNAが優先するようで、6月2週目のコラムに書いたアルゼンチンのサポーター達は、もしアルゼンチンが敗れた場合、 次に応援するのは、地理的に近いブラジルよりも、イタリアだと語っている人が何人も居た。 これは、アルゼンチンの国民の多くが、イタリア系移民のセカンド・ジェネレーション(2世)、サード・ジェネレーション(3世)であるためで、 彼らにとっては、ブラジルよりイタリアの方が身近に感じる国のようである。
そうかと思えば、私の友人のフィアンセはスイス人で、ドイツ語、フランス語、イタリア語を話し、ご存知のようにスイスは この3国全てに隣接しているけれど、まず彼に限らずスイス人は ドイツを応援しないのだそうで、彼は昨日のフランスVS.ブラジル戦でも ブラジルを応援しており、でもイタリア・チームに関しては応援するのだそうで、こうしたヨーロッパ、サウス・アメリカ諸国間の国民感情や 各国に対する見解というのは、 島国に育った日本人にとっては非常に興味深いものである。

ところで、クォーター・ファイナルは、金曜のドイツ VS. アルゼンチン戦、そして土曜のイングランドVS. ポルトガル戦の2試合が 共にPK戦で 勝利の決着が着いたけれど、意外に思ったのは、PK戦による決着を好まない人が周囲に少なくないこと。
私にとっては、特に土曜のイングランドVS.ポルトガル戦のように、試合自体がスローな展開で、それが120分も続くと、PK戦は 「やっと訪れたエキサイトメント」に思えてしまうけれど、PK戦を好まない人は、通常のゴールで試合が決まる方が、 正当な軍配で、後味が良いと考えるようである。
確かに私も、3-3 のような接戦の場合、120分で試合に決着が着かなければ、その後も試合を延長して、 サドンデス(sudden death)方式、すなわち最初にゴールを決めた方が勝ちのようにした方が、後味が良いように思うのは事実である。 でも昨日のイングランドVS.ポルトガル戦のように、試合を30分延長しても 0-0 というのは、双方が決め手に欠くサッカーを 2時間も繰り広げた結果であるから、コイン・トスだろうが、PKだろうが、運が味方した方が勝つべきだと思うし、 「運も実力のうち」という言葉が示す通り、それも立派な勝敗の分かれ目だと思うのである。
イングランド・チームのミッド・フィールダー、オーウェン・ハーグリーブスは 「PK戦なんて実力に関係ない。ここまでハードに戦ってきて、PKで試合の決着が着くなんて・・・」 と語っていたけれど、こういったコメントは勝ったチームからは聞かれないものである。

中には「PK戦で勝敗が決まるのは残酷だ」という声もあるけれど、勝敗というのは、所詮は残酷なものである。 プレーヤーに実力があって、舞台が大きくなればなるほど、勝利の味は限りなく甘く、 敗北の味は苦く、惨めなものである。
ワールドカップに限らず、スポーツを見ていれば、野球でも、NFLでも、名選手や優れたチームが敗北して涙する姿を見て、 心から同情したり、落ち込むこともあるけれど、逆に自分が応援するチームやプレーヤーの勝利でハッピーになったり、 達成感さえ感じることもある訳で、それがスポーツにおける勝敗というものだし、 プレーする側にとっても、観戦する側にとっても、負けることが悔しいからこそ、勝つことに意義があるのである。

ワールドカップにしても、スーパーボウルにしても、ラッキーなだけでは勝ち上がっていくことは出来ないけれど、 一度、実力があるチームが絞られると、そこからは運を味方に着けた方が勝利するのは、スポーツの歴史が証明する通りである。 逆に、誰もがその実力を認めるプレーヤーでも 運に見放されてしまえば、先日の全米オープン・ゴルフにおけるフィル・ミケルソンの 土壇場18番ホールでの自滅のように、何度トライしても同大会無冠に終わってしまう訳で、これもスポーツの歴史に刻まれる勝負の無情さである。

でも、運によって決まりそうな勝敗を覆すことが出来るのは、やはり実力、それも卓越した実力があるチームやプレーヤーで、 私がこの好例として、鮮明に記憶しているのは、今から8年前、NBA 1997〜98年シーズンのプレーオフのカンファレンス・ファイナルの際。
このシーズンはマイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルスでプレーをした最後の年であると同時に、6度目のNBAチャンピオンに輝いた年であったけれど、 そのブルスとイースタン・カンファレンス・ファイナルを戦ったのが、当時レジー・ミラーを擁したインディアナ・ペーサーズ。 ファイナルは第7戦までもつれ込む、緊迫した大接戦の連続で、一時はペーサーズの勝利を予測する人々が圧倒的に多いほど、 完全に風はペーサーズ側に吹いていたし、大のブルス・ファンであった私でも、「今度ばかりは負けるかもしれない」 と思うほど、ペーサーズはブルスを苦しめたのである。
このカンファレンス・ファイナルは、今でも歴史に残る大激戦として思い出すNBAファンは多いけれど、 そんなブルスの敗北の運気を完全に覆したのが、マイケル・ジョーダンの勝利に執着したようなプレー。 当時のインディアナ・ペーサーズのルーキー監督にして、この年コーチ・オブ・ジ・イヤーに選ばれたラリー・バードは、 記者会見で、敗因について尋ねられた際、「自分達はブルスに劣らない素晴らしいチームだけれど・・・」と前置きしてから、 「We just didn't have Michael Jordan (マイケル・ジョーダンが(チームに)居なかっただけ)」と語ったけれど、 彼の言葉どおり、勝敗を分けた要因がマイケル・ジョーダンに他ならなかったのは紛れもない事実だったのである。

ラリー・バードは、自らがボストン・セルティックスで活躍したNBAのスーパースター・プレーヤーであり、勝負に勝つ喜びも、負ける悔しさも 熟知している存在であるけれど、私は彼が敗戦監督としてこれほど端的でクールなコメントが出来ることも賞賛に値すると思っていたりする。
どんなスポーツでも勝者の喜びのコメントは推して知るべしであるのに対して、敗者のコメントには監督でもプレーヤーでも その人間性が現れるもので、敗者として語られたコメントや、敗戦後の態度や行動で 人間としての器が測られてしまう場合は少なくないし、 時にそれによってファンをガッカリさせるケースも出てくるのである。
その意味で、金曜のワールドカップのドイツ VS. アルゼンチン戦の試合後の 選手、監督入り乱れての揉み合いの原因となった アルゼンチンのディフェンダー、レアンドロ・クフレのドイツ選手に対する口論は、試合の後味を非常に悪くするものだった。 このためクフレは、試合が終了しているにも関わらず、審判からレッド・カードを差し出されることになったけれど、 これによって彼はチームとして試合に負けただけでなく、試合後にも自らを敗者にしてしまったのである。



Catch of the Week No.4 Jun : 6月 第4週


Catch of the Week No.3 Jun : 6月 第3週


Catch of the Week No.2 Jun : 6月 第2週


Catch of the Week No.1 Jun : 6月 第1週






執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。