June 30 〜 July 6 2008




” スターバックス・カットバック ”


私がこれを書いている今日、7月6日日曜は、ウィンブルドンの男子シングルのファイナルの日。 対戦カードはフレンチ・オープンの決勝同様 ロジャー・フェデラーVS.ラファエル・ナダルであったけれど、 実は私はこの2人の試合を見るのが大好きで、 今日は アメリカ東部時間で試合が放映される午前9時に目覚ましを合わせ、大体午後2時くらいまでゲームを見ていることになるだろうなぁ・・・と 勝手に予定を立てていたのだった。
ところが蓋を明けてみれば、試合はウィンブルドン・ファイナル史上最長の4時間48分の長さ。しかも2度も雨のための中断が挟まり、 試合が終わったのはニューヨーク時間の午後4時過ぎ。 結果はラファエル・ナダルが5年連続チャンピオンだったロジャー・フェデラーに 2つのタイブレークを含む5セット目にゲーム・カウント 9−7で勝利するという 大接戦の勝利を収めたのだった。
アメリカの放映局NBCで解説をしていた元テニス・プレーヤー、ジョン・マッケンローも試合後にフェデラーとナダルの両者にインタビューをして 「今まで見た試合の中で最高のゲームだった」と 涙ぐんでいたけれど、ことにタイブレークの無い5セット目には、この試合は一体 何時終わるんだろう?と思わせるほどに 両者一歩も引かない精神力とスタミナで、見ている方がグッタリ疲れてしまったのだった。
こんな試合に敗れたロジャー・フェデラーはさぞやショックだと思うけれど、それ以上に これだけ凄い試合をしてもチャンピオンになれないことが 気の毒にさえ感じられてしまったのだった。

ロジャー・フェデラーとラファエル・ナダルは歴代のテニス界のライバル同様に 仲が良いようで、 2人は頻繁にロッカー・ルームで会話を交わすとのこと。 かつて空港で飛行機がキャンセルになって困っていたナダルを フェデラーが彼のプライベート・ジェットに乗せてあげた話なども聞かれていたりする。
その一方で テニスは個人プレーであるせいか、多くの選手が縁起かつぎを兼ねた不可思議な振る舞いをすることが 今週のニューヨーク・タイムズのスポーツ欄の記事になっていたけれど、 実際、今日の決勝でロイヤル・ボックスに姿を見せていた ウィンブルドンのかつての5年連続のチャンピオン、ビヨルン・ボルグも 初めて優勝した1976年の縁起をかついで、それ以降のウィンブルドンでは 必ず同じホテルの同じ部屋に滞在し、同じ時間に練習をして、 同じものを食べていたという。
その連覇が1981年にストップした際、ボルグが 彼を破ったマッケンローに「やっと これから違うものが食べられる。ありがとう。」 と 語ったエピソードを 今日の試合中の解説で マッケンロー自身が披露していたのだった。


話は変わって、今週のニューヨークで盛んに報道されていたニュースと言えば 往年のスーパーモデル、クリスティ・ブリンクレーの離婚裁判と ヤンキーズのアレックス・ロドリゲスの離婚スキャンダルという 2つの離婚がらみのゴシップである。
クリスティ・ブリンクレーは、元ビリー・ジョエル夫人でもあった かつてのトップ・モデルであるけれど、 年下の夫が ティーンエイジャーを愛人にする目的でアシスタントとして雇い、その不倫が発覚して離婚に至ったのは約2年前のこと。 このコラムでも当時話題だったこの離婚スキャンダルについて触れたことがあったけれど、 お互いが離婚を決めても 財産や親権についての条件が折り合わない場合、 2年がかりで法廷に持ち込まれることが珍しくないのが アメリカの裕福層の離婚である。
もう1つの ヤンキーズのアレックス・ロドリゲス&シンシア夫人の離婚スキャンダルについては、 既に何度も離婚の噂が流れていた同夫妻ではあるけれど、今回はA.ロッドが マドンナのアッパー・ウエストサイドの アパートに夜な夜な出入りをしていたことが伝えられ、この報道直後にシンシア夫人がロッカー、レニー・クラヴィッツが居る パリに娘とトレーナーを連れて旅立ったというのがそのストーリー。 既に夫人の弁護士は明日月曜に離婚をファイルする予定だそうで、 理由は アレックス・ロドリゲスの長年に渡る浮気に嫌気が差したとのこと。 でも こちらも離婚訴訟が見込まれているだけに、弁護士も 当人も詳細にはコメントしない姿勢をとっている。
現在、映画監督の夫、ガイ・リッチーとの離婚が囁かれるマドンナであるけれど、彼女も レニー・クラヴィッツ側も、 それぞれに ロドリゲス夫妻との関係は否定しており、何処までが本当で、何処からがでっちあげなのかが 全く分らないのがこのストーリーである。 でも今週は大きなニュースが無かっただけに、セレブリティがらみの離婚スキャンダルが メディアの格好の報道ネタになったという印象が強かったのだった。

一方、ビジネス界で大きなニュースになっていたのが、スターバックス・コーヒーがアメリカ国内の売り上げの悪い店舗、 600店をクローズし、今後のストア・オープニングもスローダウンさせるという報道。
普通のチェーン・ストアだったら、「600店舗もクローズする」と言えば ビックリするような規模であるけれど、 1992年から株式を公開しているスターバックスは、ウォールストリートに提示した店舗網拡張プランを忠実に守り続けてきたビジネスで、 アメリカ国内の店舗数が約2000店舗に達したのが2000年のこと。その後今年、2008年の6月までに1万1000件を超えるストアを 米国内に擁しており、日本を初めとする世界各国の店舗数を加えるとその数は1万6000にも上るのである。
アメリカ国内で毎年1000軒ペースで出店してきたスターバックスの この発表には アナリストさえもが驚いたといわれているけれど、ニューヨークに関して言えば スターバックスの店舗同士が1〜2ブロックしか離れていないエリアも 少なくないので、たとえ600店舗をクローズしたとしても そこら中にスターバックスがある状況には 変わりないといった印象である。
ところで、何故スターバックスがこのようにアグレッシブな店舗展開をしてきたかと言えば、 都市部では 「人々はコーヒー1杯を買うのに、わざわざ3ブロックも歩かない」というセオリーに基づいてのこと。 なので、たとえ2ブロック先に別のスターバックスがあったとしても 好ロケーションであればどんどんストアをオープンしてきたのである。
地方都市に関しては スターバックスがオープンすると、他のコマーシャル・チェーンの誘致に繋がって、 街が栄える として歓迎される傾向が強く、近年はそうした町興しのようなロケーションに かなりストアをオープンしてきたのだった。
しかしながら、そうした店舗は サブプライム問題が災いして 新興住宅街になるはずのエリアが 家を手放す人々が相次いで ゴースト・タウン化してしまい、そんな時代を読み違えた出店は かなり問題視されていたのだった。 事実スターバックスは、今年になって同社史上初めて既存店舗の売り上げが前年比を下回ったことが報じられているけれど、 最も売り上げダウンが著しいのがサブプライム問題の影響を強く受けているカリフォルニアとフロリダであるという。

スターバックスは昨今の業績不振を受けて、創業者のハワード・シュワルツをCEOのポジションに呼び戻し、 新しいブレンドのコーヒーを発売して、今後はコーヒーのビジネスに専念するとして この春には 朝食時のホット・サンドウィッチの販売をストップしたばかり。
その一方で、マクドナルドやダンキン・ドーナツが安価で美味しいコーヒーを販売し始めたことも スターバックスのビジネスに打撃を与えていると指摘されて久しいけれど、 私の個人的な見解では、昨今スターバックスが苦戦している理由は、かつてほどスターバックスのコーヒーが特別な存在で無くなったためで、 以前は5ブロック歩いてでも わざわざスターバックスにコーヒーを飲みに行っている人は沢山居たのである。 でもその特別なイメージがここ2年ほどで突然色褪せて、私自身 スターバックスで人と待ち合わせをすることも無くなったし、 外出中にスターバックスで一休みしようなどという気持ちも全く起こらなくなってしまったのである。
これはスターバックスという存在に飽きたのか?、それとも店ごとに味が安定しないカフェ・ラテに4ドルも払うのが馬鹿らしくなってしまったのか? 理由は自分でも良く分らないけれど、スターバックスが ”ピークを超えてしまった” というのは 同社の株価の推移など 追っていなくても アメリカ人の多くが感じていること。
過去10年以上に渡って 時代の波に乗って大きく 急成長してきたスターバックスであるけれど、 突如 景気の歯車が狂い出すと それまで順調に見えた店舗網の拡張や、エンターテイメント業界への進出など、 全てのプランが時代に逆行した失策と見受けられてしまう訳で、それが ビジネスの不思議 かつ 恐ろしい側面なのである。





Catch of the Week No. 5 June : 6 月 第 5 週


Catch of the Week No. 4 June : 6 月 第 4 週


Catch of the Week No. 3 June : 6 月 第 3 週


Catch of the Week No. 2 June : 6 月 第 2 週






執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。