June 29 〜 July 5 2015

”I Will What I Want ”
ミスティ・コープランドに見る 夢の実現法


今週は、土曜日に建国記念日のホリデイを控えていたこともあり、バケーション・ムードだったアメリカ。 でもその建国記念日にISISによるテロが起こる可能性を危惧して、全米の観光名所が厳しい警戒態勢となっていたのだった。
ニューヨークの建国記念日は、例年のごとくメーシーズの花火大会が華やかに行われていたけれど、 水不足が深刻なカリフォルニアでは、多くの花火イベントが 山火事を危惧して中止になる有り様。 ただでさえ乾燥して燃え易くなっている木々が花火で着火した場合、それを消火する水が無いという厳しい実情が反映されていたのだった。




話は替わって、今日7月5日付けのニューヨーク・ポスト紙に 見開きの2ページ・グラビアとしてフィーチャーされていたのが 上の写真。
ここにフィーチャーされているのは、6月30日 火曜日に、アメリカン・バレエ・シアター(以下ABT)の75年の歴史上初めて、アフリカ系アメリカ人として プリンシパル・ダンサーに選ばれたミスティ・コープランド。今や彼女はニューヨークのみならず 全米で時の人となっている存在で、タイム誌は2015年5月に彼女を「世界で最も影響力を持つ100人」のうちの1人に選んでいるのだった。
バレエに全く興味が無いアメリカ人が、唯一 その名前や存在を知っているバレリーナがミスティ・コープランドであるという状況は、 かつてゴルフに全く興味が無いアメリカ人がタイガー・ウッズだけは知っているという状況に似ているけれど、 ニューヨーク・ポスト紙のような大衆メディアのセンター・グラビアにバレリーナがフィーチャーされるというのは、 前代未聞の話。彼女の前にセンター・グラビアにフィーチャーされたのが、引退の日のヤンキーズのデレク・ジーターであったことを思えば、 このグラビアが如何に異例であるかの察しがつくのだった。

そんなミスティ・コープランドの知名度は、ABTの他のダンサーや、世界中のバレリーナとは比較にならないもの。 彼女はソーシャル・メディアで50万人ものフォロワーを持つだけでなく、2014年に出版された 彼女の自叙伝「Life in Motion / ライフ・イン・モーション」はベストセラー。 シンガーのプリンスは、彼女をビデオにフィーチャーし、ステージでのライブ・パフォーマンスでも共演するなど、 ミスティを彼のミューズと謳って久しい状況。
また彼女は、高視聴率の報道番組「60ミニッツ」の中で特集が組まれたり、 ダンスのリアリティTV「So You Think You Can Dance / ソー・ユー・シンク・ユー・キャン・ダンス」で ゲスト・ジャッジを務める一方で、そのダンスも クラシックなバレエに止まらない様々なスタイルを披露。 2014年には、オバマ大統領から、フィットネス・スポーツ・ニュートリシャンのプレジデント・カウンシルのメンバーにも選ばれているのだった。






でも 彼女がソーシャル・メディア上、及びポップ・カルチャーの世界で、知名度を大きく上げることになったのは、 スポーツ・アパレル・ブランド、Under Armour / アンダーアーマーのスポークス・モデルとして CM(上のYouTubeのビデオ)に出演したのがきっかけ。
このビデオで ミスティ・コープランドの姿と共にフィーチャーされているのが 「Dear Candidate / 候補者の方へ」 というセンテンスで始まる手紙を朗読する少女の声。 この手紙は、実際にミスティ・コープランドが13歳の時に、バレエ・アカデミーから受け取った 不合格通知で、 その中には、「残念ながら貴方は不合格です。アキレス腱、胴の長さや、バスト等、貴方はバレリーナの体型をしていません。 また13歳はバレリーナとしてトレーニングするには歳を取りすぎています」という、プロのバレリーナを目指す少女の 夢を打ち砕くような内容が書かれているのだった。
この手紙が 2014年、32歳のミスティ・コープランドが出演するCMの バックグラウンドで読み上げられるということは、彼女が如何にこの手紙を受け取った時の 悔しさをバネにして、努力し続けてきたかを証明しているけれど、 これがアンダー・アーマーの掲げる広告スローガン、「I Will What I Want / 私はきっと自分がなりたいものになる」というメッセージと マッチして、 多くの人々の共感を呼んでいるのだった。

彼女がこれだけのセンセーションになっているのは、 人々の視線を捉えるパフォーマンスに加えて、 彼女がアフリカ系アメリカ人として、白人至上主義状態が長く続いていたバレエの世界で、 トップの座に登りつめたこと。
ミスティ・コープランドは1982年9月10日生まれで、出身地は ミズーリ州のカンサス・シティ。 家は裕福に程遠い経済状態で、両親は彼女が2歳のときに離婚。 その後 母親と姉妹と カリフォルニアに移住した彼女は、マライア・キャリーのミュジック・ビデオを 見ながら踊ったり、オリンピック体操選手のナディア・コマネチを描いた映画を何度も観ながら育ったという。


やがて、13歳でバレエのレッスンを始めたものの、これは不合格通知にも書かれていた通りのスロー・スターター。 しかも彼女は筋肉質なアスリートのボディであっても、バレリーナのボディでは無く、 周囲は白人だらけで、第一線で活躍する黒人プリマは ほぼ皆無というハンディキャップだらけの状態。
しかし彼女は 週に5日バレエ・クラスに通い、普通のバレリーナが3年掛かる”En Pointe”、すなわち”つま先立ち”を 3ヶ月でマスター。そして2〜3年のトレーニングで、徐々にダンス・コンテストで優勝するようになり、 奨学金を貰ってバレエ・スクールに通い始めた彼女は、 18歳でABTのメンバーとなり、24歳にして ABT史上3人目のアフリカ系アメリカ人 女性ソリストになっているのだった。

そんな人種の壁、バレリーナに対する偏見の壁との戦いを強いられてきた彼女は、 プリンシパルに昇進した直後の記者会見で 「今まで何度も自分自身の能力を疑って、アフリカ系アメリカ人のバレリーナに未来があるのかも分からず、 止めたいと思ったことがある」と語っていたけれど、 その都度、ハングリー精神を掻き立てたのが 「自分が頑張って、次世代のアフリカ系アメリカ人のバレリーナの ための道を開かなければ」という使命感。 人種を始めとする、様々なハンディキャップを逆にモチベーションに替えて、 怪我を含む様々な壁を乗り越えるという不屈の強さで 成功を掴み取ったのがミスティ・コープランドなのだった。




ミスティ・コープランドがABTのプリンシパル・ダンサーに昇進した際には、彼女とコラボレーションをしたプリンスから、 ヒラリー・クリントンに至るまでが、お祝いのツイートをしていたけれど、 今や彼女がプリマを務めるABTのパフォーマンスは、彼女に対する観客の熱狂的な拍手が止まないために、 度々中断する有り様。
またパフォーマンスが終われば、楽屋出口には従来のバレリーナでは有り得なかったほどの 大勢のファンが押し寄せる大人気ぶりで、セキュリティが彼女を別の出口から出さなければならない様子も伝えられているのだった。

でも彼女の人気を支えているのは、従来のABTの観客とは全く異なるファン層。 前述のアンダーアーマーのCMビデオは、YouTubeで800万回以上視聴されたけれど、 この回数は、年間にバレエをシアターで観る世界中の総観客数、650万人を遥かに上回る数字なのだった。
そんなミスティ・コープランドが従来のバレリーナと最も異なる点は、 自らの意見や考えをはっきりと主張するところ。 バレリーナというものは、規律が厳しいバレエ・シアターに言論統制されていることもあって、 これまでは自己主張がミニマムであった存在。 しかしながら、ミスティ・コープランドは臆する事無く 自分の経験や、 考えを明確にしていることから、多くの人々が 彼女をバレエ界のスポークス・パーソンと見なしているのだった。

そんなミスティが自らのパフォーマンスや人生を通じて発信しているメッセージが、 「自分が好きなことは決して諦めず、トライし続ける」ということ。 彼女のインスピレーションは、バレエの世界に止まらず、 あらゆる人種の あらゆる分野の人々に強くアピールしているのだった。

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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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