July 13 〜 July 19 2009




” Recession-Proof Restaurant ”


今週のアメリカの大きなニュースの1つは、オバマ大統領が纏め上げた国民健康保険制度の1000ページにも渡るプランが発表されたこと。
もしこれがそのまま実現した場合、ニューヨーク市に暮らす年収1億5000万円以上のファミリーの 所得税率は、何と58.68%。すなわち年収のほぼ6割を税金で持っていかれるという壮絶な状態。
これが年収2800万円程度のシングルになると、その所得税率は40.44%、すなわち年収の4割が税金で差し引かれる計算。 でも、年収750万円程度の健康保険を持たない個人の場合だと、税率は現在とあまり変わらない35.48%であるという。
とは言っても同プランはリセッションに苦しむ小企業のオーナーには非常に厳しいもので、社員全員を 健康保険に加入させていないオーナーには 「ノー・ヘルスケア・タックス」 と呼ばれるペナルティが 8%も課税されることになっている。 なので、同プランに反対するメディアや共和党側では、「健康保険に社員を加入させる費用を捻出するために 小企業は 社員をレイオフしなければ ならなくなるだろう」 として、益々失業者が増えることを懸念しているのだった。
ちなみに、写真右のニューヨーク・ポスト紙のヘッドラインの57%のタックスというのは、ニューヨーク州に住んでいる人の税率。 ニューヨーク州の中でもさらに税金が高いニューヨーク市に暮らしている場合、これに加えて2%タックスがアップするのである。

そうかと思えば、今週はゴールドマン・サックス、J.P.モーガン・チェイスが相次いで、記録的な今四半期の増益を発表。 特にゴールドマン・サックスは 34億4000万ドル(約3242億円)の利益を計上し、既に今年の社員へのボーナスとして 114億ドル(1兆746億円)を確保しているという。
それが支給された場合、ゴールドマン・サックスの社員の平均ボーナスは、一般的なアメリカ人の年収の14倍に等しいと 言われていたりする。
この他、今週にはシティ・バンク、バンク・オブ・アメリカも 同様に増益を発表しているけれど、この2社の場合、増益にも関わらず 先行きが懸念されるのは、その収入源がクレジット・カード・フィーや、ローンで構成されているため。 というのもアメリカの景気はどんどん悪化する一方で、カードやローンの支払いが滞るケースが激増しているのである。 なので、今は支払いが遅れた人々の利率をどんどんアップさせて、それを収入に出来ても、 このまま失業率がアップし続けた場合、やがてそうした人々に完全に支払い能力が無くなるケースも見込まれる訳である。 このため、これら2行はゴールドマンとは異なり、利益を今後の不良債権に備えてプールしておくと言われているのだった。

では、こんなご時世にどうしてゴールドマン・サックスがリセッション以前のボーナスが支払えるような利益が上げられるかと言えば、 それは、同社がアメリカの国債の最大手のディーラーであるため。 特に、リーマン・ブラザースやベア・スターンズといったライバルが居なくなった今、アメリカの国債は ゴールドマン・サックスが 美味しい利益を独り占めできる金の成る木。 要するに、アメリカが借金をすればするほどゴールドマン・サックスが儲かるという方程式が成立している訳である。
稼ぐ前にお金を借りて 使ってしまうというのは、アメリカ国民が得意とするところであるけれど、 それはアメリカ政府とて同じこと。しかもオバマ政権になってからは、政府の出費は増える一方。 2009年にはその政府支出が$4トリリオン、すなわち4兆ドル(377兆円)に達すると言われ、 そのうちの3兆2500億ドルが借金によるもの。そして この借入額は2008年の4倍に当たる額。 したがって、ゴールドマン・サックスが 2009年の残りの四半期も 国債のディールで大儲けをするのは 既に分かりきった事実なのである。
そもそもこの政府支出が増えるきっかけとなったのが、現在の金融危機。 そしてAIG、ゴールドマン・サックスなどの 大手金融機関は国からのベイルアウト・マネーを受け取った訳だけれど、 その資金の使い道であったと言われるのがワ シントンの政治家に働きかけるロビーストを雇うこと。 そして体制を整えた後に、ベイル・アウトマネーをあっさり返して、ボロ儲け&破格のボーナスの復活というのが 今回のシナリオな訳である。
こんなゴールドマンの愛国心ゼロの大儲けを見ていると 銀行を1つでも国有化して、 そこで国債をディールさせるべきだったのでは?という考えも出てくるけれど、 オバマ大統領は演説とメディア受けで支持率だけは保っていても、ドラスティックな政策は決して打ち出せないのである。


ところで、こんな長引くリセッションの中では 適切なマーケティング戦略というものが 非常に大切になってくるけれど、 それを何十年にも渡ってキッチリ行って、業績を拡大してきたのがナイキ。 そのナイキもリセッションの影響で売上が落ちていることが伝えられているけれど、 同社のビジネスにとってショッキングなダメージと言えたのが、今週行われた全英オープン・ゴルフ。
全米オープン、全英オープン、マスターズ等、視聴率の高いゴルフ・トーナメントの場合、 ナイキでは、同社のNo.1 契約プロ、タイガー・ウッズが着用するウェアが予選ラウンド、決勝ラウンドの 計4日分、1年半前から決められており、ちょうどトーナメントが行われるタイミングに 店頭にタイガーが着用する ウェアが並ぶよう生産&流通のプランが組まれているという。
ところが、今回の全英オープンの場合、タイガーがプロ入り2度目の予選落ちに終わったため、 せっかくナイキが用意した 決勝ラウンド初日用の 肩から胸に掛けてブルーのストライプが入ったホワイトのポロシャツ&グレーのスラックス、 最終日用にコーディネートされた 織り柄が入った真っ赤なポロシャツにブラックのスラックスは日の目を見ることなく終わってしまったのだった。
タイガー・ウッズほどの人気が無いプレーヤーの場合、その時々に店頭に並ぶウェアをナイキ側が提供するようであるけれど、 こうした人気プロがTV中継で着用したウェアがベストセラーになるというのは、テニスやゴルフなど個人プレーのスポーツだからこそ。
特にタイガー・ウッズはハリス・ポールが行ったアンケート調査でも、「好きなスポーツ・スター」部門で1位に輝く人気を 誇るプレーヤー。(ちなみにこの トップ5は、2位のマイケル・ジョーダン、3位のル・ボン・ジェームス、4位のコビー・ブライアント、 5位のデレク・ジーター) なので、タイガーがラウンドすれば、ギャラリーやメディアが付いて回るだけでなく、 TVに映るエアタイムも最も長く、何位に終わろうと 必ずインタビューを受ける存在。 昨年、彼が怪我でトーナメントに出場できなかった時期は、ゴルフ中継の視聴率が30%も下がったほどなのである。
したがって、ナイキとしては1年半前から彼のウェアを準備する価値は十分ある訳だけれど、 まさか あのタイガーが予選落ちというのは、誰も予想しえなかった大誤算なのである。




さて、リセッションが続くせいで、誰もが模索しているといわれるのがリセッション・プルーフ、すなわち リセッションに関係なく流行ったり、儲かったりするもの。
今のニューヨークで、その最たる例となっているレストランが 今年3月にオープンした”Minetta Tavern / ミネッタ・タヴァーン”である。
同店は、ニューヨークで最もサクセスフルなレストランターの1人、キース・マクナリーの最新レストランで、 ウエスト・ヴィレッジに何十年も前からあったレストランを改装してリオープンさせたもの。(写真上、下段、右)
キース・マクナリーと言えば、バー・ラウンジ”プラウダ”(写真上、上段、左) 、ソーホーのフレンチ・ビストロ ”バルタザール”(写真上、上段、中央)、 ミートパッキング・ディストリクトの ”パスティス” (写真上、上段、右)、ローワー・イーストサイドのシラーズ・リカー・バー (写真上、下段、左)など、 移り変わりの激しいニューヨークのレストラン業界で、息の長い人気レストランを次々と手掛けている人物。 彼のコンセプトの中で、唯一あまり評価が高く無いのが、ミネッタ・タヴァーンの2年前にオープンしたウエスト・ヴィレッジのイタリアン・レストラン、 モランディ (写真上、下段、中央) であるけれど、それでも彼がレストランをオープンすれば ニューヨーカーがこぞって押し寄せるというのは今も変わらないフォーミュラ。
特にミネッタ・タヴァーンの場合、オープンから2ヶ月後には ニューヨーク・タイムズ紙のレストラン・クリティック、フランク・ブルーニが 久々の3つ星を付けたこともあり、以来1ヶ月先まで受け付ける同店の予約はパンク状態。 何時電話をしても5時半か、10時半の予約しか取れないことで有名なのが同店である。

私が最初に同店に行こうと試みたのは6月の半ば。予約の電話を入れてくれた友人がやはり、5時半か10時半しか空いていないというので、 アメリカン・エクスプレスのコンシアージュに電話をして、何とか捻じ込んでもらおうと試みたのである。
でも、アメリカン・エクスプレスは同店とはコネクションが無いのだそうで、全く無理が利かない状態。 そこで、アメックスのコンシアージュの提案に従って食事の日程を延ばして、1ヶ月先の予約をアメックスから入れてもらうことにしたのだった。
ところが 自信満々だったアメックスが取ってくれたのが、5時半と大して変わらない6時の予約。 私は予約が取れない場合に備えて、希望の時間を「6時半〜8時半」と指定しておいたのだけれど、 「15分はテーブルをホールドしてくれるので、6時15分にレストランに行けば、希望の時間帯と15分しか違わない」というのが アメックス側の言い訳。
さらにアメックスのコンシアージュによれば、同店は6時半〜10時まで予約を受け付けていないとのことで、 「その間はウォークイン(予約無しで来店すること)を受け付けている」 と店側は言っているものの、 実際にウォークインで同店に出かけた私の友人は 1時間半待ちを強いられて挫折。 別の友人は運良く(?)1時間待ちでテーブルに付けたというけれど、バー・エリアのテーブルで、ここの煩さと 慌しさは想像を絶するもの。
バー・エリアのテーブルも含めて僅か75席しかない同店の プライム・タイムのテーブルは、殆どがキース・マクナリーやその友人の コネクション、シェフのコネクション、キース・マクナリーの他のレストランの常連客のコネクション、セレブリティのコネクションなどで 埋まっているのが現状であるという。
オープンしてから4ヶ月以上が経過しているのに、同店の予約を取るのは益々難しくなるばかりというから、 まさにリセッション・プルーフである。

では、同店の何がそんなに特別なのかと言えば、キース・マクナリーのレストランが好きなニューヨーカーなら 誰もが簡単に理解できるところだけれど、彼がクリエイトする独特の空間がとても居心地が良く、そこに訪れる客層も良いためで、 例えばパスティスなどは 私自身、1度も美味しいと 思って食事をしたことは無いけれど、もう何度も足を運んでいるレストラン。
個人的に キース・マクナリーのレストランの中では、これまではバルタザールが一番好きだったけれど、 やはり予約が取り難いので、もっぱら平日のブレックファストや深夜のデザート&ワインに利用してきたのが同店。
ちなみに、1997年にオープンしたこのバルタザールは約3億円を掛けて改装したフレンチ・ビストロであるけれど、 オープン当初に同店のシェフとして引き抜かれたのがニューヨークの4つ星レストラン、ダニエルの2人のスーシェフ。 キース・マクナリーが 彼らにオファーした給与に見合う額を ダニエルが支払いきれなかったために 優秀なスーシェフを2人失ったという話を 当時ダニエルの友人から聞いたけれど、 オープン直後のバルタザールも、今のミネッタ・タバーンと全く同じように、全く予約が取れないことで知られる存在で、 私が同店を訪れたのも そのダニエルの友人が シェフに頼んでテーブルを確保してくれたお陰なのだった。
バルタザールは、今も1週間に4000万円を売り上げるドル箱レストランで、 キャパシティが大きいにも関わらず、空いているテーブルを見るのは朝食の時くらいなのである。

ここでキース・マクナリーについてちょっと説明しておくと、彼はイギリス人で、70年代にフィルム・メーカーになるのを 夢見てニューヨークにやって来た人物 (写真右)。今年で58歳である。
でもフィルム・メーカーの道が閉ざされた彼は、アッパー・イーストサイドに今もある人気レストラン、”セレンディピティ 3” の バスボーイ(ウェイターの下の職業)としてレストラン・キャリアをスタート。 その後、今はマリオ・バターリのピッツァ・レストラン、”オット”になってしまった場所に長く君臨した ” ワン・フィフス ” というレストランでメートルディーを務め、1980年に兄で同じくレストランターのブライアン・マクナリー、 後に離婚することになる妻のリン・ウェイジェンネックと共に トライベッカのレストラン ”オデオン” をオープン。
同店は今も人気のレストランであるけれど、当時も オープン当初からセレブリティがこぞって訪れる 大人気ぶりで、これで勢いをつけたマクナリー夫妻は、アッパー・ウエストサイドに”カフェ・リュクセンブール”をオープン。 また14丁目西側の伝説のクラブ ”ネルズ” のパートナーになるなど、 飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大を続けたのだった。
その後 夫妻は、87年に 3人の子供を連れてフランスへ移住。この時のフランス生活で キース・マクナリーはバルタザールやパスティスといった フレンチ・ビストロの コンセプトを得たと言われているのだった。

やがてアメリカに戻って夫妻は離婚。 キース・マクナリーは 彼のドル箱レストラン、オデオンとカフェ・リュクセンブールを夫人に明け渡すことになり、 再びニューヨークでやり直すことになってしまうのだった。
彼がその再出発の第一弾として96年に オープンしたのが プラウダ、そして翌年がバルタザール、2年後の99年に パスティスをオープン。それから少し間が開いて2003年にシラーズ・リカー・バー、2007年にモランディをオープンというのが 彼のレストラン・オープン歴であるけれど、今回のミネッタ・タヴァーンのメガ人気ぶりは、 バルタザール オープン以来の かなりのセンセーションになっているのだった。



ミネッタ・タヴァーンが人々の興味をそそっている理由の1つは、先述のようにニューヨーク・タイムズのフランク・ブルーニが 久々の3つ星を付けただけでなく、多くのメディアが絶賛し、口コミでも大評判となっている同店のフード。
中でもステーキと、26ドルのバーガーは大人気。メニューには16ドルのミネッタ・バーガーもあるけれど、 お金をケチらない方が美味しい思いが出来るようである。ちなみにこのバーガーはオーダーすればチーズも乗せてくれるけれど、 店側ではチーズ無しを薦めているようである。
私がミネッタで食べたのは、まずアペタイザーがローステッド・ボーン・マロー。これも同店の名物で、 写真上のステーキの横にある巨大な骨がボーン・マロー。これが2本乗ったお皿に、 シャロット・コンフィが添えられ、別のお皿で出される カリカリに焼いたバゲット・ソルジャーに これらを乗せて食べるもの。
ボーン・マローというと木の切り株みたいな形をした骨の中にちょっとだけ、脂っぽいボーン・マローが入っているというイメージがあるけれど、 同店のものは巨大な長い骨の中にプルプルしたボーンマローがギッシリ詰まっていて、これが甘辛いシャロット・コンフィと絶妙のコンビネーション。
私のディナー・コンパニオンはラム、ヴィール、ビーフの3種類のタルタル・ステーキの盛り合わせをオーダーしたけれど、 こちらも肉に臭みが無くて、スパイスがあっさり効いた美味しいものだった。
メインは、ステーキと心に決めて出かけたけれど、ボーン・マローのボリュームを考慮したのと、 この日のスペシャルであるダックがウエイトレス嬢の一押しだったので、いつ来店してもオーダーできるステーキはまたの機会にして、 ダックをオーダー。
すると このダックが塩加減と言い、火の通り加減と言い、芸術的で、その上に大きなソテー・ド・フォアグラが乗っているという とても贅沢なディッシュ。 付け合せはケール&モレル・マッシュルームのソテー、サマー・ピーチのソテー、ルート・ヴェジタブルのピューレであったけれど、 ケールの苦味、ピーチの甘み、ピューレの淡白な味わいが ダックとフォアグラの味わいを存分に引き立てていて、 素晴らしくバランスが取れた一皿に仕上がっていたのだった。
私のディナー・コンパニオンは1人はロースト・チキン、もう1人はパスタをオーダーしていたけれど、ロースト・チキンはスキンがパリパリ、 パスタはパンチェッタとバター、ガーリックでソテーしたフィットチーネに目玉焼きが乗っていて、それを崩しながら食べるもの。 こちらも味見させてもらったところ かなり美味しくて、 料理には本当に大満足という感じなのだった。

その時点で かなりお腹が一杯になっていたので、デザートは2つを3人でシェア。 お目当てのケーキが既にソールドアウトだったので、ポット・ドゥ・クレームとスフレをオーダーしたけれど、 良く考えてみればスフレは2人分だったので、3人分デザートをオーダーしたのと同じこと。
ポット・ドゥ・クレームはヴァニラ、チョコレート、へーゼル・ナッツの3種類の濃厚なクリームが 小さな容器に入ってサーブされるもの。
スフレは、中央に穴を開けて ソースを流し込むトラディショナルなタイプではなく、 そのままお皿に取り分けて2人でシェアするスタイル。 中まできれいに火が通っていたけれど、スフレの外側がレミキン(容器)にベッタリくっついていて、 カリカリし過ぎていた点は、スフレとしてはちょっとガッカリ。 別物と思えば 腹は立たないけれど、個人的にはミッドタウンのフレンチ・レストラン、ル・グルノイユで出されているような 本格的なスフレが好みなので、次回は別のデザートをオーダーすると思うのだった。
でも、スフレを食べつけていないアメリカ人には、特にグラン・マルニエのスフレがかなり評判が良いのもまた事実。 さらに、デザート同様の大切な締めくくりがコーヒーであるけれど、同店のコーヒーはアメリカのレストランの中では かなり美味しい方だと思って味わっていたのだった。

ところで、同店を訪れる際に ネット上のレビューをかなり読んだけれど、賛否両論になっていたのがサービス。
中には、特定のウェイトレスを名指しで批判するレビューまであって、サービスについては少々不安を抱きながら 来店したのだけれど、実際にはあまりにサービスが優秀なので 感心してしまうことになったのだった。
さほど広く無い店内の上に、テーブルの間隔が狭く、それでいてお皿は かなり巨大なので、 ここのウエイト・スタッフはかなり大変だと思うけれど、それでも彼らはとてもフレンドリーだし、 途中で席を立って戻ってくると、椅子の上に置いておいたナプキンがきれいにたたんでテーブルの上に置かれているという 一流レストランでは当たり前だけれど、カジュアルなレストランではあまり見られない心遣いもしてくれたりする。 ボトルで頼んだワインも、少しずつ 注ぎに来てくれて、ガバガバ注いで、直ぐにボトルを片付けるようなことも無し。 また、デザートの前にはテーブルクロスの上に敷かれたペーパーを取替えに来てくれるのも嬉しい部分。
さらにボーン・マローに大満足した私が、お皿を下げに来たウェイターに 「This was fantastic!」 と言ったところ、 「Thank you!、早速シェフに伝えます」 といったリアクションが返って来る。 もちろん、本当にシェフに伝えるかなどは定かではないけれど、褒め甲斐のあるリアクションをしてくれるところに プロっぽさを感じてしまったのだった。
こうしたことに止まらず、全般的に 細かい所までいろいろ気配りをしてくれるので、 食事の流れがスムースで、全てをとても楽しく味わえたのは優秀なサービスがあってからこそ。 なので、支払いの際には 思わずチップをはずんでしまうことになってしまったのだった。

という訳で、 大満足のミネッタ・タヴァーンだったけれど、 個人的にサプライズだったのは、キース・マクナリー本人が私達のテーブルにワインを持ってやって来たこと。
彼が毎日のようにレストランに出ているのは記事やブログで読んで知っていたけれど、 まさかオーナーがワインを開けてサーブしてくれるとは思っていなかったのと、私が最後にキース・マクナリー本人を見たのは バルタザールのオープン直後だから、既に12年前。 なので、家に戻って彼の最新の写真を検索するまで確証が持てなかったのだけれど、 確かにワインを持ってきて、テイスティングさせてくれたのはキース・マクナリーだったのである。
私も失礼なほど彼の顔をマジマジ眺めてしまったけれど、それが気になったのか、 彼はワインのホイルをきれいにカットできなくて、「もしソムリエだとしたら、かなりワインの開け方が下手だなぁ・・・」 と思っていたけれど、 テイスティングのためにグラスにワインを注いでくれる際も、テーブル・ペーパーの上に7滴くらいワインを こぼしてくれたのだった。
彼曰く、私がこの日選んだシラーは 「シラーが好きな人だったら良いワインだよ」 とのことで、「シラーは好みがあるブドウだから」などと 言いながら 全員にワインを注いでくれたけれど、最後に テーブル・ペーパーを ワインのシミで 汚したのを恐縮して、指でこぼれたワインを掬い取って、その指を彼の額に当てながら 「It's good luck!」 と ニッコリ笑って 去っていったのだった。
「なかなかチャーミングな事をしてくれるなぁ・・・」と思ったけれど、 リセッション・プルーフのキース・マクナリーに 「It's good luck!」 と言われたのは プライスレスな喜び!
そんな部分も手伝って、帰る時には 「また来たい!」と思ったのがミネッタ・タバーンであるけれど、後で聞いたところによれば、 今週だけで同店にはチェルシー・クリントン、映画「ブルーノ」、「ボーラット」でお馴染みのサーシャ・バロン・コーエン、 デザイナーのダイアン・フォン・ファーステンバーグなどが訪れていたとのこと。 私が見渡した感じでは客層は、若い層と熟年層のミックス。キャピキャピしたタイプは居なくて、 アーティストっぽい人々のテーブル、一目で金融と分かる男性5〜6人のグループなど、 業種的にも様々なミックスが見られていたのだった。

食事が終わってレストランから出てくると、既に9時を回っているとあって 店の外にはバウンサー(ドアマン)が居て、 何人もの人が外で待っていたのにはビックリしてしまったけれど、 同店のディナーのラスト・オーダーは午前零時。その後キッチンは2時までサパー・メニューをサーブすることになっているので、 ちょっとしたクラブ感覚なのである。
ニューヨーカーは、良い客層が集まるところに行きたがるだけに、 ミネッタ・タヴァーンのフィーバーはまだまだ続きそうな気配。
ちなみに、レストランが最も混み合うのは水曜と木曜なので、ウォークインでトライする場合、この2日は外すことをお薦めします。

Minetta Tavern
113 MacDougal St., Greenwich Village
Tel: 212-475-3850







Catch of the Week No. 2 July : 7 月 第 2 週


Catch of the Week No. 1 July : 7 月 第 1 週


Catch of the Week No. 4 June : 6 月 第 4 週


Catch of the Week No. 3 June : 6 月 第 3 週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。





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