Aug. 7 〜 Aug. 15 2005




Luxury or Waste of Money



3週間前のこのコーナーの 「1日100ドル、21日間で肌は若返るか? 」で、 ラ・メールの2100ドルのスキンケア、「ジ・エッセンス」を購入したことを書いたところ、 一部の友人は そのあまりの高さと、それを支払った私に呆れていたけれど、 この「ジ・エッセンス」に止まらず、世の中にはとてつもなく高額なプロダクトがいくらでも存在しているものである。
例えば、昨日雑誌の整理をしていて見つけたのが、写真右、ヴォーグの6月号に掲載されていたニナ・リッチのブラで、 お値段は925ドル、日本円ならば10万円を越すお値段である。 繊細で美しいローズ・カラーのレースにヴェルヴェットのリボンをあしらったブラは、ドライクリーニング・オンリーであるから、 購入してからもお金が掛かる代物であるけれど、この他にも同じくヴォーグ6月号には、 ニコラス・ゲスキエールがデザインしたバレンシアガのスウェードとラインストーンのスティレット・サンダル、2240ドル(日本円にして約24万6000円)が 掲載されていた。
シューズに関していうならば、昨今は価格が天井知らずに跳ね上がっているので、1万ドル(日本円にして110万円)のブーツ、 4000ドル(44万円)のイヴニング・サンダルなどと聞いても、驚きはしなくなってきたけれど、 こうした物品に対して大金を支払うというのは、それがたとえ無用の長物となろうが、実際に使用してボロボロになろうが、 形として残るものである。また、「ジ・エッセンス」やその他の高額なビューティー・トリートメントにしても、それがもたらす何らかの効果と引き換えに、 買う側は 多額のお金を払っている訳である。

そう考えると、時に空しく思えるのが、食事に対して支払った大金である。
私は食べ物に関して払うお金については、「当たる時もあれば、外れる時もある」 ギャンブルのようなものだと考えるようにしていて、 例えば、フルーツを買ったとすれば、甘くて美味しい時もあれば、酸っぱくて食べられない時もあるし、 どんなに評判の良いレストランに出掛けても、シェフとて人の子であるから、塩加減、焼き加減が常に完璧とは言えないし、 食材に恵まれないがために メニューのバラエティや料理の鮮度に満足出来ないケースも出てくるのである。 さらに、ウェイト・スタッフのオペレーションが悪く、気分を害してしまえば、味覚が鈍って、どんなに美味しい食事も 100%満喫できないことになる訳で、アペタイザー、メイン、デザートの3コース・ディナーを味わって、 全品が美味しく、ワインのチョイスやサービスも良く、しかも価格もそれに見合っていて、大満足!などという思いは、 1年に2〜3回あればラッキーな方だとさえ思っているのである。
だからランチでも、ディナーでも、1度お金を払ったら、それほど後悔はしない方ではあるけれど、 今年1月に、ちょっぴり複雑な気分にさせられたのが、今、マンハッタンで最も予約が取り難いラグジュアリアス・レストランで、 タイム・ワーナー・センター内にある「パー・セ」でのランチだった。 この時は、総勢5人でダイニング・ルームの奥にある個室を使わせてもらい、10コースのテイスティング・メニューを食することになったけれど、 シャンペンをアペリティフに、ワインをレッドとホワイト、それぞれ1本ずつをオーダーし、タックス、チップを入れた1人頭の金額が340ドル(日本円で約3万7400円)。 私がこれまでの生涯で食べたランチの中で最高額となってしまったのだった。
でもサービスは、フレンドリーで とても良かったのに加えて、出てきた料理も2〜3品を除いては美味しかったし、 何よりそう簡単に予約が取れない話題のレストランであったこと、そして同レストランはランチもディナーも同じテイスティング・メニューを出すので、 ディナーに匹敵するランチだと思えば、食事の後、340ドルを支払うことには それほど抵抗は感じなかったのは事実である。
ところが、時間が経つに連れて 疑問に思えてきたのが、生涯で一番高額だったランチ・コースで覚えている料理というのが、 臭くて食べられなかったウサギの肉のソーセージと、美味しかったけれどキャビアがちょっぴりしか乗っていないリゾット、 「チョイスを失敗した!」と思いながら食べていた肉料理くらいなもので、 後はあっさり忘れ去ってしまう程度のアヴェレージな料理だったということ。だから、340ドルというお金をそんなランチに支払ったことに対して、 徐々に空しい気持ちの方が強くなってきてしまったのである。

しかしながら、そんな私の空しさ、そして生涯最高ランチ金額の記録は、6月のパリ旅行の際にあっさり書き替えられてしまうことになった。
この空しさと、記録を同時に塗り替えてくれたのが、プラザ・アテネ内にあるミシュラン3つ星レストラン、アラン・デュカス(写真左)でのランチである。
この時、私と同行者がオーダーしたのは、ランゴスティン、ロブスター等、エビ類をそれぞれ用いた3コースにチキン料理が1品、 デザート2品の計6コースのランチで、これにアペリティフのシャンペンをそれぞれオーダーし、同行者はあまりアルコールを飲まないので、 私だけがコースに合わせたホワイト・ワインをソムリエに選んでもらったけれど、そのワインは料理に全く合わず、1口飲んだ後に 取り替えてもらうことになったほどだった。すなわちソムリエにセンスが無いか、もしくはソムリエが料理の味を理解していないか、ということになるけれど、 いずれにしても3つ星レストランのソムリエにしては、あまりレベルが高いとは言えないというのが私の印象だった。
そもそもアラン・デュカスにランチで出掛けることにしたのは、ディナーだと高いと思ったのに加えて、ディナーの予約が取れなかったからであるけれど、 行ってみると、レストランは私達を含めてテーブルが4つしか埋まっておらず、言わばガラガラ。 ダイニング・ルーム自体は、シャンデリアがキラキラして、ウィンドウ・ウォールからは 薄いカーテンを通して、プラザ・アテネのトレードマークとも言える 中庭と、庭に面した窓に取り付けられた真っ赤なカノピーが 一望出来て、作りとしては悪くはなかったけれど、 ウェイト・スタッフが客数を上回る店内は、活気が無く、シーンとしていて、空気が死んでいるという感じだった。
そして出てきた料理は、2品はそこそこに美味しいものの、1品は塩辛く、チキンはかなり硬く焼き上がっていて、 3つ星レストランのクリエイティビティや、格調が感じられるような料理とは言い難いもの。 しかも、チキンのソースは、その前に出てきたロブスターのソースと味が若干似通っていた。
チーズ・カートはお腹が一杯なのでパスしたけれど、その後出てきたデザートも まぁまぁという程度。 コーヒーと一緒に出てきたマカロンは美味しかったけれど、 デュカス名物の食後に登場するキャンディ・カートは、ホームメイド・キャラメルとヌガーだけが並ぶ手抜きぶりで、 これにも またガッカリしてしまった。
すなわち、私と同行者はフランス料理の最高峰だと思って訪れたアラン・デュカスで、大失望をしてしまった訳であるけれど、 その失望に拍車を掛けてくれたのが、2人で683ユーロというお値段。この時は私が2人分をカードで支払ったので、 その請求が7月末になって私の手元に届いたけれど、ドルに直すと860ドル、すなわち1人430ドル(約4万7300円)のランチに換算されていたので、 改めて驚くと同時に、空しい気持ちになってしまったのである。
このランチは、430ドルというお値段も新記録であれば、私にとって、「これまでの生涯で食事に対して支払った最も空虚な大金」という意味でも 記録というか、悪い意味での金字塔のような存在になってしまったのである。

今年1月のパー・セのランチの空しさは、時間の経過と共にジワジワ押し寄せてきたことは先述の通りであるけれど、 アラン・デュカスの場合、その後悔は クレジット・カードのサインをする段階で、既に押し寄せてきており、 その後、もう1つの3つ星レストラン、タイユヴァンに出掛けても、その料理や価格を比べて、「やっぱりデュカスは高すぎる!」と再認識することになってしまった。
でも、そんな後悔を最高潮に盛り上げてくれたのは、以前、このコーナーで少し触れた、2つ星レストラン、ル・ムーリスで味わったディナーだった。 出てくる料理が全て美味しく、サービスも完璧で、しかもお値段はディナーでありながら、デュカスのランチの半額で、 コースの途中で話しかけてきたウェイターに思わず、「ここで食事をしていると、アラン・デュカスのランチに680ユーロも払った自分達が馬鹿に思えてきて・・・」 と言ってしまったけれど、これは本音以外の何物でもない、後悔の念の表現だったのである。


さて、誰にとっても「忘れられないほど美味しい物」というのがいくつか存在するものだけれど、それは必ずしも値段の高いものではなかったりする。 食べたい時に、食べたい物が、超新鮮な状態、旬のコンディション、最高の調理で出てくると、もう それは至福の喜びとなって脳裏に刻み込まれてしまうわけで、 その時の味、 それを食べている時の幸福感というのは、牛やラクダが食べた物を反芻するがごとく、鮮明な記憶となって呼び起こされるものである。
そして、そういう物に対してであれば、「ある程度の出費は惜しまない」と考える人は多いけれど、 私にとって、忘れられないディナーであり、生涯で最も高額なディナーというのが、奇しくもアラン・デュカス、 それもニューヨークに進出したての2000年に、セントラル・パーク・サウスのエセックス・ハウス内のアラン・デュカスで味わったものなのである。
オープン当時のニューヨークのアラン・デュカスは、そのお値段の高さもさることながら、肉のナイフを20種類も出してきて、客に選ばせようとしたり、 クレジット・カードのサインをするためのボールペンもティファニー、カルチェ等7種類も出してきて、やはり客に選ばせようとするなど、 来店客にチョイスを与え過ぎることが混乱を招き、同店を訪れたニューヨーカーからは「一番良いのを選んで持って来い!」などと非難されていたけれど、 私が出掛けた時は、店側もそのやり方を改めた直後で、ナイフもボールペンも1本しか出てこなくなった時期であった。

私はアペタイザーにフォアグラのソテー、そしてメインにチキンのホワイト・トリュフ・ソースをオーダーしたけれど、 このチキンというのは、白いお皿の上に、うっすらピンクがかったチキン、クリーム・ソース、削り節のようにたっぷりかかったホワイト・トリュフだけの 見た目には何のインパクトも、 美しさもない料理で、これを見た私のディナー・コンパニオンは「どうしてそんな不味そうなものをオーダーしたの?」と 訊いて来たほどだった。
ところが味わってみると、チキンは 一体どうやって火を通したのか分からないほどトロンと柔らかく、まるで鳥刺のようで、 そのテクスチャーも抜群ならば、ソースの味、トリュフの風味がそれに絶妙のマッチで、私は思わず「今まで食べた鳥料理の中で、これが一番美味しい!」 と言ってしまったけれど、それは5年経った今でも変わらぬ事実である。
この時は、チーズ・カートからチーズを3種類取り、デザートにスフレをオーダーしたけれど、 その他に洋ナシのタルトやカヌレ等が乗ったペストリーのカートが来て、その次にキャラメルやロリー・ポップ、ゼリーやヌガーを乗せたキャンディ・カートが来て、 既に満腹状態にも関わらず、攻撃的なほどにスウィーツを薦められることになった。 でも、人間の胃袋には限度があるわけで、いくら見た目に美味しそうでも、満腹の時には食欲は湧かず、 その殆どをパスすることになってしまったけれど、お陰で、この直後は暫く、お腹が空く度に、「あの時デュカスで、もっと食べておけば良かった!」と 後悔したほどである。

この時のディナーは、たまたま私のバースデーだったので、ディナー・コンパニオンが支払ってくれたけれど、タックス&チップ込みで600ドル以上というお値段。 当時は、「600ドルだったら、ダニエルのディナーとマノーロ・ブラーニック1足(当時マノーロは、殆どのスタイルが400ドル代で買えた!)でも良かったかも・・・」 という考えが頭をよぎったけれど、今では あのチキンとホワイト・トリュフの料理を思い出すにつけて、 「やっぱり あの時、アラン・デュカスでディナーが出来て良かった!」と、心から思っているのである。
今回のパリ旅行で私がアラン・デュカスに失望した理由の1つには、パリは本店であるから、ニューヨークで味わった以上の経験が出来るだろうと 期待していたこともあったけれど、今ではニューヨークのアラン・デュカスも ニューヨーク・タイムズのレビューで3つ星に降格 (NYタイムズでは4つ星が最高である)され、銀座にオープンしたベージュや、パリのスプーン等も評価が振るわないことを考えると、 あのニューヨークでのディナーは、アラン・デュカスというレストランの力量のピークを垣間見ることが出来たという意味でも、 意義深い経験だったと私は考えていたりするのである。

さて、話を「ジ・エッセンス」に戻すと、ショッピングのお客様からも、このセクションの読者の方からも、「ジ・エッセンス」の効果のレポートを 心待ちにして下さっているというメッセージを頂いているけれど、 この夏ニューヨークは、酷い猛暑で、エクササイズをした日などは、1日4回シャワーを浴びるような状態で、 2100ドルのスキンケアも、汗かシャワーで流れてしまうかと思い、涼しくなるまで使用を見送ることにしました。
なので、ご報告が出来るのは恐らく、9月末か10月初旬になる予定です。





Catch of the Week No.1 Aug. : 8月 第1週


Catch of the Week No.5 July : 7月 第5週


Catch of the Week No.4 July : 7月 第4週


Catch of the Week No.3 July : 7月 第3週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。