Aug. 14 〜 Aug, 20




Did He? Or Didn't He?





アメリカで水曜のナイト・ニュースで大々的に報道されたのが、1996年のクリスマスにコロラドで起こったチャイルド・ビューティー・クイーン、 ジョンべネ・ラムジー殺害事件の容疑者拘束のニュースである。
容疑者の41歳の教師、ジョン・マーク・カーが逮捕されたのはタイのバンコックで、彼は現地での記者会見で、ジョンベネ死亡時に 彼女と一緒に居たこと、殺意はなく、彼女の死は事故であったことを つらつらと語っていたのだった。 この日のメディアは、事件から10年後にようやく犯人が捕まったとばかりに、主要ネットワークがそれぞれ35分のニュース番組中、 20分以上の時間を割いて、カー容疑者逮捕を報じていたけれど、この報道を見ていた私を始め、少なくとも一部のアメリカ人の多くにとって、 「カー容疑者真犯人説」というのは、疑心暗鬼で受け止められたのが実際のところであった。

1996年と言えば、CUBE New Yorkがスタートした年であり、私自身、この事件のことをCUBE New Yorkの記事に書こうと思っていたので 当時の新聞記事はかなり しっかり読んでおり、同事件については よく憶えているけれど、 私に限らず、事件についての記憶が鮮明であればあるほど、 ジョンベネ殺害が、友人でも 家族でもない、全くの赤の他人の単独犯行とは とても思えないものだったのである。
こうした事件の詳細を覚えている人々にとっては、今でも容疑者の最有力として疑わざるを得ないのが、 ジョンベネの両親、ジョン&パッツィー・ラムジー夫妻である。
ジョンベネの頭部を殴打したと見られる懐中電灯はラムジー家のもので、ラムジー宅のキッチンで発見されているし、 ジョンベネ誘拐の身代金を要求するレターは、ラムジー家の便箋を使用して、パッツィー夫人のペンで書かれたもので、 その筆跡は、パッツィー夫人の利き腕側でない手で書かれたものに非常に近かったと指摘されたほか、身代金の金額は、 ジョン・ラムジー氏が受け取ったボーナスと同額であったと言われている。
またジョンベネの死体を自宅の地下室で発見したラムジー氏は、通常ならば犯人逮捕のために、現場をそのままにして警察に通報すべきところを、 遺体を抱いて1階のリビング・ルームに上がり、クリスマス・ツリーの下に横たえ、通報を受けてやってきたコロラド警察とともに、 家の中の物的証拠を殆ど台無しにしてしまうという失態、もしくは証拠隠滅を演じているのである。
さらに、メディアからの注目を浴びたラムジー夫妻、ことに自らが「ミス・アメリカになる夢を持っていた」というパッツィー夫人の態度は、 子供を殺された親というよりは、悲劇のヒロインを演じて楽しんでいるような様子で、彼女のコメントや振る舞いは、 後に夫妻が容疑者としてバッシングを受けるきっかけを作ったものである。 加えて夫妻は、事件から3ヶ月後まで取り調べに応じようとはせず、この非協力的な姿は、尋問を受けた際に 口裏を合わせるリハーサルを行う時間稼ぎとも言われたのだった。
これほどに世の中から疑われながらも、ラムジー夫妻が訴追されずに終わったのは、 1つにはコロラドという平和で、殺人事件など滅多に起こらない土地の警察のずさんな捜査と、 土地の名士であったラムジー夫妻に対する警察側の特別待遇が原因であったことは、当時盛んに報道されていたことである。

このジョンベネ・ラムジー殺害事件は、未解決ということもあり、事件から5年、6年が経過してからも、書物が出版されたり、 ドキュメンタリーや同事件をモデルにしたドラマが制作される一方で、タブロイド誌が「新たに浮上した事件解明の鍵」等を頻繁に記事にするなど、 社会から忘れ去られたことはなく、今回のカー容疑者の身柄拘束がこれだけ大々的に報じられたのも、 事件に対するアメリカ国民の関心の高さを如実に示しているものである。
アメリカでは、カー容疑者の存在が大々的にメディアに報じられた今でも、メディアに寄せられる一般の人々の声や、 インターネット上のブログなどでは、カー容疑者の異常性は認めながらも、その異常さが故に、彼が単に自分を犯人だと思い込みたいだけの、 「ジョンベネ・オブセスト(ジョンベネの強迫観念にとらわれている)」という声も多く、 「ラムジー夫妻がこの事件に、少なくとも何らかの形で関わっていたと思う」というラムジー夫妻犯人説は未だ有力である。
こうした状況になるのも、カー容疑者を拘束に至った決定的な証拠が警察側から発表されていないことに加え、 彼の自供が 事実とは異なることが報道されているためで、冬休みでクローズしているはずの学校からジョンベネを誘拐したとか、 「ジョンベネに薬物を投与した」などと 検死結果とは異なる事実を語っている他、彼の前妻が証言する彼のアリバイ、 さらに彼の筆跡が身代金要求のレターとは一致しないこと等、カー容疑者を真犯人とは考え難い事実が次々と浮上しているのである。
その一方で、カー容疑者拘束のきっかけになったと言われるのが、ジョンベネのドキュメンタリーを制作したコロラドの大学教授と カー容疑者のEメールの交信記録で、そこには 確かにジョンベネとその殺害事件に固執し、メディアというメディアの記事を調べ上げている 彼の様子が現れているのは事実である。しかしながら 世の中には、例えば「自分はブラッド・ピットと婚約していたことがある」などと セレブリティへの思い入れが嵩じて、イマジネーションと現実の区別が付かなくなっている偏執狂的人々が存在するのは 改めて説明するまでもないこと。 したがって このEメールで逮捕に至る理由を説明するのは あまりに弱く、 DNA鑑定結果など、もっと決定的な証拠の提示が待たれているのが 現状である。

でもアメリカのメディアは、既にカー容疑者の過去を洗い上げており、その普通とは言い難いプロフィールを明らかにしている。
これによれば、カー容疑者は1964年12月11日生まれ。18歳の時点で13歳の少女と結婚し、9ヵ月後に結婚を解消され、 その後25歳の時点で16歳の少女と2度目の結婚をするなど、少女を好んでいたこと、 2001年にチャイルド・ポルノグラフィー所持で逮捕された前科があることは、 彼を犯人のプロファイルに結び付けたい警察側の格好のネタとなっている。
彼が教師として働き始めたのは2000年からであるけれど、短い時は1週間、長くても1年ほどで解雇されるのが常で、 やがて彼は、オランダ、韓国、ドイツなどの海外で英語の教師、家庭教師として働いている。 しかし、職場が長続きしないのは、海外でも同様だったようで、 2005年にはホンデュラスの学校を2週間でクビになっており、身柄を拘束されたバンコックでも 良家の子女が通うプライベート・スクールで 英語教師を始めたものの、生徒からの苦情で1週間でクビになっていたこともレポートされている。

ところで アメリカでは、チャイルド・アビューサー(幼児虐待者)は、ボーイスカウトのチーフ、学校教師、牧師など、子供と深く関わる 仕事をしている場合が少なくないけれど、そのバック・グラウンドは往々にして、自らが虐待経験者で、両親が離婚していたり、 片親が死別しているなどして、片親に育てられていたり、両親以外に育てられている場合が非常に多いという。
少女を虐待するのは、少年時代に母親と歪んだ関係にあった場合が多いと言われ、例えば母親からの束縛やコントロールが過度に強かった場合、 自分より圧倒的に弱く、無抵抗で 言いなりになる女性(=少女)をその反動で求め、コントロールしたがる傾向が強いという。
そこで気になるのが カー容疑者のバック・グラウンドであるけれど、 彼の母親は、彼が小学校2年の時点で交通事故で死亡しており、父親は仕事に忙しく、カー容疑者と兄の2人の息子をかまう時間は 殆ど無かったという。カー容疑者が12歳、兄のマイクが17歳の時に、2人は祖父母の家に移されたというけれど、 2人のティーンエイジャーを育てるには祖父母は年を取り過ぎていたと親類は語っている。
カー容疑者と父親の関係は、さほど上手くいっていなかったようで、母親はカー容疑者を出産してからうつ病になり、 メンタル・クリニック入りをしていたとのことで、カー容疑者は、コロラドの大学教授へのEメールの中で、 「母親は自分のことを女の子として育てようとしていた」と語っていたという。

ジョンベネ殺害事件の犯人を挙げて、長年の汚名を覆したいコロラド警察と、 ジョンベネ殺害犯人になりたいカー容疑者は、言ってみれば相思相愛のような関係であるけれど、 カー容疑者がジョンベネ殺害の真犯人であったとしても、なかったとしても、 1つ言えるのは、親の存在が子供の人生に様々な形で大きな影響を与えているということ。
ジョンベネにしても、6歳の娘にあんなに濃いメークをしてビューティー・ページェントに出させるような両親に育てられていなかったら、 性的虐待と暴力を受けて殺害されるという悲惨な形で 短い生涯を終えることは無かったかもしれないのである。



Catch of the Week No.2 Aug. : 8月 第2週


Catch of the Week No.1 Aug. : 8月 第1週


Catch of the Week No.5 July : 7月 第5週


Catch of the Week No.4 July : 7月 第4週






執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。