Aug. 9 〜 Aug. 15 2010




” Self Searching = Marketing Trap ”


今週のアメリカで 最も大きく報じられていたのが、ジェット・ブルーのフライト・アテンダントのスティーブン・スレーター。(写真右)
彼が瞬く間に、全米で知られるようになった事件は、先週のピッツバーグ発、ニューヨーク行きのジェット・ブルー1052便がJFK空港に到着した直後に起こったという。 スレーターは、飛行機が停止する前に 荷物をコンパートメントから取り出そうとした女性を止めようとしたところ、 荷物が落ちてきて彼の額を直撃。加えてこの女性になじられたスレーターは、 ビールを2缶飲み干し、機内放送用マイクで 放送禁止用語(Fワード)を連発しながら 乗客を無作法だとなじり、 その後、緊急脱出用のスライド(滑り台)をアクティベートして、そこから1人で脱出していなくなってしまったというのが 当初報じられた ”スレーター側の言い分をもとにした事件の内容 ”。
スレーターはその後、警察に逮捕され、日本円にして約22万円ほどを支払って保釈されているけれど、 彼の行動は 日ごろから 無礼な客の振る舞いにウンザリしていたサービス業に従事する人々から 多大な支持を獲得。 フェイスブック上には、彼を支持するファンページが複数登場し、何と1万3000人もの人々が彼をサポートしていることが伝えられたのだった。
ところが 週の後半に差し掛かって報道されたのが、 警察が70%の乗客から既に聞き取り調査を終えているものの、 誰1人して スレーターが語っているような 態度の悪い乗客とのやり取りを目撃していないということ。 加えて彼が「コンパートメントから落ちてきた荷物が当たって怪我をした」と証言している彼の額の傷は、飛行機がピッツバーグから離陸する際には既に 彼の額にあったことを 搭乗の際に彼に挨拶された複数の乗客が目撃していることも伝えられているのだった。 しかも、乗客のうちの1人は 彼の額からの出血が痛々しいので、 彼にバンドエイドをオファーしたことも証言しているという。
スティーブン・スレーターは、この疑惑説が浮上する以前はメディアに対して 今回のような振る舞いを「いつかやってやろうと頭に描いてきたけれど、 まさか本当にやってしまうとは思わなかった」と語っており、彼の弁護士も 「今回の事件は、その日だけの問題ではなく、それまで彼の中に 積もり積もってきたフラストレーションが、ちょっとした引き金で爆発してしまった結果」とコメントして彼を擁護しているのだった。
でも週末にはメディアが「彼はヒーローなどではない」、「無礼なのは彼の方だ!」といった スレーターのマナーの悪さを指摘する向きが出て来ている一方で、 警察側は彼が緊急避難用のスライドを勝手に作動させて 乗客を危険に陥れたことを問題視。 スレーターが起訴されて有罪になった場合、最高で禁固7年の刑に処せられるという。
不思議なのは、今回の事件が飛行機という密閉された空間で起こっているにも関わらず、 誰も 「本当は何がどうなったのかが分からない」 という状況。
そんな中、同事件で最も得をしたと言えるのは ジェット・ブルーで、事件のメディア報道、及びそのインターネット上の論議や、ブログで取り上げられた数などを 総合すると、5000万円近い広告効果が無料で得られた計算になることが伝えられているのだった。


今回の事件は、英語で言う 「15ミニッツ・オブ・フェイム」、すなわち「にわかのセレブリティ・ステイタス」を誰もが得られることを 改めて立証したと同時に、フェイス・ブックのファン・ページに1万3000人がサインアップし、メディアが 彼を追い回す様子などからも分かるように、いかに世の中が深く状況を判断したり、実態を知る前に 簡単に動いてしまうかを 実感させたのは言うまでも無いこと。
ことに、昨今は 航空業界が運賃を引き上げながらもサービスを低下させ、乗客がフラストレーションをつのらせる一方で、 フライト・アテンダントのようなブルーカラー職業は その怒りの対象になり易いと見なされる存在。 でも彼らの態度が時に乗客の心象を悪くしているのもまた事実。 なので人々が共鳴したり、論議をしたくなる要素がふんだんに盛り込まれていたのが今回の事件と言えるのだった。

そういった共鳴や 論点をもたらす題材というのは、それに真実味が無くても 多くの人々がフォローして、 それを仕掛けた側が大儲けをする というのはありがちなシナリオ。
同様に、今週末のハリウッドが アメリカ女性をターゲットに仕掛けようとしていたのが ジュリア・ロバーツ主演の映画「Eat Pray Love / イート・プレイ・ラヴ 」と それ関連のマーケティングである。 同作品は2006年に出版されたエリザベス・ギルバート著の 同名のメモアール(回顧録、回想録)(写真左)を映画化したもの。
ストーリーは、ミッドライフ・クライシスに陥って 離婚したライターが、全てを捨てて1年間 の自分探しの旅に出掛けるというもので、 イタリアで ”食べること/Eat=人生の楽しみ”、インドで ”祈ること/Pray=魂の救い” を見出し、 インドネシアのバリ島でその2つのバランスの象徴である ” 愛/Love=新しい恋 ” を見つけるというもの。
うつ病のようになってバスルームの床で泣いていた主人公が、自分を取り戻して行く姿が3つの異なる国と そのカルチャーと共に描かれているのがそのメモアールで、これをジュリア・ロバーツ主演でハリウッド・スタイルに仕上げたのが 映画という訳である。

メモアールは出版以来、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リスト上位に長きに渡ってランクされていたもの。
なので 映画が公開される以前にも、同メモアールに触発されて ミッドライフ・クライシスに陥った女性達が、ヨガ・ブームも手伝って 主にインドに自分探しの旅に出掛けるケースは多かったという。 このためエリザベス・ギルバート(写真右) が訪れたアシュラム(ヨガや瞑想を学ぶための道場や僧院)は 観光メッカになっていたことも伝えられているのだった。
でも今週のニューヨーク・ポスト紙が映画封切直前に伝えていたのが、 「イート・プレイ・ラヴ」のエリザベスを真似て、このアシュラムを訪れた多くの女性が、単に大金だけを支払って ”何も得られない” ならまだ良いほうで、最悪の場合、破産状態に陥っているという厳しい実情なのだった。
では エリザベス・ギルバートと、彼女をフォローする女性達では 何が違うかと言えば、 それは まず経済状況。
エリザベスはイタリアではピザやパスタを食べていただけではなく、見せる相手がいないにも関わらず 高額ランジェリーを買い込んでいた 様子がメモアールにも書かれているほどに、経済的に苦しい立場とは言えない状況。 しかも、「何もかも捨てて自分探しの旅に出た」というのはあくまで 著書をドラマティックに見せる演出で、 実際のところは 旅に出掛ける前にそのメモアール出版の契約を交わして、アドバンス(前金)まで貰っていたというしたたかさ。

誤解しないで頂きたいのは、私はそのしたたかさの方が 先のことを何も考えずに アシュラムに行けば救われると思って、貯金を叩いてインドに出掛けるより 遥かに人生に対して前向きだと思っている訳で、 自分の逆境を好転させるプロジェクトを自分でクリエイトして、それを本にして大儲けするというのは スタミナ、精神力、文筆の才能など様々な能力が備わっているから出来ることなのである。
そこまで深く考えずに、ただ救いだけを求めてエリザベス・ギルバートと同じことをすれば、貯金や仕事を失って、 最悪の場合破産してしまうのは容易に想像が付くところ。
エリザベスと同じアシュラムを訪れた女性は、そこで出会ったグル(尊師)が 「アシュラムで支払ったお金は、必ず実になるお金。借金をしてでも支払う価値がある」 と 実態の無い希望を与えて、お金を巻き上げていった様子をニューヨーク・ポスト紙にコメントしていたけれど、 この記事では同時に 地元インドではスピリチュアルな経験を求めるアメリカ人のグル崇拝 を ジョークとして捉えて、 適当な収入源として利用していることも明らかにしているのだった。

もちろんメモアールに触発された女性の誰もがインドのアシュラムを訪ねている訳ではなく、 近場で行われる2泊3日のヨガの高額リトリート(静修、癒しや修行の旅)に出かけるという例も多かったという。 こちらは 破産するような大金は支払わずに済むけれど、 リトリートから得るものはやはり何も無く、失望を味わっただけという経験談が ニューヨーク・ポスト紙にコメントされていたのだった。

とは言っても、エリザベス・ギルバートのメモアールが 同様の境遇にある女性達にアピールし、彼女らをアシュラムに出向かせたり、 自分探しの旅に出かけさせてしまうマーケティング・パワーを持っていたことは明らかで、 それに着眼したのがハリウッド。
一方、ジュリア・ロバーツと言えば 結婚&出産以来、ヒット作こそは無いものの、映画「プリティ・ウーマン」以来、20年に渡って アメリカで最も好感度が高い女優として君臨してきた存在。 その彼女を主演に起用するということは関連のパブリシティが多数獲得できる上に、便乗マーケティング効果も極めて高いということで、 映画版「イート・プレイ・ラヴ 」は、フレグランスから、リラクセーション・ティーなど小売のタイアップ・プロジェクトの数が何と約400。 セント・キャンドル、マッサージ・オイル、ジュリアがインドで着用したようなカフタン・ファッションといった ありとあらゆるプロダクトや、「イート・プレイ・ラヴ 」ツアーを企画する トラベル・ビジネスなどが同映画の便乗マーケティングを行っているのだった。

要するに、この便乗マーケティングのポイントは リセッションから明け切れないアメリカで、将来への不安や 日常生活のストレス、意義が見出せない自分の人生を感じている女性達が、 映画を観て、映画に触発されて、ジュリアが演じるヒロインと同じように旅をする、もしそんなお金や時間、思い切りが無かった場合は、 アロマ・バス・オイルを使ったお風呂で、リラクセーション・ティーを飲みながら その気分を味わうために お金を使うだろう というもの。
そして、インドのアシュラムのグル同様、「それが本人のためになっても、ならなくても、それは本人の問題で、 仕掛ける側はあくまでビジネス」 というのがそのスタンスなのである。


世の中ではお金が動けば全てがビジネスというのが常識。 一見冷たく聞こえるこの”常識”は フェア・トレード、すなわちギブ&テイクで成り立っている公平なシステムである。
人々は ”癒し”や”魂の救い” という商品を、バッグやシューズと同様、お金で買っている訳だけれど、 ”癒し”や”魂の救い”を買う人の身勝手な部分というのは、心のどこかで これらがお金で買えないと分かっていながらも それにお金を払って、簡単に物事を解決しようとするところ。
売る側にしても、”癒し”や”魂の救い”という 人の価値観によって異なるものを、 納得し易い パッケージにして 売っているだけで、それが時に買う側の心の琴線に触れることがあったとしても、 往々にして 人の助けにならないことは 売っている本人が一番良く熟知していたりする。 すなわち、彼らが代金と引き換えに買う側に与えようとしているのはイルージョン(幻覚)であって、彼ら自身、”真の魂の救いが、 お金で得られると思ったら大間違い” などと考えている場合が殆どなのである。

私は、未だCUBE New York のビジネスを始めたばかりの頃、アメリカでインドのスピリチャルを説いてメガ・サクセスを収めていた ディーパック・ショプラ (写真右) の著書、「The Seven Spiritual Laws of Success: A Practical Guide to the Fulfilment of Your Dreams」 を読んで、感動して 彼のパブリック・アピアランスを観に行ったことがあるけれど、 私は実物の彼を見てお金の匂いがプンプンするものの、全くスピリチャル・パワーとか 神々しいオーラのようなものが感じられなくて ガッカリしたことを良く覚えているのだった。
事実、彼がデミー・ムーア、マドンナ、ドナ・キャランといったセレブリティや著名な実業家にアピールしていたのは、 成功と富を手にして、時にそれに対して罪悪感を抱きがちな人々に対して、「成功とお金は素晴らしいもの」 と説いて、その罪悪感をポジティブに転換させていたため。 なので、私はセレブリティの名前を次々と挙げながら スピーチをする彼の姿から、 原価ゼロのスピリチャリティを商品にしてしまうビジネスマンとしてのセンス を強く感じ取ったけれど、 彼が人間として 高潔で ピュアだという印象は抱かなかったし、 本当に彼がそういう人物だったら、そのビジネスが大きなサクセスを収めることも無かっただろうと思うのだった。


かく言う私は、ヴァケーションには行きたいけれど ”自分探しの旅”に出かけたいという気持ちなど さらさら無いタイプ。
そもそも私が旅行に行きたいと思う理由は、自分の知らない世界を見たり、経験したり、味わったりするためで、 それは自分という主体が無ければ出来ないこと。その自分を探す旅というのは一体どんなものなのか、私には見当も付かないのだった。

大体、「Self Searching / 自分探し」という言葉は、”探そうとしている自分=自分の理想像”を追いかけているだけで、 ”実際にそれを探している自分=現実の自分”の存在を否定しているような言葉。 まるで本当の自分が世界のどこかに居ると信じていて、現存している自分は 空っぽで、何をして良いか分からないから、 違う自分を探しに行こうとでも言わんばかり。 すなわち自分が2人以上世の中に存在していて、1人目が気に入らないから、次に乗り換えようとしているようにも見受けられるけれど、 言うまでも無く自分は1人で、探しに行かなくても一番近くに居るのである。
なので、私は個人的には「自分探し」という言葉は、セルフ・ヘルプ本やプロダクトのマーケティングのために生まれた、 中味が無くて、人を混乱させるだけのコンセプトだと思っているのだった。

その意味で私がもう1つ嫌いな言葉として挙げられるのは「元気をもらう」というもの。 元気というのは自分の中から出てくるものだから、昔ながらの「元気が出る」というのは正しい表現。 元気は金品とは違ってあげたり、貰ったりするものではなく、自分で出したり、相手に出させたりするもの。
「元気を貰った」という状況は、相手からの何らかの刺激に感化されて 自分の中から自分が元気を出した状況を指す訳であって、 相手に依存して得られたものではないもの。 こういう言語を使っているうちに、自然に「人から元気を貰わないと自分では出せない」というような依頼心が生まれてきても不思議ではないのである。
そういう依頼心というのは、「旅行に出かけたら自分が探せる」、「グルに出会えば生きる道しるべがもらえる」 という短絡的な思想に結びつく訳で、そんなことが決して自己確立の役に立たないことは まともな神経をしている人が頭を冷やせばすぐに分かること。

エリザベス・ギルバートに話を戻せば、私は彼女の著書は読んでいないけれど、このコラムを書くに当たって 「イート・プレイ・ラヴ 」のブック・レビューを3つほど読んだのだった。
その中の1つが指摘していたのが、「エリザベス・ギルバートをうつ病状態から自分を回復させたのは、 イタリアのパスタでも、インドのグルでもなく、彼女自身の強さとエネルギー、 そして様々な体験をストーリーに纏め上げるプロセスである」ということ。
確かに、画家は描きたい対象を見つけてペインティングに取り組んでいる時が最も生き生きしているのと同様、 ライターも執筆のサブジェクトに取り組んでいる時は 知的好奇心が高まり、充実感を味わうもの。 なので彼女が単なる ”旅行” として3つの国を訪れていた訳ではなく、執筆プロジェクトとして取り組んでいたことを思えば、 通常の女性達が そのルートや中味を真似て彼女と同じように旅をしたところで、 同じ成果が得られなくても仕方が無いように思うのだった。

最後に、映画版の「イート・プレイ・ラヴ 」は、公開第1週目の週末で、 $23.7ミリオン(約20億円)という興行成績で ボックス・オフィスの2位となっているけれど、 ウンザリするほど流れるTVCM放映料を含む莫大なプロモーション・フィー、ジュリア・ロバーツのギャラ、 映画の制作費を考慮すると、さほど芳しいとは言えない数字。
批評家のレビューも一般の人々のプレビューも、かなり酷いものだったけれど、 最も好意的なレビューでも「本が人々にアピールした部分が映画では欠落している」ことが指摘されていたのだった。






Catch of the Week No. 2 Aug. : 8月 第 2 週


Catch of the Week No. 1 Aug. : 8月 第 1 週


Catch of the Week No. 4 July : 7月 第 4 週


Catch of the Week No. 3 July : 7月 第 3 週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。





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