Dec. 29 2003 〜 Jan. 4 2004




Year Ends, Year Begins


アメリカに長く暮らしていて感じるのは、この国ではニュー・イヤーというのは 決してビッグなホリデイではないこと。
ニューイヤーズ・デイ(元旦)は、ナショナル・ホリデイなので休日ではあるけれど、 翌日から働いている企業は少なくないし、私の知るアメリカ人の中には、 ニュー・イヤーを迎えることは 「ただカレンダーの年号が1年増えるだけで、 いつもと変わらない1日を迎えるだけ」と元旦を「1年の始まりの特別な日」とは考えない人が 多かったりする。
だから、日本人の私がただでさえ忙しい年末に「今年のゴミは今年のうちに出す!」と大掃除をしたり、 「年内の洗濯物は年内中に!」とランドリー・バスケットと格闘する姿は 不思議に思えていたようであるが、今ではそんな私もすっかりアメリカナイズされてしまって、 「年が明けるくらいのことで、変に大掃除をしてしまうと、年明け早々探し物をしなければならない」 などと考えるようになってしまった。

ふと考えてみれば、1年というのは、春、夏、秋、冬という4つの季節のサイクルであり、 1月から12月の12ヶ月のサイクルでもあり、もっと短い1週間という生活のサイクルが52回巡ってくるだけであったりする。 1週間があっという間に、毎週殆ど同じように過ぎるのと同様に、 1年も1月はスーパーボウル、 2月はヴァレンタイン、3月はオスカー、7月は独立記念日、10月はハロウィーン等、 毎年その月々の同じホリデイ、同じスポーツ・イベント、同じエンターテイメントが 同じようにやって来て、多くの人々にとっての1年も、ある程度は 毎年同じように過ぎていくものであったりする。
でもその1年1年を記憶の中で差別化させるものは、2001年だったら9月11日のテロであったり、 昨年だったらイラク戦争や8月のブラックアウト(大停電)等、社会全体に起こるトラブルや惨事であったり、 個人レベルでの出会いや別れ、成功や達成、もしくは失策や不運であったりする。
そして社会レベルでも、個人レベルでもこうした様々な出来事が起こった時に、 人々はそれまで気がつかなかったり、忘れていたことへの感謝や思い入れがこみ上げてくるものである。 それは、テロの時に感じた平和の有り難味であったり、ブラックアウトの時に感じた 電気の大切さや節電の必要性であったりするし、個人レベルで何かを達成した人は その道のりを振り返って、自分をそれに導いてくれた人や出来事に感謝をするものであるし、 職を失った人は、不満だらけだった職場にも有り難味を見い出すものである。

多くの人々にとって1年の終わりに感じるのは「今年もあっという間に過ぎてしまった」 ということであるけれど、1年を深く思い出して 楽しかった事、自分が打ち込んだ事、悲しかった事、 辛かった事、驚いた事、腹立たしかった事、感動した事、これらが全て ギッシリ詰った1年を過ごしていれば、特に形になる成果が無くても、その1年は「サクセス」と呼べるものだったというのが 私の考えである。
大体、1年という時間は形や成果を残すにはあまりに短い時間である。 1年では見えない成果も6〜7年経てば見えてくる訳で、1年の頑張りを何年も続けないと、 何かを達成したり、作り上げることは出来ないのである。 そんなパズルの1ピースのような1年、1年を、個人的な印象で「良い年」、「良くない年」として ジャッジすることは出来るけれど、例え辛いことや、悲しいことが、楽しい事や幸せな思いよりも 多い年であっても、そういう時の思いや経験、学んだ教訓、それを乗り越えたという自信が、後になって 「良い年」やその出来事よりも、自分の人生の財産になっている場合も多いのである。

逆に私が「無意味な1年」を過ごしたと位置付けられると思うのは、 「1年間、一体何をしていたんだろう…?」と思い出しても、何も出てこない人のことで、 年の終わりに「今年は何があった?、何をした?」と自問して、 「毎日普通に生きていただけ」とか、「別に変わった事も、良い事も、特別に何も無かった」と 思うならば、それは1年間、意味も無く、ボッと過ごした人であると思う。
人間が365日も生きていれば、何も無いなどということは有り得ない訳で、 そう感じるのは、感覚が鈍化して、何が起こっても気が付かないのか、あるいは 何の感情も抱かないように、何も起こらないように、何にも関わらないように、 自分を消極的にプログラムしているためである。
私は子供の頃、1分は60秒、1時間は3600秒、1日は8万6400秒と計算していって、 「8153万6000秒を数え続けていると1年が経ってしまうんだ」と考えて不思議に思ったことがあるけれど、 この8153万6000秒が、良い事、悪い事を含め思い出や様々な出来事がギッシリ詰った1年になるのか、 単に8153万6000秒という時間が過ぎただけになるのかは、 「本人にどれだけいろんな事が起こったか?」よりも、 「本人がどれだけ気持ちを入れて1日1日を生きてきたか」によると思っている。

1年というのは、カレンダー上で区切られたピリオドだけあって、 大晦日と元旦をもって、終わりと始まりの区切りを設定し易い時期ではあるけれど、 英語では「Today is the first day of rest of my life (今日が残りの人生の最初の日)」という、 センテンスが良く聞かれるように、例え1年中の何時であっても、自分さえ「今日が新しい自分や生活の始まり」 と決心すれば、その日から自分なりの新年をスタート出来る訳である。
実際のところ、1年の途中でも いろいろなものが始まったり、終わったりするし、 時に自分の意志とは関係なしに始めなければならなかったり、終わらせなければならないものも出てくるのである。

今年の年明け早々、確実に終わると分かっているものは、 1998年以来、私が見続けてきた「セックス・アンド・ザ・シティ」で、 私がこれを書いている1月4日から8回のエピソードが放映され、2月22日で最終回となる。
最終8エピソードでは、既にシーズンNo.6で再婚しているシャーロットを除く 3人のキャラクター(キャリー、サマンサ、ミランダ) のうちの2人が結婚するとの噂が流れており、 サマンサは乳がんになり、その治療のキモセラピーを受けて髪の毛が全て抜け落ちてしまい、 ウィッグをつける生活。ジェイソン・ルイス扮するサマンサのボーイフレンド、スミスが彼女のために、自分も 頭を坊主にするというほろ苦いラブ・ストーリーが展開する。 一方のサラー・ジェシカ・パーカー扮するキャリーは、シーズン前半最後に出会ったアーティスト、アレクサンドル・ペトロフスキー (ミハイル・バリシニコフ)とバケーションでパリに出掛け、そこでミスター・ビッグに 再会する筋書きまでは公表されている。
キャリーのお相手として ミハイル・バリシニコフがあまりに不評なため、 彼とキャリーが最終的に一緒になるということは無いと言われているけれど、 番組のファンの間では、「キャリーには結婚して欲しくない」、「結婚するならビッグとして欲しい」という声が多いという。
でも実際には6年続いたこの番組のフィナーレがどのようになるのかは、未だ未定で、 出演者は自分の出番の台詞しか渡されないので、全体のストーリーが分からない状態で 撮影が進んでいたという。 噂では4通りのエンディングが撮影されたとのことで、そのうちのどれが採用されるのか、 最終段階で取り直しが発生するかは、番組のプロデューサーでさえ分からないという。 でもラスト・シーンは4人のキャラクターが、いつもたむろすコーヒー・ショップで 和気藹々と語り合いながら終わるという説が有力である。
採用されなかったエンディングについてはDVDで見るチャンスがあるとのことだけれど、 筋書きがあるものでさえエンディングが分からない時代なのだから、 筋書きの無い人生で、例え何が起こっても不思議では無いとも思えてしまう。
だから今年も驚く事、感動する事、楽しい事、辛い事等が 沢山起こるだろうけれど、2004年の大晦日に 「今年もいろんな事があった!」と1年を振り返ることが出来れば、それは 少なくとも自分にとって 意義ある1年を過ごせたということなのだと思う。


P.S. 読者の方から多数のクリスマス&ニュー・イヤーのグリーティングを頂きましたことを この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。




Catch of the Week No.4 Dec. : 12月 第4週


Catch of the Week No.3 Dec. : 12月 第3週


Catch of the Week No.2 Dec. : 12月 第2週


Catch of the Week No.1 Dec. : 12月 第1週