Oct. 16 〜 Oct.. 21 2007
” Can you hear me? ”
今週のニューヨークで大きな話題になっていたのが、ヤンキーズのジョー・トーリ監督の進退問題。
12年の就任期間中、ヤンキーズを4回のワールド・チャンピオンに導いた同監督であるものの、2001年から
今シーズンまでの7年間は無冠で、ヤンキー・ファンの間でもその進退は論議をかもしていたもの。
結局 トーリ監督は、フロントが2週間話し合って提示した1年更新、年俸$5ミリオンという条件を ”Insult / 侮辱” として
受け入れず、辞任を表明。金曜には如何にもトーリ監督らしいユーモアを交えた 紳士的な退団記者会見が行われたけれど、
ファンのリアクションはニューヨーク・タイムズ紙がスポーツ・セクションの1ページを丸々読者から寄せられた投稿に割くほど大きなものだった。
内容は、「今が潮時」というものから、「ヤンキーズは彼が受けるはずの無いオファーを提示するよりも、きちんとした形で
彼を解雇する方がずっと後味が良かったはず・・・」というものまで様々であったけれど、
チャンピオン時代のヤンキーズを知る 私を始めとする、私の周囲のヤンキーファンは、
年俸の高い年寄りプレーヤーばかり集めて、将来性を考慮しないトレードを繰り返した
ヤンキーズのジェネラル・マネージャー、ブライアン・キャッシュマンこそが辞めるべきだ と思っていたりする。
2年後には、ヤンキーズは伝統あるヤンキー・スタジアムに別れを告げ、その隣に建設中の新しいスタジアムに
ホームを移すことになっているけれど、何だかヤンキーズの誇れる部分が段々消えていって、徐々に味気無い球団になって行くように感じられるのは
寂しい限りである。
さて 今週の私は2人の人物を通じて、 ヒヤリング・プロブレム(聴覚問題)について真剣に考えさせられることになってしまった。
まず 週明けにジムに出かけたところ、そこでガンガンのボリュームで掛かっていたのがヘヴィーメタル・ロック。
私自身、へヴィメタは決して苦手とはしていないけれど、そのボリュームの大きさは尋常なものではなく、
私のアイポッドの音楽が聞こえないほど。
そこでボリュームを下げにいったところ、ガンガンのボリュームをセットした男性は それが気に入らなかったらしく、
5分も経たないうちにボリュームを戻しただけでなく、もっと煩くしてしまったのである。
すると今度は同じくジムに居た別の女性がこのボリュームを下げに行ってくれたけれど、男性はまたボリュームを上げ返すという執念深さ。
結局、頭に来たその女性がジムのマネージャーを呼びに言って、彼から男性に話をしてもらっていたけれど、
マネージャーの話では、男性は日ごろから大きなボリュームで音楽を聴き過ぎているせいか、「ちょっと耳が遠いようだ」とのこと。
でも、アイポッドを使用しない理由として男性が挙げたのが、「イヤホンを使って耳の中でだけ大きく聞こえる音楽は、
ダイナミックでない上に、耳に悪い」というものだったのには少々唖然としてしまったのだった。
次いで、私がヒヤリング・プロブレムについて考えさせられるきっかけになったのが、私の新しいフランス語のクラスに居る70歳を過ぎた女性。
彼女はかつてコロンビア大学で心理学を教えていた才女で、私よりずっとフランス語が話せるにも関わらず、何故か今セミスターでは
同じクラスに居て、しかも必ず私の隣に座るのである。
彼女はヒヤリング・ディヴァイス(補聴器)をつけているだけでなく、「面倒なことは聞いても分からない」という態度を決め込んでいて、
彼女が苦手な数字が出てくると 必ず私に英語で言わせるのである。
でも彼女が話す声は人一倍大きい上に ゆっくりなので、彼女の言うことは嫌でも聞かされてしまうけれど、こちらの言うことは
「聞こう」という努力さえしてくれないので、結果的にワンウェイ・コミュニケーションになってしまい、、
彼女と一緒に授業のプロジェクトをしなければならない状況になると、プロジェクト内容を理解していない彼女の言い分に振り回されたり、
プロジェクトで何をすべきかを彼女に説明するのに時間を取られて、新しいセミスターが始まってからの過去7回のクラスは
フランス語を学ぶどころではなかったのである。
私もこれまでは出来る限り 彼女に親切にしてきたけれど、今週の火曜日のクラスでは仕事でドップリ疲れた後だったのに加えて、
彼女の方も慣れてきたせいか 私に対して甘えが出てきて、この日は特に ” 我がまま”、もしくは ”身勝手” としか取れないような
態度をとったので 私は忍耐が限界に達してしまって 彼女をもう1人のクラスメートの男性に押し付けて、
1人で黙々と作文のプロジェクトに取り掛かってしまったのだった。
私も 「差別 」を嫌い、「人権」を重んじるアメリカ社会の生活が長いので、1人だけ年齢が飛びぬけて離れている彼女をクラスメートとして
年齢差別するつもりは全く無いし、聴覚問題があっても フランス語を学ぶ権利は誰にでも認められるべきと思うのは 偽らざる気持ちなのである。
でも私と彼女以外に 5人のクラスメートが居る訳だから、何も私1人が常に彼女の面倒を見る理由は無いとも判断したので、
木曜に行われたクラスでは 私はわざと 70歳の女性の隣を避けて着席することにしたのだった。
ところが、他のクラスメートは 誰1人として彼女の隣に座りたがらず、椅子まで動かして彼女の隣を避けるので、正直なところ
私はこの新しいクラスメート達の冷たさに失望してしまったのだった。
また私が努力して彼女に親切にしていた様子も、クラスメート達にとっては私が好きでやっていて、苦になっていないと 勝手に
解釈されており、要するに厄介者は誰かに押し付けておけば良いという 感じだったのである。
でも、現在アメリカはもとより、世界中でで増えつつあるのがヒヤリング・プロブレム(聴覚障害)を持つ人口である。
聴覚障害は エイジングや病気、事故や怪我が原因であるけれど、アメリカでは7800万人と言われる
ベビー・ブーマー世代の6人に1人がヒヤリング・プロブレムを持っていると言われている。
ベビー・ブーマーエイジは、それ以前のジェネレーションよりもヒヤリング・プロブレムの割合が高いそうで、その理由はベビー・ブーマーが
オーディオ機器が進化した時代に育ち、ロックを中心とする音量を上げて聴く類の音楽を生み出したジェネレーションであるため。
そして70年代からはウォークマンが登場し、通勤時間も 街を歩いたりショッピングをしている時間も、音楽を聴き続けていた
最初の世代がベビー・ブーマー。その結果 彼らの老化に伴うヒヤリング・プロブレムは これまでのジェネレーションよりも
若い時点に始まっていると言われるのである。
実際、ヒヤリング・プロブレムは 低年齢化を続けており、アメリカでは65歳以上の聴覚障害を持つ人々が
900万人なのに対して、45歳〜64歳までの年齢層ではその数が1000万人に達しているという。
さらにナショナル・インスティテュート・オン・デフネス&アザー・コミュニケーション・ディスオーダーのデータによれば、
現在成人人口の1000人中 149.6人が聴覚問題や、聴覚を失いつつある自覚を訴えており、
昨今のアイポッド・ブームも手伝って、今では20代から聴覚を徐々に失う人々が増えているという。
聴覚障害というのは、あまり人々が着眼しない問題であるけれど、あるヒヤリング・ディバイス(補聴器)メーカーの調べでは、
2015年までには全世界で7億人が 聴覚障害を持つようなると予測されており、徐々に深刻になりつつあるのは事実なのである。
子供でも掛ける眼鏡とは異なり、補聴器を付けることは年寄りっぽく見えるという理由から、
多くの人々が聴覚を失いつつあっても、何の措置も施さずに居るというけれど、
最近では聴覚障害の若年化に着眼したメーカーが 徐々に開発しつつあるのが携帯電話のイヤ・ピースや、MT3プレーヤーのイヤフォンなどに見えるような
ヒヤリング・ディヴァイス(写真左)である。
こうした20代〜40代で聴覚を失いつつある人々は イヤフォンの使用による鼓膜に近いところから発せられる
音に加えて、例えば 音楽の煩いクラブでバーテンダーなどをしていて、115デシベル(ロック・コンサートの音量)を
超えるノイズを数時間 聞き続けていることによって聴覚を失うケースも非常に多いと指摘されている。
耳は 聴覚に支障をきたす音量に対して苦痛を感じ続けるよりも、次第に慣れてしまうため、 自ら気が付かないうちに
どんどん鼓膜を傷めることになる。個人的にそれが非常に納得できるのは、
屋外で聞いているアイポッドのボリュームを 室内で聴くとビックリするほど大きい場合があること。
すなわち外界が煩いと、その騒音のレベルに合わせて アイポッドのボリュームを上げることになるけれど、
耳で聴いている感覚では音量に大差がなくても、知らず知らずのうちにハイ・ボリュームで音を聴けば、
鼓膜にはそれだけの負担が掛かっており、しかもその自覚は 全く無いのである。
聴覚障害というのは、両側の耳の聴力を同時に失うケースもあれば、片側だけが衰える場合もあるけれど、
遺伝性が認められるだけに、両親、祖父母などの家族が補聴器を使っている場合は特に用心が必要であるという。
またエレベーターなど比較的静かな室内で聴いているアイポッドの楽曲が、傍に立っている人に認識できる音量であれば
既に聴覚障害が始まっていると言われ、子供や女性が喋っている声が聞き取り難いと感じるのも聴覚を失い始めている
サインであるという。
聴覚障害を放置することは コミュニケーションに支障をもたらすだけでなく、
日常生活の中でも不便だけでなく 危険を伴うもの。
例えば、盲人と全く耳が聞こえない人を比較して、どちらが日常生活に不便や危険が少ないか?といえば、
「耳が聞こえない人」と思う人が圧倒的であるけれど、実際には盲人で聴覚がしっかりしている人の方が、
目が見えて聴覚が無い人よりも遥かに普通の生活が出来るという。
それほど音というのは気配や距離感などを正確に察知するもの。また耳が聞こえれば 自分の声も人の声もきちんと聞き取れるので、
道を尋ねたり、助けを求める等、人とのコミュニケーションには極めて支障が少ないことが指摘されているのである。
聴覚障害がある人のコミュニケーションに問題があることは、私の70歳過ぎのクラスメートを見ていて
ひしひしと感じること。自分の言いたいことを人に伝えるのがコミュニケーションになりつつあって、
衰えつつある聴覚を使って 人の意見や考えを聞いたり、理解したりすることが極めて苦痛で 億劫になりつつある様子は
強く見て取れるのである。
でも私とて、アイポッドを愛用していて120歳まで生きるのを目標としているだけに、
いつかはヒヤリング・プロブレムを感じる日が来るかも知れない訳である。
私は 「自分が人にした事というのは、良い事も、悪い事も 必ず自分に跳ね返ってくる」という 仏教にも キリスト教にもある教えを
信じているだけに、これからも70過ぎのクラスメートの面倒は見てあげようと思っているのが正直な気持ちである。
私が将来的に聴覚障害を持つ立場になったときに、誰か助けてくれる人が現れてくれるかは分からないし、特に期待はしていないけれど、
そういう人に対して 冷たくしていた人というのは往々にして、 自分も人からは親切にしてもらえないものである。
でも長生きというのは5感全てがまともに機能していた方が、ずっと楽しめるのは言うまでも無いこと。
なので、「これからはアイポッドのボリュームに気をつけよう」というのが、私が今週誓ったことなのである。

執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に
ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。
|