Oct. 17 〜 Oct. 23 2011

” Time Is More Valuable Than Money!? ”



今週のアメリカで最大のニュースになったのは、過去42年に渡ってリビアを独裁支配した カダフィ大佐殺害のニュース。
アメリカの木曜朝の臨時ニュースで、未確定情報としながら報じられたこのニュースは、 金曜以降、関連記事が 3日連続でニューヨーク・タイムズ紙の第一面を写真入りで飾っているけれど、 未だはっきり把握されていないのが、大佐がどういった状況で殺害されたのかという事実。
アメリカ政府と国連は、今後リビアが民主的な社会を形成するにあたり、カダフィ大佐殺害についての 事実関係の調査が必要としているのに対し、現地の反カダフィ勢力の人々は、「殺害のプロセスより、 カダフィがこの世を去ったことに意義がある」という声が殆どで、長年の独裁に苦しめられた状況を垣間見せているのだった。

検死の結果、明らかになっているのは、大佐の頭部を打ち抜いた銃弾が直接の死因であることだけれど、 隠れ場所となっていたパイプから引きずりだされた大佐は、数発の銃弾を受けていた他に、靴で殴られていた様子も 伝えられているのだった。ちなみに靴で殴るというのは、イスラム社会における最も屈辱的な行為。 このことは、2008年にブッシュ前大統領がイラクを訪れた際、記者会見の最中に現地のジャーナリストが大統領に向かって靴を投げつけた際にも イスラムの風習として報じられており、アメリカでは記憶に新しいところ。

カダフィ大佐の死体は、ショッピング・センターの肉の貯蔵室に置かれ、現地では人々が行列を成して、時に家族連れで、その死体を 見にやってきていることが伝えられており、そうした様子を報じるアメリカのメディアも一切の画像処理をせず、生々しい死骸の様子を 映し出しているのだった。
側近の話では、カダフィ大佐は、最後の最後までその地位にこだわり、リビアを離れることも拒んでいたとのことだけれど、 革命運動が起こって、首都トリポリを追われて以来、数日ごとに居場所を変える逃亡生活にはかなり疲れていたようで、 逃亡中の滞在先に水や電気が無いことに腹を立てていたことも伝えられているのだった。
ニューヨーク・ポスト紙には、反カダフィ勢力に捕まり、殺害される直前のカダフィ大佐が「自分がお前達に何をしたというんだ?」 と語ったことが報じられていたけれど、何故 逃亡中の行く先々に水や電気が無いのかに考えが及ばなかったカダフィ大佐であるだけに、 この報道が事実ならば、恐らく大佐は本当にそう思って死んでいったであろうと思われるのだった。


さて、今週は大きな報道こそは無かったものの、引き続き活動を続けているのがオキュパイ・ウォールストリート。
アメリカ国内のみならず、世界各国から寄せられる寄付が活動の存続に繋がっている同ムーブメントであるけれど、 タイム誌がアメリカ人 1,001人を対象に電話で行なったアンケート調査では、オキュパイ・ウォール・ストリートに対する一般の人々の支持を裏付けるような数字が 得られているのだった。
それによれば、「ウォール・ストリートのロビーストがワシントンの政界に大きな影響を及ぼし過ぎている」と答えたアメリカ人は86%。「アメリカでの貧富の差が開き過ぎた」と 答えた人々は79%。「2008年の金融破綻を招いた 金融企業のエグゼクティブは、その刑事責任を追及されるべき」という意見は71%。「裕福な人々(企業)は もっと税金を支払うべき」と答えたのが68%で、オキュパイ・ウォール・ストリートが掲げる主張は、過半数を遥かに超える賛同を得る結果となっているのだった。
でも「オキュパイ・ウォール・ストリートがアメリカの政治に何らかのインパクトをもたらすだろう」と回答した人々は56%で、 その主張には同意しても、それが政界や経済界を変えるほどの動きになるかについては、 慎重な意見が多いというのが実際のところなのだった。




話は全く変わって、私が時々自分が情けなくなるのは、「何て時間の使い方が下手なんだろう」と実感する時。
1日を振り返って、予定していたことの半分も出来なかった時などに、こういう情けなさや敗北感を味わうことになるけれど、 ではどうして予定していたことが出来ないのかと問題を掘り下げると、見込んでいた以上に1つのこと、もしくは複数のことに時間が掛かってしまったため。 タイム・マネージメントの専門家によれば、時間を有効に使うためにはプランニングが必要で、適切なプランニングのためには、 正しい時間の見積もりが必要とのこと。正しい見積もりのためには、自分の行動にどの程度の時間が掛かっているかを把握することが大切だそうで、 確かに時間というのは余裕を持ちすぎると、時間を無駄にする結果になってしまう一方で、 ある程度の余裕をみないと、今度は全てに遅れる結果になりかねないもの。

なので、私は過去数週間、自分の行動の所要時間を正確に把握することを目標としてきたけれど、 そうするうちに気付いたのは、自分の行動に掛る時間に2つのパターンが存在すること。
その2つとは 非常に早く、次から次へと動ける時と、そうでない時で、次から次へと動ける時は、何もかもが早く終わるだけでなく、 やらなければならないことが、頭に次から次へと浮かんで、それを効率良くこなしているので、非常にプロダクテイビティ(生産性)が高い日。 そうでない時は、歯を磨きながらTVを見入ってしまったり、朝の新聞も同じところばかり読んでいて、しかも内容が頭に入っていないという状況。 エクササイズに出掛けるのにも時間が掛かって、気付くとサングラスを忘れて眩しい思いをしたり、日焼け止めのスプレーを忘れていたりして、 何らかの”ミス”をしているのだった。

この2つの行動パターンというのは、私の体調によって生じる状況であるけれど、これ左右する要素の1つは 言うまでもなく睡眠時間。眠りが足りていなくて、身体が疲れていると、朝のランニングに出掛けるまでに時間が掛るだけでなく、走るスピードまで遅くなるので、 その時間の遅れと仕事を始める時間の帳尻を合わせるために、何らかのやるべきことをギブアップすることになるのだった。
でも、時間通り仕事を始めたとしても、そういう日は仕事の効率が悪くなるのは言うまでもないこと。
しかしながら、睡眠が足りていない日でも、「今日はどうしてもこれを終わらせないと・・・」的なアドレナリン・ラッシュがある場合は、 時間を無駄にせずにテキパキ動けるもので、目標としていることを終わらせるまでは、疲れや眠気を感じずに活動できるものなのだった。

人間というのは基本的には楽観的な生き物であるせいか、物事の所有時間を最短で計算して予定を立てる場合が多いと言われているのだった。
かく言う私も、予定を立てる時は、往々にして早く動ける時の自分を想定して所要時間を見積もる場合が殆どであるけれど、 昨今は、かなりその日の体調を考慮して余分に時間を見積もるようにしているのだった。
そうすると、比較的時間通りに動けるようになってくるのは事実であるけれど、自分が時間通りにスケジュールをこなすように頑張っても、 思い通りにならないケースというのが他人が絡む場合、すなわち他人に待たされる場合。

私には、「忙しい時は会わない」と決めている女友達が居るけれど、その理由は彼女が常識を疑うほど時間にルーズなため。 彼女とブランチやドリンクをする度に、最低30分、酷い時は1時間の待ち時間を強いられるのに加えて、 彼女には時間に遅れる罪悪感が欠落しているので、遅れても謝らないだけでなく、その遅れた理由の説明が 「人を馬鹿にしているのでは?」と思うようなもの。
私が彼女に対して 完全に頭に来てしまったのが、春先にブランチをした時のこと。 私は彼女が遅れるのを見越して、15分遅れでソーホーの待ち合わせのレストランに到着したけれど、その5分後に「ちょっと遅れているけれど、あと10分で到着する」との 携帯メールが来たのだった。「ということは、あと25分は掛る」と見積もった私だけれど、 結局彼女が到着したのは、そのメッセージから35分後のこと。
理由を聞けば、前日のパーティーの二日酔いで、「朝、目が覚めたけれど動く気になれないので、そのまま少し眠ってから、リラックスするためにお風呂に入ることにした」 のだそうで、私に「10分で到着する」と携帯メールを送付したのは彼女が家を出る際。 すなわち、彼女は待ち合わせ時間の20分後に家を出た訳である。
ミッドタウンの西側に住んでいる彼女が、直ぐにタクシーに乗れば 10分でソーホーのレストランに到着するというのはリアリスティックな計算であるけれど、 「健康のために歩く」をモットーにしている彼女は、徒歩でソーホーに向かっており、レストランに着いた時の言い訳が「ソーホーなんて10分で歩けると思っていたけれど、 こんなに遠いと思わなかったわ!」というもの。
ちなみにマンハッタンに住んでいたら、ミッドタウンからソーホーまでは、スニーカーを履いて全力で走るのであればまだしも、 歩いて10分で到着するなどと考えるのは、脳の構造がおかしいと言える見積もり。 徒歩の場合、1ブロック1分で見積もるのが普通で、この計算であれば 彼女が35分後に到着した説明がつくのだった。

私は、それまで彼女と待ち合わせる時は、必ず新聞の記事を持参するなど、時間を潰す準備をして出掛けていたけれど、この時に限っては既に15分サバを読んでいたので、 待ったとしてもせいぜい10分くらいだろうとタカをくくっていて、しかもそんな日に限ってアイフォンの充電が足りていなくて、アイフォンで暇つぶしをする訳にも行かず、 何もしないで待っていたせいで、待ち時間が日頃よりずっと長く感じられてしまったのだった。
加えて、その日は仕事が溜まっていたせいもあって、待っている間中 私が考えていたのが、 「こんなことなら 家であと30分余分に仕事をしてから出てくるんだった」ということ。
最初は、彼女が遅れると知りながら 待ち時間を有効に使う手段を用意しなかった自分を責めていたけれど、 ふと考えれば、私は既に彼女が遅れることを見越して15分遅れてレストランに到着していたわけで、 その私をさらに40分も待たせるというのは、いくら遅刻の常習犯とは言え、あまりに酷いと言える行為。
しかも、彼女は時間に遅れていることを知りつつ、あくまでマイペースで、 少しでも早くレストランに着こう という努力を全くしていない訳であり、 それはすなわち 待っている私の時間が無駄になることについて 何とも思っていないということ。 そう考えてからは、彼女と2人で会う場合、仕事が溜まっている時は無理にスケジュールをやり繰りせずに、「忙しいから」といって断ることにしたのだった。

私は、彼女の時間のルーズさについては、共通の友達には話さずにいたけれど、今週に入って別の女友達が不平を言ってきたのが、 やはりその友人も 問題の彼女に1時間近くバーで待たされたということ。 待たされた女友達はその待ち時間に、バーという場所柄、ドリンクをオーダーしなければならず、 16ドルのワインを2杯飲んで待っていたというけれど、「10分遅れたならまだしも、1時間も遅れたのであれば、通常、支払いの際に 待たされた側が待ち時間に飲んでいたワイン2杯分を割り勘、もしくは遅れた側が支払うのがマナー」というのが待たされた女友達の言い分。 でも待たせた彼女は、しっかりその2杯分を彼女に押し付けて、残りを折半したそうで、それに対しても待たされた友達は非常に腹を立てていたのだった。


こうして、時間にお金が絡んでくると事態は益々複雑になってくるけれど、基本的には待たされた女友達が 腹を立てているのは お金より時間。時間に遅れた罪悪感が無いから、待たされた彼女が どうして2杯も余分なワインを飲まなければならなかったかに 考えが及ばない ということに腹を立てているのだった。
私にしても、いつも遅れてくる彼女のために映画のチケットを先に買っておいて、 それを踏み倒された例が2〜3回あるけれど、そういうお金のルーズさは 覚えてはいるけれど、腹を立てるほどではないと思っていてるのだった。
でも、ふと考えるとお金にルーズな人というのは時間にもルーズなもの。 時間にルーズでも、お金にはちゃんとしている人は居るけれど、お金にルーズで時間にはちゃんとしているという人は滅多にお目に掛からないのだった。

お金も時間も、先述のように見積もりが大切なものだけれど、 どちらも使い方が下手な人というのは、やはり楽観的な低い見積もりをしていて、気付いたら余分にお金や時間が掛かっていたというケースが多いように思うのだった。
私はお金については、常に見積もりより30%増しで予算を組むようにしているけれど、30%の誤差が何処から生じるかと言えば、 見積もりの数字がタックス、チップ、送料込みでない場合があること、端(はした)の数字を切り落として見積もっていると、その端の合計がかなりの額になること、 また、大した金額ではないからといって見積もりに加えていないものが、意外にも れっきとしたコストになるため。 そもそも、私は大体700ドル使ったと自覚する段階で、計算してみると900ドル程度を使っているケースが多いので、30%増しで見積もるのはかなり正確な数字と言えるのだった。

「タイム・イズ・マネー」というけれど、昨今私が感じるのは、時間とそれに見合うお金を比べた場合、どちらが大切かと言えば”時間”だということ。
自分の時給を幾らに設定するかにもよるかもしれないけれど、時給100ドルの人でも、20ドルの人でも、疲れて眠っていたいときは、その時給をギブアップして 睡眠を選ぶもの。楽しい時間を過ごしている時も、人間はその時給をギブアップしても楽しい時間を長く過ごそうとするもの。
実際、「お金で時間が買えたら・・・」と考えている人は非常に多い訳で、人は時間を余分に得るために喜んでお金を払って、サービスを利用したり、人を雇ったりするのである。 よく「お金で解決できることなら・・・」という表現を耳にするけれど、お金というものは 大切であっても、 そもそもは それと引き換えに何かを手に入れるためのものであるから、よほどの”金の亡者”でない限り、お金自体は”掛けがえのないもの”にはなり得ないのである。
その一方で時間というのは、たとえ5分、10分でも、それを有効に使うことによって、ストレスを解消することが出来たり、心温まる思いをしたり、 何かを学んだり、人に親切したり、楽しい思いや会話を楽しんだり、美しい物に心を動かされたりと、”掛けがえのない時間”になる可能性を秘めているもの。
なので、時間にルーズな人間というのは、自分の時間も無駄にしているとは思うけれど、その行動で 他の人間の時間も無駄にするという ”弊害”を もたらす存在。 時間にルーズな人間は、30分遅れた場合、自分の責任は30分だと考えるかもしれないけれど、その30分の遅れというのは 1日が終わってみると、 2倍、3倍になって 待たせた側の人間のスケジュールを狂わせているケースは少なくないのである。

こんな事を書いてしまうと、これから時間に遅れる訳には行かなくなってしまいそうだけれど、 英語には「Fashionably Late / ファッショナブリー・レイト」という言葉があって、これはパーティーやディナーなどに少し遅れて、メンバーが揃ってから登場した方が ファッショナブルだという意味。とは言っても これは5分〜10分程度が常識で、多くのニューヨークのレストランは予約時間から15分しかテーブルをホールドしてくれなかったり、 ディナーのメンバーが揃わないとテーブルに通してくれない場合も多いので、それ以上遅れると顰蹙を買うのは当然のこと。
またホーム・パーティーなどは、準備が整っていない場合があるので、主催者側をよく知っていて、手伝いをする目的がある以外は、 やはり時間より少し遅れて出掛けるのがマナーとされるのが通常なのである。
一般的に時間通りに動く人ほど、時間の正確さで人を判断する傾向が強いけれど、私の個人的な意見では、初対面の時に遅れる人というのは、 かなり日頃から時間にルーズだと判断して間違いないと思うのだった。





執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。


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