Oct. 22 〜 Oct. 28, 2012

” Myth Of Mental Strength ”


今週のニューヨーク・エリアでは、 木曜以降のメディア報道は、超大型ハリケーン、サンディのニュースが中心。 キューバやハイチで 50人もの死者を出したサンディは、規模が大きいだけでなく、非常にゆっくり北上していて、 メディアでは、このハリケーンを ”フランケンシュタイン”に引っ掛けて、”フランケンストーム”と呼び、 その上陸のピークが24時間〜36時間継続する見込みを報じているのだった。
既にマンハッタンでは、私がこれを書いている日曜の午後7時に地下鉄の運行がストップし、 午後9時にバスの運行がストップ。空港でも、日曜から火曜日に掛けて、殆どのフライトがキャンセルされているという。

また一部で聞かれているのが、このハリケーンが大統領選挙に影響を及ぼすという指摘。
オバマ大統領にとって避けたいのは、ハリケーン・カトリーナの際の ジョージ・W・ブッシュ大統領のように、 被害対策の不手際や遅れで、緊急時のリーダーシップを問われること。 その一方で、グローバル・ウォーミングを否定し、環境問題を殆ど無視している共和党側にとっては、こうした異常気象によって 国民が 「環境問題は経済問題と同様に重要」という意識を持つのは、歓迎できない事態。
オバマ大統領、ミット・ロムニーは 共に ハリケーンの進路を考慮して、 選挙キャンペーンの予定を急遽変更していることが伝えられているけれど、 加えて、ハリケーンによる停電世帯が増えれば、TVを通じたキャンペーンが効を奏さなくなるため、特にヴァージニア、ノース・キャロライナ、オハイオ等、 ハリケーンの被害が見込まれるスウィング・ステート(選挙結果が事前に読めない州)の投票予測が、益々難しくなるとも言われているのだった。



ハリケーン以外で、ニューヨークで今週大きく報じられたショッキングなニュースは、木曜にアッパー・ウエストサイドで起こった殺人事件。 この事件は、ドミニカ共和国出身のナニー(子供の世話人)、ジョスリン・オルテガ(50歳、写真上右側で、子供達と一緒に写真に写っている女性)が、彼女が面倒を見ている6歳と2歳の幼い子供2人を、浴槽でナイフで何度も刺して殺害した後、自らの首をナイフで深く刺して 自殺を図ったと見られるもの。 母親のマリーナ・クリム(写真上左側の女性)は、もう1人の3歳になる娘を水泳のクラスに迎えに行き、帰宅した際にその惨事を目の当たりにしており、 ジョスリン・オルテガはその後、病院に運び込まれ、命を取り留めているのだった。
この事件がショッキングに受取られているのは、多くのニューヨーク・ファミリーが、昼間は子供の世話をナニーに任せていることもさることながら、 ナニーが子供を殺害するケースは 極めて珍しく、逆に母親が実の子供を殺害するケースの方が遥かに多いため。 その理由は、母親が子供を殺害する場合、その殆どが 育児ノイローゼが原因で、母親が出口の無い状況に置かれているのに対して、 ナニーの場合、扱い難い子供にウンザリすることがあっても、所詮はお金を払われて面倒を見ているだけの関係。よほど嫌気が差した時は、 仕事を辞めるだけで、その状況から逃れられるのだった。 加えて失業率が高い現在でも、特にニューヨークのような仕事をする母親が多い街では、 ナニーは常に引っ張りダコ。たとえ仕事を辞めても、次を探すのに困ることは無いのだった。

でもナニーの仕事は、決して楽なものではなく、その労働時間は 10〜12時間というケースが殆ど。 加えて、給与が良い訳でもなければ、ボーナスや健康保険が支給されることもなく、 子供の世話を目的に雇われていても、時に食料品の買出しや、掃除など、ハウスキーパーの仕事も押し付けられることが少なくないのが実情。 このため、労働条件の悪い家庭では、ナニーと母親が良好な関係とは言えないケースが多いと言われるけれど、 そんな状況でも ナニーが仕事を辞めないのは、通常はそのナニーが不法移民で、他で働くことが出来ない場合が多いのだった。

しかしながら、ジョスリン・オルテガは既にアメリカ国籍を取得しており、クリム家の子供達の面倒を見て2年が経過する状態。 クリム家は、オルテガが母国の家族に会えるようにと、彼女を連れてドミニカ共和国に ヴァケーションに出かけて、現地で彼女のファミリーと時間を過ごすなど、 その関係は極めて良好だったことが伝えられているのだった。
また母親のマリーナ・クリムは、時折レクチャーの仕事を受けるものの、基本的にはステイ・ホーム・マム。 3人の子供の面倒を見るサポートとしてオルテガを雇っており、オルテガはクルム家で働ける幸せを友人に語っていたほど。 
したがって、子供達を殺害した動機が非常に不明確で、その点も、子供をナニーに預けて仕事に出かける母親達の不安材料になっているのだった。

事件の3日後にあたる 今週土曜日のニューヨーク・タイムズ紙第一面の報道によれば、 オルテガは ここ数ヶ月ノイローゼ気味で、体重を落としており、いつも疲れていて、急速に老け込んでいたという。 その原因と見られているのが、自分が息子と暮らすためにやっと見つけたアパートから追い出され、彼女はそのアパートにかなりの お金を使っていたこと、今では100ドルのお金にも困るほどに、経済的に困窮していたことが指摘されているのだった。
そのオルテガは、クルム家で働く以外にも、安物のコスメティックやジュエリーを販売する仕事をし、 隣人のパーティーのために料理をして小銭を稼いでおり、毎日朝5時半〜6時に家を出て、12時間は戻らない 生活。精神的、肉体的に疲れ果てていても不思議ではない状況が報じられていたのだった。

この事件を受けて、既に難しい母親とナニーの関係がさらに難しくなったという指摘、今後のナニー探しが非常に難しくなったという指摘、 さらにナニー側からは、母親達から「次はあなたが錯乱して、私の子供を殺すのでは・・・」というような疑いや観察の視線を感じるようになった という声も聞かれているけれど、突然こんなショッキングな事件が起これば、こうしたことは自然の成り行き。
とは言っても、前述のように ナニーが子供を殺害するケースよりも、母親が子供を殺害するケースの方が遥かに多いことを思えば、 信頼出来るナニーを雇って、ヘルプを仰ぎ、母親自身がノイローゼにならないようにする方が、遥かに子供の命を守るために効果的な方策であることは 間違いないのだった。



このように、精神的に弱い人間が経済状態、人間関係で追い詰められて、とんでもない行為に及ぶことは、 決して珍しくないこと。
でも精神面の強さ、弱さ、人間としての強さ、弱さというのは、非常に曖昧なコンセプトであるというのが私の個人的な意見なのだった。
例えば、私がアメリカに住み始めて 肩の荷が降りた事の1つが、アメリカでは 女性が「Strong=強い」というのはポジティブなことであると同時に、 女性らしさとは、無関係なポジショニングにあるということ。 私は 日本に住んでいた頃、周囲に事あるごとに「強い」と言われたけれど、これは決してポジティブな意味で言われた訳ではないと自覚しているのだった。
私自身は、幼い頃から「自分は何て弱い人間なんだろう」と思って生きてきただけに、周囲に「強い」と言われるのは、 本当に意外で、周囲が何を根拠にそう決め付けてくるのか、全く理解出来ずに 随分苦しんだのを覚えているのだった。 そもそも、日本のカルチャーは女性が「強い」というのは あまり歓迎されないもの。 女性の強さで奨励されるのは 「我慢強さ」、「忍耐強さ」、「芯の強さ」、「根気強さ」など、 苦労や嫌なことを辛抱するための強さで、「意志が強い」というと 男性にとっては常に褒め言葉でも、女性にとっては、 食欲に負けずにダイエットを貫く場合以外で使われた場合は、”頑固”、もしくは”気が強い”というネガティブ・テリトリーに入るケースが少なくないように思うのだった。
でも、アメリカのカルチャーでは、”強い”ということは どんな状況においてもポジティブ。「You're a Strong Woman」と言われれば、100% 表も裏も無しに褒め言葉。 なので、私は それまで周囲にレッテルのように貼られてきた「強さ」というものが、ネガティブではなく、 ポジティブな世界に来たこと、自分を強く鍛えてもよい世界に生きられることで、非常に気持が楽になったことを 今でもはっきり覚えているのだった。

そんなアメリカ、特にニューヨークに長く暮らし続けた今になってみると、丸の内のOL時代、会社の飲み会席で 隣の部署のろくに話しをしたことさえ無い上司に、 「あなたは強い!女性なんだからもっと控えめに」などと お説教をされたことを思い出して、凄い性差別の中で生きていたことを滑稽にさえ感じてしまうけれど、 逆にニューヨークは、強さが奨励されるだけでなく、性別や職業を問わず弱さを見せることが不利になる社会。 強くなくても、強くふるまっていなければならない社会。 ある意味では、ハイレベルのスポーツ選手に要求されるような、精神的タフさが要求される社会とも言えるのだった。
そんなハイレベルのスポーツ選手は、ベストのパフォーマンスをするために、失敗や敗北を恐れる気持、対戦相手や自分の体力の限界と戦うための 精神的強さが要求されるけれど、スポーツ心理学の専門家によれば、自分が強いと思っていることが 精神的な強さでは決してないという。
スポーツ選手における精神的な強さというのは、プレッシャーの中で 自分の感情の起伏や、ネガティブな心理といった自分の弱さに対処し、 パフォーマンスにフォーカス出来る心理状態を保つこと。自分が強いと信じて、弱さを否定することは、自分自身を欺こうとするのと同じ行為で、 それでは本当の強さが身につかないというのが そのセオリーなのだった。


同セオリーは、奇しくも 私自身が 人間として徐々に強くなってきたと 自覚する理由と全く同じもの。 私は、自分が弱いことを自覚していただけに、その弱さと向き合って、それに対処することによって自分を強くしてきたと思っていて、 長年つけてきた日記を遡ると、打ちのめされるような経験や、失望などが山のように書いてあるけれど、 そんな状況の数々は、もし私が自分を強いと思い込んで臨んでいたら、ひとたまりもなく私を押し潰していたと思うのだった。

自分の弱さから、強さを見出だすというのはパラドックスのようでもあるけれど、 だからこそ、私は「女性の方が 男性より精神的に強い」という考えの持ち主。 私は以前このコラムに 「本当に弱い女性と、本当に強い男性には会ったことがない」と書いたことがあるけれど、 それは、今でも全く変わらない気持なのだった。
女性が強くなるのは、「弱くて当たり前、自分は弱い者」という社会的概念の中で、 打たれ強さを徐々に身につけて、プレッシャーや、ストレス、逆境を乗り越える術を知らず知らずのうちに 学ばされるため。 したがって 「女性は泣いてからが強い」というのは、弱さから這い上がる女性のパワーを象徴しているようにも思えるもの。
逆に男性は、「男の子なんだから・・・」と言われて、自分の弱さを見せることを否定され、自分が弱いということを否定し、 強さにフォーカスした人生を送る傾向にあるので、先述のスポーツ心理学者のコメントの”自分を強いと欺く生き方”を しているのと同じ。その結果、自分の弱さを悟らされるような出来事が起こると、あっさり潰されてしまって 回復に時間が掛ったり、 弱さを否定するための 力の手段、時に暴力的な行為に及ぶケースが 多いように見受けられるのだった。



でも長くニューヨークで、様々な ”強い”人々に囲まれて生活してきたせいか、最近になって 私は人間の ”強さ” の定義について、 今までと全く異なる考えを持つようになったのだった。
それまで私が考えてきた強さというのは、先述のように弱さと向き合って自分を鍛えていくことによって得られる精神力やエネルギーのことであったけれど、 今、 私が本当の 人間の強さだと定義するのは、優しさ、どんな時でもポジティブで前向きでいられること、そして人を許せる許容力。 以前、英語で紳士のことを 「Gentleman」 すなわち、「優しい男性」と言うのは、本当に強い男性ほど優しいものだから という説明を聞いたことがあるけれど、 「強いから優しくなれる」、「どんな時でも人に優しくなれるためには、強くなくてはならない」というのは、 様々な人々の態度や振る舞いを見ていて痛感すること。
そして常にポジティブで前向きであること、人を許して 怒りやフラストレーションなどネガティブな感情を自分の中に残さないことも、 人間としての大きさや 心の広さが要求されることだけれど、それらが出来るようになった時、本当の強さが身につくというのが、今の私の考えなのだった。





執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。


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