Oct. 29 〜 Nov. 4, 2012

” Run Anyway! ”

既に日本でも報じられているように、10月29日月曜に 襲ったスーパーストーム、サンディの影響で、 大打撃を受けたニューヨーク・エリア。
特に被害が大きかったのは、お隣のニュージャージー州、ニューヨークのスタッテン・アイランド、そしてニューヨーク郊外のロング・アイランド。 これらは、洪水の被害で水没、もしくは崩壊したり、流された家屋が非常に多く、 今も停電はもちろん、水や食糧の援助が十分に行き渡らないところが殆ど。
さらに、クイーンズのブリージー・ポイントについては、市民が水害を心配する中で起こった火事のせいで100世帯以上が全焼。 被害が大きくなった理由は、火災が起こったのがサンディ襲来のピーク時である月曜夜で、 洪水のために消防車が消火栓の水を使うことが出来なかったのに加えて、サンディの最高時速160キロの暴風によって、 炎があっという間に広がったのが原因となっていたのだった。

写真下左側はニュージャージー州の中でも最も被害が大きかったジャージー・ショアの様子であるけれど、ストリートが水路のようになる大洪水で、 暮らしていた道の反対側に家ごと流された家屋もあったほどの壮絶な様相。 逃げ遅れた人々はボートで救出されていたけれど、救出された人々によれば、僅か5分程度の間に家の中の水位が5フィート(152.4cm)も上がってしまったとのことで、 とても外には逃げられず、家の2階に駆け上がるのが精一杯であった状況を口々に語っていたのだった。

写真下右側はマンハッタン、ウォール・ストリートのパーキング・ロットから流されてきた車であるけれど、同様の状況はハーレムのパーキングでも 見られていたもの。 マンハッタン・ダウンタウンは、一部では大人が胸まで浸かるような洪水状態で、29日月曜夜9時を前後して38丁目以下を中心に停電。 高層ビルを含む殆どの建物は、電気で各世帯への水を供給するポンプを動かしているため、停電は同時に断水を意味すること。
生活に欠かせない2つのライフラインを失ったダウンタウンの人々は、土曜の朝のほぼ完全復旧まで、信じられないほど不便な生活を 強いられることになったのだった。
加えてハリケーン後の生活を不便にしていたのが、駅の浸水を受けて 地下鉄がストップしていたこと。 週末にはその80%が復旧したものの、海水による浸水であることから、水を汲み出すだけではなく、 線路を洗い流す作業が伴い、当初見込まれていた以上に復旧に時間を要しているのだった。



ジョージ・W・ブッシュ政権下で起こったハリケーン・カトリーナの際には、対応が遅く大顰蹙を買った FEMA(フィーマ:Federal Emergency Management Agency/連邦緊急事態管理庁)は、 今回のサンディに関しては その対応が迅速で、直ぐに全域にヘルプが行き渡った訳ではないものの、 カトリーナの時のように 国民や被災者から怒りを買うようなことは決してなかったのが実情。
また、選挙を翌週に控えているとあって、アメリカ軍の部隊を動員するなど、 地方政府には出来ない、国家レベルのサポートを次々に打ち出したのがオバマ大統領。 ミット・ロムニーを強力にサポートしてきた共和党ニュージャージー州知事、クリス・クリスティでさえ、 絶賛と感謝を せざるを得ない対応と リーダーシップを見せていたのだった。
こうした大規模な自然災害が起こると、気候変動が起こっていることを否定し、 FEMAの役割を地方政府に担わせるなど ”小さな政府”を謳ってきた ミット・ロムニーの政策が、 突然色褪せて見えるのは事実で、「大統領選挙ではどちらの候補も支持しない」と宣言していた ニューヨークのブルームバーグ市長でさえ、今週に入ってオバマ大統領支持をメディアに発表したほど。 したがって大統領選挙におけるサンディの影響は、現時点では明らかにオバマ大統領に有利に働いていると言えるのだった。

一方、対応の遅れで怒りと顰蹙を買っていたのが、アメリカン・レッド・クロス(米国赤十字)。
被災者だけでなく、レッド・クロスで働くボランティアからさえも、対応の遅さが指摘されていた同団体は、 週半ばには「人々はレッド・クロスの役割を勘違いしている。レッド・クロスは人々を救出するのではなく、食糧や救援物資を支給するのが仕事」と スポークスマンが開き直るような状態。 それでいて、スタッテン・アイランドに木曜にオープンする予定だった 暖かいフードを供給するモービル・キッチンが、金曜になっても 準備が整わず、スタッテン・アイランドのボロー・プレジデント、ジェームス・モリナロはフラストレーションのあまり、「レッド・クロスには寄付をしないように」と 呼びかけたほど。
アメリカではレッド・クロスを「最も使途不明金が多い慈善団体」と批難する傾向が、9・11のテロの際から根強く続いており、 人々が寄付したお金が、エグゼクティブのファースト・クラス&5スター・ホテルという贅沢な被災地ツアー代と、約5000万円という高額な年俸に使われていたことは、 テロ後に報じられて、大きな批判を浴びていた点。
しかしながら、金曜夜にNBC系列で放映され、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、ジョン・ボンジョビらが出演したチャリティTV番組で 集まった資金、2300万ドルが全額が投入されるのがレッド・クロス。しかもレッド・クロスはウェブサイトや携帯電話を通じた寄付を呼びかけるTVCMを 全米で放映している唯一の団体でもあり、サンディの大被害に見舞われた人々を助けたいという人々の善意の寄付が、 現時点ではレッド・クロスに集中する状況になっているのだった。




さて 9.11のテロの際には、人々が善意で立ち上がり、復興のために惜しみない協力体制を示し、 全米はもちろん、世界中からの共感を誘ったニューヨークであるけれど、 一部では、そんな「困っている人が居たら、他人でも手を差し伸べる」という精神は健在で、 停電を免れた世帯の人々が、電源コードを門の外まで伸ばして、誰でも携帯電話の充電が出来るように配慮したり、 他に身を寄せる場所があっても、隣人の1人暮らしのお年寄りの面倒を見るために、水も電気も無いビルに 留まる人々等、心温まるエピソードが幾つも報じられていたのだった。
また写真上、上段右はイースト・ヴィレッジのアヴェニューAにあるスーパーが、販売不可能な食材を大量に ゴミ置き場に捨てたところを、近隣の住民が漁っている様子。そんなニューヨーカーがゴミ漁りをしてまで食糧に困っている姿は、 国内、国外のメディアでショッキングに報じられていたけれど、 停電になったソーホーのレストランでは、こぞって冷蔵庫の食材をバーべキューにするなどして、 付近の住民に無料で提供していた他、 モービル・キッチンが本業のフード・トラックも 停電エリアに出向いて、暖かいフードを人々に提供していたのだった。

しかしながら、ブルックリンの一部エリアでは、店舗が破損し、停電で防犯システムが作動しないことから 商品の略奪が相次ぎ、サンディ上陸後の4日間にNYPD(ニューヨーク市警察)が逮捕した略奪犯は80人以上。 略奪は、人々が避難した後の民家から 金品を奪うケースも多発しているのだった。
ニュージャージー州で避難命令を無視して自宅に居座った人々の中には、 昨年のハリケーン・アイリーンの際に、避難をして戻ってみたら、家の中が略奪で荒らされ、財産を全て奪われてしまったことから 「今回は避難しない」と決めた人々も居たほど。でもその結果、家族が命を落としてしまったケースもあり、 略奪行為の残忍さと、災害時に低下するモラルを痛感させていたのだった。

さらに、各地で警察が出動する事態になっていたのが、ガソリン・スタンドにおける石油の奪い合い。
サンディの影響でニューヨーク・ハーバーが土曜日まで閉鎖され、石油タンカーが入港できなかったことから、 ニューヨーク、ニュージャージーでは石油不足が深刻化し、 車と発電機を動かすためのガソリンを求める人々が何マイルもガソリン・スタンドに行列する羽目になったけれど、 誰もが全員分のガソリンが無いことを熟知しているだけに、頻発していたのが口論や殴り合い。 ガソリンはあっても、停電で、 発電機も無いために 供給が出来ないスタンドでは、怒りの矛先が罪も無い マネージャーに向けられるなど、災害時にありがちな 醜い光景が繰り広げられていたのだった。


でも「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったもので、停電&浸水被害エリアに住むリッチ・ピープルや、 セレブリティは、サンディの被害がほぼ皆無であったアッパー・イーストサイドのホテルに移り住んで、何一つ不自由の無い生活をしていたことが伝えられているのだった。 その顔ぶれの中には、ウエスト・ヴィレッジに暮らすヴォーグ誌の編集長、アナ・ウィンター、チェルシーに娘 スリと暮らすケイティ・ホルムズ、 浸水の大被害を受けたブルックリンのBUMBO/ダンボに新婚の夫と共に暮らしているアン・ハサウェイ。 それ以外にもナオミ・ワッツ&リーヴ・シュライバー夫妻、デザイナーのマーク・ジェイコブス、ニコル・ミラーなど、 ダウンタウンやブルックリンの停電エリアに居住しているセレブリティは、 浸水が警告されていたストーム直前、及び停電後に カーライル・ホテル、ザ・マークといったアッパー・イーストの高級ホテルに移り、互いに ”避難体験”を披露しながら、ゆったりカクテルをすすっていた様子が 伝えられているのだった。
また、レオナルド・ディカプリオや、ジェラール・バトラーといった通常ダウンタウンのホテルを好むセレブリティも、 ミッドタウンのフォーシーズンス・ホテルに滞在し、こんな時期にも関わらず行なわれていた ハロウィーン・パーティーで派手に遊んでいたことが報じられているのだった。

そんな被害が無かったアッパー・イーストサイドは、サンディが去った火曜日の夜には、レストランが まるで金曜のミートパッキング・ディストリクトのような 賑わい。その理由は 自宅が停電になったために アップタウンの友人宅に転がり込んだ ダウンタウンの住人が ディナーを 楽しんでいたケースが多かったのに加えて、 多くの大学や企業が地下鉄がストップしていることを理由に、翌日を休日にしていたため。
そんなダウンタウナーの被害から逃れた安堵感と、アップタウナーの被害が無かった優越感が重なってか、 同じニューヨーカーがダウンタウンで水も電気もなく、ゴミ漁りをするほどに食べ物に困る生活をしているにも関わらず、 アッパー・イーストで繰り広げられていたのが、違和感を覚えるほどにフェスティブな光景。
私は、この様子があまりに9・11の時と異なっていたので、正直なところ非常にショックで、 「何時からニューヨーカーは こんなに冷たくなってしまったんだろう・・・」とさえ感じてしまったのだった。



さて、今週のニューヨークで大きな物議を醸していたのが、火曜の時点で ブルームバーグ市長が「予定通りの決行」を宣言していたニューヨーク・マラソン。
この判断には当初から賛否両論の意見が飛び交っており、それというのもスタート地点であるスタッテン・アイランドは 最も被害が大きかったエリアで、被災者の救出さえ終わっていない状況。そんな状態で、マラソンに警備のための警官と 救急要員を派遣するのは非人道的であるという指摘に加えて、4万人を超えるランナーが出発地点に出向けるほどには 交通機関が復旧していなかったため。
しかしながら、ブルームバーグ市長は招待選手や外国からの参加ランナーが既にニューヨーク入りしていること、マラソンが市にもたらす経済効果、 そして被災後のニューヨーカーを心理的に盛り立てるためにも、マラソン決行を主張していたのだった。

そんな中、今年で43回目を迎えるニューヨーク・シティ・マラソンを 史上初のキャンセルに追い込む決定打になったのが、 写真上左の 今週金曜日のニューヨーク・ポスト紙の表紙。 200世帯に電力を供給できる発電機を搭載したトラックが2台、マラソンのためにセントラル・パークに設置されたテントの横に停まっている写真は、 市民の怒りを買い、参加ランナーからも「今はマラソンを行なうべき時期ではない」との声が寄せられるようになったのだった。
またソーシャル・メディア上には、マラソン・ランナーを「Selfish/セルフィッシュ」すなわち、身勝手呼ばわりする声が溢れ、 「ランナー達は、自分がゴールを切った写真をフェイスブックにアップするために マラソンを走りたいだけ」といった批判が飛び出す有様。 これを受けて、マラソンの主催者側は 金曜夕方に 「マラソンはニューヨーク市民を1つにするためのイベントで、 分断するイベントであるべきではない」として、多くの市民からのサポートが得られない現時点での開催を 断念することを発表したのだった。


海外からニューヨーク入りしていたランナーの中には、失望のあまり泣き出す人々も居たというけれど、 「予定通りスタッテン・アイランドまで移送バスを出してくれたら、そこで復旧活動を手伝う」という ランナーも居て、事実、一部のランナーは、マラソンが行なわれなかったマラソン・サンデーを 被災地のボランティアとして過ごしたことが報じられていたのだった。

その一方で、チャリティ基金のためにニューヨーク・マラソンを走る予定だったランナー数人が フェイスブック上で土曜の午後にスタートしたのが、”Run Anyway New York City Marathon / ラン・エニウェイ・ニューヨーク・シティ・マラソン” というグループ。その日のうちに1700人のファンを獲得したこのイベント(写真下)は、今日11月4日のマラソン・サンデーに セントラル・パーク内でマラソンと同じ距離を走ろうというもの。
参加者は朝8時に被災者への寄付や援助物資を持ち寄って、 マラソン・ゴール地点であるセントラル・パーク内のタバーン・オン・ザ・グリーン前に集合。 それからパーク内の一番大きなループ(約10キロ)を4周するという企画で、「どうしてもこの日に走りたい」というランナーの希望を満たすと同時に、 被災者救援のチャリティも兼ねているのだった。
奇しくも、1970年の第1回ニューヨーク・シティ・マラソンも、セントラル・パークのループを4周するというコースで行われており、 同イベントには2000人以上のランナーが参加したことがレポートされているのだった。


私はフェイスブッカーではないので、同イベントのことは知らなかったけれど、朝のTVニュースで、 マラソンに参加するはずだったランナーがセントラル・パークでグループ・ランニングを行なっているという情報を聞いて、 果たしてどんなことになっているやら・・・と思いながら、いつものようにパークにランニングに出かけたのだった。
すると案の定、パーク内は凄い人数のランナーで、私もそのランナー達に混じって ループを一周走ったけれど、 警備もなく、オーガナイザーも居ないにも関わらず、 ランナーのマナーが極めて良いため、全く問題無しで、大規模なグループ・ランニングが行なわれていたのだった。
ランナーの中には 世界各国の国旗や国名をあしらったジャージーを着用した人々が多く、 聞こえてくる言語もフランス語、ドイツ語、イタリア語など、本当に様々。
沿道では、ニューヨーカーと 海外からのランナーと一緒にニューヨーク入りしたと思しき 応援団が ランナーに声援を送っていて、 マラソン顔負けの雰囲気。 中にはランナーのためにスナックや水を提供する人々も見られていたのだった。

私はいつも1時間弱を掛けてパークのループを1周するのがルーティーンであるけれど、 周囲の様々な国からやってきたランナー達とチャリティ目的のために走るニューヨーカーのランナーが 「何処から来たの?」などと 気軽に会話しながら 走っている様子が面白くて、 今日ほど ループの1周を短く感じた日は無いと言えるのだった。
そしてそんな人々と一緒に走って感じたのは、彼らが ソーシャル・メディアで指摘されていたような、 フェイスブックに写真を載せるために走るような身勝手な人々ではなく、 本当に走ることが好きで 走っているということ。
メディアの書き込みの中には、同イベントの参加者について「それだけ走る体力があるならば、 被災地に行ってボランティアをしろ!」と、またしても身勝手扱いする指摘も見られていたけれど、 気持よくループを走ってきてから こうした書き込みを読むと、それを書く人間の方が、 よほど身勝手で、了見が狭いと思えてしまうのだった。

セントラル・パークでは”ラン・エニウェイ・ニューヨーク・シティ・マラソン”以外にも、 複数のランニング・イベントが行なわれており、それとは別にニューヨーク市内のあらゆるところで、 行なわれていたランニング・イベントも合わせると、この日、マラソンが無くても 走ったランナーの数は、約1万人と見積もられているのだった。
私は、こうしたイベントでマラソンが中止になって失望していたランナーが少しでも精神的に救われてくれればと思ったし、 私にとってイベントの参加者と一緒にループを走れたのは 非常に貴重な体験。 というのも、前述のように私はサンディ上陸以降のニューヨークに少々失望していたためで、 同ランニング・イベントが被災後、初めてニューヨークらしいスピリッツを実感させてくれるものになっていたのだった。
こう感じたのは私だけではないようで、ランナーがマラソンがキャンセルになっても走る姿を ポジティブな刺激として捉える意見やメディアの記事は多く、それを応援するニューヨーカーや、 世界中からやってきたランナーが交流する姿に感激したという声も多数聞かれていたのだった。

ちなみに、ニューヨーク・シティ・マラソンが昨年、2011年にニューヨーク市にもたらした経済効果は3億5000万ドル(約280億円)、 加えて3400万ドル(約27.2億円)のチャリティへの寄付が集まっており、 スーパースターが何人も出演した寄付集めのTV番組より 遥かに多額の寄付と経済効果をもたらせるのがニューヨーク・シティ・マラソン。
今回の中止は仕方が無いし、妥当であるという意見には変わりはないけれど、 ニューヨーク・シティ・マラソンは世界で最も人気が高いマラソン・イベントであると同時に、 世界最大のスポーツ・イベント。
中止になっても これだけのランナーが走るイベントは、他に存在しないと思うのだった。


最後にCUBE New York は、お陰様でハリケーン・サンディの被害は受けずに済みました。
ですが、ハリケーンそのものは、本当に生涯体験したことが無いような強風を伴うもので、 窓ガラスが吹き飛びそうな状況が何時間も続きました。 私個人としては、突如何が起こっているのか分からない恐怖に襲われた9・11のテロよりも、 窓のすぐ外に自然の猛威と脅威を感じながら、 成す術も無く 長時間を過ごした今回のハリケーンの方が恐ろしいと言える体験でした。
オーダーのコメント欄、およびEメールにて、 ご心配やお気遣いのコメントを下さったお客様、読者の方々に 心からお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。





執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。


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