Nov. 3 〜 Nov. 9 2003




ビジネスVS.ファッション

今週のニュースで個人的に最もショックだったのは、グッチを現在のサクセスに導いた クリエイティブ・ディレクター、トム・フォードと彼とチームを組んで経営を行なってきたドミニコ・デソーレが、 来年4月で同ブランドを去ることが決定したというニュースだった。
どうしてグッチのデザイナーと会長がグッチ・グループを去ることになったかと言えば、 それはグッチの株式の68%を所有する事実上のオーナー会社、PPR(Pinault-Printemps-Redoute)との 契約更新が決裂したためで、 グッチ・グループをもっと自分達でコントロールしたいと考えるPPR側と、 経営とクリエーションの主導権は渡せないと考える フォード&デ・ソーレ側の意向が真っ向から対立していたことは、ファッション業界では 周知の事実であった。
そもそもグッチ・グループは、傘下8つのブランドのうち、ドル箱ブランドと言えたのは メイン・ブランドであるグッチのみで、 買い取ったばかりのサンローランは来年でやっと黒字になる見込みの状態。 それ以外のボッテガ・ヴェネタ、ステラ・マッカートニー、アレクサンダー・マックィーン、 セルジオ・ロッシ等はどれも赤字、もしくは利益が上がらない経営状態で、 ビジネス本位に利益を追求するPPRとしてはトム・フォードにドル箱、グッチのデザインにもっと専念して欲しいと考え、 買収以来、彼が全スタイルをデザインしてきたサン・ローランを 他のデザイナーに任せようとしていたことが、両者の関係を徹底的に悪化させたとも言われている。
では、どうしてグッチの株式の68%をそんな頭の固い会社が所有しているかと言えば、 これは数年前、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)がグッチの買収を試みたため、 「あんな奴らに買い取られては大変!」とばかりに、グッチが自社株の買い手を必死に探し、 辿り着いたのがPPRという訳だった。
この当時の、LVMHは好況の波を受けて、フェンディ、マイケル・コース、マーク・ジェイコブス、ブリス、ハード・キャンディ、 アーバン・ディケイ等、ファッション&ビューティーのありとあらゆるブランドを 買いまくっており、経営が悪化した昨今では、これをどんどん売りに出している状態である。
ハード・キャンディなどは、LVMHの経営で完全にその魅力と売り上げを失ったブランドであるし、 マイケル・コースのようにジェットセットの顧客ベースがあり、 利益が上がりそうなはブランドには、直ぐに買い手が付いたけれど、 アーバン・ディケイ、ブリスは長く買い手が無い状態が続いている。 次にLVMHが売却を進めているのはドナ・キャランで、 その後には、メディアに取り上げられる割には売れていない マーク・ジェイコブスの名前も上がっていると言われる。
要するにLVMHがこの時代にしていたことは、無駄なブランド買いで、 傘下にラグジュアリアス・ブランド帝国を築こうとしていた訳だけれど、 その中で買収を試みたものの、成功しなかったのがグッチという訳である。
トム・フォードを始め、カール・ラガーフェルド等、一部のデザイナーがLVMHを毛嫌いするのは、 同社会長のベルナール・アルノー氏がファッションを金儲けの手段と考え、 クリエイティブな側面を理解しない冷血経営者であると見なしているためであるけれど、 皮肉なことに グッチが助けを求めたPPRも、結果的には同じビジネス本位の冷血経営者という訳だった。

でもこのように大会社の資本が入ったことで、デザイナーが辞めてしまったり、 ブランドが潰されてしまうことは決して珍しいことではなく、 ジル・サンダーが、自らの名前をつけたブランドのデザイナーを辞めることになったのも、 同ブランドを買い取ったプラダの経営姿勢に反感を覚えてのことだった。
また、ファッション業界では、歴史に残る最悪の買収劇と言われたのが、 90年代末にスタートした当時ペガサス・グループと名乗った現在のリーバー・グループの 相次ぐブランド買収で、このファッション・ビジネスを全く理解しない企業によって 買収された若手デザイナーのミゲール・アドロバー、 ダリルK、パメラ・デニスはいずれも同社によって潰されてしまった。買い取ったブランドで 唯一サクセスを続け、唯一売り上げと利益を上げていたのはジェットセットご愛用のイブニング・バッグ・ブランド、 ジュディス・リーバーのみで、社名をリーバー・グループに改めたのも、 これが同社が唯一誇れるブランド名であるからだった。

話をトム・フォードに戻すと、彼のもとには既に 様々なオファーが寄せられており、個人的に彼とは犬猿の中でも、 トム・フォードの才能には絶大な評価を寄せているLVMHのベルナール・アルノーも 彼とのミーティングを申し出た1人であるという。 トム・フォードはデソーレ氏と共にヴェルサーチを買収するという噂もあれば、 彼自身のブランドをスタートするという噂もあるし、 既に100億円を超える財産を築いた彼が、このままファッション業界から引退してしまうとの臆測も飛び交っている。
その一方で、ファッション業界では 彼の後釜として誰がグッチやサンローランのデザインを担当するのか? が話題になっているけれど、誰がなってもグッチが現在のサクセスを 続けられない事は明らかであり、PPRの株価も下がり続けていることが伝えられている。
私は個人的に現在のファッション業界でトム・フォードほど才能があるデザイナーはいないと思っているし、 彼が90年代半ばに登場しなかったら、現在のファッションはどんなに退屈だっただろう?と 考えるほど彼の信者であったりする。 だから彼には絶対に引退して欲しくないし、 彼のようなデザイナーは1世紀に数えるほどしか存在しないと思っているから、 ファッション関係者がメディアのインタビューに応えて「グッチに新しいデザイナーが来るのは、 商品に変化が出て悪いことではない」などと語っているコメントを読むと、 「この人間は頭がおかしいに違いない」と真剣に思ってしまったりする。
ことに来年の春夏シーズンのグッチのコレクションを見てしまった後では、 トム・フォードのいないグッチなんて、全く想像が出来ないのである。
結局のところLVMHやPPRのようなファッション業界を引っ掻き回す ビジネス本位の企業を見ていると、「ファッション」と「ビジネス」とは全く別物であることを 痛感してしまうけれど、これが一緒にならない限り「ファッション・ビジネス」にはならないところが 難しい問題なのだと思う。



ケミカル・ピーリング未体験記

私が今年の初夏頃からずっと計画していたのが、33歳頃に左頬に出来てしまったシミを取ってもらうということ。
このシミは左目尻の斜め下にある縦6ミリ、横4ミリのもので、出来た原因は 粗悪グリコリック・アシッドのプロダクトを使用したためだった。
私は30歳を過ぎて以来、グリコリック・アシッドの信者で、 これまでいろいろなアシッド・プロダクトを試してきたけれど、 シミの原因になったプロダクトは使った途端に何か嫌な予感がして、 肌を刺すようなヒリヒリ感も度を越えて強かった。 そして洗い流した時は既に時遅しで、その後シミになってしまい、 私はそれ以降、「信頼出来るブランドのアシッド・プロダクトしか使わない」と固く心に誓うことになった。
その後はPTRやナチュラ・ビセーのピーリング・プロダクトを使い続けていたので、 他にはシミらしいシミは出来ず、問題のシミもそれ以上は悪化することが無かったけれど、 かと言って 日焼で出来たシミのように簡単に消える気配が無いので、 「肌の再生能力が活発なうちに取っておこう」と思いついたのが今回のシミ取り計画であった。
でも、どうして計画を直ぐに実行に移さなかったかと言えば、シミを取るということは、 その部分の肌を深くピールすることになるから、剥けた後のデリケートな肌が 夏の紫外線の強い日差しに当たると、前より酷いシミになる可能性があると考えたためで、 秋まで待ったのは、紫外線が弱まるのを待っていたのに他ならなかった。 だから、9月に入って 先ず私がしたことは、 皮膚科ではなくプラスティック・サージェント(美容整形医)にアポイントを入れることだった。
皮膚科よりプラスティック・サージェントを選んだのは、 知人に薦められたからだったけれど、その知人もレーザー・トリートメントで 顔のシミをほぼ取り除いた経験を持っていた。 私が選んだドクターは、9月の1週目に予約の電話を入れたにも関わらず、アポイントメントが取れたのは 9月末で、そんなに混み合う理由を私が知ったのは、美容整形のメッカ、マイアミに住む私の友人、モニカに 「その人、シェールのドクターよ」と言われてからだった。
さてアポイントメントの日がやって来て、いざドクターに会ってみると、 彼はシワ1本、シミ1つ無い、年齢不詳かつ、写真映りの良さそうな濃い顔立ちで、 私は彼の顔を見ながら「男性は少しくらいシワがある顔の方が魅力的だなぁ」などと 頭の中で考えてしまった。
ドクターが私のシミをチェックするなり 薦めて来たのはレーザーかと思いきや、 ケミカル・ピールで、顔全体ではなく、シミの部分のみのピーリングを行なうということだった。 ケミカル・ピールを行なうと、その部分の皮膚は4〜5日間に渡って剥け続けるのだそうで、 その間はもちろんメークをすることは出来なくなってしまう。 だからドクターに言われたのは、自分のソーシャル・カレンダー(スケジュール)と相談してから、 ケミカル・ピーリングのアポイントを入れるようにということだった。
そこでまず私が設定したのは10月2週目で、3週目からNYに来ることになっていた 両親にシミの無い肌を見せようと思っていた。 ピーリングのアポイントまでは、ドクターに薦められた洗顔料、トーナー、ローションを使って、 プレ・ピーリング(すなわちピーリングのトリートメントの前に出来る限りシミを薄くしておくこと)を行なうことになったけれど、 ビックリしたのは、そのプレ・ピーリングで消しゴムのかすのように肌がどんどん剥けること。 最初の数日間は皮膚がパリパリしてファンデーションのノリが悪くなるほどだったけれど、 その後は2日に1回くらいのペースでシャワーや入浴中に皮膚がどんどん剥けていった。
でもピーリングの日が近付くにつれて、友人に「ケミカル・ピーリングの赤味は暫らくは引かないもの」と言われたのが心配になり、 両親に片側の頬だけ真っ赤な顔を見せることになったら大変だとも考えたので、 とりあえず10月2週目のアポイントを延期することして、新たなアポイントを今週11月6日の木曜日に入れることにした。
その間も私はプレ・ピーリングを続けたので、結局1ヶ月近くこれを行なうことになったけれど、 お陰でシミはかなり薄くなり、コンシーラーで隠せば かなり見えない状態になったのは自分でも自覚するほどだった。
それでも、完璧にシミを消すために6日の木曜にはケミカル・ピールをするつもりだったし、 心もスケジュールも準備が出来ていたけれど、 またしても直前になって、エステティシャンをしている友人を含む数人から、 「そんなに薄いシミのためにケミカル・ピールなんてする必要は無い」と言われたり、 ケミカル・ピールの後で酷い目にあった人の話などを聞かされて、再び気持ちが揺らぐことになってしまった。
そこでアポイントメントの前日の水曜日にドクターのオフィスに電話をしたところ、 「ケミカル・ピールをしてもしなくても良いから、とにかくドクターに会って、肌の状態をチェックしてもらって、 不安がなくなるまで質問をするように」と薦められた。 既にコンサルテーション・フィーは払ってあるので、質問に来るのは全く無料とのことだったので、 「不安が無くなったらピーリングをするかも知れない」という気持ちで ドクターのオフィスに出掛けたけれど、 受け付けの女性に「貴女の肌、とってもキレイ!」と言われた途端、 「やっぱりヤメタ!」と思ってしまった。
後から考えてみれば肌がキレイに見えたのはアルマーニのファンデーションと、 ローラ・マルシエのコンシーラーと、ボビー・ブラウンのシマー・ブリックのお陰だったのだろうし、 美容整形医の受け付けはクライアントを誉めるものだから、 直ぐその気になった私も短絡的だったけれど、 幸いドクターに会ってみると、彼もピーリングをそれほど熱心には勧めず、 暫らくプレ・ピーリングを続けてみることで合意に達することとなった。
夏の間、あれほどやりたくてたまらなかったシミ取りが、やっと出来る時が来て まさか自分が尻込みをするとは思いもしなかったし、そうなるのは全く私らしくないと思うのだけれど、 顔や身体に関することは、乱暴な決断や成り行きで事を進めたくなかったので、 2回もアポイントメントを入れ直して、ケミカル・ピーリングを今もってしていないことについては、 決して後悔していなかったりする。
だから、今週は「ケミカル・ピーリング体験記」をこのコラムのネタにしようと思っていたけれど、 「未体験記」になってしまった。









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