Nov. 4 〜 Nov. 10, 2013

”Feels Like 1992? ”


今週末のアメリカでは、フィリピンを襲った史上最大のハリケーン、”Haiyan / ハイヤン” の被害のニュースが 大きく報じられていたけれど、 既に1万人の死者が伝えられるこのハリケーンの規模は、昨年ニューヨークを始めとする全米24州で被害をもたらした サンディよりも遥かに巨大なもの。
ハリケーンはその威力によって5段階のカテゴリーに分かれていて、サンディはキューバを襲った時点でカテゴリー3。その後 アメリカの領域に入ってから カテゴリー2にダウンしたけれど、今回のハイヤンは ハリケーンの最高威力を意味する カテゴリー5。 サンディの経験が記憶に新しいニューヨーカーにとっては、あの壮絶さの2倍以上のハリケーンが いかにパワフルであるかは、容易に想像が付くのだった。
既にアメリカでも現地をサポートするための寄付金集めがスタートしているけれど、フィリピンは意外にも アジアの中では中国に次いで アメリカへの移民が2番目に多い国。その大半がウエスト・コースト、特にロサンジェルス・エリアに暮らしていることがレポートされているのだった。


アメリカ国内のニュースに目を移すと、今週はオバマ大統領が 「オバマ・ケアがスタートしても、それまでの保険がキープ出来る」という 公約を守れなかったことについて、今週正式に国民に対して謝罪をしていたけれど、大統領が謝罪するということについては 賛否が分かれていたのが実情。
更に今週は、FDA(アメリカ食品医薬品局)が、1940年代以来、殆どの加工食品に含まれてきたトランス脂肪酸の使用を 禁止する判断を下して大きなニュースになっていたのだった。 トランス脂肪酸は、ドーナツやフライドチキンを含む揚げ物、クッキーやポテトチップス、ポップコーン等のスナック、 マフィンやパイなどのベイクド・グッズ、冷凍食品ディナー、ピザ、アイスクリーム等、 驚くほど多くのフードに含まれているけれど、 これを定期的に食べ続けることによってコレステロール値がアップし、動脈硬化の原因になるとして、アメリカでは2005年から 食品ラベルにトランス脂肪酸の使用量を表示することが義務付けられていたのだった。
その後、全米に先駆けて2006年から レストランにおけるトランス脂肪酸の使用禁止を打ち出したのがニューヨーク市の ブルームバーグ市長。これによって、マクドナルドのようなファースト・フードから、 個人経営店に至るまで、ニューヨークで営業するレストランでのトランス脂肪酸の使用が一切禁止されており、 同様の措置は、やがて全米に各地に広がっていったのだった。
このため、大手食品会社は 既にトランス脂肪酸の使用を止めたり、減らしているケースが殆どで、 2006年にブルームバーグ市長が トランス脂肪酸の締め出しを謳った時に比べれば、 今回のFDAの決定は 食品業界にそれほど大きなインパクトはもたらさないとも言われているのだった。

ブルームバーグ市長は、トランス脂肪酸の禁止に止まらず、 チェーン・レストランのメニューにおけるカロリー表示を義務付けたり、肥満の原因となるラージ・サイズ・ソーダの販売禁止を 法令化する一方で、エレベーターを使わず、階段を使うように市民に呼びかけるなど、 市民の健康を考慮した政策を次々と打ち出してきた存在。
その甲斐あってか、ブルームバーグ市長在任中に ニューヨーカーの平均寿命がアップし、 肥満の割合も下がっていることが伝えられているのだった。


そんな中、今週火曜日に行われたのが 年末で過去3期、12年続いた任期を終えるブルームバーグ市長に替わる 次期市長選挙。 その選挙で圧勝し、1989年に当選したデヴィッド・ディンキンズ市長以来の 民主党市長となったのが、 ビル・デ・ブラジオ(写真上)。
彼は以前ヒラリー・クリントンがニューヨークの上院議員に立候補していた時代の選挙参謀の1人でもあり、身長196cm、 歴代で最も長身のNY市長。 彼は、このコラムにも何度も書いたNYPDによる黒人層をターゲットにした「ストップ&フリスク」という捜査法を 止めさせることを公約に謳い、黒人及びヒスパニックといったマイノリティの有権者に大きくアピールしていたけれど、 それに加えて 彼は妻が黒人。その選挙TV広告にデ・ブラジオとは似ても似つかない アフロ・ヘアでダーク・スキンの息子を起用し、 その広告がマイノリティ有権者に大きくアピールしており、 彼の選挙の勝利は、息子を起用したキャンペーンの勝利とも言われているのだった。

それと同時にビル・デ・ブラジオが次期市長に選ばれた理由と指摘されていたのが、市民が12年続いた ブルームバーグ政権に飽きて、変化を求めているということ。
ふと考えると、ファイナンス・メディア・ビジネスでセルフメイドのビリオネアとなったブルームバーグ氏が 市長に初当選したのは、9・11のテロが起こった2001年のこと。 当時は「セックス・アンド・ザ・シティ 」のTV版が シーズンNo.4を放映していた時代。 この時代に比べると ニューヨークは随分変わっていて、その変化が顕著に感じさせるのは 街の外観よりも むしろ ニューヨーカー。
なので、私はつい最近「セックス・アンド・ザ・シティ 」のTV版をケーブル・チャンネルで見かけて、 服装からライフスタイル、言葉使いや 会話の内容まで、全てがレトロ感覚なほどに古く感じられて ビックリしてしまったのだった。

とは言っても、今のニューヨーク、及び世の中一般のトレンドが新しいかと言えば、決してそうとは言えないのが実情。
例えば、ファッションの世界では 今年の秋冬シーズンの目玉トレンドの1つがグランジ。
グランジは、未だスターバックス・コーヒーがニューヨークにさえ進出していなかった90年代初頭に、 シアトルで誕生したグランジ・ロックから生まれたファッション。 グランジ・ロックと言えば、今は亡き カート・コベイン(Kurt Cobain / 日本ではカート・コバーンと表示されているよう・・・)率いるニルヴァーナが 代表的な存在であったけれど、グランジ・ファッションのアイコンと言えたのが、当時カート・コベインの妻で、 自らもロック・バンド、ホールのヴォーカル兼ギターを務めていたコートニー・ラブ(写真下、上段一番左)。
このグランジ・ファッションをランウェイに初めて持ち込み、ヴォーグ誌でさえグラビア(写真下、上段左から2番目&3番目)にフィーチャーしなければならないほどの ムーブメントにしたのが、当時ペリー・エリスのデザイナーであった マーク・ジェイコブス。 彼が1992年のペリー・エリスのランウェイ・ショーで見せたグランジ・ファッション(写真下、上段右から2番目&1番目)は、 レトロっぽい花柄のドレスが1200ドル。それに400ドルのフランネルのシャツを腰に巻いて、ビーニー・ハットやドクター・マーティンのブーツを合わせた スタイルで、本来のグランジより遥かに高額なファッションに仕上がっていたのだった。




現在のグランジ・トレンドは、ストリート・レベルでは既に2〜3年前から盛り上がっていたもの。
それを 2014年秋冬シーズンに サン・ローランやドリス・ヴァン・ノッテンといった一流デザイナー・ブランドが こぞってランウェイに送り出していたけれど、 12年の月日を経ているとあって そのお値段は前回のトレンド時代よりも更に高額。 サン・ローランからは 何と6万ドル(約590万円)という、 アメリカ国民の平均年収よりも高額なグランジ・ドレスが登場して話題になっていたのだった。
現在のグランジ・ファッションのトレンド・アイコンと言えるのは、モデルのカーラ・デルヴィーニュ(写真上、一番左)であるけれど、 1992年のグランジ・ブームの際に、グランジ・ファッションを着用していたセレブリティは、グランジ・ロッカーのみ。 これに対して 今回のグランジ・ブームでは、クリスティン・スチュワートやメアリー・ケイト・オルセン、リアーナ等が、 純粋にファッション・トレンドとしてのグランジを実践しているのだった。

前回グランジがメジャー・トレンドとしてブレークした1992年は 私がニューヨークに来て4年目で、雑誌社のエディターをしていた時代。 グランジ・ブームを記事に書いたので、当時のトレンドは良く覚えているけれど、 この年は 前述の 民主党のデヴィッド・ディンキンズが市長を務めていた時代。
ディンキンズ氏は、ニューヨーク市初の黒人市長で、この頃の彼は 黒人層の間では 現在のオバマ大統領のような 英雄的存在になっていたのだった。

そんな1992年に グランジ以外で、私がトレンドとして記事にしたものの1つがレイブのムーブメント。 レイブは、80年代後半からイギリスでスタートしたパーティー・ムーブメントで、ニューヨークでも 盛り上がりを見せ始めていたのが1992年。
そこで、何人かのDJにインタビューをしたのを覚えているけれど、当時 DJ達がこぞって語っていたのが、 「ミレニアムを過ぎて2010年以降に レイブが世界を1つにするムーブメントとして大ブレークする」 ということ。 その予言は当たらずとも遠からずで、世界を1つにするまでは至らなくても、 今やレイブは世界各地で、巨大な規模で行われていて、プロモーターにとってはドル箱ビジネス。
その取材インタビューの際に トピックになっていたのが レイブにおけるドラッグの存在で、 トランスやハード・ハウス等の音楽が、大音響で流れる中、明け方までパーティーを楽しむ ドライビング・フォースになっていたのが 当時のエクスタシー。
エクスタシーを摂取すると、人に触れられるのが心地良く感じられるということで、 パーティー・ドラッグとして もてはやされていたのがエクスタシーなのだった。




ドラッグにもトレンドがあるようで、一時は完全に廃れてしまったエクスタシーであるけれど、 そのエクスタシーが ここ3年ほどの間に、MDNA もしくは Molly / モリー というネーミングで 猛然とカムバックし、カルチャー現象とも言えるドラッグになってしまったのは2013年に入ってから。
マイリー・サイラスのヒット曲「We Can't Stop / ウィ・キャント・ストップ」の歌詞の中でも オープンに歌われている モリーは、 マイリー自身も 「フレンドリーな気分になるソーシャル・ドラッグ」とその服用を認めるコメントをしているのだった。

モリーがパーティー・ドラッグとして 現在の若い世代に もてはやされる背景にあるのが、 ジェネレーションY、ミレニアルズと呼ばれる世代が、ソーシャル・メディアを通じてのコミュニケーションには長けていても、 フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションに戸惑いや抵抗があるという実態。 このため、対人プレッシャーを払拭して オープンな気持になるために、パーティー・ドラッグとしてのモリーが もてはやされているというけれど、同時に昨今の 社会問題になっているのが モリーのOD、すなわちオーバー・ドース(過剰摂取)。
ニューヨークでも、今年夏に行なわれたレイブ・コンサート、”エレクトリック・ズー” で モリーの過剰摂取による死者が2人出たことから、3日間の予定だったコンサートの最終日がキャンセルされるという事態が起こっているのだった。

モリーが 過去に無いほどに広く普及した要因は、「中毒性の無い安全なパーティー・ドラッグ」と見なされているためであるけれど、 モリーの中には、PMA、PMNA、LSDに似た2CIというような 聞いたことの無い化学物質や薬品がミックスされているとのことで、これらを摂取すると、 フレンドリーな気分どころか、幻覚を見たり、落ち込んだり、ネガティブな興奮状態に陥ることは少なくないとのこと。
またニューヨークのエレクトリック・ズーで死亡した男性の検死結果によれば、 体内からモリーの成分以外に、バス・ソルトに含まれるメサロンという物質が検出されているのだった。

モリーは 違法ドラッグなのでFDA(アメリカ食品医薬品局)が 安全基準など定めていないのは当然の事であるけれど、 粉末、もしくは粉末を固めた錠剤であるモリーは、価格を落とし、興奮状態を高めるために 危険な物質とのミックスが 簡単に出来てしまうという。このため、多くの若者がレイブに出かけて、その場で手に入れた モリーを 軽い気持で摂取してしまうけれど、実際には自分の身体にどんな物質が入っているか 定かではないことが警告されているのだった。

先週、ニュージャージーのショッピング・モールで起こった銃乱射事件の容疑者も、 モリーを摂取していたことが伝えられているけれど、 モリーはレイブだけでなく、今や大学のキャンパス・パーティーにも付き物の ドラッグ。ヘロイン、コカインと言われれば手を出さない学生でも、 モリーは「安全」、「誰もがやっている」という認識から、軽い気持でトライしてしまう傾向が強いことが指摘されているのだった。


さて、話をビル・デ・ブラジオ次期市長に戻すと、彼がこれまでニューヨークの犯罪率低下に貢献してきた ストップ&フリスクを廃止しようとしていることで、 ニューヨークが1990年代前半までの 犯罪率の高かった時代に逆戻りすることを危惧する声が一部で聞かれているのは事実。 その一方で ビル・デ・ブラジオは、ブルームバーグ政権下で、富裕層と低所得者層に2分された街の状況を改善することを、 スローガンに掲げているのだった。
ビリオネアだったブルームバーグ市長は、市長としての給与を受取らず、市長公邸であるグレーシーズ・マンションにも住まず、 自らが所有するアッパー・イーストサイドの豪邸で暮らしていたけれど、デ・ブラジオ次期市長は給与は受け取っても やはりグレーシーズ・マンションには住まず、これまで通りブルックリンの自宅で暮らすことを明らかにしているのだった。 これを受けてメディアが指摘していたのが、今後ブルックリンも何か自然災害が起これば、 マンハッタン並みに 優先して問題解決が行われるであろうということ。

ブルックリンは、まだまだ犯罪率が高いエリアが多い上に、場所によって不動産価格から、 住人の平均所得まで大きな差があるボローであるけれど、 ウィリアムスバーグ等、ブルックリンのメジャーなエリアの大躍進は、ここ数年でニューヨークが大きく変わった部分の1つと言えるのだった。





執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。


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