Nov. 13 〜 Nov. 19




”親と子へのアドバイス”



今週のアメリカでは、エンターテイメント界ではトム・クルーズ&ケイティ・ホルムズの挙式のニュース、 スポーツ界では日本の松坂投手の入団交渉権をボストン・レッドソックスを獲得したニュースが 大きく報じられていたけれど、最も物議を醸していたニュースは 何と言っても 元妻とその友人殺しの裁判で、 無罪となった元フットボール・プレーヤー、O.J. シンプソンの告白本とも言える 「If I did it / イフ・アイ・ディド・イット」 出版の報道である。
NFLのスーパースター・ランニングバッグで、引退後は俳優としても活躍していたO.J.シンプソンの離婚した妻、 二コル・ブラウンと、彼女の友人で 彼女がレストランに置き忘れたサングラスを二コル宅に届けに来た ロン・ゴールドマンがナイフで刺殺されたのは、1994年6月12日のこと。 そして事件の容疑者となったO.J.シンプソンが、かの有名な ”ブロンコ・チェイス” (自殺をほのめかす O.J を乗せたフォード・ブロンコ がロサンジェルスのハイウェイをパトカーに追跡されながら、 ノロノロ運転をした様子は、1時間以上に渡って全米のメジャーネットワークが生放送し、 高視聴率を記録した)の末に逮捕され、その後 長い裁判を経て無罪になったという結末は、 ジョンベネ殺人事件など比べ物にはならないほど、 アメリカ国民全体が強い関心を注いだ歴史に残る大事件だったのである。

このアメリカ国民の多くが有罪と信じて疑わなかったO.J.シンプソンが、 「もし自分が犯人だったら・・・」と仮定して事件を語っているのが、11月30日に出版される「イフ・アイ・ディド・イット」 であるけれど、出版社であるリーガン・ブックス側はこの書をO.J.シンプソンの「殺人事件の告白」と位置づけており、 「告白本でなければ出版する意味が無い」とさえコメントしている。 しかし一般の人々から 同書出版に大して盛んに非難が浴びせられているのは、殺人者に$3.5ミリオン(約4.1億円)もの 大金を支払って事件について語らせるのは 不謹慎である上に、被害者家族の感情を逆なでるため。
この出版に合わせて、全米第4位のネットワーク、フォックスでは11月27日、29日の2日に渡ってO.J. シンプソンの インタビューも放映されることになっているけれど、多くの 人々が「本は買わない」と語っている反面、 「インタビューにはチャンネルを合わせる」と語っており、人々の思惑と外れた判決が下された同事件への関心は、 アメリカ国内では今も非常に高いことが窺われるのである。
(O.J. シンプソンの著書出版とインタビュー放映は、このコラムがアップされた翌日11月20日に、被害者遺族に配慮することを理由に キャンセルが発表されました。)

私は、アメリカでシンプソン裁判が行われていた94〜95年に掛けては、フリーランスになりたての時期で、 個人的に大の「裁判好き」であったため、当時メジャー・ネットワークが 昼メロをキャンセルして放映していた シンプソン裁判の模様は、ほぼ一部始終と言って良いほどフォローしていたけれど、 同裁判はメディア・サーカスのようになっていたこともあり、茶番的要素が非常に強いものだった。
当時は未だDNA鑑定が絶対的な物的証拠として確立されていなかった上に、 セレブリティである O.J.シンプソンの存在は 黒人半分で構成された陪審員には特にアピールが強かったようで、 結果的に判決は無罪。私はこの瞬間をTVの生放送で観ていたけれど、O.J.シンプソンを有罪と思って 疑わなかっただけに、判決には身体の力が抜けるほどガックリしてしまったのを覚えているし、 陪審員制度への強い不信感を抱き始めたのもこの瞬間だった。
後に黒人陪審員の1人が 「最初から彼を無罪だと思っていた」というコメントをしたのにも愕然としてしまったけれど、 そもそも陪審員達は、長い裁判の期間中 家族や友人からも、また判決に影響を及ぼすような外界のメディアからも隔離された 不自然な環境の中で生活しなければならず、中には判決まで耐えられず途中で降りる陪審員も2〜3人居たほど、 とても普通とは言えない状況下の生活を強いられており、彼らに果たしてどの程度まともな判断力があったのかは 疑わしいとさえ感じられるもの。
しかし陪審員の判断を疑えば、陪審員制度根本を疑うことになるために、アメリカではいかなる判決が下ったとしても、 決して陪審員の判断能力には疑問を唱えないのが暗黙の了解となっているのである。

私はシンプソン裁判の一部始終から、 大金を支払って有能で有名な弁護士を雇えば、彼らの手腕や法廷での様々なトリックで、 「裁判慣れしていない一般市民=陪審員」の心理を操作出来てしまうこと、すなわち「無罪はお金で買える」ことを 陪審員制度の中に見てしまっただけに、日本でも 同様のシステムが 「裁判員制度」として2009年5月までにスタートする ことには危惧を感じているのが実際のところである。
でも、日本からやって来た友人や、日本に一時帰国して戻ってきたNYに住む友人達が 口を揃えて語る 「日本に対する危惧」 と言えば、まず治安が悪くなって来ていること、 そして、子供を初めとする若年世代にパワーが感じられないことである。
ことに後者に関して言えば、昨今の日本の子供達は学力、体力、精神力など、「力」 という文字が付くものが 全て低下の一途を辿っているという。 昨今、盛んに報道されている「いじめによる自殺」に関するニュース にしても、私が小学生、中学生の頃にも、ある程度の「いじめ」は行われていたけれど、 それでも誰も自殺などしなかったことを思うと、いじめ方が陰湿になって来ているのかもしれないけれど、 やはり子供達が弱くなって来ていることが感じられるのである。

その子供達が弱くなっている原因として、誰もが指摘するのが「親の過保護」であるけれど、 実際のところ、現代の親達は、私達の親の世代とは全く違う子育てをしているように思えるのである。
現代の親達は、子供が嫌いな食べ物があったら、「食べなくて良い」というし、野菜が嫌いな子供に 野菜を食べさせるために、必死に料理を工夫したりして、親は常に譲歩する側になっているのである。 でも私自身は子供の頃から、出されたものは 全て食べるように親からしつけられて来たし、 好き嫌いが多いというのは 「よほどのわがまま」か「育ちが悪い証拠」という見解が周囲でまかり通っていたから、 自然に食べ物の好き嫌いは無くなっていたし、それは決して私に限ったことではない 当たり前のことだったのである。

食べ物以外にしても、今の親達は「子供が嫌がることをさせない」、「子供が嫌がることから子供を守ろうとする」 傾向が強いように思うけれど、こうした過保護という状態は、言ってみれば親が子供の能力を信用していないから起こるもので、 「いきなりこんな事をさせても出来ない」とか、「こんなことをさせたら子供が疲れてしまう」と勝手に子供の能力を 過小に見積もってしまい、子供に新しい体験やチャレンジをさせない、もしくはそれを遅らせることによって 子供達を臆病にしているように思えるのである。
子供にしてみれば「このくらい出来るでしょ?やってごらん」と言われれば、簡単なのかと思って とりあえずやってみようと思うけれど、 「そんなの いきなりやっても出来ないから 後にしなさい」と言われれば、その時点で「難しい」という先入観が付いてしまって、 なかなか取り掛かれない物になってしまうのである。

では、親達が何故子供の能力を信用しないのか?と言えば、それは親達が自分に自信が無いからだと私は思っていたりする。 もし親に自信があれば、「自分のDNAを受け継いでいる子なんだから、このくらいのことは出来るはず」とか 「このくらいのことで弱音を吐くなんてだらし無い」と、自分に対する自信を子供にも抱けるはずであるけれど、 親が自分に自信が持てない場合、自分より劣ると思っている自分の子供にはもっと自信が持てない訳で、 チャレンジをさせたり、鍛えたりするよりも、「守る、傷つけない」という行為を愛情という名の下に行うようになるのである。
その結果、親達は子供達の可能性を摘み取って、弱い人間にしてしまうし、守られ過ぎて育った子供側は、 親の愛情を常にそこにあって当たり前と感じるので、それに対して有り難味など感じずに生きていくものである。

私は子供を産んだことなどないけれど、時々友人に育児のアドバイスをすることがあって、 どうしてそんな事が出来るかと言えば、私自身が子供の頃のいろいろな体験やその時の気持ちを良く覚えている上に、 自分が大人でありながら 今も「両親にとっての子供」 として生きているため、子供の気持ちが少なからず理解出来るからである。 その一方で友人達を見ていて感じるのは、人間というのは子供が出来た途端に 頭の中が完全に「親」になってしまって、 自分が子供の頃のこと、子供の頃に抱いた感情などを忘れがちになってしまうということ。
そんな子供を産んでいない私が、立派に親になっている友人に必ずアドバイスするのは、 「子供と その子供が備えている力や能力を信じてあげる」ということ。もちろん親として心配するのは構わないわけで、 心配というのは「信じる」という行為とは、別個に存在する心理である。
私は 「親が子供を信じてあげなかったら、この世の中で誰がその子を信じてあげられるんだろう?」 と思っているし、自分が子供だった頃も、大人になってからも「親が信じてくれるから頑張れる」 という思いを随分して 生きてきたのである。
そもそも、子供というのは往々にして親が思っている以上に強いものであり、その強さを知らない、信じない親達が 余計な保護を与えるために子供達は 「弱さ」を身につけて、それに甘えるという楽な道を選んでしまうのである。

私は 友人の子供に対しては 4歳だろうが、6歳だろうが 「若いうちから苦労や辛い思いを沢山しておきなさい。 そうやって大人になると、幸せになれるから・・・」と言って聞かせるようにしている。 こう言うと 子供の方は、辛い事を先に済ませておくと、後からは楽が出来るように勘違いしている場合もあるけれど、 残念ながら人生というのは、大人になればなるほど 辛い事や大変なことの連続である。
でも、若いうちにいろいろな思いをして自分を精神的に鍛えることが出来たら、苦境に強くなる反面、 良い事があれば有り難味も大きく感じられる訳で、結果的に ”幸せな大人” になれるのである。



Catch of the Week No.2 Nov. : 11月 第2週


Catch of the Week No.1 Nov. : 11月 第1週


Catch of the Week No.2 Oct. : 10月 第5週


Catch of the Week No.2 Oct. : 10月 第4週






執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。