Nov. 9 〜 Nov. 15 2015

”# PrayForParis ”
ハッシュタグ・プレイ・フォー・パリス、ニューヨークから贈るエール


今週は、11月13日金曜夜にパリで起こったISISによるテロのインパクトがあまりに大き過ぎて、 それ以外に今週どんなニュースがあったのかが思い出せなくなってしまったけれど、 それほどまでに世界中に衝撃を与えたのが今回の事件。
アメリカのメディアの多くは、”Terror/テロ”という言葉を使わず、”Attack / アタック”、すなわち攻撃という言葉を使って 報道していたけれど、パリ市内の6箇所で合計129人の死者と352人の負傷者を出した惨事は、 フランス国内では第二次世界大戦以来の大きな被害。

パリでは、事件を聞いた途端に人々が家族や友人の無事を確認するために、携帯電話を取り出してチェックしていたのが、ソーシャル・メディア。 フランスは電話システムがアメリカなどに比べて老朽化しているので、キャパシティを超える通話には対応出来なかったようで、 こうした非常時ではソーシャル・メディアが非常に役に立つことを改めて痛感させていたのだった。

実はこの11月13日は、昨年夏にパリからインターンのためにNYにやってきて、 Will New Yorkの宿泊施設に滞在していた女の子の27歳のバースデー。 彼女とはフェイスブックで繋がっていたので、”bon anniversaire!”と誕生日祝いのメッセージを送った数時間後に同事件が起こったので、 恐らくレストランで友達とバースデーを祝っているであろう彼女が事件に巻き込まれていないかと 物凄く心配になってしまったのだった。
でもそれから少ししてフェイスブックを通じて届いたのが、「XXXXさんがパリの同時テロ事件について、自分の無事を報告しました」というアナウンスメント。 これはフェイスブックが昨年から設置した「セイフティ・チェック」という機能で、何らかの惨事が起こったエリア付近にいるフェイスブッカーが「I'm safe」ボタンを クリックすると、友達全員に無事がアナウンスされるというシステム。日本の3・11の震災を受けて開発されたこの機能は、過去に5回使用されたことがあるというけれど、 パリのテロに際して利用した人々は24時間で400万人。フェイスブック嫌い(?)な私も、この機能にはすっかり脱帽してしまったのだった。

テロ以降は、エンパイアステート・ビルディング、ワン・ワールド・トレードセンター、シドニー・オペラハウス、東京スカイツリー、 ブラジルのコルコバードのキリスト像などが、トリコロール・カラー にライトアップされた他、ソーシャル・メディア上では「ハッシュタグ・プレイ・フォー・パリス」が トレンディングとなり、世界をあげてのパリへのサポートが表明されていたけれど、 週末にはアメリカ国内の全てのスポーツ・スタジアムでも、テロの犠牲者に対する黙祷を捧げるシーンが見られた他、 土曜の夜に放映される「サタデーナイト・ライブ」もパリの人々に対する ニューヨークからの励ましとサポートのメッセージでスタートしていたのだった。




パリ6箇所で起こったテロは、土曜日になってISISが犯行声明を出したけれど、日曜の時点までの捜査によれば、 既に死亡した実行犯7人のうちの1人はイスラム系フランス人。 他の2人は、シリアからの難民を装ってギリシャからヨーロッパ入りしたことが明らかになっており、 武器の調達、及び自爆犯が着用していた爆弾付きベストの準備などが行われたのばベルギーの小さな町。

フランスで1月に起こったシャーリー・エブド&コーシャ・デリにおける狙撃事件の際も、犯人はアルジェリア系フランス国籍の若いイスラム教徒で、 彼らがインターネットを通じてラディカライズ(過激化)されて シリアやイエメン、ナイジェリア等に渡り、テロリストとしてのトレーニングを積み、 やがて母国に戻ってテロに及ぶというのが、以前から問題視されて久しい「ホームグロウン(自国育ちの)・テロリズム」のシナリオ。 今回も主犯格がそんなホーム・グロウン・テロリストであることが報じられているのだった。
加えて日曜の報道では、国境でのずさんな警備のせいで 武器を運んでいたテロリストを食い止めることが出来なかったこと、 犯人の1人がイスラム過激派の要注意人物にリストされていたものの 十分なフォローがされていなかったこと、 またフランスでは1月のテロ以来、セキュリティ・システムの改善を行っている最中で、それが未だ機能していないことなどが 指摘されていたけれど、その一方でフランス軍が 日曜にISISのリクルート・センター、トレーニング・キャンプがあるシリアのラッカに 大々的な空爆も行ったことも報じられているのだった。




これを受けて、アメリカ国内でもスポーツ・イベントや、フランス領事館などでの警備が強化されていたけれど、 アメリカ、特にニューヨークでは こうしたテロの直後でなくても、スポーツ・イベントにバックパックなどの大きめの荷物を持ち込むことが禁止されて久しい状況。 政府機関があるビルや大型のコンサート会場には金属探知機を通らなければ入れないだけでなく、 地下鉄駅の構内では、日頃から大きめの荷物を持ち歩く人々のランダム・チェックが行われているだけに、 今週末の警戒が特に厳しいという印象は受けなかったけれど、それが史上最悪のテロを体験したニューヨークのノーマルな状態なのだった。

9・11を経験しているニューヨーカーは、まるで先週のことのようにテロのことを鮮明に覚えているだけに、2013年4月のボストン・マラソンのテロにしても、 今回のパリの事件にしても、テロの被害に遭った街や そこに住む人々には非常に同情的で、人事ではない気持ちになるけれど、 それというのは場所や規模が異なっても、テロが起こった街に居たことがある人というのは、皆同じような心理的なトラウマを乗り越えなければならないため。
9・11のテロは、午前8時46分にアメリカン航空11便がワールド・トレード・センターのノース・タワーに激突して 始まったのは周知の通りで、 これが生涯で最も長い日になったのは この日にニューヨークに居た誰もが感じていたこと。 当初”事故”と報じられたツイン・タワーの様子をニュースで見ているうちに、もう一機がサウス・タワーに激突し、これが事故ではなく テロだと悟らされた直後に、今度はペンタゴンにアメリカン空港77便激突のニュースが伝えられ、メディアも収拾が付かない状況の中で、 まずサウス・タワーが崩壊、続いてノース・タワー。その後ペンシルヴァニアでのハイジャック機墜落のニュースが報じられて、 世界中が崩れて無くなるような恐怖心に襲われながらも、TVの前で何も出来ない放心状態を味わったのがこの日の午前中。
午後になると、今度は何かせずに居られない気持ちになったニューヨーカーが動き始めたのが、当時のジュリアーニ市長の呼びかけに応じた 献血や 救出にあたる消防士への食べ物の差し入れ、ワールド・トレード・センターから非難してきた人々を気遣うサポート。 この日のニューヨークは雲ひとつない美しい青空で、この空の色を ワールド・トレードセンターから流れてくる黒煙と共に脳裏に焼き付けたニューヨーカーは 非常に多かったけれど、それと同時にニューヨーカーにとって忘れられないのが、 この日から”グラウンド・ゼロ”と呼ばれるようになった現場から 約100ブロック離れたアッパー・イーストサイドでも強く感じられた 不思議な灰の匂いなのだった。

私もその時の自分に出来ることは何か?と考えて、2001年9月11日に書き始めることにしたのが、 このコラムの前身となった ”テロ後のニューヨーク状況を正確に伝えるレポート”。 したがって、ふと考えると9・11のテロが このコラムの生みの親になっているけれど、この日を境に人生観が変わったニューヨーカーは非常に多く、 キャリア・チェンジをしたニューヨーカーの話を聞くと、必ずと言ってよいほど ターニング・ポイントになっているのが9・11のテロ。
ニューヨーカーは精神的にタフでないと務まらないけれど、彼らが人生を見直さざるを得ないほどに心理的インパクトが強烈なのがテロという犯罪なのだった。

9月11日の長い1日が終わって、翌朝目覚めた時には 全てが夢だったような気持ちになったのは多くのニューヨーカーが抱いた気持。 でも直ぐに新聞や朝のニュースで再び厳しい現実に引き戻されて、知らず知らずのうちに様々なことで ストレスが溜まっていくのがテロのアフターマス(余波)。
犠牲者や救出活動をする人々のサポート活動に時間と労力を使う一方で、テロの報復についての意見が友達同士の間でも真二つに分かれたり、 犠牲者に気遣うあまり 人やメディアの言動に過剰反応したり、罪悪感でショッピングやナイトアウトが出来ないなどの自粛状態、 またワールド・トレード・センターで働いていた人々の中には、被害者遺族に対してサイバイバーズ・ギルト(生き残った罪悪感)を覚える人も少なくないのだった。
そんなテロに見舞われた街の人々が日に日に味わう、様々なストレスや ジレンマ、やり場の無い怒りや悲しみというのは、テロという行為に人間の悪意が絡むだけに、 自然災害や事故に見舞われるのとは全く異なるもの。そんな状況に思いを巡らせるにつけ、心から”Pray For Paris”という気持ちを抱いてしまうのだった。




私は1人でも出かけてしまうほどパリが大好きであるけれど、その私が昨今言い暮らしていたのが 「今はパリが一番テロの危険が高い」ということ。 何故私がそう思っていたかと言うと、先述のISISが送り込むホーム・グロウン・テロリストの脅威が最も大きいと考えられるのがフランスであるためで、 フランスにおける若いイスラム教徒のラディカライズは、ISIS以前から根深い問題になっていたのだった。
前述のWill New Yorkの宿泊施設に滞在していたフランス人の女の子がパリからやってきたその日に、私が部屋を案内しながら 窓を開けて彼女に見せてあげたのが、通りを隔てて向かい側にあるイスラム教のモスク。 そして半分冗談のつもりで「これはマンハッタン最大のモスクだから、ここに滞在している限りはテロの犠牲になる心配はないわよ」と 言ったところ、彼女は直ぐにスマートフォンでそのモスクを撮影して母親に送って、母親を安心させていたのだった。
その時、私は「ニューヨークっていうのは 外国人から見ると、常にテロの標的No.1に思えるのかな?」程度に考えていたけれど、 その後やってきたフランス人やイタリア人が 同様のリアクションだったので、 やはりヨーロッパ人の中に テロリズムとイスラム教を深く結び付ける意識があることを 実感してしまったのだった。

でも今日パリ在住の別の友人とコミュニケートしていて意外に思ったのが、彼女は1月のシャーリー・エブドの狙撃事件が起こった後でも、 今回のテロが起こるまで、「パリは ニューヨークよりも ロンドンよりも安全!」と信じていたということで、 金曜の夜にいきなりパリの街が戦場のようになった様子にショックを受けてしまったと言っていたのだった。
それを聞いて私が思ったのは、もう今の時代に安全が保証されている街など存在しないだけに、市民が安全だと思っている街ほど危険だということ。 ニューヨークでは、「9・11ほどのテロが起こったら、この後はそうそう起こらないだろう」と考える人などいないどころか、 「何時またテロが起こるかわからない」という警戒意識を抱き続けてきたので、バックパック1つが置き去りにされていただけで 「爆弾かもしれない」と疑って掛かるのが当たり前。街中のありとあらゆる場所に 監視カメラが設置されている上に、ISISに加わろうとしたブルックリン在住の若者が渡航前に逮捕されるなど、インターネット上のアクティビティまで 監視されて久しい状況。それが良いか悪いかは別として、常にテロだけでなく 様々な最悪のシナリオに備えるのが もはや現代社会の宿命。
でもニューヨークにおいて2001年以来続いている テロ警戒体勢の源になっているのは、恐怖心というよりは、 「ニューヨークにはテロリストのターゲットになりうる世界一の街のステータスがある」 というプライドと、そのニューヨークを守ろうという街への愛情。したがって世界の何処に住もうとも、自分の街にプライドと愛情を持つのであれば、 「テロの危険など無くて安心」というような意識を持つべきではないように思うのだった。

最後に、私が9・11のテロの後に テロと同じくらいに腹立たしく感じたと記憶しているのが、日本のメディアに「テロの後のNYは死んでいる」と書かれていたこと。 私は20年以上ニューヨークに暮らしているけれど、ニューヨークが死んだことなど一度も無かったし、ましてやニューヨークがテロに屈するなんて 侮辱と言えるほど失礼で、テロを”他人事”とだけ 考えているような言い分。
なので 私はパリという街がテロによって”死ぬ”ようなことは絶対に無いと信じているし、もしこの先 そんな事を言う人がいたとしたら、それは先入観に捉われた よそ者の意見であって、その人はパリが好きではないだけだと思うのだった。

Will New York 宿泊施設滞在



執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。

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