Nov. 21 〜 Nov. 27 2005




Sleepless In Paris



前回のコラムの最後で、今週は私が旅行中なので、このコーナーの更新が遅れてしまうかもしれないことを お断りさせていただいたけれど、 アメリカがサンクス・ギビング・ウィークを迎えた今週、私が機内泊を含めた5泊で出掛けてきたのがパリである。
ニューヨークからパリに行く場合、時差が6時間(パリの方が進んでいて)、フライトが7時間。すなわち、朝にNYを飛び立つと、その日は寝るだけのスケジュールになってしまうため、 この区間はオーバーナイト・フライトで飛ぶ旅行者が非常に多くなっているけれど、私もご多分に漏れずで、火曜の午後9時のフライトで パリに向かうことになった。
今回、初めてこの区間で利用した航空会社がエール・フランスであったけれど、これはただでさえエアが通常の3〜4倍の価格に跳ね上がるこの時期に、 他社のエアと同じお値段で、ホテル3泊が付いたパッケージをエール・フランス・トラベルが出していたからである。 しかも、ちょっと追加を払えば、パレス・ホテルと呼ばれるパリの一流ホテルの1つに滞在出来るため、私は迷わずこのパッケージを申し込み、 パッケージでカバーされない1泊分を自分で購入することにしたのだった。

私にとって、今回のパリ旅行を象徴するキーワードとなった「Sleepless/スリープレス」が始まったのは、先ずパリ行きのエール・フランス機内のこと。 まず、私の座席のTVが壊れており、さらにショックなことには、私のシートは隣の半分もリクライニングしなかったのである。 そこで、「席を替えて欲しい」とクレームしたところ、「フルフライト(満席)なので、他が無い」と あっさり断られ、 結局私は7時間のフライトを、ずっとアイポッドを聴きながら、目をパッチリ覚まして過ごすことになったのである。
世の中には、飛行機の中では眠れないという人は少なくないけれど、私の場合、離陸前に既に眠っていることも多いだけに、 フライト中の睡眠を計算に入れて予定を組んでおり、先ずはここで 「眠りの目算」が狂うことになってしまった。

パリ到着してみると お天気も良く、寝不足を忘れて、晴れ晴れした気分でホテルにアーリー・チェックインをしたけれど、 先述のパレス・ホテルと呼ばれる格付けはパリでは6軒のみで、その顔ぶれはジョルジュ・サンク・フォーシーズンス、 ル・クリヨン、リッツ、ル・ブリストル、プラザ・アテネ、そしてル・ムーリス。
このうち 私が滞在したのは、「ル・XXXX」 であったけれど、まず客室に通されてガッカリしたのが部屋が小さいことだった。 クローゼットやバス・ルームは使い易そうであるけれど、全身が映る姿見用のミラーが無く、シャワーヘッドにもホースが着いていなくて、今時のこのクラスのホテルにしては 珍しくトイレとビデが並んでいるような状態だった。

ちょっと失望しながらも、ホテルを出て向かったのが、ランチの約束があるサンジェルマン・デュプレのレストラン、ラトリエ・ドゥ・ロブション。 でも 「今回はあまりタクシーを使わず、地下鉄で移動しよう」などと思ったのが運のツキ。 しかも日本のガイドブックに載っていたロブションの位置が大間違いに間違っていて、リュ・デュ・バック駅から徒歩1分のこのレストランに行くために、 私は30分も近辺をグルグル歩き回ることになってしまったのである。 思えば、間違った地図を指差して、ポリスマンや通りすがりの人に道を訊いていたのだから、分からないのは当然で、 結局は 前回にパリに来た時にタクシーで同店の前を通り掛かり、その時の「斜めになった道のところ」というウロ覚えの記憶のお陰で、 何とかレストランに辿り着くことが出来たような状態だった。
同レストランをランチに選んだのは私のアイデアで、来春ニューヨークのフォーシーズンス・ホテル内に進出が決まっている同店を チェックしておこうという職業意識からであったけれど、確かに料理は美味しかったものの、前菜にオーダーしたエビ入りのラビオリは、 直径4cmほどのものがたった1つ。これにブラック・トリュフが黒ゴマのサイズに小さく刻まれたクリーム・ソースが掛かって、 26ユーロというお値段で、「この感覚でニューヨークに進出したら、デュカス同様、ニューヨーカーの洗礼を受けることになるなぁ・・・」と感じたのが正直なところだった。

ホテルに戻ってみると、部屋にはコンプリメンタリー(サービス)のティー・セットが用意されていて、カップも、ポットもナプキンも 優雅に並べられ、それにウェルカム・カードが添えられていた。なので、さすがにパリの一流ホテルは演出が素晴らしい と感心し、 暫くそのお茶を飲みながら、メールを打ったり、電話をしたりしていたけれど、寝不足とは言え、NYとの時差のせいで、 ベッドに倒れ込んだのは午前3時半。ところが眠いし、疲れているのに、全然眠れないのである。 この原因は部屋がどうしようもなく寒かったからで、温度表示は23℃となっているけれど、感覚的には14℃くらいで、 先ずはクローゼットの中の毛布を取り出して掛けたけれど、それでも寒くて寝付けないのである。
ここまで読むと、「フロントに電話してクレームをすれば良いのに」と思う方が多いと思うけれど、当然私もそれは考えていたのである。 でも身体がグッタリ疲れていて、「眠い、動きたくない、でも寒い・・・」という状態だったため、浅い眠りの中で 何回もフロントに電話をして、文句を言っている夢を見ては、目が覚めるという状態を繰り返しているうちに、結局は朝になってしまったのだった。

この日もランチの約束があるので、まずは目を覚ますためにTVを付けて、シャワーを浴びて、出掛ける準備を始めたけれど、 このTVというのが、10分置きくらいに音が聞こえなくなるというダサさで、最初はタイミング良く、電話が掛かってきたときに音が消えたので、 センサーでも付いているのかと思って、感激しかけたけれど、単に壊れているだけのようだった。
また髪の毛のブローをしようと思ってドライヤーを手に取ってみると、なんと指でボタンを押し続けていないと熱風が出てこないという代物で、 ロング・ヘアの私は、ブローが終わる頃には右手の人差し指が曲がったまま戻らないかと思うほどに麻痺してしまったのだった。 という訳で、私は1泊目にして、パリの パレス・ホテルともあろうものが、暖房も電力もケチっていて、「ホリデイ・インも真っ青!」というセコさであることにショックを受けてしまったのだった。
そこで、フロントに「シベリアのホテルみたいに寒い」、「TVの音が消える」、「ドライヤーで指が麻痺した」とクレームをしたところ、 その日の夜から部屋は温めてくれたし、TVも取り替えてくれて、外出から戻ってみると、別のドライヤーが届けられていた。

でも2日目の夜のサプライズは、友達とディナーをして午前1時半にホテルに戻ってみると、正面玄関がクローズしていて中に入なれいことで、 私は生まれて初めて門限があるホテルに遭遇して唖然としてしまうと同時に、一瞬とは言え、パニックに陥ってしまったのだった。 実際には良く見ると、「夜中1時以降はボタンを押して、スタッフを呼び出すように」と閉ざされた扉の横に書いてあったけれど、 あまりに小さいサインなので、最初は全く気が付かず、別のホテルに泊まりに行くことさえ考えてしまったのだった。
部屋に戻ってみると、昨夜のティー・セットが片付けられていなくて、これには興ざめしてしまったけれど、 「今日こそは良く眠ろう!」と決心した私はゆっくりお風呂に入って、再び午前3時にベッドに入ったのだった。 ところが、午前6時45分に その私を叩き起こしてくれたのが窓の外から聞こえてくる「ゴーン、ドターン」という騒音の連続。 待っても止む気配がないこのノイズに 眠りを妨げられて、すっかり気分を害した私は、フロントに電話をしてクレームをしたけれど、 フロントは「ノイズの心当たりが無いので、人を送る」という。そこで、私はローブを羽織って待っていたけれど、その「人」というのがなかなか現れず、 この間、私は逆に「ホテルの人が来るまでノイズが続いてくれますように・・・」と願う状況だったのである。
そして現れた人間はフランス語しか話せないハンディマン。彼が窓を開けてノイズをチェックしたせいで、部屋は冷気で満ちてしまったけれど、 騒音の原因はゴミのコンテナの運び出しのせいだということが判明。でも、彼は私がフロントに報告するようにと言うので、 仕方なく電話を掛け、「ゴミの運び出しのノイズらしいんですけれど・・・」と言うと、先方は図々しくも「We Know」と言う。 だったら人なんて送る必要は無かった訳だけれど、さらに憎らしいのは「ゴミのトラックは明日も来る」などとあっさり口走ってくれること。
「こんな高いホテルなのに、窓に騒音対策も無いなんて・・・」と切れ掛かって文句を言う私に対して、部屋を変えてくれるオファーはしてくれたものの、 部屋を移るには、荷物をパッキングしなければならない訳で、これがまた面倒であることを伝えると、 「それなら、荷物はその部屋に残して、別に眠る部屋を別に用意するから」と意味不明なオファーをしてくる。 でも、そんなことをすればさらに不便になることは目に見えている訳で、このあまりに馬鹿げたオファーに 完璧に腹を立てた私は、 「今まで泊まった中で一番酷いホテル!」と言って電話を切ったけれど、帰ってきた答えは「コンシアージュに伝えておきます」だった。

こうして、またもや眠ることが出来なかった私は、「部屋を移るか?、ホテルを移るか?」と思ったので、 頭がボケボケした状態で、パッキングを始め、終わったところで、フロントに文句を言いに出掛けたけれど、 顧客担当のディレクターが文句を言う以前に謝罪にやって来て、既に時遅しではあったものの、パッキングしなくても荷物を移してくれること、 初日の宿泊を50%オフにしてくれること、今度は静かで、暖かい部屋に移してくれることを約束してくれたのだった。 実際、朝食後に移してくれた部屋は、キング・サイズ・ベッドで、以前の部屋の1.5倍はある大きさで、バスルームには姿見のミラーもあったし、 シャワーヘッドはホース付きで、体重計も針ではなく、デジタル表示に変わっていた。
またディレクターはわざわざ部屋までアテンドしてくれて、部屋の隅々までをチェックし、私の”特注”ドライヤーも前の部屋から取り寄せてくれた。

この丁寧な対応に私も、気分を取り直して 3日目の予定をこなし、「今夜という今夜こそは、 眠らなければ!」と思い、午前3時にベッドに入ったのである。 しかしながら、歴史は繰り返すもので、この日も私の眠りを妨げたのが 部屋の寒さ。でも今回は以前ほどは酷くなかったので、毛布2枚の重ね掛けでそれを凌いだけれど、 早朝になると、壁の向こう側で「ドンドン」というか「ゴツンゴツン」という何かがぶつかるノイズ、水が流れるノイズが聞こえてきて、目が覚めてしまった。
私はてっきりメイドの準備室でも隣にあるのかと思っていたけれど、後からマネージャーに訊ねたところ そのような物はなく、 結局はビルの建て付けが悪いという、解決策の無い問題であることが判明しただけだった。

そうして迎えた最後の4日目の夜は、さすがに暖房もちゃんと入れてもらったけれど、今度は別の客室で盛り上がっているお客の声が煩くて、 やはり眠りが妨げられてしまった。これはホテル側のせいではないとは言え、「やっぱりこのホテルは壁が薄い」というのが私の偽らざる感想である。
結局、今回のパリ旅行の機内1泊、ホテル4泊の間に私が眠ったのは、恐らく12時間以下。
だから、一刻も早くニューヨークに戻って、自分のベッドで眠ることを心待ちにしながら、シャルル・ド・ゴール空港にやってきたところ、 やはりアメリカのサンクス・ギビング・ウィークの最終日とあって、空港は大混雑。 チェックインを済ませるために1時間半行列し、カウンターに辿り着いたところでエール・フランスの職員に言われたのが、 私が乗るNY行きの便はオーバー・ブッキングされているとのことで、乗れるかどうか分かるまで、チェックインが出来ないので、別のカウンターに行けという。
1週間前にリコンファームした私のシートは、別の人に取られている可能性があるとも言われ、もしその便を逃すと、次の便は7時間後。 私がここで、いかにもフランス的だと思ったのは、「次の便でも、夜の11時にはニューヨークに戻れますから・・・」という、 「Time Is Money」的概念が全く欠落した説得ぶりだった。

仕方なく 別カウンターに出掛けてみたけれど、そこで驚いたのは、エール・フランスがオーバー・ブッキングしていたのが、 私が乗るニューヨーク行きの便だけでなく、同じ時間に飛び立つ、ボストン、シカゴ、ロサンジェルス行きの便についてもだったということ。 だから、別カウンターには4便の乗客がチェックインを求めて殺到していたけれど、大きな荷物を抱えた人々の間を縫ってカウンターに辿り着けたのは、 「1分でも早くニューヨークに戻って、1分でも長く眠りたい」と、切望していたからだと言えるかもしれない。
結局、私は予定通り1時15分に飛び立つ便に乗ることが出来たけれど、私同様、飛行機に乗り込めたニューヨーカーの何人かと話したところ、 皆、エール・フランスの職員を怒鳴りつけたと言っていて、「2度とエール・フランスだけには乗らない!」と異口同音に語っていたのだった。
また、機内で隣になったアメリカ人女性などは、以前エール・フランスにスーツケースごと紛失されたことがあったそうで、その時、保証されたのは僅か100ユーロ。 「下着3枚分にも満たない金額」と呆れていた。

JFKに着いてみると、案の定、入国審査やタクシー乗り場も長い行列であったけれど、 入国審査はヴィジター用だけで、20の窓口が全開だったし、タクシーにしても次から次へとやってくるので、混雑はストレスにならなかった。 タクシーを待つ間に、同じくエール・フランスでパリから戻ったニューヨーカーと話していて、 彼が言ったのが「There is no place like home. I love New York !」。
私も全く同感だった。



Catch of the Week No.2 Nov. : 11月 第2週


Catch of the Week No.1 Nov. : 11月 第1週


Catch of the Week No.5 Oct. : 10月 第5週


Catch of the Week No.4 Oct. : 10月 第4週





執筆者プロフィール

秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。