Nov. 18 〜 Nov. 25, 2013

” Give Yourself a Makeover ”


11月22日 金曜日は、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺から50周年とあって、今週はケネディ大統領とその暗殺の 報道が、まるでつい最近の事件のようにメディアで大特集されていたのだった。
ニューヨーク・ポスト紙は、1964年11月22日の大統領暗殺直後に発行した号外の全ページを、当時の広告も含めて そのまま再プリントしていたけれど、 ケネディ大統領の暗殺が当時のアメリカを激震させる大事件であったのは今更言うまでもないこと。
1964年11月22日は、奇しくも今年と同じ金曜日で、当時のウォールストリートは 大統領暗殺のニュースを受けて 株価があっと言う間に21ポイント下落。当時の21ポイントは、現在の464ポイントに相当するとのことで、 この大暴落を受けて 株式市場は午後2時に急遽閉鎖されるという異例の事態が発生。
週明け月曜日は、大統領の葬儀が行われたために この日も株式市場はクローズし、取引が再開されたのは火曜日になってからであったという。

ニューヨーカーが9・11のテロの日の事を分刻み、秒刻みで覚えているのと同様、 全てのアメリカ人が ソーシャル・メディアも携帯電話も無かった時代に起こったこの惨劇を 自分が何をしている どんな時に、誰から どうやって知らされたかを 非常に事細かに覚えていて、 メディアのインタビューを受けたアメリカ人の殆どが、トム・ハンクスのようなセレブリティから 一般の人々に至るまで、 その時のことを話しながら 涙ぐむ様子が見られていたのが今週。

そんなケネディ大統領暗殺50周年の週に、駐日大使に就任したキャロライン・ケネディのニュースは、 アメリカでも大きく報道されたけれど、キャロライン・ケネディは ジョン・F・ケネディ・ジュニアが1999年に飛行機事故で死去しているため、 ジョン・F・ケネディ大統領とジャクリーン・ケネディ・オナシスの血を受け継いだ唯一の生き残り。
それと同時に、2008年大統領選挙の際には 民主党候補として ヒラリー・クリントンを推すと見られていたケネディ家から、 いち早く オバマ支持を打ち出し、当時の ”何処の馬の骨だか分からない”という印象だったオバマ候補に ケネディの後ろ盾 という ”格” を持たせた存在。 それだけに、政治経験ゼロのキャロライン・ケネディの 駐日大使というポジションは、 オバマ支持に対する ”お礼人事”という見方が強いけれど、 親善国大使のポジションが こうした政治駆け引きに使われるのは決して珍しくはないこと。

とは言っても キャロライン・ケネディが最初に狙っていたのは、実はヒラリー・クリントンが国務長官に就任後、空席となるはずだったニューヨーク州上院議員の椅子。 このポジションは選挙ではなく、州知事の指名で選ばれることになっていたけれど、ニューヨークの上院議員といえば政治のエリート職。 「いくらケネディでも チャリティ活動しかしたことが無いキャロライン・ケネディに 勤まるはずが無い」という大反対が、NYの世論だけでなく、民主党内からも聞かれていたのだった。 このため、 「政府職員になるための個人資産公開をしたくない」という理由で、この時はキャロライン・ケネディが 候補から退いているけれど、 大統領の娘が 資産公開の義務を知らなかったはずは無い訳で、これが名前に傷がつかないように辞退する手段であったのは明らかなのだった。
今回、駐日大使のポジションに就くにあたっては、キャロライン・ケネディは個人資産を公開しており、それによれば彼女の資産総額は 約5億ドル(約500億円)。
ちなみに、ボストン・レッドソックスのホーム・ゲーム中に流れる ニール・ダイヤモンドのヒット曲「スウィート・キャロライン」の、”キャロライン” とは、 キャロライン・ケネディのこと。同曲がヒットした当時は まだ珍しかったケネディ大統領の娘の名前を 歌詞に使ったことは、 作曲者であるニール・ダイヤモンド本人が認めていることなのだった。


さて、NY市のニュースに目を向ければ、次期市長であるビル・デブラジオが 選挙中に 止めさせることを公約に謳ったのが 人種に基づく捜査手段、 ”ストップ&フリスク”であるけれど、 これをNY{PD(NY市警察)が自粛するようになったのが 州裁判所がこれに対する違憲判決を出して以来。
現在はその控訴中であるけれど、その結果、何が起こっているかと言えば、 拳銃の押収率が 12%も 著しく低下した一方で、発砲事件が2.3%アップするという事態。 このためビル・デブラジオが市長就任後、NYの税率と 犯罪発生率が同時にアップすることが危惧されているのだった。

そんな中、数ヶ月前からアメリカの都市部で発生し、このところNYでも起こり始めたのが ”ノックアウト・ゲーム” と呼ばれる 新しい ヴァイオレンス。 これは主に黒人ティーンエイジャーのグループが、全く無防備な通行人に対していきなり殴り掛かり、 そのネーミング通り ノックアウト してしまうというもの。ノックアウト・ゲームのターゲットになっているのは、 白人、ヒスパニック等、黒人層以外で、物取りが目的ではなく、 単に 暴力を振るって楽しんだり、 その様子をソーシャル・メディアにアップするというもの。 したがって 人種に基づく ”ヘイト・クライム” というカテゴライズがされているのだった。
ニューヨークで 今のところ この事件が起こっているのは、ブロンクスとブルックリンで、11月にその被害を受けた中には、 年配女性も含まれており、事件が起こったのは 日中。 犯人の黒人少年は 彼女のハンドバッグやジュエリー等には一切手を付けず、ただ一発殴って立ち去ったという。
写真上は、16歳の少女に対して 犯人が 後ろから殴りかかった様子を捉えたビデオの連続写真であるけれど、 中には、被害者が殴られて気を失った写真をソーシャル・メディアにアップしたり、 白人少女を殴って、彼女が血まみれになった姿を 「面白い!」などと、その様子をツイートする呆れた犯人もいる始末。
特に黒人住人と、ユダヤ教住人の対立が長く続く ブルックリンのエリアでは、 黒人ティーンエイジャーがユダヤ教信者をターゲットに ノックアウト・ゲームを行っていることが大きく問題視されており、 これを受けて来週からは ブルックリンのハイスクールで、ノックアウト・ゲームの危険性についての説明会が行われることになっているのだった。



さて、話は替わって2週間ほど前に アメリカのメディアを賑わせたのが上の写真。
この写真は、普通のルックスのモデルにヘア&メークを施し、それを更にフォトショップで デジタル大修正した写真。 したがって、かなり作り物っぽいイメージになっているのは仕方が無いけれど、 そのプロセスを一部始終を 早送りのスピードで収めたのが以下のビデオなのだった。(最初に30秒のCMが入ります)


肌の色艶から、首や脚の長さ、顔のディテールに至るまで、修正されているので、 今やモデルが モデル顔&モデル体型をしている必要さえ無いと言えるけれど、 ここまで劇的にフォトショップで修正するのはかなりの手間。
でもフォトショップの大々的な修正が無くても、ヘア&メーク、ファッションのメークオーバーをするだけでも かなり違うのはもちろんのこと、写真撮影の際のライティングや撮影アングルを変えるだけでも、 肌の色艶や、写真写りが劇的に向上するのだった。
その好例と言えるのが以下の写真。


全くプレーンなルックスの女性が、モデルとしてポーズをして様になっているけれど、 ここまで劇的なメイクオーバーでなくても、ルックスが向上するということは 本人に自信が付くだけでなく、 周囲の観る目や、周囲からの扱いも変わってくるので、結果的に人生が向上するということ。
私は、今週の Favorite of the Week のセクションでもご説明した通り、 これから女性のためのライフスタイル留学のプログラムをスタートすることにしているけれど、 その中で、外観のメイクオーバーをプログラムに加えているのは、そんな外観の向上も 人生のターニング・ポイントになり得ると考えているためなのだった。

そのため、私はメイクオーバーについても随分リサーチをしたけれど、 そんな中、ニューヨーク・ポスト紙の記事で見つけたのが “The Get Laid Haircut / ザ・ゲット・レイド・ヘアカット”。 ”ゲット・レイド”とは セックスをするという意味のスラングで、 ”セックスから遠ざかっていた人でも、相手が見つかるヘアスタイル”という意味。
その ”ザ・ゲット・レイド・ヘアカット”の効果は以下の写真の通り。


この写真の変化を見た人は、誰もが 「整形手術もしないで、こんなに変わるならメイクオーバーをするべき!」と 思ったようだけれど、 ヘア・カットやヘアカラーだけでなく、メークのパワーも非常に大きいのがこのメークオーバー。
それに加えて、モデルになった女性の顔の表情や視線までもが フェミニンに変わっているのは驚くべきこと。 やはり人間の表情は、 外観を作ることによって 引き出されると言えるのだった。

また、昨今は男性もメイクオーバーをする時代。
男性がメイクオーバーをすることによって 最も変わるのは女性からのウケで、 その意味では、”ザ・ゲット・レイド・ヘアカット” が効を奏すのは 女性よりむしろ男性と言えるのだった。
以下の写真2例は、その男性版 ”ザ・ゲット・レイド・ヘアカット”。
男性はメークはしていないけれど、ヘアカット以外に フェイシャル・ヘア、すなわち髭や眉にプロが 手を入れることによって、とても洗練されたイメージになっているけれど、 写真上の女性同様、彼らの表情も ルックスの向上と共に改善されているのが見て取れるのだった。


私の考えでは、メイクオーバーというのは自分以外の人間の視点を取り入れて行うべきもの。 というのも、自分のルックスというのは生まれた時から見慣れているだけに、どんなにファッションやビューティーに関心がある人でも 自分で自分を変えようとするのは アイデアが出尽くしていたり、自分の殻が破れないケースが多いのだった。
もちろん、自分自身が好きな自分になることは メイクオーバーの大切なコンセプトであるけれど、 そうするために自分の好みや、考えだけを頑固にルックスに反映させていたら、変化や新しい可能性は望めないと思うのだった。

基本的にルックスを大きく向上させるためのメイクオーバーのポイントと言えるのは、ヘア・スタイル&ヘア・カラー、眉のシェイプ、 そして歯並び&歯の白さ。特に スマイルを重んじるアメリカ社会では、せっかくの笑顔でも 歯並びがガタガタというのは、興醒めのポイントの1つなのだった。

前述のようにメイクオーバーをすると自分に自信が付くものだけれど、 私の考えでは その自信というものが メイクオーバーで最も大切な要素。
世の中には 決して美男、美女でなくても、人気者だったり、モテたり、社交が上手な人が沢山居る反面、 美男、美女でも さほど人から好かれる訳ではなく、チヤホヤされる訳でも無い人は多いもの。 すなわち、ルックスというのは周囲の関心や気持を捉えるきっかけを作る武器ではあるものの、その決定打にはならないと言えるのだった。
そこで、パーソナリティやキャラクターという内面の要素が浮上してくるけれど、 パーソナリティやキャラクターで人を魅了するには、自分らしく振舞うのが一番。 でも その自分らしい振る舞いを 誰の前でも 自然に出来るようにするには、 自分に自信を持つこと、「自分らしく、自然に振舞えば 人が認めてくれる」という確固たる信念が とても大切になってくるのだった。


でも、私が最も驚いたメイク・オーバーは写真上。
3枚の写真は、全てエリオット・セイラーというモデルの写真。 彼女は性転換者ではなく、れっきとした女性。フォード・モデル・エージェンシーに属し、 広告写真等にキャスティングされてきたけれど、 25歳で中年扱いのモデル業界であるだけに、31歳を迎えた彼女は徐々に仕事が減ってきてしまったという。
そんな彼女がふと気付いたのが、 男性モデルは若さに関係なく仕事があるということ。 そもそも彼女のボディは筋肉質で、肩幅が広く、男性的。顔立ちにしても、 顎の線が強く、眉が太く、自分でも日ごろから鏡を見て 「男性が女性のメークをしたような顔」と 思っていたいう。
そこで、彼女は長いブロンド・ヘアをバッサリとカット。自らを男性モデルとして売り込むことにしたのだった。
すると、その途端に舞い込みだしたのモデルの仕事。 実際のところ、女性モデルであればエリオットより スタイルが 良い美女はゴロゴロしているけれど、 男性で これだけ美しい顔立ちのモデルを探すのは かなり難しいのが実情。
エリオットは、今では男性モデルとしての仕事をしていない時でも男装していることが多く、 その理由はメークをせず、スニーカーとジーンズを履いていられるので、楽だからとのこと。
メイク・オーバーすると通常は、ヘアやメークに手を掛けるようになるものだけれど、 彼女の場合は逆。幸い、彼女の夫は モデル業のためのメイク・オーバーをサポートしてくれているというけれど、 2人が一緒に歩いていると ゲイ・カップルだと思われることが多いという。
また、エリオットは 男装していると、男性が彼女のためにドアを開けてくれなくなったとも語っているけれど、 それだけでなく、エレベーターなどでは、他の女性を先を譲って、男性同様に後から降りるようになったとのこと。

そもそもメイクオーバーというのは、外観で仕事や生活にメリットをもたらすために行うものであり、 自分を若々しく、美しく見せること、時にリッチに見せることが大切な場合が殆ど。
でもエリオットが属していたモデル業界は、女性として外観の若さと美しさを追求したところで、 競争が激しすぎて勝算が見込めない世界であるだけに、 男性として自分をメイクオーバーをして、ユニークで他に無い男性美を追求するというのは、まさにアイデアの勝利。
このことからも メイクオーバーというものは、視点を変えることによって 様々な変化や可能性をもたらしてくれると言えるのだった。





執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。 丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。


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