Dec. 1 〜 Dec. 7 2003




「ラスト・サムライ」アメリカでの評価とトム・クルーズ考


12月5日の金曜日からは、アメリカでトム・クルーズ主演の「ラスト・サムライ」が封切られている。
この作品は、ご存知の方も多いかと思うけれど、トム・クルーズが 南北戦争上がりの武器コンサルタントとして、 明治天皇の軍隊の武装の手助けに1876年の日本にやって来るという設定で、 彼が武士道を守ろうとするサムライによって捕われの身になってから、 日本の伝統や精神に共鳴を覚え始めるというもの。
渡辺謙、真田広之といた日本人俳優がメイン・キャストとして出演していることもあり、 アメリカの日本人社会でも、この映画への関心はすこぶる高いと言えるけれど、 残念ながらアメリカのメディアにおけるこの作品のレビューは、それほど評価されているとは言い難いのが実際のところである。

アメリカでは通常、話題作の新聞広告には、いくつのメジャー・メディアで4つ星の評価を獲得したかを 評論家よる賞賛のコメントと共に掲載するものだけれど、 「ラスト・サムライ」の広告には、1つも4つ星評価は見られていない。 また、広告に掲載されている批評家の賛辞にしても、映画評論としては極めてステイタスが低い ファッション誌のエルの評論家のコメントや、映画評論家ではないCNNのトーク・ショー・ホスト、 ラリー・キングのコメント、そして殆どの作品を賞賛する批評家イバート&ローパーの コメントを3回に分けて掲載するなど、冴えないもので、 同じ日本を描いた作品でも、この秋のサプライズ・ヒット、「ロスト・イン・トランスレーション」が ロー・バジェットのインディーズ・フィルムにもかかわらず、 4つ星評価の大行進を見開き2面広告で打っていたのとは対照的である。
「ラスト・サムライ」の広告にニューヨーク・タイムズ、ロサンジェルス・タイムス、ワシントン・ポスト、USAトゥデイといった メジャー・メディアの論評が一切掲載されていないのは、 これらから良いレビューをもらえなかったために他ならないけれど、 ニューヨーク・タイムズは「C+」、USAトゥデイは「C」という、 かなり厳しい評価を下しているのが実情である。

不評が集中しているのはもっぱらトム・クルーズの演技で、「彼は歴史物を演じるにはモダン過ぎる」、 「時々、携帯電話が鳴るのを待っているような表情をする」等と、 彼のルックスと演技が時代設定をリアルに見せるだけの説得力が無いことが指摘されている。 インターネット上で最も影響力を持つ「フィルム・クリティック・ドット・コム」のレビューは、 「トム・クルーズを輝かせようとするあまり、映画全体が被害を受ける結果になった」というセンテンスで締めくくられているし、 ニューヨーク・ポスト紙の映画評論家、ルー・ルメニックは、「トム・クルーズに出来る感情表現は、彼のトレードマークになっている白い歯を覗かせて笑うことと、 眉間にシワを寄せて睨みつけるだけ」として、彼がラストに自国の伝統を重んじるようにと解くシーンは、 「茶番に聞こえる」と酷評する。一方、ニューヨーク・タイムズでも同じシーンを 一夜漬けのカルチャー・エクスパート、「ザ・カラテ・キッド(ラルフ・マッチオ主演の80年代の 日本文化勘違いムービーの代表作)」に通じる世界であるとしている。
さらに、「どうして異文化から隔離されていたあの時代のサムライが、天皇よりもまともな英語を話すのか?についての説明が無い」とか、 小雪扮するトム・クルーズの世話をする女性について「彼女は あの時代の日本にしては、卓越した技術を持っている。1カ月も捕われの身になったはずの トム・クルーズが、ビバリーヒルズのヘアサロンから出てきたばかりかのように グルーミングされている」などと、皮肉めいた指摘もあれば、 「もしこのストーリーが本当だったら、パール・ハーバーはこいつ(日本の軍隊に西洋武器を持ち込んだトム・クルーズのキャラクター)のせいだ」 などと、半ば冗談めいたコメントもレビューには見られている。
総じてアメリカ人の批評家の目には「ラスト・サムライ」は、 メル・ギブソン主演監督の「ブレーブ・ハート」やケビン・コスナー主演監督の 「ダンス・ウィズ・ウルフ」のクロサワ・バージョンに映っているようで、 一様に高く評価されているのは、スペクタクルな戦闘シーンや刀を使うアクション、 そしてケン・ワタナベの演技である。ニューヨーク・ポスト紙が トム・クルーズを酷評し、作品自体も「まがい物」としながら、2つ星を与えているのは これらの部分を評価してのものである。

私は、個人的に昨今のトム・クルーズの主演作は「ヴァニラ・スカイ」にしても「マイノリティ・レポート」にしても、 彼のスターとしてのナルシズムがネガティブに出る傾向が続いていると思って見ていたので、 正直なところ、これらの批評を読んで「推して知るべし」という気がしたのが本音である。
日本人の中には、先述のレビューを快く思わない人も居るかもしれないけれど、 私にしてみれば、アメリカ人が「日本の武士道は、アメリカ人がひょっこりやって来て 身に付くような浅いものではないから、トム・クルーズの演技が薄っぺらに見える」と言ってくれるのは、 日本の文化と伝統に対するアメリカ人の敬意であると受け取れると思っている。
恐らく批評家たちとて、武士道やら、日本の文化の本質や、当時の日本人気質が何たるかは はっきりと理解していないと思うけれど、分からないなりに「そう簡単に理解できるものではない」と考えていてくれることは、 分かった顔をして偉そうに説教をしたり、間違ったことを分かったと思い込んでいるよりも ずっと有り難いことであると私は思うのである。
私がアメリカに15年暮らしていて、快く思わない事の1つに「日本通」を自称するアメリカ人に 日本について間違ったことを「教えられる」ことで、 日本に生まれ育って、日本語を話す日本人の私が「それは違う」と言っても、 決して引かないほど彼らの思い込みは強かったりする。 こうした「日本通」は、勝手に思い込んだ日本に惚れこんでいる訳だけれど、 その思い込みというのは、常に間違っている訳ではないのも事実である。 でも一国の文化や国民性というのは、そうした思い込みほど一面的なものではない訳で、 私は「日本通」が思い込む日本ほど 魅力の無いものは無いと感じることもしばしばである。
「ラスト・サムライ」のレビューを読んいて、この映画が 「日本通の思い込み」に通じる、「間違ってはいないけど、今1つ深みに欠ける日本(もしくは武士道)を アメリカ人が説いている」ように感じられてしまった私としては、 アメリカ人批評家がこの映画を厳しく評価する事は、 日本に対する理解が深くなりつつあるように感じられて、喜ばしくさえ思えてしまうのである。
もちろん中には、シンシナティ・エンクワイアというような聞いたことも無いメディアが 「A」の評価を与えて、トム・クルーズがインタビューで語っていた通りに 映画を捕えて絶賛していたりもするけれど、 こうしたレビューは読んでいても鋭い知性が感じられず、 やはり「田舎のメディアは甘い」と思わせるものになっているのである。

私は以前は自他共に認めるトム・クルーズ、ハリソン・フォードのファンであったけれど、 2人とも、ここ数年の作品を観て、すっかりその熱が冷めてしまったスターである。 もちろん以前の映画を見ると、今でもとてもチャーミングだと思うけれど、 ことトム・クルーズに関しては、二コル・キッドマンと離婚をして、 ぺネロピー・クルーズとくっついてからというもの、好きではなくなってしまった。
これは彼の生き方が、世界的な映画スター、人種や国境を越えて支持されるスターになるための シナリオにしか見えなくなってしまったためで、こうした彼の生き方は今後発売される 彼の未承認のバイオグラフィー「クルーズ・コントロール」の中にも描かれている。
彼はオーストラリア人の二コル・キッドマンと結婚して、オーストラリア、ニュージーランドといった ハリウッド大作を撮影する際に最も重要なロケ地での人気と政治力を獲得したかと思ったら、 黒人の子供を養子でもらい受けたり、「ミッション・インポッシブル」では 黒人俳優を相手役とサイド・キック(相棒)役にキャストし、 「トム・クルーズは人種の壁を意識しない」と黒人社会に言わせ、 そうかと思ったら、アメリカ最大のマイノリティに膨れ上がったヒスパニック層のウケを狙うかのように、 二コルからぺネロピーに乗り換え、スペイン語を勉強して、 ヨーロッパ、南米を含むラテン民族攻略のためのスペイン語映画の製作も考えているという。
今回の「ラスト・サムライ」にしても、 トム・クルーズが「何かアジア人受けのプロジェクトをしなければ…」という、 マーケティング見地から取り組んだように感じられてしまうので、 私はこの映画を観るつもりは以前から無かったし、 観ていないだけに映画については何も個人的には述べるつもりは無かったりする。

でもレビューではトム・クルーズの演技力についてかなり厳しい指摘が見られたけれど、 私の目から見れば、彼は実生活そのものが「俳優としてのイメージを保つための演技」の連続な訳だから、 映画における演技というのは、言わば「劇中劇」のようなもので、それにあまり高いレベルを要求するのは 無理な話とも思えるのである。
彼は私生活でも「ナイス・ガイ」俳優として、気さくに、誰にでも親切にフレンドリーに振る舞い、 時にエージェントやパブリシスト等に対して腹を立てるだけの人間性を演じているのだから、 映画の中で ニューヨーク・ポスト紙のルー・ルメリックが指摘するように「トム・クルーズに出来る感情表現は、彼のトレードマークになっている白い歯を覗かせて笑うことと、 眉間にシワを寄せて睨みつけるだけ」という演技になってしまっても、それは仕方がないというものである。
これに対して、誰もが演技力を認めるラッセル・クロウなどは、 その私生活での人柄を「チャーミング」という人も居れば、「本当に嫌なヤツ」という人も居るわけで、 親切にしたり、シャイな一面を見せたかと思えば、憮然として、酷い態度も取るわけだけれど、 その私生活で見せる感情の幅広さは、ある意味で演技の深さに現れているようにも受け取れるのである。
とは言っても、人間は多かれ少なかれ、毎日演技をして生きている訳で、 「出来た人間」と言われる人ほど、嫌いな人にも笑顔で接し、内心ショックを受けていても「大丈夫!」などと 言ってみせるものである。 これが、大スター、ことに若くしてビッグなセレブリティになってしまうと、 こうした私生活の演技(時に我慢)をしなくても、 周囲がチヤホヤしてくれるようになるから、気に入らない事は顔に出すし、 とんでもなく我がままな態度を取ることになる。ハリウッド・スター達がこれをしてくれなかったら、 多くの芸能ゴシップ・メディアはネタがなくなってしまうとも言えるけれど、 トム・クルーズの場合、大スターになってからもこの演技をずっと続けているのだから、 その点で彼のハリウッドでの評判が良いのは、十分納得できるものである。
また、何処の国に行っても「その国が大好き!」というところを見せる、押さえどころの理解度も ハリウッド・スターの中では群を抜いているのが彼であり、 トム・クルーズが成るべくして成った「インターナショナル・スター」であることは、 認めざるを得ない事実なのである。

ちなみに、「ラスト・サムライ」の公開第1週目週末の興行成績は、 $24.4ミリオン(日本円にして約26.8億円)で、今週末のNo.1ムービーになってはいるものの、 この数字はトム・クルーズ主演作としては決して高い方ではなく(1999年に公開された 「アイズ・ワイド・ショット(公開第1週売上約$21ミリオン)」以来の低い成績)、 その制作費を考慮するとさらに手放しでは喜べない売り上げであると言わなければならない。




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