` CUBE New York Catch of the Week




Feb. 24 〜 Mar. 2 2003




私が知るインスタント・ミリオネア

先週のこのセクションで、インスタント・ミリオネアの話題に触れたけれど、 宝くじの当選確率を考慮しても分かる通り、インスタント・ミリオネアというのは そう周囲にゴロゴロしているものではない。
でも先週のこのセクションを書いている最中、私にもインスタント・ミリオネアの知り合いがいたことを ふと思い出してしまった。 もうかれこれ5〜6年ほど前の話になるけれど、当時通っていたジムのメンバーだった アレンという男の子が、遺産相続によってある日突然 億万長者になった インスタント・ミリオネアだったのである。
私が彼に出会ったのは、彼が既に遺産を相続してからのことで、 彼がそれまで暮らしていたワシントンDCからニューヨークに 移り住んできたばかりの頃だった。 当時の私のパーソナル・トレーナーに「面白い奴が(ジムに)入って来たんだよ」といって紹介されたのが アレンで、当時、彼のインスタント・ミリオネア話はジムでもかなり有名だった。
以来、私と彼は 短い間だったけれど友達付き合いをしていたし、共通の友人も居たので 彼のことはよく知るようになったけれど、彼は本当に不思議な運命の持ち主だった。
私が知り合った時点で 彼は29歳であったけれど、この時点で既に彼の身寄りは 精神を病んで施設に入院している妹、ただ1人になっていた。 アレンには妹以外に 両親を含め11人の家族と親戚が居たが、その全員が心臓発作や交通事故、自然死などで 他界しており、そのうちの7人の死亡の第一発見者が彼であったという。
彼は幼い頃から「お前みたいに運の悪い子は居ないよ」と母親に馬鹿にされながら育ったというけれど、 若くして身寄りが無い上に、施設に居る妹の面倒を見て、 ウエイターをしながら生計を立てる毎日は、決して幸運な人生とは言い難いものだった。 でもそんなアレンの生活は、彼がその存在さえも知らなかった祖母の遺産が転がり込んで来た時点で 大きく変わることになる。
3軒のビルと、数億円のキャッシュ、株式を相続した彼は 直ぐに財産の管理人を見つけ、ウェイターの仕事を辞めて NYに移り住み、 私が出会った頃には仕事もせず、毎日ジムで身体を鍛えては、夜遊びをしたり、バーニーズで買い物をしたりという毎日を過ごしていた。
ここまで聞くと「羨ましい」と思う人もいるかもしれないけれど、彼のミリオネア・ライフは 私の目からは決して羨ましいと思えるものではなかった。
彼は決してルックスが良い訳ではなく、自分でもそれを自覚していたので、バー等で女性に会う度に 遺産相続の話をして、自分がミリオネアであることを餌に女性達の関心を惹き付けていた。 事実、彼を見ても何のリアクションも無ければ、モーションもかけてこない女性達が、 一度彼がミリオネアであることを知ると、ビックリするほど積極的に彼にアプローチをして来た。
また彼が頻繁にバーニーズでショッピングをしていたのも、決してバーニーズで売られている服を好んでいた訳ではなく、 「バーニーズの袋を持って歩いていると、女性達が関心を払って来る」というのがその理由で、 彼によれば、「バーニーズの紙袋がきっかけで何人の女性を引っ掛けたか…」とのことだった。
でも彼は そうやって財産をひけらかして知り合った女性達のことを 決して信用せず、常に「金目当ての女達」と警戒したり、軽蔑したりしていた。
私は一度、「自分には金目当ての女の子しか寄って来ない」とこぼす彼に 「それなら自分がミリオネアだなんて女の子に話さなければ良いのに…」と言ったことがあったけれど、 「人生は1度しかないし、自分も親や親戚みたいに何時死んでしまうか分からないんだから、 使えるものを全部使って楽しむんだ」とのことで、その姿勢を改めることなど全く考えていなかった。
そんな状態だから、彼は何人もの女性とデートしては別れる、それも自分から振ってしまうというのを繰り返していたけれど、 相手が信用出来ないというのは 決して女性に対してだけの話ではなかった。
彼は男友達が例え冗談でも「ミリオネアなんだから、今日はアレンのおごりにしようぜ」などと言おうものなら、 「あんな金目当ての奴とは付き合えない」等と言い出す始末で、ワシントンDCを離れる決心をしたのも、 昔からの友達が皆「自分にたかり始めた」、「自分を違う人間として扱い始めた」ためだったと語っていた。
その一方で、アレンは自分には何百ドルもの服をポンポン買うほど金遣いが荒く、 他人には自分が食べたいと言って 無理矢理連れて行ったファスト・フード・レストランの払いも割り勘にさせる程のケチぶりであった。
こんな状態が続いたので、私を含め、最初は彼の話を面白がって友達付き合いをしていた人々も やがて彼から離れて行ってしまった。 そして口々に「どんな大金を相続したところで、 アレンの中身は劣等感のかたまりのウェイターのままだ」、「自分で稼いだ財産じゃないから、 金持ちであることにさえ自信が持てない」等と彼を批判するようになっていった。
その後、彼はパッタリとジムに来なくなり、アパートもダウンタウンに引っ越してしまったとのことだった。
彼の消息を唯一知っていたのはユーゴスラビアからの移民のトレーナーで、 どうしてアレンが彼に頻繁に連絡を取っていたかと言えば、エクスタシーやコカインのバイヤーを そのトレーナーがよく知っていたからだった。 新しいパーティー・ドラッグが出るとアレンが大量に買い込んでいるという話を彼から何度か聞かされたけれど、 その消費量と分別のつかなさ加減は彼も呆れるほどだったそうで、 最終的にはそのトレーナーもアレンのことは見放してしまった。

私は当時、よくこの話を友達にして「お金で買えないものって沢山あるね」と言っていたけれど、 友情と自分に対する本当の自信というのは、お金、特にある日突然人から与えられたお金では得られないものだと 今も思っている。
でも、インスタント・ミリオネアになったことで、彼が確実に身に付けたのはインスタント・プライドで、 彼と話していると他人を見下したことを言うことが多かったし、バーやクラブでばかり女の子を引っ掛けていた にも関わらず、自分と結婚するに相応しいのは、その当時NYで盛大な挙式をした「ジューイッシュ(ユダヤ教)のプリンセス」のような存在だと、 夢のようなことを言っていた。(ちなみにジューイッシュ・プリンセスの縁組が成立するには、 アレンが相続した数億円の100倍以上の財産と、世界中の国々のハイ・ソサエティへのコネクションが最低限必要である。)
でもそうやってプライドばかりが高くなっても、自分には自信が無いので ミリオネアであることを明かさずして新しい人とは付き合えなかったし、 結果的に誰も彼の本当の友人になることも無かったのである。
実際、アレン自身もそのことを感じ初めていたのか、 彼と親しかった私の友達に「ウェイターをしていてお金が無かった時は、 お金さえあれば、全てが上手く行くと思い込んでいた」と語っていたという。
だから彼がその後ドラッグに走ったのは、それが買えるだけのお金があったということも あるだろうけれど、 「お金のある人生に失望して、そのはけ口を求めていたたためではないか?」と私は思っている。






アメリカン・フラッグの重み

今週のアメリカで大変な話題を提供していたのが、マンハッタンヴィルの女子カレッジ・バスケットボール・プレーヤー、 トニィ・スミス嬢(21歳、写真左)による「フラッグ・プロテスト」である。
これはアメリカ軍によるイラク侵攻に異議を唱えるスミス嬢が、シーズン開幕以来、 試合開始前の国歌斉唱の際に、ただ1人アメリカ国旗に背を向けて立っていたという、 言わば1人の大学生の戦争抗議行動であった。
ところがこのニュースを聞きつけたベトナム戦争元兵士が、2月23日の試合の際、 いつものように国旗に背を向けて国歌を聴いていた彼女の目の前に、アメリカ国旗を 広げて立ちはだかり、「国旗に背を向けるなんて、この旗のために戦って命を落としたアメリカ兵への 侮辱だ」として、彼女に対する抗議活動をし、警備員に退場させられるという騒ぎが起こったため、 このことは全米で論議を呼ぶ問題に発展してしまった。
彼女のこの「フラッグ・プロテスト」に対しては、2月11日の試合の際にも 会場となったマーチャント・マリーン・アカデミーが、観客に300ものアメリカ国旗を配り、 彼女が事実上、国旗に背を向けられないような措置が取られたことも伝えられている。
そしてこのニュースが大きく報道されてからというもの、その試合会場は、 バスケットボールの試合の場というよりも、アメリカ国旗をめぐる論争の場となってしまった。
「国旗に背を向けるなんて、愛国主義に反する」という意見と、「彼女の行動は言論の自由で保証された アメリカ人の権利だ」というのがその真っ二つに別れた意見で、 私が最初にこのニュースを聞いたときは、正直言って、戦争反対の気持ちをアメリカ国旗に対して向けるというのは 筋違いという気がしていた。
というのも、アメリカに長く暮らしていると、アメリカ人にとって国旗というものが単なる国を象徴する旗ではないことは 十分理解できるようになってくるためで、この国にとって国旗というものは 星の数が全米の州を表すというシンプルなものではないのである。
アメリカ国旗というものは、アメリカ人が最も重んじる「自由」の象徴であり、 それを守り、実現するために犠牲となった命やその歴史への敬意でもある。また、多民族の団結の象徴でもあると同時に、 国力の誇りでもあり、これが意味するものは非常に深く、広いものであったりするのである。 だから、ブッシュ大統領が戦争をしたがっているからといって、 アメリカ国旗にその抗議の矛先を向けるのは、 アメリカというの国の素晴らしい部分に対しても背を向けるように思えて、 私は感心出来なかったのである。
でもスミス嬢のインタビューを読むと、彼女はアメリカ国旗というものが、人によって異なる意味を持ち、 異なる思いを寄せていることを理解した上でこの抗議を行っていたとのことで、年齢の割に政治的志向が 強すぎる部分はあるものの、頭が整理されているし、自分の意志をきちんと持った上での 小さな抗議行動であったことはよく理解できた。 また、彼女は試合中にブーイングをされたり、街を歩いていて非国民扱いされることも多いにも関わらず、 その意志を曲げずに、毅然とした姿勢を取り続けていることは 21歳という若さで立派であるとすら感じてしまった。
幸い、学校側も彼女の言論の自由をサポートする姿勢を取っていると言い、チームもこうした大騒ぎに巻き込まれながらも 勝ち続けているというけれど、この騒ぎは簡単に収まる気配はなさそうである。

今回に限らずアメリカという国は国旗にまつわる様々な騒動が起こる国である。
90年代初頭には、アメリカ国旗の焼き捨て禁止の法律化をめぐって、やはりそれが「表現の自由を侵すもの」として 大論争になったことがある。
これに反対する議員がアメリカの旗の絵が書かれた紙皿や紙コップや パンフレットを見せながら「こんなものを燃やしても犯罪になるのか?」と議会で証言していた姿は、 今もはっきり私の記憶に残っている。これは前回の湾岸戦争が始まる前年くらいに起こった論争だったけれど、 当時の私は、自由の国、アメリカがその自由の一部を侵してまで国旗を守ろうとする姿勢に 少々驚いたのを覚えている。
でもアメリカという国がこれだけ広い国土の中で、これだけ多様な移民を擁して、 それぞれの自由を守り、権利を保証しようとする場合、国旗の下に団結するという国民性は、 アメリカという国を維持していく上で 受け継がれていかなければならないスピリッツなのではないかと今では 思っている。
だからアメリカ人がアメリカ国旗に非常な思い入れを持って、水掛け論を展開していても、 それは滑稽な事とは思わないけれど、逆にアメリカ人から見ると、 他国の人間がその国旗に対して あまりにも関心を払わない姿は信じられないものとして映っていたりもする。
その好例と言えたのが、昨年のソルトレイク・オリンピックのショートトラック競技で、 1位でゴールをしながらも、その後失格となり、アメリカのアポロ・オーノに金メダルを奪われた 韓国のスケーターであった。自分の失格を知って、それまで韓国の旗を掲げてウィニング・ランをしていた彼が、 怒りのため国旗を投げ捨てたのである。これを見て、アメリカのメディアは 自国の旗に八つ当たりをした彼が帰国したら、大変なバッシングに合うことを予想したけれど、 結果的に韓国に戻った彼は英雄的な歓迎を受け、ファンの募金によって彼がオリンピックで受けられなかった 金メダルまでが自作で用意されていたという待遇であった。
同じことをアメリカ人選手がしようものなら、どんなことになるかは想像するだけで恐ろしいけれど、 「アメリカ人選手ならば、そんなことはしない。出来ない。」というのもまた事実である。
でも、これだけ自国の国旗に関心を配るアメリカ人が、 他国の国旗に対しても同じ注意を払うかと言えば、必ずしもそうではないようで、 1994年のワールド・シリーズの際、当時出場していたトロント・ブルージェイズのために カナダの国歌が唄われ、同時に掲揚されたカナダ国旗が逆さまだったという醜態をさらしたことがある。
この時はそれがワールド・シリーズという大舞台であっただけに、大騒ぎになってしまったけれど、 この時のニュースで、逆さまに吊るしてもバレない旗として紹介されたのは、 他ならぬ日本の国旗だった。






Catch of the Week No.4 Feb.: 2月 第4週


Catch of the Week No.3 Feb.: 2月 第3週


Catch of the Week No.2 Feb.: 2月 第2週


Catch of the Week No.1 Feb.: 2月 第1週