Mar. 8 〜 Mar. 14 2004




Don't Lie


「ドメスティック・ディーバ(Domestic Diva)」のニックネームで知られる マーサ・スチュワートが、株式不正取引を巡る裁判で、 インサイダー取引の容疑については裁判官から不起訴処分とされたものの、 嘘の供述をしたという司法妨害の罪で有罪になったのは、既に大きく報道されている通りである。
この判決が下ったのは3月5日金曜のことだったけれど、 その週末のニューヨーク・タイムス、ニューヨーク・ポストが揃って取り上げたのが、 マーサ・スチュワート裁判と「ウソ」というキーワードについてであった。

裁判で「ウソ」が問題になるのはもっぱら偽証罪、すなわち証言台に立って、「真実を語る」と宣誓したにも関わらず、 嘘の証言をして、罪に問われるというものである。 でもマーサ・スチュワートが 裁判中1度も証言台に立たずして、 司法妨害で有罪になったのを見れば分かるように、アメリカでは 警察でも、FBIでも、フェデラル・エージェントが行う取り調べに対して ウソの供述をすれば、宣誓をしていなくても偽証罪同様の罪に問われるのだそうで、 ニューヨーク・タイムズの記事には、「マーサ・スチュワートは、 彼女が犯した罪(インサイダー取引)ではなく、それをごまかそうとした罪で罰せられた。」という コメントが掲載されていた。
その一方で、ニューヨーク・ポスト紙は、今回のインサイダー取引疑惑に止まらず、 マーサ・スチュワートがウォールストリートのブローカーであった時代に クライアントを騙したウソ、 自分のビジネスを大きくするプロセスで周囲を欺いたウソなどにもフォーカスを当てて、 「Life Of Lies」すなわち「ウソで固めた人生」という バッシング記事を大きく掲載していた。
こうした報道からも分かるように、アメリカという国は「ウソ」というものに対して 非常に厳しい国で、 クリントン前大統領にしても、就任時代の彼を窮地に追い込んだルインスキー・スキャンダルでは、 大統領執務室でモニカ・ルインスキーとオーラル・セックスに興じていたことよりも、 審議会の宣誓証言でウソをついたことが 弾劾裁判で問題になっていたのは記憶に新しいところである。

私の個人的な考えでは、よほどの大事件に関する証言でもない限りは、 日本のカルチャーの方がウソに対してはずっと寛容で、 それは「ウソも方便」などということわざからも理解できるかと思う。 だからアメリカでは「ウソ」と見なされる言い分も、日本では「適当にごまかしておいた」程度で済まされることは多いように感じられるのである。
また日本語では、会話の中のリアクションで、頻繁に「ウソ!」という言葉を使っているから、 「ウソ」という言葉に、ネガティブさや罪悪感がそれほど付きまとわないけれど、 英語で「ウソ」とか「ウソツキ」という言葉は、真顔で使えば、相手の人格を 非難している響きがかなり強く加わることになる。
辞書で調べてみても、三省堂のデイリー・コンサイス国語辞典によれば、「ウソ」とは 「事実ではないこと」とされているけれど、 米国の英語教師推薦のロングマン社の辞書で 「Lie (ウソ)」という言葉を引いてみると、「an untrue statement pureposely made to deceive」、直訳すれば 「人を騙すための虚偽の言い分」とされており、アメリカでは「ウソ」、もしくは「ウソをつく」という行為の裏側に 「人を騙す」という悪意が存在していることが定義付けられているのである。

とは言っても、もちろんアメリカにも許されるウソというのが存在している訳で、 それは悪意の無いウソ、人に迷惑を掛けないウソ という意味で「ホワイト・ライ / White Lie」とも呼ばれていたりする。
このホワイト・ライとは、通常、女性が年齢や体重をごまかしている場合などを言うけれど、 90年代後半になると、整形手術が盛んになったご時世を反映して、 「整形手術なんてしていません」というのもホワイト・ライに見なされていた。 でも、さらに整形手術が一般的になった現在では、 「掛かり付けのプラスティック・サージョン(美容整形医)が居た方が金持ちっぽくて良い」 と言われるご時世になってしまったので、わざわざウソをつく価値はなくなってしまったかも知れない。
一方、男性のホワイト・ライというのはあまり聞いたことが無いけれど、 私の友人によれば、実は頭が禿げかけているからボールド・ヘッド(禿げ頭)にしているのに、 「手入れが面倒だから全部剃った」などというのは男性版のホワイト・ライだと言うし、 車の運転中、道が分からなくて遠回りをしておきながら、「迷った訳では無い」と言い張るのも 男性版ホワイト・ライと言われるものの1つであるという。

でもホワイト・ライなら責められないかと思えば大間違いで、 私の知人は、ボーイフレンドに 実際よりも年齢を若く偽っていて、ある日、 本当の年齢を告白したところ、「自分よりずっと年上なのは構わないけれど、 (そのウソのせいで) 今まで君が言ってきた事が全て信じられなくなった」 と言われて、フラレてしまったという。 すなわち、彼女の場合もマーサ・スチュワート同様、「ウソをついたということで 罰せられた」というケースであるけれど、 中には実際にウソはつかなくても、「事実を言わなかった」ということでウソツキ扱い受けるケースもある。
例えば出逢って間もない男女間では、離婚歴、破産歴、中絶経験といった個人の過去について、 「相手が訊かないから、あえて自分から言わなかっただけ」ということが、 「隠していた」、「ウソをついていた」と判断されることは少なくないのである。
また例え事実を伝えていても、その順番が違えば、「ウソ」と解釈される場合もある訳で、 先日私が、ある友人のことを「彼女も今や結婚して、子供が出来たんでしょ?」と言ったところ、 その会話の相手に「それはウソ。子供が出来たから、結婚することになったの!」と言い返されてしまった。 私から見れば、その友人は、妊娠したのは結婚前でも、出産は結婚後であったから、 「結婚して、子供が出来た」という表現は 決して事実に反するとは思わないのだけれど、 会話の相手は「出来ちゃった結婚だった」という事実にこだわっていただけに、 「結婚した」、「子供が出来た」という2つのイベントの順序が入れ替わったことによって、 まるで「出来ちゃった結婚」を隠した ウソとして受け取れたようなのである。

でも、事実だけを言って暮らせるほど、人間の生活はシンプルではない訳で、 嫌いな人から誘われた食事を断るにしても、 「あなたのこと好きじゃないから、一緒に食事なんてしたくありません」とは言えないし、 人から決して素晴らしいとは言えないような作品を見せられたり、 演奏を聴かされて、感想を求められた場合にしても 「才能が無いみたいだから、諦めたら?」とは 口が裂けても言えない訳で、理由や感想をでっち上げて、事実に反することを言うのは 社交の一部なのである。

かく言う私自身は、かなり物事をはっきり言う方で、周囲もそれを承知していたりするから、 色々な場面で感想を求められる場合が多いし、 20代の頃などには、そのはっきり物を言う性格を周囲に利用されて、 人が言いたがらないことを言わされてきた経験もかなりあったりする。
よく「1度ウソをつくと、そのウソをカバーするために、またウソをつくことになって辛い思いをする」 などと言うけれど、実際には真実を語るのも辛い場合は少なくないし、 下手をすれば、ウソをついたり、人に合わせて 思ってもいないことに賛同している方が、 ずっと楽な場合が多いのである。
私の個人的な見解では、シリアスに物事に取り組んでいたり、何かを思いつめている人ほど、 お世辞や社交辞令やごまかしではない 本音や真実を知りたがるもので、 例えそれが自分の期待する通りのものでないと感じていても、 「自分で想像しているよりは、人からはっきり言われたい」 と考えている場合が多いように思う。
そうやって、真実や本音を伝えた場合、相手はその内容によって 深く傷ついたり、真剣に悩んだり、考えたり、感動したり、幸福感を味わったりする訳だけれど、 そういったインパクトを与えられるのが真実のパワーなのである。





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