Apr. 5 〜 Apr. 11 2004




プロフェッショナル・メモリー

今週末、ニューヨーカーを驚かせたと同時に、怯えさせたのが、 ベルビュー・ホスピタルで起こった13歳の少女のレイプ事件。
この事件が起こったのは金曜の午前7時半頃のことで、病院職員を装った男が 被害者の病室を2度訪れて、ベッドに備え付けてあった患者の容態チャートをチェックし、 少女を、本人の意に反して病室から連れ出し、 通路を挟んだカンファレンス・ルームで 顔面を殴った後、レイプしたというもの。 本来、安全であるはずの病院で起こった事件であるだけに、病院関係者、 入院患者やその家族、そしてメディアまでもが大きなショックを受けたのは言うまでもないけれど、 犯人がレイプのターゲットを探して 各病室を物色していたにも関わらず、 取り付けられていた防犯カメラは作動しておらず、捜査の手掛かりは 6フィート(約180cm)の身長、ニキビ肌のヒスパニックで、腰が隠れる丈の ベルト付きレザー・ジャケットを着ていたという被害者の証言だけであった。
被害者の少女は、犯人に対して抵抗し、顔を引っかいたことははっきり覚えているものの、 その後は顔面を何度も強く殴られ、気を失いかけており、事件後は 自らナース・ステーションに 這って行って 助けを求めたが、警察への通報までには約1時間が経過してしまい、 犯人に十分な逃走時間を与えてしまうことになった。

しかし捜査の難航が予想されたこのレイプ事件は、その翌日には犯人がスピード逮捕されることになる。
レイプ事件が起こる4時間程前、ベルビュー・ホスピタルには精神錯乱状態の女性が 運び込まれており、この女性はダウンタウンの地下鉄のホームに寝転び、 暴れてはいなかったものの、警察に通報され、その場に居た女性の夫と共にパトカーで 病院に連れて来られたのであった。 そしてこの事件を担当した警官が、金曜の夕方、車のラジオで聞いたのが ベルビュー・ホスピタルでのレイプ事件で、その犯人の特徴や服装が、 精神錯乱で運び込まれた女性の夫とぴったり一致したことから、担当刑事に連絡し、 妻の病室を訪れていた犯人が逮捕されることになったのである。
逮捕されたへクター・ラミレズ(43歳)は、12の前科があり、昨年、9年間の服役を終えて出所して来たばかり。 彼の顔には被害者に引っ掻かれた傷が認められ、その他の物的証拠からも彼が犯人であると断定されることになったが、 今日4月11日、日曜付けのニューヨーク・タイムズ、ニューヨーク・ポストは、 共にレイプ犯の特徴から 精神錯乱の女性の夫を直ぐに思い出して通報した警官、ジョージ・ウルフロムの記憶力と機転を 高く評価する記事を掲載していた。

警官というのは、やはり仕事柄、指名手配されている犯人の顔は直ぐに覚えるというし、 道で見かけた挙動不審な人物についての記憶にも長けているというけれど、 人の顔なら全て覚える訳ではないようで、「滅多に会わない姪や甥などは、 道ですれ違っても分からない」のだそうである。
こうした、ある特定の分野に関してのみ 優れた記憶を持っているという、 言わば「セレクティブ・メモリー」というのは、様々なプロフェッションにおいて顕著で、 例えば、一流のバーテンダーというのは、人の顔と名前とオーダーするドリンクを覚えて、 数年経っても忘れないというし、私の知り合いのフォトグラファーも 日頃は人の顔の覚えが悪いけれど、一度自分の被写体になったモデルは、何年もが経過して、 体型や髪型が変わった後に出会っても、「何時、どんな仕事で彼女を起用したか」を正確に思い出すことが出来ると語っていた。
かく言う私も、ファッションの仕事が長かったせいもあって、 かつてはデザイナー・クローズを見て、それが発表された年代とシーズンを言い当てるのを得意としていたし、 今でも友人のワードローブを本人以上に覚えていたり、「XXに行った時、XXXちゃんが 何を着ていた」というのをかなり的確に覚えていたりする。

でも記憶力がアップするのは必ずしも仕事がらみだけではない訳で、自分の携帯電話の番号もきちんと覚えられないような ワイン・コレクターが、ワインの当たり年については 種類別に的確に覚えているものだし、 ジャズやクラシックのマニアが曲目と作曲家と奏者について、生き字引的な記憶力を 備えているのも珍しくない事である。
要するに、自分の興味が集中している事や分野については、記憶力が非常にアップする訳で、 その興味の対象がそのまま仕事になった場合、職業的記憶力が優れるのは当然のことである。 でも進んで興味を抱かなかった分野でも、仕事として毎日関わっていれば、 それについての記憶力がある程度鍛えられて行くのも自然な成り行きなのである。

警官の場合、その育成期間で どういう挙動をする人間が犯罪に絡んでいるかを学んでいる上に、 日頃から軽犯罪から重犯罪までの犯人達を職場で見慣れているので、 犯罪を犯しそうな人間を直感的に感じ取って、 彼らに対して関心を払ったり、記憶に留める習慣は 知らず知らずのうちに身に付いているようである。
またバーテンダーの場合も、仕事の経験を積むうちに、「こういう顔をした人間は、 シングル・モルトのスコッチを飲む」というような読みが身に付いて来るそうで、 そうした勘が記憶を助けているとも言われている。

私は以前、国立図書館のリファレンス部門に勤務して、ありとあらゆる分野の専門家に専門書の アドバイスをしている人についての記事を読んだことがあるけれど、 それによれば、彼がそれだけの知識を擁しているのは「自分が学ぶことに熱心であるからというよりは、 一度覚えたことを決して忘れないから」とのことだった。 すなわち、「知識=記憶力」であるという訳である。
今アメリカでも、記憶力を高めるトレーニングや、記憶力を高めることについて書かれた書物などが、 一部で注目を集めていたりするけれど、確かに学んだことを記憶という形で、留める能力が無ければ、 いくら学んでも 穴の開いたバケツに水を注いでいるのと同じように、 知識がどんどん流失して行ってしまうだけなのである。

では記憶力が人生にもたらすことは何かと言えば、 社交を含む 個人の生活レベルでは 人それぞれであると思うけれど、 ビジネス面では 明らかに利益やサクセスをもたらすと言うことが出来る。
例えば医者が開業した場合、患者の名前と顔と病状を的確に覚えられる看護婦が受付業務をすれば、 通院者が増えることになるし、ブティック等の小売店の販売員にしても、 在庫に何が幾つ、何処にあるかを頭に入れて接客をすることによって、 その売り上げ額が歴然とアップすることになる。 アメリカでは販売員の給与の殆どが、売上げた金額のパーセンテージを受け取るというコミッション制であるから、 記憶力が良ければ、給与も良くなる訳である。
見方を変えれば、どんなに努力しても記憶が高まらない仕事に携わっていては、決して成功できない訳で、 そんな点からも、自分が好きな仕事を選び、自分が興味を抱ける職場に居ることが いかに大切であるかを再認識出来るというものである。


余談ではあるけれど、先述のベルビュー・ホスピタルという病院は、 ニューヨークの病院の中でもちょっと特殊な存在で、 事件や犯罪の被害者、もしくは負傷して警察に連行できない加害者や犯人が 治療を受けたり、入院をする病院として知られていたりする。
だから「ベルビュー・ホスピタルにお見舞いに行く」と言えば、 「犯罪に巻き込まれた人か、犯罪者のお見舞い行く」とニューヨーカーに判断される病院なのである。 今回のレイプ事件後は警備を強化していると言われているけれど、 同病院の入り口は、ドラッグ・ディーラーの徘徊場所として有名で、 ホームレスが中に入り込んで一夜を過ごすことも珍しくないと言われていたりする。
だから、もしニューヨークで何らかの事故や事件に巻き込まれて、 ベルビュー・ホスピタルに連れて来られたら、出来るだけ早く病院のトランスファーを 手配するべきであることを 記憶に留めておいて頂きたいと思う。






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