July 5 〜 July 11 2004




キャリア & ターニング・ポイント

CUBE New Yorkに定期的に寄せられるのが、 自らのキャリアに悩む方や、自分の将来のキャリアについて 迷っている女性からのご質問である。
私自身、大学を卒業して社会に出てからというもの、 自分で本当にやりたいこと、自分がやり甲斐を持って続けていける仕事を 探し続けていたし、一時は、自分が何をしたら良いのかが 全く分からなくて、「苦しい」とも言える気持ちで キャリアを模索していた時期があるから、 こうしたメールを書く方達の気持ちは痛いほど理解出来たりする。
それでも、お返事をあえてご遠慮させて頂くのは、 状況を良く知らずに勝手なアドバイスをすることを差し控えたいという気持ちがあるのと、 やはりこうしたことは、ある程度時間を掛けて、自分で悟ったり、 見出していくべきものだと考えるためである。

私は大学を出てから、ニューヨークにやってくるまでの4年間に、 丸の内の企業でOLとして1年10ヶ月、フォーマルウェアのバイヤーを10ヶ月、 ファッション・マーケティング会社のコーディネーターを6ヶ月務めているけれど、 当時、私の周囲には、4年制大学を卒業して こんなに転職をしている人は居なかったから、こうしたことはかなり体裁の悪い事であったし、 「飽きっぽい性格、直ぐに物事を投げ出す性格」にも 見受けられていたようである。
どうして4年間に3つの職場を渡り歩くことになったかと言えば、 OL時代は、自分が24歳くらいで結婚すると思い込んでいて、 最初は「それまでの仕事」と思いながら、 コピーを取ったり、ワープロを打ったりという雑務を ドロドロした人間関係の中で行っていたものの、やがて「こんなところに居たら、 人のことばかり詮索する、嫌な人間になってしまう」と思ったし、 仕事にも全く愛着が無かったので、毎日の生活が本当につまらなくて、 人間として腐って行くような気がしてしまい、当時のその会社の若い女子社員としては 珍しい、結婚退社以外の退社をしてしまったのだった。

次の職場に行く前には、カラリストになるためのコースを取ったけれど、 このカラリスト講座で、以前からずっと目指したいと思っていたファッション業界の 仕事が「まんざら自分に合っていない訳ではない」と自信をつけたこともあり、 コース終了後に就職したのが、2つ目の職場となったフォーマル・ファッション・メーカー だった。
ここは、メーカーでありながらも、流通の中間業者となる部門があり、 私は入社した翌週には、その部門のバイイングを任されることになったけれど、 思えば、私が買い付けのノウハウを学ぶことになったのがこの職場だったし、 ファッション・メーカーにありがちな 企画部と営業部の食い違いや衝突を 目の当たりにしたのもこの会社だった。 でも、フォーマルウェアという特殊なオケージョンの大げさなファッションに 嫌気が差したと同時に、メーカーという職場が自分には合わないことを自覚した私は、 同じファッションでもマーケティングの分野の勉強がしたいと思うようになり、 その後、私にとって日本で最後の職場となった、ファッション・マーケティング会社に転職することになった。
周囲から見れば、脈略が無いように見える2回の転職ではあったけれど、 ファッション・マーケティング会社では、ファッション消費の中枢であるOLを経験して、 OLの実態について語れるスタッフは私だけであったし、バイヤー経験者も私1人。 加えて80年代後半の当時、コンピューターの使用経験があり、ワープロが打てるのも 私だけだった。 だから、自分が過去の職場で身につけて来たことは決して無駄にはなっていなかったと思ったし、 何より私が転職を重ねた理由はは、「仕事が嫌になった」とか「飽きた」というよりも、 「もっとバリバリ仕事をしたい」、「キャリアアップしたい」と考えていたからに他ならなかった。

ニューヨークへ来てからは、雑誌社にライター兼エディターとして約3年務めることになったけれど、 これは私にとって最長の勤務記録であった。
この時は、今ほど日本のメディアの記者やフリーランス・ライターがニューヨークに 溢れてはおらず、ファッション&ビューティーのエディターとして、 何人ものデザイナーやビジネス・オーナーに会ってインタビューする機会に恵まれたのは、 非常に良い経験であったし、記事を書くにあたって、アメリカ社会や、 アメリカのビジネスをじっくりリサーチしたり、勉強したりする機会が持てた点でも ラッキーであった。 でも2年半を過ぎた頃から、「記事を書くだけでは生産性が無い」ことを 感じ始めて、再び「キャリアアップしたい」という思いがムクムク湧き出してきてしまった。
丁度、そんな私の気持ちを汲み取ったかのように、その半年後には雑誌が休刊となり、 その後はフリーランスのライター兼リサーチャーとして仕事をするようになったけれど、 ふと振り返ると、私が勤めた4つの職場いずれも、 私が勤める直前や、直後に、それまで長く務めていたスタッフが突然辞めたり、 クビにされたり、別の部門の穴埋めに派遣されたりしており、 入社した途端に、バイヤーにしてもらったり、ニューヨーク出張に出掛けたり、 カバーストーリーを任されるなど、 バリバリ働かざるを得ない状況になっていたのは、奇遇なことだった。

これは決して私だけに言えることではなく、真面目な気持ちで転職を繰り返している人というのは、 往々にして ひとたび仕事を見つけると、それにのめりこんで、その仕事から一生懸命に学ぼうとするけれど、 その職場での限界を見てしまうと、自分のキャリアをステップアップするために 次に何をするべきか?で迷ったり、考えたり、悩んだりするもので、このモヤモヤした感じは、 次のステップが見つかるまで続くことになる訳である。
私の場合、日本に居た時は、親と一緒に暮らしていたこともあり、 仕事を辞めても生活には困らなかった訳だけれど、 ニューヨークでフリーランスになった時は、「フリーランス=仕事をしていない時は失業者」 という方程式が成り立つだけに、真剣に生活のこと、将来のことを考え初めてしまった。 そこで、手間が掛かるだけで、お金にならない雑誌の仕事は最小限に抑えて、 企業に対してマーケット・レポートやビジネス・レポートを書く、リサーチャーとしての仕事を メインにこなすことにしたけれど、お陰で、私の生活は通常のフリーランス・ライターよりは裕福であったと思っている。
とは言っても、企業の業績が悪化した時に真っ先にカットされるのが、 私に支払われるようなリサーチ・フィーである訳で、 決して安定した仕事とは言えなかったし、レポートを書いたところで、それが 企業の経営やビジネス戦略に採用されることなど 殆ど無いというのも、面白みの無い部分だった。
だから、フリーランスになってからというもの、毎日「自分はこれから一体何をして 食べていくんだろう」という疑問と戦い続けていたし、 こうして焦っている間に、時間の無駄で、お金にならないプロジェクトというのを 幾つも行ってきたし、それを通じて人の嫌なところ、特に人を利用しても 何とも思わない人を随分見ることになってしまった。
私のこれまでの人生を振り返ると、この時期の葛藤が最も苦しいものであったので、 先述のようにキャリアに悩む女性の気持ちは、身にしみて理解できるのである。

そんな私がCUBE New Yorkのアイデアを考えついたのは1995年の秋で、 正式にビジネスをスタートする準備を始めたのは同じ年の11月のことだった。
このビジネス・アイデアはジムのステアー・マスターの上で、エクササイズをしながら思いついたもので、 「これだけマーケティングの勉強をしてきた自分が実際にビジネスをしたら どうなるんだろう?」という自分の可能性に対する興味もあったし、 「万一ビジネスとして成功しなくても、インターネット上のショッピング・ビジネスについて レポートや本を書く際の格好の叩き台になる」こと、加えて 資金を掛けずにスタートできるのも魅力だった。
でも、ビジネスを始めるというのは頭で描いているような簡単なことではなく、 そのレッスンは、CUBE New Yorkをスタートして、もう直ぐ丸8年になろうとしている今も続いていたりする。
一番最初に学んだのは、恥ずかしいほど当たり前であるけれど、 利益の計算ばかりをして、コストの計算をしっかりしていなかった過ちで、 ビジネスには、実際にスタートしてみてないと分からない出費というのが隠れている訳である。 ありとあらゆるコストを計算してスタートしたつもりでいても、 必ずそれ以外にコストが掛かる訳で、それは毎日の小額のコストが積み重なって、 思わぬ金額になる場合もあれば、不意のトラブルによる突然の出費であったりもする。
だからこのレッスンを学ばされてからは、ありとあらゆる出費やトラブルのコストの他に、 さらにコストが掛かると見積もって、それでも利益が上がるか?という判断をするようになったけれど、 世の中の多くの人々のビジネスプランに耳を傾けていると、 やはり利益、それも単純利益の計算から入っていく場合が多いのが実際のようである。

でも私にとって、これまでの最大のレッスンは、自分が パートナーと一緒にビジネスをするタイプではなく、 「ワンマン経営者」タイプの人間であったということだった。
このコーナーに過去に何度か書いているけれど、CUBE New Yorkがスタートした当時は、 私には2人のアメリカ人パートナーが居て、立ち上げ準備をしている時は、 楽しく、夢を持って、一緒にミーティングをしていたけれど、 彼らは直ぐに何の協力もしてくれなくなり、「こんな儲からないビジネスはたくさんだ」と ビジネスのアイデアを出した私を責めるようになっていった。 それでも「万一利益が出たら、それをせしめよう」とはしていたので、私が ビジネスを買い取って、1人で運営することには決して同意してくれず、 スタートから最初の3年間はパートナーの重荷に 本当に苦しい思いをさせられることになってしまった。

そんな私にパートナー2人を何としても会社から追い出すようにアドバイスしてくれたのは、 意外にもパートナーの1人の父親で、「あの2人が居る限り、会社は決して成功しない。 せっかく良いアイデアの会社なんだから、どんな手を使っても追い出さなきゃダメだ。」と、 私にこっそりアドバイスしてくれた言葉は今も脳裏にはっきり焼きついているものである。
パートナーの父親は、彼自身も叩き上げのビジネス経営者で、その言葉からは ユダヤ経営を学んだ気持ちさえしたけれど、いずれにしても、私は彼の言葉に動かされて、 会社を自分だけのものにするために、弁護士に会いに行くことになったし、 それは私にとっては、非常に大きなターニング・ポイントであったと思っている。

私は個人的には女性のキャリアのターニング・ポイントというのは、 小さなものは3年置き、大きなものが10年置きくらいにやってくるものだと思っている。 また、女性の場合、男性よりもターニング・ポイントを迎える度に、 仕事に対する考えや価値観が変わり易い傾向があるとも感じていたりする。
だから、もし私の経験から キャリアに悩んでいる女性にアドバイス出来ることがあるとすれば、 それは、「3年後の自分は別の価値観を持っているかもしれないのだから、 1つのキャリアに固執して、自分の可能性を閉じこめないようにするべき」ということ、そして 「どんな仕事からも 学べることは学び取っておくべき」ということだと思う。








Catch of the Week No.1 July : 7月 第1週


Catch of the Week No.4 June : 6月 第4週


Catch of the Week No.3 June : 6月 第3週


Catch of the Week No.3 June : 6月 第2週