Aug 11 〜 17 2003




Blackout 2003、私の26時間

今週の木曜日、14日に ニューヨークが1977年以来のブラックアウト(停電)に見舞われたのはご承知の通り。
CUBE New Yorkの読者の方やショッピングのお客様からは、お見舞いのメールと共に、 「今週のキャッチで、停電のことを読むのを楽しみにしています」等と、既にネタを予想した メッセージまで頂いてしまったけれど、実際、今週の話題は もうこの停電のこと以外何も思い出せない、考えられないというのが実際のところだった。

今回の停電が起こった木曜日の午後4時11分前後、 私は5番街の34丁目を歩いており、通り沿いの店の店員が、消えた電球をいじりながら、 「電球のせいじゃない。パワー(電力)が来ていないんだ!」と叫んでいる声を耳にした。
ふと気がつくと、他の店の中も真っ暗で、店員や買い物客がどんどん外に出てきて来ており、 オフィス・ビルからも同様に人が出て来て、路上に人だかりが出来ていた。 銀行の中まで真っ暗だったので、停電であることは直ぐに察知できたけれど、 最初はミッドタウンのエリアだけが停電なのかと思い込んでいた。
そこで他のエリアをチェックしようと携帯電話を使おうとしたところ、シグナルが来ないために掛けられる状態ではない。 これは私の電話だけでなく、路上で携帯を使おうとしていた人達が皆言っていたことで、 「これはタダ事ではないかもしれない…」という気持ちが強くなって来た。
先ずは家に戻ろうということで、こんな時に地下鉄など論外であるから、マディソン・アベニューで アップタウン行きのバスを待つ事にした。その時にバス待ちをしている人から、ニューヨーク全域及び、アメリカの北東部が停電になったことを知らされ、 「私が6歳の時にもこんな大停電があったけど、あの時は夜だったからもっと大変だったのよ」などと、以前の大停電の時の話を聞かされていたが、 それほどにバスが来ないのである。しかも来たとしても満員で乗れないことが 予想されたので、待ちくたびれる前に家に向って歩くことにした。
私は自宅がある95丁目からソーホーまで歩いたことが何度かあるので、 30丁目から95丁目まで歩くことは体力的には全く心配していなかったけれど、 運悪くこの日私が履いていたのはドルチェ&ガッバーナの4インチ(10cm)・ヒールのサンダル。 家までは70ブロック近くもあるので、 靴も足も傷むのは目に見えていたけれど、 待っていても埒が明かないので、ゆっくり歩き始めることにした。
路上のストアはスターバックスから、大手のドラッグ・ストア・チェーン、個人経営の小さな靴屋に至るまで、 店という店は全てクローズしており、こうしたストアは電気が点かないと、店内が真っ暗なだけでなく、 レジを開けることさえ出来ないという状態のようだった。
30丁目代は歩道を歩いていたけれど、40丁目近辺に差し掛かると、人の数がどんどん増えてきて、 皆車道を歩いており、私も「マンハッタンで道の真中を歩けるのはこんな時しかない」と思って、 車道のど真ん中を歩き始めた。 1番人が混み合っていたのは42丁目から57丁目までで、まるで日本のデパートの催事場のような人口密度だった。 「マンハッタンにはこんなに人が沢山居るんだ」と思い知らされながら歩くことになったけれど、 歩いている人たちは、至って落ち着いていて、お互いを気遣ったりして、皆親切だった。 でも中には「テクノロジーなんてクソ食らえだ!」などと叫ぶ人も居たけれど、 周囲がそのコメントに拍手をしたりして、それはそれなりに面白かった。
私はハイヒールを履いていたせいで、何人もの人に「そんな靴で大丈夫?」と気遣ってもらったけれど、 路上には松葉杖で歩いている人のために車を探してあげる人や、喉が渇いた人のために、 プラスティックのカップで水を配る人が居たりして、相変わらず災害時には助け合うニューヨーカーの姿は随所に見られていた。 アイスクリーム・ショップの中には「どうせ溶けてしまうだけだから」と タダでアイスを配る店も出て来て、道行く人から「XX丁目に行けば配っているわよ」などと 教えてもらったけれど、アイスクリームのために遠回りは出来ないので、そのまま歩き続けることにした。

57丁目とマディソンの交差点では、一目見て一般人と分かる人が交通整理をしており、 「随分献身的な人も居るものだなぁ」と感心していたら、 その人はマディソン・アベニューを通過できないために渋滞していた車の同乗者で、 自分の車がアベニューを通過した途端に、その車に乗って去っていった。
後から新聞で読んだところ、タイムズ・スクエアには交通整理の警官が出ていたようだけれど、 私が歩いていた間中、警官の姿があった交差点はたった1つで、信号無しでこれだけ大勢の人と 多数の車が、大きな事故も起こさず行き交ったというのは「凄い!」と妙に感心してしまった。
60丁目を過ぎる頃になると、人の数がぐっと減って、歩き易くなり、マディソン・アベニュー沿いの高級デザイナー・ブティックのウインドウを見ながら歩く 余裕が出てきたけれど、それ以上に余裕があったのは通り沿いのカフェで優雅にドリンクを楽しんでいた人々だった。 この辺りから、アップタウンに行けば 行くほど、カフェやレストランは、 電気は無くてもガスが使えることもあって、キャンドルを照明に、平常営業しているのが目立っていた。 この他、繁盛していたのはゴム製のビーチ・サンダルを路上で5ドルで販売しているネール・サロンで、 ヒールの靴で歩き疲れた女性達の間で飛ぶように売れていた。
また、スーパー・マーケットやドラッグストアは、レジが電動のバーコード入力になっているために、 全てクローズしていたけれど、コリアン・グロサリー(コリアンが経営する小規模な食料品店)は、 レジが手動というローテクなこともあって、キャンドルを灯りに平常営業をして、やはり大繁盛であった。

結局私はゆっくり歩いてきたこともあって、家に着くまでに約2時間が掛かったけれど、 その頃にはすっかり足が痛くなっていて、この上に私が住んでいる19階まで階段を歩いて登るのかと思ったら、 気が遠くなりそうだった。でも幸い私の住んでいるビルは緊急事態用の電源があって、 ロビーには電気がついていたし、エレベーターのうちの1台も動いており、 フロアの廊下も天井の電気が1つ置きに点いていたので、薄暗かったけれど、真っ暗ではなかった。
こうした設備の無いビルだと、人々は携帯電話の明かりを懐中電灯代わりにして 真っ暗な非常階段を上らなければならなかったというから、私はその点では非常にラッキーだった。
さらに私にとってラッキーだったのは、水の買い置きがたっぷりあって、食料も冷凍庫にたっぷり入っていたことだった。 ことに冷凍庫には、少し前にキャビアをプレゼントされた時のデリバリーに使われたアイス・パッドが いくつか入っていたお陰で、停電後3時間経った後も氷さえ溶けていないほど冷えていた。
だから解凍されていると思っていた肉がガチガチに凍っていたのは誤算だったけれど、 冷蔵庫の中も未だ冷えていたので、夕食には全く問題は無かった。
先ずはシャワーを浴びて、ゆっくり夕食の準備を始めたけれど、いざガスを使おうとしたところ、 火が点かないことに気がついた。よく考えてみると着火は電気のスイッチで行なわれていた訳で、 キャンドル用の長いライターを使って火を点けることになった。
食事は、冷蔵庫の中の傷みそうなものから…と思って、エビとマッシュルームを入れた オムレツを作り、最近チーズとワインに凝っていたので、その買い置きを取り出してきて、 10本のキャンドルを灯したテーブルで味わい始めたけれど、この時初めて「停電も悪くない」と思ってしまった。 沢山の人が路上で夜を明かしていたのに、こんな事を考えるのは不謹慎かもしれないけれど、 電話も掛かってこない、TVもつかない、ファックスも送られてこなければ、コンピューター使えない、 Eメールもチェック出来ないという状態は、意外にも快適なように思えた。
私が家で1人で食事をする時は大体TVがついているか、音楽が掛かっているけれど、 音も画像も無い状態で味わう食事というのは、 精神が味覚に集中するためか、全てが絶妙に美味しく感じられたし、 キャンドルの灯りも心地好くて、「何て優雅なひと時!」と快適な思いに浸ってしまった。
こんな優雅な食事の後に、エスプレッソ・マシンが使えないのは玉にキズだったけれど、 お湯を沸かしてフレンチ・プレスで煎れるコーヒーもそれなりに美味しかったし、 家の中での電気の無い生活というのは、何しろ静かで、それほど不便ではなかった。
でもそんな気持ちで居られたのも食後30分くらいの話。
直ぐに退屈になってしまった私は、電気が無いと、本も読めない、仕事も出来ない、 ビデオも見られない、電話も出来ない…、これ以外にこの暗闇ので一体何が出来るんだろう…と、 真剣に悩むことになってしまった。
しかも時計を見ると未だ夜の9時。私は日頃から寝不足なので、「たまには12時間くらい爆睡してみたい」 という願望を持っていたけれど、夜中の2時からならノンストップで12時間寝る自信はあるけれど、 夜の9時からなんて、どう頑張っても眠れない。
インターネットもケーブルTVも無い時代の人はどうしていたんだろう?等と 思いを巡らせるうちに、こんなに1人暮らしが退屈な時代だったら、 私も結婚していたかも知れないと思うようになった。
別に私がシングル・ライフを続けているのがインターネットやケーブルTVのせいだとは言わないけれど、 こうしたメディアの存在のせいで、時間がとても短く感じられたり、忙しくなっているのは紛れもない事実で、 停電の時の1時間は、インターネットやケーブルTVと関わっている3時間分くらいに匹敵すると 真剣に感じてしまった。
窓の外を見ると、いつもは何百という灯りのついた四角い窓が見えるけれど、 当然ながら この日は真っ暗で、キャンドルの灯りらしきものが、蛍のようにポツポツと点いているのが見えるだけで、 路上では懐中電灯を片手に歩き回る人達の姿が見られていた。
結局私は、ヨガをしたり、マニキュアとぺディキュアを落としたりして、やっと眠ったのが夜の2時過ぎだった。

翌朝金曜日は午前9時に目を覚ましたけれど、いつもの朝と違うのは、新聞が来ていないこと。
そして、愕然とすることになったのは、シャワーを浴びようとしたらお湯が出ないことで、 しかも水圧もどんどん下がっていった。 ここで気がついたのが、このビルのお湯を沸かすボイラーが電気で動いていること、 そして水の供給も電気で行なわれていることで、 直ぐに浴槽や鍋に水を張って、断水に備えることになった。 この断水は予期せぬ弊害で、ロビーに降りて行ってみると、住人が口々に 断水の文句を言っていた。
ロビーはラジオのニュースが聞けることもあって、住人の情報交換の場になっていたけれど、 私はこの時初めて、既に一部の地域では電気が戻っていること、マンハッタン全域に電気が戻るのは 午後1時〜6時の間で、ことにアッパー・イーストサイドは高層ビルが集中している電力消費の多いエリアなので、 かなり遅くなることを知らされることになった。
この他にも、ミッドタウンに電気が戻って、タイムズ・スクエアの 広告照明が一気に点き始めたところ、人々がカンカンに怒って「あんなもの消せ!」という 苦情の電話が殺到した話や、ローワー・イーストサイドでは水や食料が不足していて、 住人が大変な思いをしているといったニュースも流れていたけれど、 アッパー・イーストサイドに関しては、水も食べ物も問題無く購入することが出来、 カフェでブランチを取る人々の姿さえ見られていた。
結局アッパー・イーストに電気が戻ったのは、公約通りの午後6時10分前で、突然冷蔵庫の音がして、 窓の外から拍手や歓声が聞こえてきたので、それに気がつくことになった。このエリアはマンハッタンの中では ローワー・イーストサイド、チェルシーの一部に次いで復旧が遅かったようで、 アンサリング・サービス(留守電サービス)には既に復旧したエリアの友人達からのメッセージが入っていた。
でも電気が戻ってもケーブル・モデムや電話が問題無く使えるようになるまでには更に1時間が掛かったし、 断水は解除されたものの、その翌日も1日中、水は濁っていた。
でもこれは未だマシな方なようで、日曜の夜の時点で、電話がつかえない、ケーブルTVやモデムの サービスが復旧しない、もしくはお湯が出ないという世帯は多く、 まだまだ平常には程遠いというのが現状となっている。

今回の停電の26時間は、いろいろな人々を目にすることになったし、何より非常に時間が長く感じられて、 その間いろいろな事を考えさせられることになった。
多くのニューヨーカーにとっては、今回の出来事は2年前の9月11日のテロを彷彿させる出来事だったけれど、 テロよりもはるかにショックとダメージが小さい分、ニューヨーカーは落ち着いて対処していたと思うし、 家に帰れない人々に食事や飲み物を差し入れる等、人道的に助け合う姿もテロの時と同様であったと思う。
ラジオのコメンテーターが、「テロ以降、ニューヨーカーは何が起こっても、 テロに比べれば何でもないと、おおらかに対処するようになった」と語っていたけれど、 自分自身のことを考えて見ても、今回の停電ではテロの時のような絶望感やパニックは全く感じられなかったと言えるし、 同じビルに住む人達も皆「セプテンバー・イレブンに比べれば…」と口々に言っていたのが印象的だった。
でもテロが起こる以前から、ニューヨーカーというのは物に動じない人種、ちょっとやそっとじゃ驚かない人々であったから、 テロにしても、炭そ菌騒ぎにしても、今回のこれだけの大規模な停電にしてもニューヨークだから、 この程度の騒ぎで済んでいるという部分は非常に大きいと思っている。 また、77年の大停電の際は、強奪や投石といった暴動が相次いだことを考えれば、 街の安全だけでなく、人々のモラルもこの26年で大きく向上していることが感じられるし、 いろいろなトラブルが起こっても、この街で安心して暮らして行けるのは、 何かが起こった時、「ニューヨークだったら必ず誰か助けてくれる人が居る」と ニューヨーカーを信頼出来るからで、そのことが今回の停電でも立証されることになったと思う。

個人的に、停電から悟った事と言えば、私は「たまにはリラックスしたい」とか、 「3日くらい何もしないで過ごしてみたい」といつも思っていたけれど、 それが「全く自分の性には合わない」ということだった。
そんなシングルの私が退屈していた夜、ニュースによれば、忙しさとストレスで、 年間平均で10回しかセックスをしないというニューヨークの既婚者達にとっては、 Eメールも電話もTVもファックスも無い夜はお互いに関心が注げる絶好の機会だったようで、 多くのカップルが「ブラックアウト・セックス」をエンジョイしていたというし、 ユニオン・スクエアやソーホーでは、人々が集まってストリート・パーティーを楽しんでいた 様子などもレポートされている。
こんな停電をエンジョイした人々は、「週に1回くらいだったら停電も楽しい」などとコメントしていたけれど、 高層ビルの非常階段から降りて来た女性が、そのまま倒れて、パラメディックの救助もむなしく亡くなった話や、 ビルのエレベーターで3時間も閉じ込められた女の子の話、路上で夜を明かした人々の話などを聞くと、 心が傷むし、地下鉄の車両に6時間閉じ込められた人々の救出作業も困難を極めたようである。

私は電気が戻って1番最初にしたのはTVをつけることだったけれど、 丁度スポーツ・ニュースをやっていて「Mets didn't lose last night because of the blackout.(メッツは停電のお陰で 昨晩は負けずに済みました)」とキャスターが言っていたのに思わず笑ってしまった。(今シーズンのメッツは泥沼の連敗続きである)
でも何よりTVの音と画面がとても懐かしく思えたし、いつも当たり前だと思っていることが、とても便利で有り難いことだと思えてきた。 ラジオだけが頼りの陸の孤島のような生活を1日してしまうと、何処にも行かずして TVを通じて世界各地の様々なニュースを映像で見られるということが、物凄くラグジュアリアスなことに感じられたし、 ガスに火を点けたり、水道を使うことまで電気に頼っていることも今回始めて実感することになった。
ニューヨーク市が今回の停電から被った経済的ダメージは10億ドル(1200億円)と言われているけれど、 その一方で「ブラックアウト記念Tシャツ」が既に土曜日には販売されているという商魂のたくましさが見られるのも またニューヨークである。
今回の停電を通じてまたしても「この街に暮らしている限り、ハプニングには事欠かない」ということを実感することになったけれど、 見方を変えれば、それもニューヨーク・ライフの醍醐味なのだと思う。











Catch of the Week No.2 Aug. : 8月 第2週


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