Aug 18 〜 24 2003




大停電の後遺症:フード・ポイゾニング(食中毒)

金曜日の夜に帰宅して留守電をチェックしたところ、翌日の土曜日に久しぶりにブランチをすることになっていた友人から、 「食中毒が治らないからブランチを別の日にして欲しい」というメッセージが入っていた。
この日はもう遅かったので、翌日電話をしてみたところ、彼女はどうやら水曜日にイタリアン・レストランで食べた ミートソースのパスタが原因で食中毒になったようで、2日間 嘔吐と熱と頭痛に苦しんだのだという。
先週の大停電から無事に復旧したニューヨークだけれど、今週は週明け早々から 食中毒で病院に収容される人の数が激増しており、TVのニュース番組等を通じて「冷蔵庫の中の傷んだものを食べないように」と 盛んに警告が発せられていた。でも実際のところ、停電中に冷蔵庫の中で傷んだものを捨てるくらいの常識は多くの人々が持ち合わせている訳で、 食中毒や食中りになった人々の中には、私の友人同様、停電数日後に買ったものや、レストランで出されたもので こうした症状になった人々は少なくなかった。
私自身、停電後の日曜日の夕方にアッパー・ウエストサイドのゼイバースに食料品の買出しに出かけたけれど、 食べ物の賞味期限がマジックで、書き換えられているパッケージが目に付いて、 いつもなら冷蔵庫の中で4〜5日はもつスモーク・サーモンも、 この日買ったものは2日程で古い魚の匂いがしたので、直ぐに捨ててしまった。 その後の火曜日に日本食材屋で購入した食べ物も、見た目は大丈夫そうだったけれど、 パッケージを開けるとテクスチャーや匂いがいつもと違うので、結局全て捨ててしまった。

私は滅多に食中りにはならない割に、フード・ポイゾニングは3回も経験していて、 未だかつて、この記録を破る人には出会った事が無かったりする。
1回目の食中毒は中学生の時、そして残りの2回はニューヨークに来てからであるけれど、 フード・ポイゾニングというのは単なる食中りのような生易しい症状では決してないのである。 食中りだったらお腹が痛いというのが最初の症状であるから、少なくとも食べ物が原因であることが直ぐに分かるのである。
でも私の3回の食中毒は、全て夕食など寝る前に最後に食べた食事が原因だったこともあり、 3回とも「気分が悪くて、寝ていられなくなって目が覚める」というのがまず最初の症状だった。 そして、それから始まる苦しみといったら例えようがないほどで、横になっているのも辛いし、 起き上がろうとすればめまいがするし、歩くこともろくに出来ないのである。 暫らくすると、嘔吐や下痢といった食中毒の症状が出てくるけれど、私にとっての食中毒の怖さの1つは、 この最初の段階で、どうして自分がこんな苦しい思いをしているかが分からないので、 「もっと深刻な病に陥っているのでは?」という不安に襲われることである。
もちろん食中毒で亡くなる人も少なくないので、食中毒も深刻な病ではあるけれど、 中学生の時は未だ家族と一緒に住んでいた分、こうした不安は小さいものだった。 でもニューヨークに来てからの2回の食中毒の際は1人暮らしだったので、 「原因不明の病で、このまま死んでしまうかもしれない」、「今、ここで死んだら誰が最初に 見つけてくれるだろう?」、「こんな事なら、どんな下らないボーイフレンドとでも結婚しておけば良かった」、 等と、苦しい中でもいろいろな考えが頭の中を巡ることになった。
ただ、「人間何事も経験」というのは食中毒に関しても言えることで、 1992年、NYに来て最初の食中毒の際、苦しさと不安の中で私の脳裏をかすめたのが 「こんな苦しい思いをしたのは、中学生の時の食中毒の時以来…」という記憶だった。
そこで夕食に食べたものを思い出し始めたところ、 たった1つ自分で買っていない食材があったことに気が付いた。 それが当時勤めていた雑誌社が撮影に使ったペッパローニ(いわゆるサラミ)で、 撮影後に食材をスタッフに分けるというのは その会社では珍しいことではなかったのであるが、 何時購入して、どんな管理をされていたかは知る由もなかった。
絶対にこのペッパローニが原因だと思った私は、直ぐに手持ちの抗生物質を飲んで、翌日は少し遅れて仕事に出るほどに回復することになった。 でもこの時は暫らく身体の調子が優れなくて、身体に毒が残っているような気分を1週間ほど 味わうことになってしまった。
このことを当時 雑誌社に来ていたフリーランス・デザイナーの女性に話したところ、 薦められたのがチャイナタウンにある薬局で、そこは薬剤師が脈を取って 症状を診断し、チャイニーズ・ハーブ・ティーを調合してくれるという店だった。 彼女もそのハーブ・ティーのお陰で胃の調子を改善したと言っていたけれど、 問題はその店には英語が話せる人間が1人も居ないということ。 では中国語が話せない彼女がどうやってコミュニケートしたのかといえば、漢字による筆談で、 彼女によれば昔習った漢文の知識で十分とのことだった。
私はどうしても体調を本調子に戻したい一心でその薬局に出向いたけれど、 1つ幸いだったのは、店の人間は英語は喋れなくてもティーという言葉とYes、No は分かることだった。 私は脈を取ってもらって「何処悪?」と紙に書くと「No」という返事。 「こんな事ならもっと漢文を勉強しておくんだった」と思いながら「我望除毒」と書くと、 それ用に3日分のお茶を調合してくれた。
このチャイニーズ・ハーブ・ティーは大きな鍋一杯のお湯に入れて、45分程度掛けてコップ1杯分にまで煮詰めて飲むもので、 この薬局では顧客のためにお茶を煮詰めるサービスもしていたため 店内はむせ返るような漢方の匂いで充満しており、中国人がひっきりなしにやって来ては 注文しておいた漢方茶を飲み干して去っていった。
私は3日もこの薬局に通う訳には行かないので、自宅でお茶を煮詰めることにしたけれど、 早速帰宅してわら半紙に包まれたハーブを見てみると、お茶とは名ばかりの不気味な 乾物が沢山入っていて、既に変な匂いを発していた。 でも「健康を取り戻すため」と、ハーブを大鍋に入れて、中火で1時間近く掛けて マグ・カップ1杯分のお茶に煮詰めて 飲み始めたけれど、 これがとても飲めた代物ではないのである。 独特の臭みに中途半端な甘さと苦さが加わって、後味も最悪で、 一口飲んだ途端に吐き出したくなってしまった。
それでも我慢して飲み続けたけれど、飲んでいる最中から横隔膜が何度も痙攣するように 上がってくるのが分かって、胃がそのお茶が入ってくるのを嫌がっているとさえ思えるほどだった。 頭では「飲まなければ」と思っていても、身体がそれを拒んでいるのは明らかで、 最後の一口を飲み込んだ途端にこみ上げてくるものが我慢出来ず、 結局 慌ててキッチンの流しに走って行って、全て吐き出してしまった。
飲んでいた時の苦しさを思い出すと、吐き出した後の方がずっと気分が良かったけれど、 気が付くと部屋中がハーブ臭くなっていて、ベッド・リネンやタオルまでがハーブで匂っていた。 インドでは胃の調子を整えるために「吐き出す」という行為が行なわれると聞いた事があるけれど、 果たして私の場合もそれが「除毒」だったのだろうか?と当時は真剣に考えてしまった。 でも吐く事が何よりも嫌いな私としては、あと2回もこれを続ける気持ちには到底なれなくて、 残り2日分のハーブはそのままゴミ箱に捨ててしまったけれど、 「あと2回もこれをしないで済む」と考えただけで、私はすっかり気が楽になったのを覚えている。

NYに来てから2回目の食中毒が起こったのは、1997年の元旦で、明け方に苦しくて目が覚めて、 やはり「このまま死んだりして…」と、不安になってしまった。その前の食中毒から5年が経過していたこともあって、 直ぐに食中毒だとは思いつかなかったけれど、途中で「この苦しさはひょっとして…」と 思い始めて、抗生物質が入れてある冷凍庫まで 這うようにして行って飲んだところ、 5年の間に抗生物質が目覚しい進化を遂げていたこともあって、 20分ほどで楽になって、そのまま熟睡してしまった。 目が覚めたときには、「具合は悪かったけれど、食欲はある」程度には回復していて、 医学の進歩に妙に感激してしまった。
後で病院勤めをしている友人にこの事を話したら、「いくら進化した抗生物質でも そんなに早く、効果覿面というのは珍しい」と言われたけれど、 私は滅多に薬を飲まないし、抗生物質を飲んだのも2年前に歯の治療をした時以来だったことを話すと、 「だから効きが良かったんだ」と妙に納得されてしまった。 これが本当かどうかは分からないけれど、こう言われたのがきっかけで ちょっとやそっとでは抗生物質は飲まないようにしようと、以前にも増して心掛けるようになったのは事実で、 私の場合、「抗生物質の効果を食中毒の時のために温存しておかなければ…」というのは、 決して冗談ごとではなかったりする。
私の知人の自営業者が、やはり以前ニューヨークで食中毒になったことがあるけれど、 その時、1人暮らしだった彼は やはり原因不明の不快感にパニックになり、救急車を呼んでしまい、病院に収容されることになった。 結局彼は2日程で回復したけれど、アメリカの病院というのは訴訟を恐れるので、完治したかを確認せずには 退院させてくれないため、彼は5日間入院することになり、その間仕事は出来ない、 入院費は嵩むという最悪のジレンマを味わうことになってしまった。
これが会社勤めならば、会社の健康保険と有給休暇で、殆どダメージ無しに終わるけれど、 自営業者は、保険を使えば、保険料が上がるし、有給休暇も無い訳で、 彼はその時に「何が起こっても救急車だけは呼ばない」と心に誓ったそうで、 私の食中毒体験談を聞いてからは、知人の医師に頼んで抗生物質を処方してもらったと言っていた。

さて今週、私の周りには先述の友人以外にも食中毒とまではいかないけれど、食中りになった人間が もう1人居て、私は彼女が最近勤め出したばかりのデザイナーのショールームに、 木曜日に商品を見に行く事になっていた。でも、やはり直前に電話が掛かってきてキャンセルになってしまった。
後で話すと彼女は「ベジタリアンだから、思い当たるような悪いものは食べていない」とのことで、 停電そのものよりも、食中りの方がずっと辛かったと語っていた。
「思い当たるとすれば、パルメジャン(パルメザン)・チーズくらい…」と彼女は言っていたけれど、 チーズ、それもパルメジャンのようなハード・チーズは、一部のイタリアン・レストランでは 大きな塊を店内に置きっ放しにして、そこから切り取ってパスタやリゾットに摩り下ろしていたりするくらいだから、 私は個人的にはそれが原因だとは思わないけれど、 TVのニュースでは、「停電中に冷蔵庫の中にあったチーズ、卵を含む乳製品を直ぐに捨てるように」と 盛んに警告していた。
確かに、ミルクやクリームというのは直ぐに腐るのは認めるけれど、 チーズと卵については、私自身は冷蔵庫の中ではそれほど心配していなかった食べ物で、 チーズについてはその製法を考えれば然りだと思うし、 卵については、現代のようにスーパーマーケットが乱立する前は卵屋というところで、 わらを敷いた木箱の中で、室温で販売されていたものである。 また卵というのは、黄身の張り具合で新鮮度が分かるだけでなく、 その白身の濁り具合で傷んでいるかも一目で分かるものであるから、 そう神経質になる必要は無いというのが私の考えである。
実際、私はプロテイン・ダイエットをしていることもあって、 毎朝朝食は卵料理だけれど、停電中に冷蔵庫にあった卵には全く問題は無かったし、 チーズも至って普通のコンディションだった。
それよりもO157菌による食中毒の原因として、かいわれ大根が槍玉に上げられたことを考えれば (日本で平成9年に起こった食中毒の際には、結局かいわれ大根からはO157菌は検出されなかったそうです)、 野菜というのも食中毒の原因としては侮れない訳で、 事実、私がニューヨークに来て2回目の食中毒はきな粉が原因だった。
アメリカでは「ベジタリアンは食中毒にならない」と固く信じている ベジタリアンが少なくないけれど、これは明らかに大きな間違いだと思う。











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