From Meatpacking District To West 30th,
High Line Second Phase Opened!
ビジネス活性化の遊歩道パーク、ハイラインのセカンド・フェイズがオープン!

2009年6月9日に第1フェイズがオープンした、マンハッタン・ウエストサイドの遊歩道、ハイライン。
それから2年後に当たる2011年6月7日には第2フェイズがオープン。第1フェイズでは、ミートパッキング・ディストリクトから20丁目までのルートであったけれど、
第2フェイズでは それが30丁目まで延長され、ニューヨーカーや旅行者が交差点で止まる事無く、トラフィックの心配をせずに、
景色を眺めながら歩くことが出来るようになっています。
ハイラインは、第1フェイズのオープン以来、多額の投資やビジネス効果を生み出しており、
使われていなかった鉄道線路に新たな用途を見出したアーバン・プロジェクトとしては 大きなサクセス例と言えるものとなっています。
ハイライン誕生の背景
マンハッタンのダウンタウンの西側、ミートパッキング・ディストリクトからチェルシーを繋ぐ 遊歩道パークとして
第1フェイズがオープンしたのがハイライン。
このハイラインは、かつては鉄道の線路であり、長い歴史を誇るもの。
現在のマンハッタンからは想像も出来ないけれど、1900年代の初頭のニューヨークは、
鉄道と馬に乗った人々が道をシェアしていた時代。
特に、10th アベニューのダウンタウンのエリアは事故が多いことで知られており、 ”Death Avenue”、 すなわち
「死のアベニュー」と呼ばれていたほど。
なので当時、この近辺を馬で走り回るウエストサイド・カウボーイ達は、列車に轢かれないように
赤い旗を持って馬に乗っていたと伝えられています。
これを受けて、1929年にニューヨーク・セントラル・レールウェイでは、線路を鉄橋にして、ストリート・レベルと切り離す
プロジェクトを可決。その結果、当時の費用にして150億円、現在に通貨換算して約2000億円を投じて
建設されたのが13マイルの鉄橋路線。
この鉄橋線路はソーホーのスプリング・ストリートから34丁目までを結ぶルートで1934年にオープン。
主にミルクや食肉などの食料品を中心にした輸送に使われていました。
しかしながら、1950年代に入ると トラック輸送が メイン・ストリームになり、ハイラインを通る列車は激減。
そして 最後にハイラインに列車が通ったのは1980年のこと。
その後、列車を復活させようする活動が見られたものの、ハイラインは放置されたままとなり、
一時は撤去の動きさえ起こっていました。
1999年に入ると、付近の住民が ハイラインをパブリック・スペースとして保存するための ボランティア・グループ、
フレンズ・オブ・ハイラインを設立。
そしてフレンズ・オブ・ハイラインは、ハイラインをパブリック・スペースにした場合の商業インパクト、それから得られる市の税収が
建設コストを遥かに上回る と主張。2002年には ニューヨーク市からの建設サポートを取り付けるに至っています。
そして行われたのが、”デザイニング・ハイライン” という オープン・コンペティション。
コストを抑え、ハイラインの姿を保存しなががら、人々の憩いの場となるパブリック・スペースのデザインというコンセプトで、
世界36カ国の720チームが このデザイン・コンペティションに参加
その結果選ばれたのが、現在第2フェイズまで完成したハイラインのデザインとなっています。
そんなハイラインの第1フェイズの工事がスタートしたのは2006年。予算オーバー、工事の遅れが指摘されながらも、その3年後に
第1フェイズがオープンするに至っています。
第1フェイズの出来栄えは?

第1フェイズは ガンズヴール・ストリートから20丁目までのルートで、 ちょうどミートパッキング・ディストリクトから
チェルシーを結ぶ形でオープンしたもの。
ハイラインは地上2階の高さの遊歩道パークであるため、アクセスには階段を上らなければならないけれど、
そのアクセス・ポイント(入り口)は、ガンズヴール・ストリート、14丁目、16丁目、18丁目、20丁目に設けられていて、
そのうち14丁目と16丁目にはエレベーターも設置。
オープン時間は午前7時〜午後10時までで、オープン直後こそは行列が出来ていたけれど、
その後は普通のパブリック・スペースとして オープン時間内であれば何時でもアクセスできるようになっています。
南側(ガンズヴート側)からは、自由の女神 が望むことが出来、ミートパッキングの目抜き通りである14ストリートを真横に眺めながら、
ハドソン・リバー、ニューヨーク最大のスポーツ・センターであるチェルシー・ピアーズを西側に見ながらの
チェルシーへの道のりが第1フェイズ。
公衆トイレやベンチ、デッキ・チェアも備え付けられているので、散歩だけでなく、時間つぶしや休憩にも利用できるスペース。
また、ハイラインの中には、シアター・スタイルの階段式ベンチもあって、まイライン下の10th アベニューのトラフィックが
シアター・セッティングで眺められるようになっています。
第2フェイズと ハイラインのビジネス・インパクト
ハイラインはその完成後のビジネス・インパクトと、それによってニューヨーク市が得る
税収を考慮して可能になったプロジェクト。
第1フェイズで最も商業的にメリットを得たのは何と言ってもスタンダード・ホテル。
このホテルは、ハイラインの南端、ガンズヴール・ストリート近くに建設されたもので、
ホテルの窓からハイラインがストレートに見渡せるロケーション。
スタンダード・ホテルは既にマイアミやロサンジェルスにオープンしているホテルがニューヨークに進出したもので、
ホテリアーは、ソーホーのマーサー・ホテルを手掛け、かつて
ウマ・サーマンとの交際相手としても知られたアンドレ・バラツ。
同ホテル内の最上階のクラブ、ブーン・ブーン・ルームはニューヨークで最もドア・ポリシーが厳しいナイト・スポットとして知られ、
セレブリティを招いたパーティーが日常茶飯事で行なわれています。
また、ハイラインの恩恵を受けたのがミートパッキング・エリアのブティックですが、
中でもダイアン・フォン・ファーステンバーグは フレンズ・オブ・ハイラインのメンバーとして活発に活動をしてきた人物。
彼女のブティックの2階は、そのままハイラインと繋がっていて、集客効果抜群のロケーションとなっています。
それ以外にも、ハイラインは約1600億円の投資と1万2000の職をもたらし、近隣エリアにはオフィス・スペース、居住スペースが
今後どんどん増える見込みとなっています。
でも、ハイラインによる地元ビジネスの活性化がもたらした最大のプロジェクトと言えるのは、
ホイットニー美術館がその分館をミートパッキング・ディストリクトにオープンするというもの。
これはハイラインの南端、スタンダード・ホテル近くにで既に建設がスタートしており、完成後は
旅行者とニューヨーカーのトラフィックが益々増えることが見込まれています。
新たにオープンした第2フェイズは、10th アヴェニューの20丁目から30丁目のルート。当初は34丁目までのルートを2010年に完成するのを予定していたので、
それに比べると若干中途半端と言える短いフェイズ。
まだ開発がそれほど進んでいないエリアであるだけに、ハイラインにフード・カートやパブリック・アートを多目に導入することによって、
ハイライン自体をアトラクションにしようという動きも出ています。
第2フェイズは、アクセスポイントが、20丁目、23丁目、26丁目、28丁目、そして30丁目となっており、
車椅子でもアクセスできるエレベーターが設置されたポイントは23丁目と30丁目になっています。
最後に、簡単にハイラインのルールをご説明しておくと、ハイラインで禁じられているのは、
線路上に座ったり、歩いたりすること、植えられている植物をピックアップすること、
飲酒、スケート、自転車、スケートボードなどの使用、許可無くパフォーマンスや
商業行為を行うこと、鳥やリスに餌をやること、犬を散歩させること、等々。
また、ニューヨークでは公園での喫煙が禁止されてるので、ハイラインでも喫煙は不可。
詳細はハイラインのウェブサイト http://www.thehighline.org
に記載されているので参照のこと。
ハイラインでは、定期的に無料のツアーも行われており、積極的に学校のためのプログラムも
実施されているとのこと。その他にも家族で参加できるファミリー・プログラムや、ストリート・フェアなどの
イベントも頻繁に企画され、近隣のビジネス活性化や市民のサポートに繋がっているのは
紛れも無い事実であるけれど、その維持費の高さはニューヨークの公園の中で突出して高額なもの。
したがって、維持費の馬鹿馬鹿しいお値段に腹を立てるニューヨーカーも居るようですが、
ここを歩いているとストリート・レベルとは異なるビューが楽しめるのに加え、信号や車に遮られることなくゆったり散歩が楽しめるのは大きな魅力。
ハイラインは、今後アッパー・ウエストサイドまで伸びるプロジェクトになっており、
今までマンハッタンの中にあってあまり脚光が当たらなかったエリアに、投資や開発がもたらされることが期待されています。
© Cube New York Inc. 2011
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