

信託銀行 経営企画部 アシスタント・バイス・プレジデント
俊成 美佐さん
ニューヨークは、言わずと知れた世界の金融ビジネスの中心街。
今回、登場する俊成美佐さんは、そんなニューヨーク・キャリアの王道とも言える金融業界で、
しなやかに活躍する女性である。
2度の留学から、海外志願
10代の頃の美佐さんは、バレリーナを目指し、他のことには目もくれない青春を過ごしていたという。
ところが、ある時、その夢を断念せざるを得ない状況となってしまい、
目標をなくした美佐さんは、自分の進むべき道を考えるために1年間オーストラリアに留学することになる。
大自然の中で英気を養い、大学に進学する決心をした美佐さんであるが、
バレリーナ志願だったため、それまではあまり勉強というものに縁の無い生活をしていたという。
そこで、慌てて受験勉強をして、神戸女学院の英文科に入学。
在学中は「模擬国連」というサークルに参加し、そこで国際ビジネスへの強い関心を抱くことになっていった。
だがそんな美佐さんの大学生活は、当時起こった神戸大震災で一転することになる。
「1人暮らしのアパートで寝ていたら、いきなりズドーンと物凄い震動が来て、ベッドから身体が跳ね上がってしまいました。
揺れが収まった頃には 部屋が斜めに傾いていて、ドアを破って外に出たんです」。
部屋から出た後は、出口を塞がれて出られなくなっていた友人を助け、
その後は、ボランティア活動も精力的に行ったという。
「隣の関西学院の友人と協力して、学生ボランティア組織を立ち上げるプロジェクトに参加したんです。
プロジェクトの一環で、外国から来た救助犬部隊の通訳も担当していました」。
しかし、こうしたボランティア活動を行ううちに精神的に疲れ果ててしまった美佐さんは、
「英語も、日本語も喋りたくない」という心境から、パリのソルボンヌ大学での6ヶ月間の語学留学を決心したという。
留学後、卒業を控えた美佐さんが、就職先として考えたのは海外に行ける仕事。
だから就職活動は海外勤務のある企業に的を絞って取り組んだ。
「普通のOLになる気はありませんでした。でも海外に行くのなら、学位がとれる大学院留学をするか、
そうでなければ仕事をするか、とにかくしっかりした目的をもって出掛けたいと考えていたんです」。
ニューヨークでのキャリア再考
1997年、美佐さんは念願かなって大手旅行代理店のニューヨーク勤務のポジションを得ることになる。
ところが実際に始めてみると、旅行代理店の仕事は、美佐さんが思い描いていたものとは異なっていたという。
「旅行が好きだったので、旅の企画をしたいと思っていたのですが、
旅行業というのは、お客様のクレーム対応やお世話が8割、企画が2割という感じでした」。
加えて、その頃からアメリカではインターネットによるオンライン・ブッキングが普及し、
旅行業界は益々激しい競争を強いられる、薄利多売の業界になりつつあった。
だから美佐さんはそのまま旅行業を続ける意志はなかったが、きっかけを待って働き続けることにした。
そんな、美佐さんのNYでの転機は、キャリアからではなく、私生活から訪れることになる。
ニューヨークで働き出して2年目に、金融業界で働くアメリカ人男性と知り合い、結婚することになったのである。
仕事のために一時的に暮らすはずだったニューヨークが、結婚によって永住の地となったことから、
美佐さんは 改めてキャリアを考え直すことになった。
「これからずっとアメリカで生きていくのならば、まず修士が必要だと思いました。
それで結婚を機に仕事を辞めて、大学院に行くことにしたんです」。
「大学院=学者養成所」という傾向が強い日本とは異なり、
アメリカではちょっとしたビジネスマンなら修士号以上が当たり前。
昇進昇給に関しては日本以上に学歴がものを言う社会である。
以前から興味のあった国際関係を大学院での専攻に選んだ美佐さんは、
奨学金をもらってピッツバーグ大学の国際関係大学院修士課程に入学。
新婚の夫とは、直ぐに別居生活になってしまったが、夫は理解のある男性で、美佐さんをサポートしてくれた。
「大学は比較的小規模でしたから、教授も親身に指導してくれて、本当に良い経験をしました。
良い友達も沢山出来て、その友人達は、今や世界中に散らばってます」。
国際情勢を知るには、まず金融を抑えるのが基本だと考えた美佐さんは、国際金融を専門に選び、
2年間、夫の居るニューヨークと大学を行き来しながら学ぶ生活が続けた。
為替についての修士論文作成中には、過労で倒れるほどの猛勉強をしたが、
美佐さんは遂に2000年に修士号を取得することになった。
日系銀行でのマネージメント
卒業後、ニューヨークに戻った美佐さんは、在学中からインターンをしていた大手日系銀行に就職した。
「アメリカの銀行は仕事が専門化され過ぎていて、後からつぶしが効かなくなる傾向があるんです。
その点、日本の銀行は色々なことが出来るというメリットがありました。
幅広い金融業で、未だやりたい分野が決まっていなかった私には適した職場だったんです」。
日系銀行というと、男女差別、現地雇用差別が重なって、美佐さんのような現地採用の女性には
不利な職場だと思われがちであるが、実はそれなりのメリットもあるという。
「現地雇用だと組織の中で上に行くことは出来ませんが、
やはり日系銀行というのは 米国金融会社以上の条件を提示しないと、アメリカの優秀な人材を獲得することが出来ませんから、
雇用条件が他のアメリカの金融企業より良かったりするんです」。
また、上司が英語が苦手という場合も多いそうで、それをカバーするという名目で
自分のポジション以上の仕事を担当する機会にも恵まれるという。
「もちろん自分から『やらせて欲しい』と売り込む訳ですが、
『その仕事の参加したら期待以上の成果を出す』をモットーにやって来ました。
だから、その気さえあれば、日本企業で働くことはものすごく勉強になるんです。」
また、美佐さんの就職した銀行では、ちょうど大規模な統合プロジェクトも控えており、
それに参加することで金融業の全体の流れを短期間で把握できるというチャンスにも恵まれた。
その分、仕事は極めて多忙で、朝7時から深夜の1時、2時まで働くことも稀ではなかった。
「でも毎日充実していて、学ぶことの連続だったので、全然辛くはなかったんです。
日系の銀行には本当に優秀な人が沢山いて、勉強出来る事が山ほどありました。
当時の尊敬していた上司や先輩達の仕事のやり方は、今もお手本にしているほどです」。
ところが、その統合プロジェクトの最中、美佐さんは またもや大きな災害に見舞われることになる。
9・11のテロ事件だ。
金融関係者が数多く亡くなったこの事件で、美佐さんも親しい先輩と同僚を亡くした。
会社はワールド・トレード・センター内にあったが、美佐さん本人は偶然に難を逃れることが出来た。
事件当日、統合プロジェクトのミーティングのため、ワールド・トレード・センターの会議室にいるはずだった美佐さんだが、
その前日にたまたまミーティング会場をミッドタウンのオフィスに変更したのだった。
事件が起こったのは、ミッドタウン・オフィスでダウンタウンから到着するはずの同僚たちを待っていた時であった。
美佐さんたちは、詳しい情報もわからないまま、灰だらけになってミッドタウンのオフィスまで逃れてきた同僚たちを
痛ましい思いで迎えることになった。
「隣のビルに1機目が突っ込んで、避難のアナウンスに従って階段を降り始めたそうなのですが、
36階くらいまで来た時に2機目が突っ込んで、大揺れを感じたそうです。
『そのまま階段を駆け下りて、外に出て走り出した途端にビルが倒壊した』と言いますから、
助かった人たちも本当に間一髪だったんです」。
偶然とはいえ、美佐さんがミーティングの場所を変えたことで、難を逃れた人たちからは感謝されることになったが、
その後は統合プロジェクトに事件の事後処理も加わり、目の回るような忙しさだった。
直接被害にあわなかった美佐さんは、事件の翌日からニュージャージーの仮オフィスに出社して働いた。
そして、2003年初めに統合プロジェクトが完了。統合後の会社にも同じポジションが用意されていたが、
「次はマネージメントを学びたい」と考えてた美佐さんは、日系信託銀行への転職を決意した。
「それまで働いていたのは かなり大規模な銀行だったので、内部管理となると とても把握しきれないんです。
それで母体が小さく、凝縮して全体を学べるということで、新しい職場を選びました」。
新たなステップと最終ゴール
現在の仕事は、簡単に説明すれば、あちらこちらに散らばっている要素を1つに系統立てて、マネージメントし易い環境に整理していくこと。
監査への対応、資産管理、それらのマニュアル化を膨大な資料から築き上げていく。
金融業界に入った当時は、国際金融学を学んでいたこともあって、為替トレーダーや
外国株セールスこそが花形だと考えていた美佐さんだが、
あえてマネージメントを選んだ理由は、自分にトレーディングや株式セールスが向かないと思っているからだという。
「人のお金を運用する以上は損させたら大変だと思うので、プレッシャーを感じてしまうんです。
『トレーディングや投資商品売買には多少の損失が付き物だ』と思えるような
図太いところがないと、証券関係はやっていけないんです」。
それでも、美佐さんは自分や家族のための資産運用はしている。
「人が一生に稼げるお給料の額なんて知れたものですから、財産を築こうと思ったら、自分でビジネスを立ち上げるか、投資をするかしか無いんです」
その投資で成功するかどうかはMBAを持っているかではなく、金融や経済、投資についての知識と、
世の中を読み取る力。だから流行に敏感だったり、
一般的なマーケティング情報に詳しい人の方が投資に向いているというのが美佐さんの考えだ。
そんな美佐さんは、目下、通信教育でCPA(アメリカ公認会計士)の資格を取るための勉強中。
「マネージメントをするためには帳簿が読めなければ話にならないんです」という。
そして現在の職場で学ぶべきことを学んだら、「次はヘッジファンドの会社にも行ってみたい」と
そのキャリア展望を語る。
ヘッジファンドとは99人以下の大口投資家のみを対象にした私募ファンドを
ハイリスクで運用する国際的な組織で、これまで学んで来た国際関係や国際金融、
国際為替の知識を応用した包括的なマネージメントが出来ると考えているという。
でも、アグレッシブにキャリアを模索する美佐さんの最終的なゴールは意外なものであったりする。
「できれば40歳くらいで引退して、カンボジアのような国で学校を建てたり、教師として働いてみたいんです。
子供達の将来にとって、教育は最も大切なことだと考えていますし、
多分そういう生き方が私には一番合っているんだと思います。」
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