ジャパン・ソサエティー、スペシャルイベント、アシスタント・ディレクター

鈴木葉子さん




今回このコーナーでご紹介する鈴木葉子さんが働いているジャパン・ソサエティーは、 1907年、ニューヨークで設立された非利益団体である。
活動内容は、日本の古典&現代アート、舞台芸術、映画等の紹介、政治経済やビジネスの懇談会や会議、 文化人らによる講演、日本語のクラス等、アート、文化、政治経済、教育の様々なプログラムを通じて、 日米間の理解と交流を図るもの。そのネーミングから 領事館がらみの政府関係か、 日本クラブなどの日系人団体だと思われがちであるが、実際にはこうした日系機関とは直接関係の無い 米国の民間団体で、 スタッフも、大半がアメリカ人となっている。
マンハッタンの国連ビル近くに位置するジャパン・ソサエティーは、 建物内に日本庭園が設けられ、自然光が差し込む 落ち着いた佇まいで、 その中のディベロプメント部というセクションで活躍するのが葉子さんである。


運営資金調達のスペシャリスト

ディベロプメント部は、そのまま日本語にすれば「開発部」であるが、商品や地域を開発するわけではない。 「資金調達部というのが一番分かり易い説明でしょう」と葉子さんは語る。
ジャパン・ソサエティーを始めとする非利益団体の運営資金は、 主に寄付金から成り立っており、 企業や個人からその寄付金を集める ファンド・レイジングがディベロプメント部の仕事なのである。 こうした文化活動をしている組織でのキャリアというと、 まずキュレーターを思い浮かべる人も多いけれど、 アメリカでは活動資金を調達するディベロプメントも、非営にメジャーなキャリアとなっており、 非営利団体であれば、メポリタン美術館、パブリック・テレビジョンから、病院に至るまで、 必ずディベロプメント部門が存在しているのである。
でも、ただ待っているだけでは 寄付が舞い込んでくる事は無い訳で、 様々なイベントや企画を行って、企業や個人から寄付を募るのがディベロプメントの仕事で、 言わば非営利団体の営業職。$ミリオン(億円)単位の寄付金を集めるには、それに見合った 企画と機動力が要求される、プロフェッショナルなキャリアなのである。


プレップスクールで進学準備

葉子さんがアメリカに来るきっかけとなったのは、高校時代に体験したホームステイであったという。
。 「アメリカの学校が気に入って、アメリカに留学したいと思ったのですが、両親から、 せめて高校は卒業してからといわれて大学から留学することになりました」。
でも当時は、現在のように留学が盛んではなく、有名大学以外の情報は日本では殆ど手に入らない時代。 このため、葉子さんは日本で高校を卒業してはいたものの、まずは プレップスクール(私立の進学校で、そのほとんどが全寮制)の最終学年に編入。 そこで大学進学の情報収集と英語のアップグレードをしながら、大学留学に備えることになった。
「アメリカの大学は、入学してからも、ある程度の成績をとらないと退学になってしまいますから、 先ずは準備してから ということで、ハイスクールの最終学年をやりました。 進学校だけに 進路指導もきめ細かくて、いろいろ検討した結果、外国人の私には小さな大学の方が良いだろうということで、 マサチューセッツ州、ボストン郊外にあるウィートン・カレッジという女子大に進学しました」。

ウィートン・カレッジは、創立150年という東部で最も長い歴史を誇る女子大で、 学生数1200人ほどの小規模な大学であるが、それだけにアットホームで、面倒見も良く、 学生生活は楽しいものだった。葉子さんが専攻したのは心理学と演劇だったが、大学の4年間は瞬く間に過ぎていった。
「当初、留学は2年というのが両親との約束だったのですが、それが卒業までに伸びて、 卒業してみると、今度は"ニューヨークに住んで、仕事をしてみたい"と思うようになってしまったんです」。

そこで、卒業後に1年間もらえるプラクティカル・トレーニング・ビザで働くことを決め、 葉子さんは、ニューヨークに移ることになった。


アルバイトから正社員へ

アメリカには日本のように、企業が新卒者をまとめて採用するという習慣がない。 どこの企業も即戦力を求めているから、職業経験がない新卒の学生がフルタイムの仕事を見つけるのは至難の業なのである。
このため、アメリカの学生は長い夏休みや冬休みを利用して、在学中からインターンで職業経験を積み、 フルタイムのキャリアに繋げるというケースが非常に多いのである。
「ウィートン大学にはお金持ちのお嬢さんが多かったのですが、みんなキャリア志向で、 在学中からインターンとして働いている人が多かったですね。 でも その中で私は、就職を考えていなかったので、休み中には遊んでばかりいて、インターンはたった1回経験しただけ。 だから履歴書の職務経験のところに書けることが何にも無かったんです」。
しかも 大学で取得したのはアート系の単位ばかりで、ビジネス経済系の単位がないことも職探しには災いした。 「せっかくニューヨークで働くなら、日系企業のアシスタントではなく、アメリカの会社で働きたい」と思っていたが、 仕事の経験のない心理学・演劇専攻の新卒者を採用してくれる企業は なかなか見つからなかった。 そんな中、たまたま用事があって訪ねた母校、ウィートン大学で、学長が教えてくれたのが、 ジャパン・ソサエティーで働く卒業生の名前だった。
「ジャパン・ソサエティーには法人会員の日米企業が数多いので、その先輩なら企業のトップをたくさん知っているはずだから・・・ということで、 連絡してみるようにと言われたのです」。

ジャパン・ソサエティーで広報部長をしていた先輩には、もちろん面識など無かったが、そこが小さな大学の良いところで、 葉子さんが求職中の卒業生だと言うと、すぐ面会に応じて、いくつもの企業を紹介してくれた。 そして、たまたまジャパン・ソサエティーでもアルバイトが必要だったため、 アルバイトをしながら、就職活動をすることになった。
紹介してもらった企業からは、いくつかのオファーはあったが、今1つピンと来るものがないまま、 アルバイトを続けていた葉子さんは、やがてジャパン・ソサエティーがとても好きになってしまったという。
「オフィス・カルチャーが自分に合っていて、日本文化をアメリカに紹介することに、"これが自分の仕事だ!"という手応えがあったんです。 それまでは日本からアメリカの方ばかりを見ていたんですが、アメリカに来て自分が日本のことを知らない事が分かって、 改めて日本という国を見つめ直す事が すごく勉強になったんです。 それにこういう特殊な職場ですから、一般企業と違って、周囲の人達も、ある種の使命感を持って働いています。 だから、他の企業から来るオファーが益々物足りなく感じられるようになってしまったんです」。

だが、当時、財政難にあったジャパン・ソサエティーからは、「グリーンカードをサポートしてフルタイムの職員を雇うことは無理だ」と言われており、 ビザのない葉子さんは、ワーキング・ビザかグリーンカードを取得しない限り、働き続けることはできない。 そうするうちに、プラクティカル・トレーニングの期限である1年も残すところ僅かとなった。
とうとうニューヨークでの就職を諦めて日本に帰ることを決心した葉子さんが、そのことを上司と先輩に伝えると、 たまたまディベロプメント部でポジションの空きが出ることになり、それに推薦してもらえる事になった。 当時の葉子さんは、ディベロプメント部が何をするところか、見当もつかなかったが、 「ジャパン・ソサエティーで働けるなら」ということで、日本帰国の2週間前に フルタイムのアシスタントとして就職が決まることになった。


激務の中で築いた経験

創設以来、ジャパン・ソサエティーの運営の中心はアメリカ人で、現在も約60人の職員のうち 日本人は12人である。
葉子さんが就職した当時は、日本人スタッフは数えるほどで、ディベロプメント部の日本人職員はゼロ。 日本語ができる唯一のスタッフとなった葉子さんの最初の仕事は、法人会員である日本企業との連絡係であった。 ちょうど当時、日本はバブル真っ盛りで、ビジネス・チャンスを見込んで日本企業と接触したいアメリカ企業も多かったため、 ジャパン・ソサエティーの法人会員は、日米企業とも急増。日本ブームで日本語クラスなどの人気も高まっていた。 それにつれて、当然、葉子さんの仕事もどんどん忙しさを増していくことになった。
「最初はディベロプメントが何をするところか、全然知らなかったのですが、 非営利団体の運営の仕組みが分かってくると、仕事が面白くなってきたんです」。
当時、ディベロプメント部では、大規模な資金調達であるキャピタル・キャンペーンを行うことになり、仕事量が増えていた。 キャピタル・キャンペーンとは、一定の期間にまとまった寄付金を集め、 それを基金として運用して、不景気などで寄付金が減った場合に備えるという方法で、 当時のジャパン・ソサエティーのキャピタル・キャンペーンの目標額は1000万ドル(約11億円)という多額のものだった。
その一方で、葉子さんは、所属はデベロップメントながらも、組織自体に日本人が少なかったため、 日本のプレス関係との連絡、日本人向けの講演会や、日米の若いビジネスマンの交流プログラムの企画、 運営なども、いつのまにか担当するようになっていた。 その頃は、毎日が本当に目の回るような忙しさであったが、やがてジャパン・ソサエティーも日本人職員を増やし、 段々と仕事のペースも落ち着きを見せるようになってきた。 でも「この多忙な時代の経験が、キャリアの基礎となった」と葉子さんは振り返る。

現在、葉子さんが担当している「スペシャル・イベント」とは、ファンド・レイジング・イベントのことで、 その最も大規模なものが年に1度のファンド・レイジング・ディナー(年次晩餐会)であるという。
これは、多くの非営利団体が寄付金集めの軸として行っているイベントで、 マンハッタンの大きなホテルでは、毎晩のように何処か非利益団体のファンド・レイジング・ディナーが行われている。 ジャパン・ソサエティーが年次晩餐会で集める寄付金の目標額は100万ドル(約1.1億円)。 年間の寄付金の約10%を1晩で稼ぎ出すことになる。それだけに要求されるのは周到な準備である。
先ず、最も重要なのはゲスト・スピーカー(講演者)の確保。プレステージの高い ディナー・パーティーには、日米政財界の著名ゲストのスピーチは欠かせないものである。 例えば、昨年のゲストは日産自動車のカルロス・ゴーン社長で、このクラスの著名人となると、 渡米日程もぎりぎりまで決まらないことが多く、そのスケジュール調整のために、 パーティーの日取りまでもが宙に浮くこともしばしばである。
「これまでで、一番大変だったのは、晩餐会の4週間前まで日取りが決まらなかった年でした。 年次晩餐会以外のイベントでは、小泉首相や川口外相の訪問で、2週間前にスケジュールが決まったという事もありました。 そうなると、日取りが決まってから 当日までは悪夢のような思いをすることになります。 でも、私は幸い、ギリギリで追い詰められるプレッシャーに強いみたいです」と葉子さん。
日程が決まったら、次に行うのが場所の確保である。千人クラスのディナー・パーティーとなると、 ニューヨークでも、キャパシティのあるホテルはウォルドーフ・アストリア、 ヒルトン、グランド・ハイアットの3軒しかない。 もちろん、予め見込んだ日程で会場はおさえてあるが、ゲスト・スピーカーのスケジュールによって 変更をやむなくされることも少なくない。そうなると、ホテルとの交渉も葉子さんの仕事である。
一方、招待客もただ招待すれば良いという訳ではない。ステージのひな壇の席順、 フロアのテーブルの席順など、寄付額はもちろんのこと、法人会員間の力関係から、 個人会員の人間関係まで把握した上で、気配りの行き届いた準備が必要になってくるのである。
ディベロプメントというキャリアに女性が多いのは、女性の方がこうした細やかな気配りに 長けているからなのかもしれない。


デベロプメントはパーソナルの時代

日本のバブル経済が去って久しい現在、ジャパン・ソサエティーでは 葉子さんが就職した当時に比べて、企業のサポートが減ってきたため、ディベロプメントには厳しい時代となってきた。 そうなると、景気の良い時代の何倍もの工夫がなければ、寄付金を集めることができなくなっているのである。
「最近はどこの団体でも 企業からの寄付が減ってきていますから、資産のある個人からの寄付に注目するようになってきています」と葉子さんは、 最近のディベロプメントの傾向を語る。
当然、個人の場合、企業以上に細かい対応が必要になってくる上に、 プライベート・ディナーや、お茶会、VIPレセプション等、 ファンド・レイジングのためのスペシャル・イベントも増加する傾向にある。
企業の場合は、「日本相手の取引を伸ばすためのコネクション作り」といった ビジネス上の目的で法人会員になる場合が多いが、個人がジャパン・ソサエティのメンバーになる場合は、 純粋に好みの問題となることが多いという。 アメリカの税法では、非営利団体に寄付した金額は税金控除の対象となるので、 毎年一定の金額を 自分の好みのチャリティや団体に寄付をする人々は非常に多く、 一般個人からの寄付金も大切な収入源なのである。
企業にしても、アメリカでは、トップが決めた団体に多額の寄付をするだけでなく、 マッチング・ギフトといって、社員が個人で寄付した団体に、企業として同額を寄付するというシステムを取り入れているところが多く、 企業方針より、個人の好みが寄付金の行方を左右する時代になっているのだ。

しかし、非営利団体は星の数ほどあるので、寄付金を集める側にとっては 競合も星の数ほど居ることになる。 メトロポリタン美術館、メトロポリタン・オペラのようなブランド力のある大手も競合相手となるので、 ジャパン・ソサエティーのような小規模な団体には、さらに工夫が必要になってくるという。
「ですから、私たちは小さい団体であることを逆に売りにするようにしています。例えば、 メトロポリタンだったら1000ドル(約11万円)くらい寄付したところで、そんな人は山ほど居る訳ですから、 全く相手にされません。 でも、私たちはパトロンの名前は全員覚えるようにしていますし、なるべくパーソナルでアットホームな対応を心掛けています。 イベントを行って、そこで楽しかったという思いをして頂ければ、この団体をサポートしようという気持ちになってもらえますから」。
デベロプメントのキャリアでは、社交的で人の名前を覚えるのが得意なことも、重要なスキル。 イベント会場では、できるだけ多くの人と会話をするようにして、 そうして得た人間関係を 次の企画に活かしていくのだという。

ずっとジャパン・ソサエティーでディベロプメントのキャリアを積んできた葉子さんであるが、 そろそろ他の組織での仕事も経験してみたいという。
「これまでのキャリアが生かせるポジションがあれば、日本でもアメリカでも、場所にはこだわりませんが、やはり日本の場合は税制から変わらないと、 アメリカのような大規模なファンド・レイジングは出来ないと思うんです。今後は、そうした事を日本政府に働きかけるのも大事になってくると思います」。


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