Tutu オーナー

東末 千春 (とうすえ ちはる)さん




マンハッタンの新しいファッション街として、すっかり定着した感のあるノリータ。
高級ブランドのブティックが続々と出店し、ダウンタウンのマディソン・アベニューと化したソーホーの傍らで、 新進デザイナーのブティックや、ユニークなファッションを揃えたストアが軒を連ねるノリータは、 トレンド発信地として、注目を集めるようになって久しい。
そのノリータの目抜き通りともいえるスプリング・ストリートにあるのが「tutu(チュチュ)」という小さなセレクト・ショップ。 イエローを基調にしたインテリアに、カラフルな商品が所狭しと並ぶ 同店を経営するのが、 今回 紹介する東末千春さんである。

デザイナーを辞めてニューヨークへ

千春さんは、日本では大手服飾メーカーのファッション・デザイナーとして勤務していた。
子供の頃から美術が得意だったので、アート分野に進みたかったが、純粋なアートを職業にして食べていくのは かなり難しい。 そこで考えたのがファッション業界の仕事で、千春さんは大阪文化服装学院に進み、卒業後は 大手服飾メーカー、ワールドにデザイナーとして就職した。
「当時は若いデザイナーがブティック・ブランドを作り始めた頃でもあったんですが、やはり最初は大手に行った方が良い とアドバイスされて、ワールドを選びました。」
その頃、アパレル業界には専門職の新人をリクルートするための研修制度があり、この制度では、 学校での成績や本人の希望によって研修先が決まると、夏休みなどを利用して、無給の研修員として勤務することになる。 そして、その働きぶりが認められれば、実技や面接の試験を経て採用となり、アメリカのインターンシップにも似た制度である。
千春さんも、この研修制度を経て、第一志望のブランドのデザイナーとして採用されることになった。 しかし、就職してからも1年近くは、新人として 朝一番に出社して掃除をし、お茶汲み、電話応対と、1日中雑用に追われることになる。 デザイン・ワークは、先輩がデザインする服のボタンやポイント柄等、細部の小さな仕事から 新人に回ってくるが、 そうした仕事に取り掛かれるのは夕方5時以降。だから、仕事は連日10時、11時にまで及ぶことになった。
「それでも職場環境は恵まれていて、会社にジムやプールもありましたから、朝プールで一泳ぎしてから、 8時にはオフィスに入って掃除機をかけて、というスケジュールでした。 家には寝に帰るだけでしたが、バブル期だったので、最高の素材に沢山触れさせてもらって、質の高い物作りを経験させてもらえたと思います」と 千春さんは振り返る。

仕事三昧の生活を送っていた千春さんが、初めてニューヨークに惹かれるようになったのは就職して3年目。 夏休みの休暇で訪れたニューヨークがすっかり気に入ってしまったのだ。
「とにかく、面白かったですね。日本では聞けないような音楽がライブで聴けるし、ファッショナブルという訳ではないけれど、 変わった格好をした人が沢山居るし、人種も様々で新鮮に感じられたんです」。
すっかりニューヨークに惚れ込んだ千春さんは、その1年後、今度は冬に訪れた。
「冬のニューヨークも、また良くて…。 ウインドウ・ディスプレイは素敵だし、エネルギーが満ち溢れていると思いました。 特に印象的だったのが、バーグドーフ・グッドマンのウインドウで、真冬なのに水着がディスプレイされていたんです。 それを見て 『ニューヨークのお金持ちは冬にビーチ・リゾートに行くのが当たり前なんだ!』とカルチャー・ショックを受けました。 当時の日本では真冬に水着のディスプレイなんて、全く考えられませんでしたから…」。

その頃、仕事も4年目に入っていた千春さんは、徐々に将来のことを考えるようになっていた。
「仕事は面白かったし、職場環境や人間関係も良かったんですが、このまま10年経っても1企業デザイナーで良いのだろうか?と 疑問に思い始めたんです。20代のうちに何か違うことをやってみたいな、と考えるようになりました」。
そんな千春さんが思いついたのがニューヨーク行き。 たまたまワールドにはニューヨーク支社があったので、99%駄目でもともと と思いながら、ニューヨーク勤務願いを出してみた。 でも答えは予想通り 「No」。そこで千春さんは思い切って仕事を辞めて、ニューヨークに向かうことにした。


知人の助言が出店のきっかけに・・・

2年程度の滞在予定で語学留学生としてニューヨークに来た千春さんは、まずは語学学校に通い始めた。
「ニューヨークの語学学校には日本人が多くて、その中には 何のために来てるの分からないような、 何もしてない人が沢山居るんです」。
そんな語学学生にはなりたくないと思っているうちに、千春さんのもとには、元の仕事の関係で、 ファッション撮影のアルバイトの仕事が入るようになってきた。
「ワールドの服の撮影で、服をモデルにフィットさせるようにピンを打つという仕事でした。自然なラインを崩さずに ピンを打つのは服を知らないと出来ない事なので、私に仕事が回ってきたんです」。
やがて、ファッション関係のライター、コーディネーター、リサーチなどの仕事が徐々に入って来るようになり、 I ヴィザ (ジャーナリスト・ヴィザ)をサポートしてくれる出版社が出てきたため、千春さんは ヴィザのために在籍していた語学学校を辞め、 FIT(ファッション工科大学)のファッション・バイイング&マーケティングのコースに通い始めた。
「デザインの勉強は日本で既にしていましたから、これまでやってこなかったビジネス面の勉強をしたかったんです。 日本では売れる服をデザインすることが仕事でしたが、ニューヨークに来て、ここはデザイン以上にマーケティングの国だな と思いました。 その頃は、ちょうどスターバックスが店舗を増やしていた時期で、ファッション業界でもジューシー・クチュールが売れ始めた頃だったんですが、 そうした売れる商品のポイントにとっても興味があったんです」。

2000年に入ると、千春さんは フリーで、ファッション関係の記事を書いたり、デザインをしたり、リサーチをする傍ら、 ウェブサイトを立ち上げて、アクセサリーの販売もするようになったいた。
「服はサイズの問題があって、アメリカからネット販売をするのは難しいと思ったので、まずアクセサリーをやってみることにしました。 でも、他の仕事をしながらのサイド・ビジネスとしてやっていたので、なかなか思うような売り上げには繋がりませんでした」。
そんな時、たまたまファッションの小売業界のベテランと話をしていて、「自分でお店をやれば」と奨められた。 「最初はそんな事はとても出来ない! と思いましたが、ネット販売を通じて 仕入れの方法も学んでいたし、 もし店を持ったらこんな風にしたい、という夢のコンセプトがあったんです。 それで、やってみる価値はあるかもしれないと思って、翌日には店舗捜しを始めていました」。
時はちょうど、9.11のテロの直後。ニューヨーク中の小売業界が不景気になっている時期で、 店舗スペースの賃貸料もいくらかは安くなっているのでは?という望みもあったと千春さんは語る。
「最初はアッパー・イーストでと思っていたのですが、高過ぎたり、広過ぎたりで、適当な物件が全く見つかりませんでした。 ノリータという場所は当初念頭に無かったのですが、たまたま通り掛かった時に、手頃なスペースが空いているのを見つけたんです」。
すぐに不動産屋を通じて問い合わせたが、手頃な物件が少ないだけに、既に賃貸希望者が何人も競合する状態。 その中から借り手を決定するために、ビジネス・プランのプレゼンテーションを行うことになったが、 そこで役立ったのが、これまでのマーケティングに関する知識やフリーのリサーチャーとしての経験だった。
「いかにも日本で店をやっていたかのような経歴を作って、ターゲット・カストマーのマップを作って、ビジュアルのプレゼンもしました」。
このプレゼンテーションが気に入られて、店の権利は取得したが、契約書にサインをしたのは、12月のこと。 それから直ぐに内装に取り掛かったものの、アメリカは12月に入ると、何もかもかホリデー気分で、 通常のペースでは機能しなくなるため、内装には思いのほか時間が掛かり、オープンにこぎつけたのは、 翌年、2002年の2月のことだった。
商品も、12月からでは買い付けが難しかったため、日本の元同僚がデザインしているハンドバッグを卸してもらったり、 色々と苦労をして集めてはみたものの、最初は棚がスカスカだったという。


次の目標はオリジナル・ブランド

いざ店を開いてみると、千春さんが頭で考えていた仕入れのコンセプトは、実際の売れ筋商品によって徐々に変化していくことになった。
「最初はアッパーイーストで店を持つつもりでいましたから、大人のキュートさとか、エレガントな雰囲気を想定していたんですが、 ノリータには合わないんです。もっとカジュアルだし、トレンディーだし、人と違うものを捜している人も多くて…。 でも、決してファンキー過ぎなくて、私自身でも着られるような、大人のファッションが中心です。 最初は置いていなかったデニムも増えてきましたし、商品もオープン当時からずいぶん変わってきましたね」。
現在は、服とバッグ、アクセサリーなどの小物類を扱っており、客層は20代〜40代の白人アメリカ人が中心。 殆どがマンハッタン在住の女性達である。 目も耳も肥えている上に、ファッション・センスにはうるさく、細いサイズ、小さいサイズの方が多く売れるという。
「アメリカ人はサイズが大きいという印象があるんですが、マンハッタンの女性は平均的なアメリカ人より遥かにスリムな人が多いんです。 だからLサイズは仕入れても残ってしまうので、SやXSを中心にしています」。

小さな店なので、1種類の商品を数多くは仕入れられない。しかもリピーターが多いので1週に1度は新しい商品を入れるようにしており、 仕入れは売れ行き動向をチェックしながらとなる。 こうした小売業には商品を委託販売にする方法と、買取があるが、千春さんは特殊なケースを除いて買取主義だ。
「委託販売は一見リスクがなくて良く思えるかもしれませんが、それだけに店に置く商品の選択が甘くなってしまいがちなんです。 やはり自分が気に入った物だけを絶対に売り切るという気持ちがある方が店のテイストが明確に出ると思うんです。」
オープン時には、隙間だらけだった棚も、今では所狭しとカラフルな商品が並んでおり、 価格帯はカットソーで30ドル程度、バッグは50〜300ドル、デニムで138ドル〜185ドル、セーターは130ドル程度。
「400ドル以上の商品もありますが、高額な商品はあまり動きませんから、買ってもらい易い価格帯の商品を多くして、 商品を回転させることが大切なんです」と千春さん。
仕入先はアメリカ、ヨーロッパ、日本と幅広く、店が狭いため、コートなどの大きな商品は扱えない分、 ジュエリー、バッグ、スカーフ、靴、帽子等、取り扱うる扱う品目は多岐に渡る。 最近始めた犬用の服やアクセサリーには、それを目的に来る固定ファンも付き始めたという。
「時代に合ったものを安く仕入れるというのが、何よりのポイントです。在庫が残るのは大きなロスですから、とにかく売り切ることです」。
売れると分かってから注文しても間に合わないこともあれば、逆に売れると見込んで注文し続けると、需要がピタッと止まることもある。
「例えば、数年前、刺繍のブラウスがすごく売れていたんですが、ある時にピタッと動かなくなったんです。 売れ筋の動きにはルールがある訳ではないですから、仕入れは勘と経験だけが勝負です」。

千春さんが今後の展望として考えているのは、オリジナル・ブランドの開発。 先ずはカットソーとバッグから始める予定で、 既にtutuのロゴをフィーチャーしたタグも完成している。
「オリジナル・ブランドは仕入れ販売に比べると利益率が高いですから、 いずれは、自分のブランド商品を他店にも卸せるようにしていきたいと思っています」。
そんなオリジナル商品を広く卸販売するには、まず多数のバイヤーが買い付けにやって来る 名の通ったトレード・ショーに 出展することから始まる。そのためには、オーガナイザーの審査を通過する必要があるが、 tutuブランドは、その審査をクリアして、2月にラスベガスで行われる「Pool / プール」というトレード・ショーに出展の運びとなった。
「他にも、一時お休みしていたウェブサイトも復活させたいと思っています。いずれは2号店も出したいですし・・・、 オーガニック・カフェなんかもやってみたいですね」。


tutu (チュ チュ)
55 Spring Street, New York, NY 10012
Tel. (212)219-9548