Vo.l. 18 智子(トモコ)・カー さん  (Tomoko Kerr) さん

マーク・ジェイコブス ソーシング・マネージャー




ファッション業界の仕事と言えば、誰もがまず思いつくのがデザイナーであるが、彼らの裏方としてブランドを支える様々な専門職が 存在しているのは言うまでも無いことである。
パタンナーや生産部門職は一般にも知られているが、意外に知られていない重要なパートがソーシングである。 ソーシングとは 平たく言えば、生地を中心とした素材調達部門であるが、デザイナーに言われたままに素材を調達して来る訳ではない。 各シーズンのコンセプトが決まると、ソーシング・スタッフは専門知識と個人のセンスを駆使して素材を選び、 ソーシング担当者が買い付けた素材から 服のデザインが生まれることも少なくない。 ブランドのデザインを支える重要なクリエイティブ部門と言えるのがソーシングなのである。
今回ここに紹介するのは、現在 ニューヨークのトップ・ファッション・ブランド、マーク・ジェイコブスで ソーシング・マネージャーとして活躍する智子・カーさんである。

広告から ファッションへ

智子さんにとって、ファッション業界は転職によって踏み込んだ世界なので、スタートはかなり遅い方である。
日本の大学での専攻は心理学。卒業後は、東京の中規模広告代理店で営業の仕事をしていた。
「母が福祉関係に熱心な人で、小さい頃から"将来は人の役に立つことをしなさい" と言われ続けてきました。 20年間、それを考え続けていたのですが、何をしたら良いのかも分からないままに、広告業界なら色々な業種と触れ合えるから、 答えを探すのに良いかな?と思ったのです。世の中のインデックスを見るような気持ちで就職しました」。

仕事は楽しかったし、上司や同僚など周囲の人間関係にも恵まれた居心地のいい職場だったが、 そこで3年間 広告の営業を続けるうちに、智子さんはもっと専門色の強い仕事をしたいと思うようになったという。
「最初の目的だった世の中のインデックスというのも ある程度理解出来たし、このまま安穏としていてはいけないと思ったんです」。
だからと言って、次にやりたい事が決まっていた訳ではなかった。そこで、「専門的な仕事」を条件に 消去法で考えていったところ 残ったのがファッションだったという。
「祖母がアーティストで、着道楽でもあったんです。器用で、センスが良くて、着る物にもこだわりを持った人でした。 私は小さい頃から 祖母の注文で 仕立てられた服を着ていて、それがよく人に褒められたんです。 それで、いつの間にか私も服にこだわるようになってたんですね。 学生時代には、自己流の洋裁もやるようになっていましたから、一度仕事として本格的にやってみたかったんです」。

ファッション業界に進むには、先ず専門学校で学ぶ必要があると考えた智子さんは、リサーチの結果、フランス系のファッション専門学校、 エスモードを選ぶことになる。 日本では比較的新しい専門学校だったが、「少人数でお洒落な雰囲気のエスモードを一目で気に入ってしまった」と智子さんは語る。
やがて、入学手続きを済ませた時点で 広告代理店を退職したが、大好きな職場であっただけに、辞める日は「泣きの涙」だったという。
エスモードでは、デザイン画を描くことから、ソーイング、パターン・メイキング、デザイン等、一通りの事を全て学んだが、 コースとしては3年間であるものの、無認可の専門学校なだけに、当時は「卒業に こだわらない」雰囲気があり、 2年目くらいから中退する学生は多かった。
「あの頃は、むしろ中退して早く仕事に就くなり、次のステップに進む方が偉いみたいな雰囲気があったんです」。
事実、当時の同期の顔ぶれは、今やファッション業界で数多く 活躍しているという。
そこで、2年目を終えた智子さんも、3年目の学費で ロンドンのファッション専門学校、セント・マーティンへの留学を考えたが、 残念ながらセント・マーティンには3年以下の短いコースがない。 代わりに見つけたのは、ニューヨークのFIT (ファッション・インスティテュート・オブ・テクノロジー)の1年コースで、 これは本来2年分のアソシエート・デグリー・コースを1年で終了するというものだった。
こうして智子さんは1997年秋、ニューヨークに向かうことになった。



就職のきっかけはインターン

「でも実際にFITに入ってみたら、まず失望しました。ファッションの学校っていう感じがしないんです。時代遅れで、先生も良くないし・・・」。
それでも、わずか1年、実質的には10ヶ月のコースなのだから、「とにかく卒業しよう」 と 気を取り直して、真面目に通っていたが、 そんなある日、智子さんは FITのキャンパスで、「自分の代わりのインターン」を探している学生と出会うことになる。 「自分がインターンとして務めるはずだったファッション・メーカーに行けなくなったから、代わりに行ってくれる学生を探している」というのだ。
これは、「せっかくニューヨークにいるからには、学校以外に実務の経験もしたい」と思っていた智子さんにとっては まさに渡りに船とも言えるチャンスであった。 そして、その「代理インターン」として出向いたのが、その後 智子さんが 何年も働くことになるファッション・メーカー、チャイケンだった。

インターンとは学生の無報酬のアシスタントで、ファッション業界に関わらず、アメリカではインターンから就職に繋がるケースが非常に多い。 無報酬なので雇う側も気が楽だし、優秀な学生ならそのまま雇い入れることも出来る。 学生にとっても 実務を通じて、実際の職場を見て、経験する機会が持てるというのがインターン制度なのである。
でも企業側にしてみれば、学生インターンは単なる無料労働力。手取り 足取り 仕事を教えるような手間は掛けてくれない。 したがって最初に任せられるのは単純作業のみ。 智子さんが最初にやらされたのも営業用のスウォッチ(生地見本)を切る仕事だった。
だが、そういったファッション・センスと無関係な単純作業にでも差は出てくるもので、智子さんはスウォッチを切るにも角は直角に近く、真っ直ぐにきれいにカットした。
「日本人はこういう作業をきちんとやりますけど、アメリカ人のインターンだと切り目がギザギザだったりすることも多いんです」。
2年コースを1年で終えるためにFITの方も忙しく、チャイケンに通えるのは週に1〜2回程度であったが、 「見て結果が分かることでアピールするため」に、智子さんは任された仕事を きれいにこなし続けた。 そのうちに、「トモコは何を頼んでもきちんと仕上げる」という信頼が確立されてくると、今度は重宝に使われるようになり、 単純作業から 少し技術の必要な仕事も任されるようになってきた。 アクセサリーのパターンや、ニットのパターン、洋服の細部の縫製といった仕事も回されてくるようになったが、もちろん智子さんは 手先が器用なので、縫製も上手い。そうなると「この仕事を全部やっておいて」と任されるようにもなり、さらにはサンプルのカッティングもこなすようになった。
やがて6月にFITを卒業してからは、時給をもらって毎日働くようになり、同じ年の秋には ビザもサポートして貰い、 智子さんはフルタイムの社員としてチャイケンで働くこととなった。



生地のソーシングこそが デザインの要

チャイケンでの智子さんのポジションはサンプルルーム・アシスタント。給与は業界のエントリーレベルとして普通の額。つまりぎりぎりに生活できる程度だった。
アシスタントとは言いながらも、前任者はすでに異動した後で、実質的には1人きりでのスタートだった。 すぐに仕事を任され、サンプル・ルームのコーディネーターとして2年働いたが、その間、少しずつ他部門の手の足りないところの仕事もするようになり、 次第にソーシングの仕事が増えてくるようになった。
「最初はトリム中心で、ボタンとか、裏地とか、ジッパーの色あわせとか、美的センスがそれほど必要とされない仕事から始まりました」。
やがて智子さんはサンプル・ルームの仕事を続けながら、スケッチを任されるようになり、徐々にデザインの分野に食い込んで行くようになった。 その中で、「デザインの要は生地選びだ」という事が分かってきた智子さんは、どうしても 「生地のソーシングをやりたい」と思うようになり、 徐々に生地ソーシングのアシスタントを進んで務めるようになって行った。

当時、チャイケンでは、「生地ソーシングの担当者は長続きしない」というのが社内の常識になっていたが、 これは上司であるデザイン・ディレクターが厳しい人であったため。 「皆、上司とやりあって、泣きながら辞めて行くんです」。
智子さんも 4〜5人の生地担当者がクビになったり、辞めたりするのを目にしてきたが、 ある日、とうとうそのポストが智子さんに回って来ることになった。「誰が来ても長続きしないポジションだけれど、そんなに生地が好きなら やってみないか」 と言われたのだ。智子さんには願ってもないチャンスだった。

デザインの過程に深く関わるソーシングの仕事は、デザイナーの仕事の重要な一部分と考えられていて、よほど大きなメーカーでない限り、 ソーシング部門が独立していない場合が多い。 チャイケンでも、ソーシングは上司であるデザイン・ディレクターとデザイン・コーディネーターである智子さんの2人で全てこなしていた。
ソーシングの仕事は、デザイン・チームのメンバーとして シーズンのコンセプトを決めるところから始まる。そして決まったコンセプトに沿って、 使えそうな生地を探してくる。そのためには、まず世界中に星の数ほどある生地メーカーの中から、質の良い仕入先を知っていなければならない。 そしてその中からコンセプトに合いそうな生地を探す事になるが、これには経験とセンスと勘が必要だ。 この時点では デザインなど全くの白紙状態で、決まっているのはコンセプトだけ。 むしろデザイナーは、ソーシング部門が集めてきた素材を元にデザインするのだ。しかも生地はサンプルだけを買って行く訳にはいかない。 既製服用の量となると、注文してもすぐに入手できる量ではないので、サンプルで吟味してから注文したのではシーズンに間に合わないからだ。 目をつけた生地は、最初から生産する量を注文する必要がある。
したがってソーシングの仕事というのは、シーズンの売り上げを予測する賭けのようなものであると同時に、ブランドの売り上げを左右する 重責を担うものなのである。



ヘッドハントで マーク・ジェイコブスへ

誰もが長続きしなかった厳しいボスのもとで、ソーシング・スペシャリストのデザイン・スタッフとしてチャイケンで4年間を過ごした智子さんは、 今年の春から、大手ファッション・ブランド、マーク・ジェイコブスに職場を移した。
「ボスとは上手く行っていましたが、同じボスのもとで、同じ事を何年もしてきたので、違う環境で新しい事をしたくなってきたんです」。
ファッション業界はスタッフの移動の激しい世界で、優秀な人材のヘッドハンティングは日常茶飯事である。 智子さんもチャイケンで働いている間、ヘッドハンターからのジョブ・オファーを受けることが 何度もあり、マーク・ジェイコブスもそうしたジョブ・オファーの1つだった。
マーク・ジェイコブスほどの規模のビジネスになれば、独立したソーシング部門を持っている訳で、そこでデザインの分かるソーシング・スペシャリストを捜しているということで 白羽の矢が立ったのが智子さんだったのだ。そして、このポジションは、智子さんにとっても「願ったり」と言えるものであった。
「どこかで日本と関わりのある仕事がしたいという気持ちがあったんです。チャイケンは言わばアメリカ人によるアメリカ人の為の服で、日本はターゲットになっていませんでしたから・・・。 その点、マーク・ジェイコブスは日本を大きなターゲットの1つにしている訳で、このことも転職した理由の1つなんです」。
マーク・ジェイコブスはチャイケンとは規模もデザイン方針も全く異なるブランドであるだけに、ソーシングでもこれまでと違った面を学ぶことが出来る。 チャイケンの生地の仕入先はヨーロッパ中心だったが、マーク・ジェイコブスは中国など、アジアからのソーシングも多いので、ソーシング先も広がる。 また、智子さんが担当するマーク・バイ・マーク・ジェイコブスは、チャイケンより若い20代をターゲットにしているので、その点でも新たな挑戦となる。

智子さんはチャイケン時代、サイドビジネスとして オリジナル・ブランドを作っていた時期がある。智子さんのデザインした商品は、 日本やアメリカの高級デパートでも扱われ、それなりに上手く行ってはいたが、苦労に見合うだけの遣り甲斐というものはなかったと言う。
「ブランドを立ち上げるには綿密なビジネス・プランが必要だということを学びました。売れ筋を追いかけて何にでも手を出すと、 シーズン毎に一貫性がなくなって、結局ビジネスは伸びないんです」。
そんな経験を積んだ智子さんは、「当分は大きなチームの中での仕事を続けていきたい」と考えているとのことで、 特に、良い素材に沢山触れられる 現在の仕事が 非常に気に入っていると言う。

さらにチャイケン時代は仕事に夢中で、朝から晩まで仕事のことを考えていたという智子さんにとって、 マーク・ジェイコブスに移った 別の収穫と言えるのは、家族のことを考える余裕が出てきたこと。
「ここは、同僚にも上司にも乳幼児のいる女性が本当に多くて、会社全体で社員の出産を奨励するような雰囲気があります。 面接の時には女性の副社長から "是非 あなたもワーキング・マザーの仲間に入って!" と言われてビックリしました。 長時間拘束が当たり前の日本のアパレル業界で、小さい子供のいる母親が働くのは、まず無理な事だと思いますから・・・。
そんな風に 仕事と家庭が両立できるという点は、ニューヨークのファッション業界で働いて本当に良かったと思うところです。」