

テレビ東京 アナウンサー
佐々木 明子さん
職場における男女平等が徹底されているように見えるアメリカだが、未だに女性大統領が誕生していないことからも分かるように、
実際にはかなりコンサバティブな社会でもある。メディアの世界も そうしたアメリカのコンサバぶりが窺える分野だ。
昨年 2006年には、3大ネットワーク、NBCのモーニング・ショーの人気ホストであったケイティ・コリックが、
多額のギャラでCBSに移籍し、プライム・タイム 初の女性アンカーに就任したことが大きな話題になったが、
ニュース・キャスターの世界が女性中心になって久しい日本から見れば 「何を今更・・・」 という感じだろう。
今回登場するのは、その日本のメディアから テレビ東京 初の海外赴任アナウンサーとして ニューヨークに派遣された佐々木明子さん。
日本では毎日、夕方の報道番組を担当していたお馴染みの顔である。
スポーツ&バラエティから 報道へ
明子さんがアナウンサーという職業を意識したのは大学時代。
当事 まだ珍しかったラクロスの 全日本チームのメンバーだった明子さんは、マスコミの取材を受けることが多かったという。
テレビ東京の就職面接で 「夢はラクロスをテレビ紹介して、実況中継をすること」 と語った 明子さんだが、その夢は
意外にも早く 叶うことになった。
スポーツ番組担当のアナウンサーとなった明子さんは、早速 念願であった ラクロス紹介の番組企画を実現させたのだった。
当事の日本は 女子アナブーム。 明子さんはスポーツ番組に止まらず バラエティ番組も担当し、次々に遣り甲斐のある仕事が飛び込んできた。
「アナウンサーになりたての時期は、ちょうどJリーグの立ち上げの頃で、その後は長野オリンピックもあって、
スポーツ担当者にとって エキサイティングなイベントが一杯でした。 ビッグ・イベントの感動的な場面を自分の言葉で伝え、
一流の選手や監督に 密着取材しながら経験を積むことが出来たのは とてもラッキーだったと思います」。
スポーツ / バラエティ 担当アナウンサーとしては徐々に ベテランになりつつあった明子さんが、将来の方向を考えるようになったのは
30歳を目前にした頃。
「現場取材を大事にした結果、スポーツやバラエティの分野では 何処に行ってもある程度信頼され、実績も残せるようになりました。
もちろんそれは地道な積み重ねの結果なんですが、同時に仕事が慢性化して、気持ちの緩みも出て来てしまい、 ”これではいけない、
また自分を追い込むような 新たな仕事にチャレンジしてみたい” と思うようになったんです」。
そこで 「社会問題と向き合う 報道ニュースをやってみたい」と 思い切って希望を出した明子さんだったが、それが
直ぐに 報道の花形とも言える、夕方のニュース・キャスターを担当するという形で実現したのだった。
アナウンサーの担当ジャンルが変わるのは珍しいことではないが、スポーツ / バラエティから報道へ というシフトは明子さんが初めて。
「私は 社内で 初めての 新卒採用の女子社員アナウンサーでもあって、偶然とは言え ”初めて” というのが多いんです」。
明子さんが9年間担当してきたスポーツ・ニュースから 報道のニュース番組に移ったのは2001年のこと。
日本のマスコミでニュース番組のメイン・パーソナリティが 男性から女性中心に移行しつつある時期だった。
「本来、とても不器用な人間なんですが、常に人が手を差し伸べてくれます」 と語る 明子さんだが、
未経験の報道番組の仕事をこなすために 必死で勉強を重ねた。こういう時には 大学の体育会系のガッツが生きるという。
「スポーツ担当の時は ”可愛く元気に、I LOVE SPORTS の気持ちを持って” と、いつもニコニコ仕事をしていました。
でも報道は社会的な責任が全く違います。スポーツ番組と違って自分の感想を軽々しく言うことも出来ません。
扱う内容が事件、事故、裁判だったり、社会への問題提起ですから 発言の持つ重さが全く違うんです。
ですから、最初は事実を間違えないように伝えるのに必死で、スタジオで話すのが怖かったくらいでした」。
TV東京 初のNY駐在アナウンサーに
局内で ”初めて” の道を切り拓いて来た明子さんに、次の”初めて” の機会が巡ってきたのが昨年。
経済を中心とする朝5時45分からの番組 「モーニングサテライト」の担当となった明子さんは、
2006年7月から テレビ東京の初の海外赴任アナウンサーとして ニューヨークに駐在することになったのだった。
東京との時差の関係で、丁度 ニューヨークの株式市場がクローズした直後に始まる同番組の
中核となるのは 当然 アメリカ市場の動き。
赴任が決まった明子さんは、またしても猛勉強することになったのだった。
「専門外ですから 最初は何を読んでも、アラビア語かと思うくらいで(笑)、何のことやらさっぱり訳が分からないんです。
とりあえず、経済の仕組みやアメリカ経済の文献を読みまくって、ひたすら勉強しました」。
アナウンサーの仕事は原稿を読むだけのように見えるが、意味を理解して読まなければ 視聴者に内容は伝わらない。
また海外駐在の場合、日本国内のアナウンサーよりも 取材記者的な仕事も多くなってくる。
企業決算も伝えれば、マクロの経済ニュースも追わなければならない。原油価格が上がれば、その原因は何かをチェックする。
株式、債券、通貨、あらゆる経済の動きを見て、それを1つ1つ分析しなければ報道は出来ない。
最終的に番組で伝える一言に対して、地道なリサーチを重ねるのが仕事となる。
その結果、「東京でキャスターをしていた時よりも、自分が責任をもって原稿を書いたり コーナーを創るようになりました」と明子さんは語る。
そもそもテレビ東京は経済が得意な局で、日本で報道番組を担当していた時にも日本市場の動きは内容として欠かせなかったが、
アメリカ市場を取材するようになって感じるのは、そのダイナミズムが全く違うこと。
「単純に数やボリュームから言っても、もちろん比べ物にならないんですが、世界の経済の中心が ここニューヨークなんだ
ということを痛感します。 私が来てからの1年は、間違いなく歴史に残る経済の局面だと思います。
株価は連日史上最高値、つまり これまでにない領域を記録してきました。
そうかと思えば、世界同時株安の場面も目の当たりにしましたから、時々スタジオの中で、自分は何て場所に居合わせているんだろう・・・
と、鳥肌が立つことさえありました」。
アメリカの株価が下がると、日本の株価も下がり、世界も連動する。
なので日本で夕方の社会ニュースを伝えていた頃よりも、日本という国が小さく見えてきたという。
「本当に 遠い小さな島国なんだなぁ・・・ と。そしてその向こうに広がる巨大な中国。アメリカの目が 既に中国やインドに
向いているのも良く分かります。 それと、日本に居ては なかなか実感出来ない世界の移民問題や、
エネルギー問題、人種問題も、アメリカに来て 初めて分かった ”事実” がどれだけあるか・・・。
それを少しでも多く視聴者に伝えるのが自分の役目でもあると思っています」。
職場には記者やリサーチャーなど現地採用の日本人スタッフも多く、職場環境は日本に居た頃とあまり変わらないが
ニューヨークで働く日本女性の逞しさに 明子さんは感心したという。
「ニューヨークの人は甘えが無い、というか 自己責任がはっきりしていますね。
仕事だけではなくて、プライベートでも自分で出来ることは何でも自分でやる。
機械も自分で直すし、家具も組み立てるし、重い家電品でも お店からカートを転がして自分で運んで来る。
ニューヨークには 日本のような行き届いたサービスがありませんから、引っ越してきた当初は随分助けてもらいました」。
ニューヨークで身に付けた世界観
明子さんが担当する番組、「モーニングサテライト」では、経済だけでなく 社会ニュースも扱う。
メディア業界にいれば 当然一般の人よりも 深く広くニュースに触れることが出来る訳だが、
ニューヨークに来て1年経った今でも 明子さんは驚かされる事が多いという。
「例えば日本でキャスターとして力を入れて報道したBSEの問題も、こちらではまったく報じられていません。
皆、牛肉をモリモリ食べて、狂牛病なんて何処吹く風です。報じたとしても肉を食べなくなる事は無いだろうね、とアメリカ人記者も言っています」。
その背景にはアメリカ社会の格差もある。生活が苦しい人には狂牛病より 安い牛肉が食べられない方が深刻な問題だ。
「日本も格差が開いてきたとは言いますが、アメリカと比べると まだ皆が同じような価値観で普通に生活していると思います。
アメリカは服でも 食べ物でも、様々な階級の人のための超最高価格から激安価格までが 市場に溢れる国になっていますよね」。
でもチャンスを掴んで、結果を残せば莫大な報酬が入る実力社会なのがアメリカ。
ウォール街のトップの年収は100億円だの300億円だの、気が遠くなるような金額が飛び交うし、
1兆円の企業買収もごく普通で、とにかく全てが桁違いだ。
「そんなお札が飛び交うような街なのに 道はデコボコだし、地下鉄には時刻表も無いし、駅の工事も1年前から進んでないんです。
地下鉄は平気で行き先を変えるし、途中で止まってバスに乗り換えさせたり・・・、日本では到底考えられないようないい加減さもあります。
2005年のJR福知山線の脱線事故が 2〜3分の遅れを取り戻そうと 制限速度を超えた運転をしたのが原因と報じられたのが
”アメリカでは考えられない” と言われるのはもっともな話です。 皆、来た電車に乗って、適当に降りて行くだけなんですから・・・」。
正確で緻密、丁寧な 日本社会の性質は世界に誇るべきもの。 だが、明子さんはアメリカ生活を続けるうちに
「少し神経質なのかな?」とも感じるようにもなってきたという。
「アメリカは本当に何事にも前向きです。根本に ”駄目でもともと” という精神があるんだと思います。
”例え失敗しても 立ち直るきっかけが沢山ある” というのが日本との大きな違いです。
日本だと一度失敗したらもうお終い。だから守りに走ります。
アメリカだと 1回や2回の破産も何のその。失敗してもカムバックしてきます」。
また、明子さんは移民問題についてもアメリカに来てから、深く考えるようになったという。
「人口が増え続けるアメリカを見ると、日本も もっと移民を受け入れるべきなのではないかと思います。
もちろん島国の日本は 大陸国ほど移民の存在に慣れていませんから、 クリアにすべき問題は多々ありますが、
移民の受け入れは 国際社会の中での 自然な流れではないでしょうか?」
その一方で、日本に向けられる世界の目も 肌で感じる毎日だ。
「日本は やはり物作りに定評があって、トヨタ方式という生産システムは、今やアメリカの大学で講義されて、
多くの企業が導入するほどです。日本の物作りがいかに優れていて 評価されているかが良く分かります」。
さらに国連の取材では、日本の評価の高さに 正直なところ 驚いたという。
「各国の大使が口を揃えて日本を褒めるんです。”日本は調整力があって、バランス感覚もあって、日本が議長国になると
話がとてもスムーズに纏まる” と。そういう話を聞くと、なんとなく日本人として胸を張りたくなりますね。
ただ、北朝鮮やイラクの大使を始め各国の代表は ものすごく自分の立場を主張する。
人が話していようがお構い無しの図々しさですが、国益を守るためには そのくらいの押しの強さが必要なんでしょうね」。
明子さんのニューヨーク駐在は大体2、3年の予定と言われているが、アナウンサーの海外駐在は前例が無いだけに
はっきりした期間は分からないという。
「ニューヨークに居たいか?と訊かれれば 出来るだけ長く居たいですね」と明子さん。
番組は毎日あるので、朝から準備に追われ、夜は夜でロケや専門家との会合などが入るので、自分の自由な時間が取れるのは週末くらいだ。
「なるべく自分の目で事実を見たいと思っていても、時間がなくて1日の早いこと、早いこと・・・」。
でもニューヨークにいられる間に、出来るだけ良い番組を作って実績を残すのが明子さんの目標だ。
「社内初でニューヨークに来てますから、私が実績を残さないと後輩に繋げることが出来ません」。
明子さんはまだ30代だが、既にテレビ東京の女性アナウンサーではトップ。
入社当事には大勢いた先輩も次々に 結婚退社してしまい、いつの間にか女子アナウンサーの先陣を切る存在となった。
「私は、義理人情ってすごく大切だと思ってるんです。入社以来、仕事に恵まれて、やりたい事をやらせてもらって、
今の私があるのはテレビ東京のお陰なんです。なので ”鶴の恩返しをしなくては・・・” と思っています」。
テレビ東京 番組ウェブサイト :http://www.tv-tokyo.co.jp/biz
Photos : テレビ東京
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