ミナルディ ヘア・スタイリスト

福本佐知子さん




ニューヨークでトップ20に数えられるような高級ヘアサロンには大抵、1人は日本人のヘア・スタイリストがいる。
そうしたトップ高級サロンの顧客には日本人は殆どいない。つまり、それだけ日本人ヘア・スタイリストの技術や努力が、 言葉のハンディを越えて、ニューヨークのトップ・ピープルに認められているということだ。
福本佐知子さんもそうした高級サロンで多くのアメリカ人顧客をもつ美容師の1人である。 福本さんの働くミッドタウンのヘアサロン、「ミナルディ(Minardi)」には、ジェットセッター、 エグゼクティブ・キャリアウーマン、世界の富豪等が数多く訪れる。
「ニューヨークのサロンで働いていて面白いのは、普通に暮らしていたら 絶対に出会えないような人と話ができるということですね。 日本では有名サロンに来る大金持ちやセレブリティといっても、日本国内のレベルでしかありませんけど、 ニューヨークには世界的レベルのリッチ&セレブリティがいますから…」
例えば、佐知子さんのレギュラー顧客の中には某国の本物のプリンセスもいる。 「毎日シャンプーとブローをしにみえます。日によっては昼間と夜とで髪型を変えるために2回ということもありますが、 徹底した完璧主義で、ちょっとでも違ったら駄目。私が忙しいから他の人で、というのも絶対駄目。 時間が無いから、10分で髪をアップにして! とか。もちろん、その通りにして差し上げます。」
ミナルディでの佐知子さんの料金設定はカットで95ドル、シャンプー・ブローだけでも50ドル。 その他に顧客がチップを支払うのは常識だ。しかも常顧客の場合、 無理を聞いてあげることも多いので、その料金が倍になることも少なくない。
一ヶ月あたりのヘアサロン代は…と計算してしまいたくなるが、こうしたリッチな顧客たちは、 もちろんそんなことには全く無頓着であるという。
「中には95ドルのヘアカットに100ドルのチップをポンと置いていかれるお客様もいますし、 私の常識の範囲では測れない方達が沢山いらっしゃいます。 そうした普通ならお付き合いする機会のない世界の人でも、 ヘア・スタイリングをする間の1時間くらいの纏まった時間が1対1である訳ですから かなり親しくもなります。基本的にはお客様と個人的なお付き合いはしませんが、 豪華なクルーズに招待してくださった方もいました。 私のアパートが火事にあったときには必要なだけ援助してあげようとおっしゃって下さったお客様もいて、 いただきませんでしたが、とても嬉しかったです」
もちろん、顧客の中には特に大金持ちという訳ではない普通のキャリア・ウーマンやビジネスマンもいるが、 彼らもそれぞれのやり方でニューヨークに自分のポジションを築いている人々で、 その好みやタイプは十人十色だという。 「ここでは髪だって、スタイルだって日本に比べるとはるかにバラエティに富んでいますから、 その人達のそれぞれ違った個性に合わせた仕事をするのがとても面白いんです。」と佐知子さん。

佐知子さんは徳島県の出身。ファッション業界に憧れて東京に勉強に出た。
「徳島っていうと田舎だと思われるかもしれませんが、私は市内の 何でも歩いていける距離にある 賑やかなところで育ちました。 だから、東京に出て来た時もキャベツ畑のあるような住宅街なんてとんでもないと思って、 無理をしながらも麻布に住んでいました。」
当時のファッション業界はケンゾー、カンサイ、ヨージ・ヤマモトなど日本人デザイナーが世界で活躍し始めた頃だった。
でも服飾の世界に進んでも、あまり踏み込む隙間はなさそうだと感じた佐知子さんは、 同じファッションの世界でも、当時 まだ注目されていなかったヘア&メイクの方なら何とかなるのでは?と、 山野美容学校に通い始めた。ニューヨーク行きはその頃からの目標だったという。
「どうせファッションの世界に進むなら、一流のところで仕事をしたかったんです。 東京、その先は、ニューヨーク、パリ、ロンドンと思っていたのですが、旅行で来てみてニューヨークが一番肌に合ったんです。 5番街を走るバスに乗っていて、ワシントン・スクエアのあるダウンタウンから、高級店の並ぶミッドタウン、閑静なアッパー・イースト、 さらにハーレムまで続いているバラエティに感動したんです。それで25歳までにはニューヨークに行こうという目標を立てたんです」。
美容学校卒業後は、麻布、渋谷、代官山などの有名サロンで働いた。 「すごく腕のいい人が集まっているサロンもあれば、高料金で有名なのに全然駄目なところもあって、 ブランド名だけでは分からないなぁ と実感しました。」
ヘア・スタイリストにはサロンで働く以外にも、コマーシャルや雑誌撮影で女優やモデルのヘアを手掛けるという道もある。 もともと、ファッション業界に憧れてヘア・スタイリストになった佐知子さんは、 こちらの道も試してみようと、サロンの休日に鞄持ちとしてヘア&メイクの撮影現場で働いたりもした。
「これが想像するのとは大違いで、意外にクリエイティブな仕事じゃないんです。 撮影現場というのは まずディレクターやカメラマンが一番、その次が撮られる女優やモデル、 その下にヘア&メイク、スタイリストと続くので、まるで小間使いみたいな仕事が多いんです。 これならサロンで働いていた方が自分のクリエイティビティを活かせると思ったんです。」

そうこうするうちに目標の25歳が近づいてきた。資金稼ぎのために必死に働く一方で、行く先々でニューヨークに行きたい!と言い続けた。 そのうちに、ニューヨーク郊外にある日系のヘア・サロン「モモタロー」に紹介してくれるという人が出てきた。 そのツテだけを頼りに佐知子さんがニューヨークに発ったのは1986年。予定より早い24歳の時だった。
「ニューヨークに3年は居たいと思ったんですけど、とりあえずビザの問題などあまり深く考えず、 いきなり観光ビザで来てしまったんです。」
でもビザの点では佐知子さんはラッキーだった。ワーキング・ビザを出してもらって働き始め、 「長く働くつもりなら…」というオーナーの薦めもあって永住権も申請した。(*現在では、ヘア・スタイリストとしてワーキング・ビザ/Hビザを 申請するのは極めて難しいと言われています。)
実際に美容師としてアメリカで働くとなると、まず問題になるのが英語。 そして何よりもまず、ニューヨーク州の美容師ライセンスが必要だが、 これが日本人ヘア・スタイリストには最初の難関となる。技術テストは問題ないとしても、筆記試験もある。
「真皮とか表皮とか医学用語も含めて専門用語の英語を覚えるのが特に大変でした。 でも選択肢問題なので、ひたすらパターンを覚える作戦で何度目かにクリアすることが出来ました。」
こうして勤め始めた「モモタロー」は日系サロンとはいえ、顧客の半分はアメリカ人。 そうした顧客の相手をしながら、佐知子さんは実地で英語を学んで行った。
この点、日系サロンだとアメリカ人顧客でも美容師の英語能力ではなく、日本的なきめ細かい技術を期待してくるから、 比較的仕事がやり易かったという。このため英語の面でも、ビザの面でも、日本からニューヨークに来るヘア・スタイリストの場合、 日系サロン勤めが出発点となることが多いという。
そしてニューヨークでのキャリアの転機となるのは永住権が取れた時点ということになる。永住権申請中は職場を変わることができないが、 いったん永住権を手にしてしまえば転職が自由になる。佐知子さんの場合、永住権取得に5年掛かり、 その後、現在の「ミナルディ」へ転職した。
「永住権が取れた後も、お礼奉公のつもりの1年半をを勤め上げてから今の店に移りました。 ニューヨークに来たからにはトップサロンで自分を磨きたかったんです。 「モモタロー」のオーナーはとても良い人で、ビザや永住権のサポートをしてくれた上で、 ステップアップをしたい私の気持ちに理解を示してくれたので転職はスムーズでした。 「モモタロー」出身のOBはニューヨークのトップサロンで何人も働いているんですよ。」
トップと言われるサロンを全て見てまわり、様々なサロンに散っている先輩達からの情報も参考にして佐知子さんは現在の職場を決めたという。
どんな高級サロンに勤めても、自分に顧客がつかなければ収入は無しに等しい。 どのヘア・スタイリストも最初はゼロからの出発だ。 たまに指名なしで入ってくる客を一人ずつ獲得していく、まさに実力本位の世界。 その中で佐知子さんは8年目。今では安定した顧客層を持っている。
「先のことは考えていません。とりあえず今やってることが気に入っています」
現在、トライベッカのロフトにカメラマンのボーイフレンドと2匹の猫と一緒に暮らしている。 郊外にある「モモタロー」に勤めていた間も、わざわざ家賃の高いマンハッタンから逆通勤していたほど 都会好きの佐知子さんの将来プランは「アメリカ永住」ではなく、「マンハッタン永住」。
「最近、家賃の値上がりが凄いから、いつまで続けられるか分かりませんけれど…」