インテリア・デザイナー

高尾 極美 (たかお きわみ)さん




ニューヨークでは、レストランでもショップでも、そのインテリアにセンスが要求されるのは当然のこと。 ニューヨーカーはファッションと同様に空間、すなわちインテリアにもこだわるのである。
それだけに商業スペースから個人宅まで、インテリア・デザイナーの活躍の場は日本より遥かに広いが、 その分、競争も激しく、高いレベルが要求されるのは言うまでもない。
今回紹介する高尾極美さんは、そんなアメリカのインテリア・デザイン業界の最大手、ギャンスラーで 活躍するデザイナーである。


幼い頃からのこだわりが専攻に

高尾極美さんがインテリア・デザイナーの道を選んだのは留学がきっかけだった。
私立女子校、山脇学園に通っていた極美さんだが、高校時代にロンドンに夏季留学をして以来、 大学はイギリスへの留学を希望していたという。 しかし「とにかく日本で短大だけは出るように」と両親に説得されたため、英文科に進み、「卒業後はロンドンへ」と 考えていたという。
ところが短大2年の後期に舞い込んできたが、 山脇学園の姉妹校であるボストンのラセル大学への交換留学生の話だった。 それまでアメリカ文化には興味がないと思っていたものの、とりあえず行ってみたボストンは、 アメリカといってもヨーロッパ的な落ち着いた雰囲気で、意外にも性に合ったという。 1ヶ月の短期交換留学の間に友達も出来、姉妹校なので留学にTOEFLが必要無いというのも大きな魅力で、 極美さんはイギリス留学から一転、ラセル大学への留学を決意することになった。
「私の場合、目指すものに向かって努力していると、どういうわけか目の前に梯子(はしご)が出てくるんです。 梯子が見えたら、ためらわずに登っていくことにしています。 この場合、ラセル大学が目の前に現れた梯子だと感じたので、それを登ることにしたんです」。
そしてラセルの専攻から極美さんが選んだのがインテリア・デザインだった。
それまでインテリア・デザイナーという職業を考えた事は無かった極美さんだが、 幼い頃から身の回りのデザインには特別なこだわりがあったという。
「ぬいぐるみの配置1つでも気になってしまって、 自分の部屋のインテリアが気に入らなくなると、勉強も手に付かないほどでした。 だから高校時代などは、しょっ中、部屋の模様替えをしていました」。
その模様替えも、旅行土産に買った小物を飾るために、部屋全体を変えてしまうような 大胆かつ突発的なものもしばしばだったという。
また、極美さんは子供時代から不動産販売のモデルルームを見るのも大好きで、 そういったことを思い出して選んだのがインテリア・デザインという専攻であった。


ニューヨークでの運命的出会い

ラセル大学に入学して、まず苦労したのは英語。英文科卒で、短期留学体験があるとはいえ、 アメリカ人と混じって、授業を受けるのは全く事情が違ったという。
「最初の頃は、かなりシビアでしたね。分からなくて質問をしたら、『英語教師ではないから、授業内容以外の質問には答えられない』と言われたこともあります」。
でも負けず嫌いな極美さんは そこで奮起し、学期が終わる頃には 問題無く授業について行けるようになっていた。
ラセルでは2年間学び、インテリア・デザインのアソシエイト・ディグリー(短大卒と同等の資格)を取得したが、 プロとしてやっていくには、バチェラー・デグリー(学士号)が必要だと思い、4年生大学への編入を決心。 でも、「どうせデザインを勉強するなら、そのメッカで…」と考え、 ニューヨークのデザインが学べる大学を探し始めた。 結局、極美さんが学校案内を取り寄せたのはF.I.T、プラット、パーソンズの3校であったが、 パーソンズの案内に掲載されていたデザイン画に強く惹かれるものを感じて、 編入を申し込むことになる。
編入とはいえ、外国人留学生にまず必要なのがTOEFL。しかし編入許可のためだけに試験を受けたくなかった極美さんは、 面接を受けることで これをクリアしてしまった。 「すぐに面接の予約を取って、ボストンから駆けつけたんです。 作品を見せながら話すうちに、『TOEFLはなくても良いですよね』と話を持っていって、 その場で入学許可を取り付けてしまいました」。

めでたくニューヨークに移った極美さんだが、当時、ニューヨークには知り合いも友達もいなかった。 その上パーソンズは、ラセルの和気藹々とした雰囲気とは全く異なっていた。
「とにかく、全然助け合わないんです。新入生として入って行っても、ろくに挨拶もしてくれないし、 『今、どんなことをやっているかを教えてあげよう』みたいなことも全くありません。 『新入生のお手並み拝見』みたいな感じなんですよね」。
だが、そのパーソンズで、極美さんには運命的な出会いが待っていた。 編入初日に新入生のためのグループ・ガイダンスが行われたが、同じグループに割り振られた新入生が皆 帰ってしまい、 極美さんは ボランディアとして案内係を担当した学生と2人だけになってしまった。
話をするうちに、その学生も同じインテリア・デザイン専攻だということが分かったが、 驚いたことには、彼こそが 極美さんにパーソンズ編入を決心させたデザイン画の作者だったのである。
この出会いがきっかけで 彼との交際が始まり、それから7年後の今年、極美さんは彼からのプロポーズを受けることになった。



インターン、そしてデザイン賞受賞

インテリア・デザイナーは、職種名として知られている割には、その仕事の実際の内容は意外にも知られていない。
例えば、インテリア・デコレーターと言えば、既に出来上がっている空間に 家具や壁紙、カーペット、アクセサリー等をコーディネートする仕事だが、 インテリア・デザイナーの場合、スペースの仕切りや 配置を含む 空間作りからが仕事となるので、 建築家の仕事とクロスする部分がかなり多いと言わなければならない。 だから、色や素材をセンス良くまとめるといったコーディネートの能力以前に、 法規制や、力学・工学の知識を必要とされることになる。
また、インテリア・デザイナーと言っても、個人の住居 と 商業スペース(ストア、レストラン、オフィス等)では、 専門が分かれるし、プレゼンテーション・スペシャリストとしてデザイン・モデルや コンピューター・アニメーションの制作を専門にする場合もある。 極美さんと運命的な出会いをした婚約者はこのプレゼンテーション・スペシャリストの道を選んだが、 知識欲、仕事欲ともに旺盛な極美さんは「全ての分野で自分の可能性を試してみたい」と思うあまり、 パーソンズ卒業間近になっても 専門分野が絞り込めていなかった。
そうするうちに 知人の紹介で決まったのが レストラン、ノブやプラネット・ハリウッドの デザインで知られるロックウェル・グループでのインターンで、極美さんはそこで初めて実際の仕事を経験することになる。 ロックウェル・グループのデビッド・ロックウェルは、 派手な商業スペースのデザインを数多く手掛けてきた建築家なので、知名度は抜群に高い。 だが、有名建築家の会社には思わぬ落とし穴があった。
「有名ですし、派手なので、自分がその仕事をしているみたいに錯覚してしまうこともあるんですが、 実際はロックウェルという建築家のファクトリーみたいなものなんです。 デザイナーなのに個性を出すことが出来ないから、これでは伸びて行けないと思いました」。
結局は心労から胃潰瘍になり、インターンだけで退職。 本格的な就職先を探していたところ、アメリカに住む父親の知人が 「自分のオフィスのデザインを頼んだ会社が良かったから」とそのデザイン会社を紹介してくれることになった。 それが業界最大手のインテリア・デザイン会社、ギャンスラーだった。

そしてギャンスラーへの就職を決めた直後、極美さんのデザインは、デザイナーズ・サタデー賞の受賞という形でも認められることになる。 この賞はニューヨーク市の全大学のデザイン専攻の卒業生を対象にしたもので 授賞レセプションには 数多くのデザイン会社が受賞者のヘッドハントにやって来るという権威ある賞だった。
(写真左上は受賞時のスナップ)



大企業の大プロジェクトの中へ

極美さんがギャンスラーにインテリア・デザイナーとして就職したのは1998年のこと。
ロックウェルがカリスマ建築家の持ち味を売りにするデザイン会社であったのに対し、 デザイナーだけでも数百人を抱えるギャンスラーは、 インテリア・デザインをビジネスとしてクールに行なって成功している会社である。 オフィス、リテイル・ストアなどの商業スペースが専門で、大手であるだけに大規模な仕事が多い。 スペース・プランニングには多くの過程があり、ほぼ全てのプロジェクトがチーム制で行われている。
通常、プロジェクト・チームは管理職として予算やスケジュール管理をするプロジェクト・マネージャーをトップに、 建築施工のコーディネーションや建築許可関係を受け持つ建築家、各仕事を分担するインテリア・デザイナー数人で構成される。
「最初はミーティングに参加しても 専門用語が分からなくて、何をやってるのか さっぱりわかりませんでした。 それで、バインダーに学んだことを片っ端から書き込んで 覚えていきました」。
分からないからといって、質問すれば良いという訳ではないのがプロの世界。 初歩的なことを尋ねれば、仕事の効率が落ちるという理由でクビにさえなりかねない。 だが訊かなければ 分からないこともある訳で、そのあたりの駆け引きも 大手のデザイン会社で生き残っていくためには必要になってくる。
また、ギャンスラーは従業員の稼働時間の管理を厳しく行う企業。 無駄を無くすために 手の開いた人間を作らないようにするので、 予定表に少しでも空きがあれば そこに仕事が入ってくる。 しかも、1つの仕事に掛ける時間もあらかじめ見積もり計算がされていて、 その時間内で仕上げることが要求されるのだ。
「突然マネージャーから、『この仕事を3時間で仕上げて』という指示が来たりします。 もちろんノーとは言えません。もう必死ですから、気がつくと呼吸するのさえ忘れていたんじゃないかと思うことがあります。 日本にいた頃は『おっとりしてる』なんて言われましたが、性格も変わってきたと思います」。

ギャンスラーは大勢のスタッフを抱える企業だけに、人の入れ替わりも激しい。 特に2001年9月11日のテロ以降、リストラが相次ぎ、デザイナーの数は極美さんが入社した6年前に比べて半分に減ったという。
極美さんはその中を生き抜いて、2002年にはNCIDQの資格も取得した。 NCIDQはアメリカのインテリア・デザイナーの正式な資格で、これがあれば一人前のプロと認められることになる。
センスやクリエイティビティが真っ先に問われるのがインテリア・デザイナーの仕事であるが、 それと同じくらいに大切なのが知識であると極美さんは語る。
「ある程度のレベルに達すると、センスがあるのは当たり前なんです。 あとは それがどれだけの知識に裏付けられているか、ということ。 どういう法規制があって、それをクリアするにはどういうオプションがあるか?といったことを 知識としてどれだけ持っているかで大きな違いが出てくるんです」。
例えばオフィスの内装を手掛けるにしても、エリアごとの耐火性を始めとする細かい法規制をクリアしなければ、 家具やカーペット、カーテンを選ぶことさえ出来ない。 極美さんは、社内のFF&E(ファニチャー・フィニッシュ&エクイプメント)コミッティーのメンバーであるが、 これは家具やインテリア素材の法律規制の知識があるということを意味する。
「大きな会社にいると、大きなプロジェクトを数多く体験できるので、他では学べないことが沢山学べます。 様々なケースや観点を学ぶという点では、素晴らしい機会が与えられてきたと思います。 でも大きな会社にいる限り、会社のブランドが第一ですから、自分自身のクリエイティビティは ある程度抑えつけられることになります。」
こう考える極美さんには、一生大企業に勤め、社内的な出世を考える気持ちはないという。
「楽な思いをしようと思っている訳ではなくて、人生に逆らわず生きていこうという感じです。 また目の前に梯子が現れれば、もちろんそれを登っていくつもりです」。

現在、極美さんにとって新たな梯子になろうとしているのは、 友人の建築家と共にデザイン会社 (cbkt design) を始めるというプロジェクト。
「同世代で女性で、自分と似た方向性を持った建築家と一緒にやろうというチャンスが出てきたので、 それに向けて頑張って行こうと思います」。

先述の極美さんの婚約者、Dae Y.Moon さんは、プレゼンテーション・スペシャリストとして既に独立し、 dnk studioという会社を持っている。近い将来、2人が 公私ともにコラボレートする日も訪れることになる。
「インテリアに限らず、プロダクト、ウェブ、グラフィック、イメージ、アイデアと、 デザインによって可能性の広がるものは何でも手掛けて行きたい」というのが、極美さんの今後の展望である。



極美さんが準備中のデザイン会社 cbkt design についての問い合わせ先:cbktdesign@yahoo.com

dnk studio のホームページ・アドレスhttp://www.dnkstudio.com