Oct. Week 3, 2019
★ "Unbearable Pain of Losing a Child"
シングルマザーとして子供を失った苦しみ


秋山曜子さま、
どうか私の相談にもアドバイスをお願いします。
1年半ほど前にシングル・マザーになりました。妊娠中には様々な不安があり、子供を産むと決心はしたものの複雑な思いとの闘いの連続でした。 無事に出産までたどり着けたのは、自分の身体の中に感じる子供の生命力に支えらたお陰でした。 ところが数か月後には子供が病院に逆戻りとなってしまい、そのまま再び退院することなく亡くなってしまいました。
短い期間でしたが子供は私の全てでした。あんなに誰かを愛おしいと思ったことはなく、 小さな手足やふっくらした頬など、いつまでも時間を忘れて見つめていられるくらいに愛情を注いでいました。

子供を失った悲しみは、言葉では表現できません。 誕生日を1度もお祝いすることなく、友達も出来ず、幼稚園や学校に行くこともなく、 スポーツをしたり恋をして青春を謳歌することもなく終わってしまった子供の命が気の毒で、「せめて何かしてあげたかった」という後悔や、 「何の罪もない幼い命が何故こんなに早く終わらなければならないのか」という混乱が入り混じって、なかなか普通の生活に戻れません。
少し前には私を慰めようとした親類に「最初からシングルマザーでは子育ては荷が重すぎると思っていたから、きっと これは神様の計らい」と言われ、私の至らなさが子供を死に至らしめたように感じて深く傷つきました。 他の人には「子供が楽しいことが経験できなかった代わりに、辛い思いや虐め、不安等、今の子供達が抱える問題も経験せずに済んだので、 そのプラスとマイナスの差し引きで他の人と同じような人生を送った計算になる」と説明されました。 でも子供の人生の中身の無さを指摘されているような気がしてしまい、以来誰とも子供の話をしないと決めました。
ですが誰とも話さないと決めると、悲しさや寂しさが自分の中にどんどん貯まっていくのを実感して、 どうやったら子供の死を乗り越えられるのか本当に分からなくなってしまいました。 シングル・マザーになるということは子供を1人で育てていくことだとは覚悟していましたが、 子供を失った悲しみも1人で乗り越えなければならないかと思うと、その方がよほど辛いと感じています。

秋山さんのアドバイスは、たとえ他の方の悩みに対するものでも妊娠中にも勇気や希望を頂いたので、 何か私にも今の状況を打開するためのお知恵が頂けたらと思ってメールをしています。
どんなことでも構いませんので、何かお言葉が頂けたら嬉しいです。
これからもお身体に気を付けて頑張って下さい。

- C -



生きている人間が先立った命のヴァリューを決めるべきではありません


CさんのEメールはこれまで頂いたご相談の中で最も心の痛みが強く感じられるもので、 その辛さや悲しみを深くお察しする次第です。
出産までに複雑な思いを抱きながらも、お腹の中のお子さんの生命力に支えられてきたCさんですので、 お子さんが生まれた時には新しい生きる目的や意味合いを見出されたことと思いますし、 お子さんを失った時にはそれらが同時に失われた思いを経験されたことと思います。 現在の落胆や悲しみから立ち直れない状況は、子を失った親ならば誰もが避けられないものだと思います。

ですがCさんがメールに書いて下さったお子さんの命の捉え方は私は間違っていると思います。 私はこの世の中に何の意味もなく生まれてくる命は無いという考えです。 たとえお子さんが生後数か月で亡くなったとしても、妊娠中にCさんをお腹の中で支えたのはお子さんです。 お子さんがCさんに強さと方向性を示してくれたのですから、それがお子さんが生を授かった意義と意味合いなのかもしれません。
またCさんがお子さんを失った教訓が、Cさんの知らないところで生かされて他の命を救うかもしれません。 人間はこの世の中で1人で生きている訳ではありませんので、その命や存在が様々な形で 世の中にインパクトをもたらしているのです。 それはたった1滴の水が水面に波紋を広げるリップル・エフェクト(波及効果)に似ています。
私は人間の命の重さや意義、特に短くして終わった命に対して、生きている人間が自分の価値観や視点で 同情したり、その意味合いを軽視するのは了見が狭過ぎるという意見です。 失われた命が本当に尊いと思うのならば、その命に対して勝手なヴァリューを定めるべきではありません。 それよりもその命が自分にもたらしたインパクトを真摯に受け止め、 それを自分の中で増幅させることによって「短かった命によってこれだけ素晴らしいものがもたらされた」とその意味合いや価値を 高めるべきなのです。

死も人生の一部です


音楽家でもアーティストでも、死後にその作品が認められて歴史的な存在になった例が少なく無いのは周知の事実です。 どんなに短い命でも、生きている間にその命がもたらした功績や何等かのインパクトは死によって終わることは無いのです。
アメリカでは子供を失った親達の多くが、その子供の名前を付けたチャリティをスタートしてそれが社会に大きく貢献していますが、 そんな親達を駆り立てているのが「自分の子供のことを世の中の人に知って欲しい、覚えていて欲しい」という気持と共に、 「短かった子供の人生に深い意味があったことを世の中に示したい」という気持ちです。 私はそんな親達の姿勢から「死も人生の一部であって、命は決してそこで終わる訳ではない」ことを学ばせて貰ったと思っています。

それとは別に私は個人的には「シングル・マザー」という言葉は好きではありません。 母親は結婚のステータスに関わらず母親ですし、ただでさえ母親はやがて社会の一員となる人間を育てる重責を担っているのですから、 そこにあえてシングルという言葉を付け加えて 何でも1人で対処しなければならないような印象や、 子育てにおける父親の効力やメリットが欠落したようなイメージをもたらして、母親像を不完全なものにする言葉には抵抗があります。
Cさんのメールに「シングル・マザーになるということは子供を1人で育てていくことだとは覚悟していましたが、 子供を失った悲しみも1人で乗り越えなければならないかと思うと、その方がよほど辛いと感じています」とありましたが、 子育ては1人でするものではありません。世の中の多くの人々に見守って貰いながらしていくものです。 そう考えれば今後Cさんがお子さんの命の意味合いを高めていく際にも、決して1人だけで取り組むべきではないことが お分かり頂けるかと思います。

お子さんの生命力を感じて出産まで頑張ったCさんなのですから、今の悲しみだけに捉われる心理さえ払拭すれば、 必ず今もご自身の中にお子さんの生命力が宿っていることを実感出来るはずです。 それが人間の命の重みであり、それは死によって価値が変わったり、途絶えたりすることは決して無いのです。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。




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