Jan. Week 2, 2020
★ "Why Dean & DeLuca Closed?"
ディーン&デルカが閉店した背景は…?


秋山さま、
いつもサイトの更新や新しい商品をとても楽しみにしています。
フェイスブックのニューズ・フィードもニューヨークやアメリカの様子がすごく良く分かって、情報もとても早いので こちらも楽しみにしています。

実は私は2006年から2年ほどニューヨークに住んでいたことがあって、その私にとっては 少し前のシティ・ベーカリーの閉店、そしてディーン&デルカの閉店のニュースがとてもショックでした。 ニューヨークに未だ友達が住んでいるので、どうしてディーン&デルカが閉店したかを尋ねたのですが、「ホールフーズやトレーダー・ジョーに負けたからじゃない?」 と説明されました。でも日本ではディーン&デルカはオシャレな高級フード店として健在なだけに ピンと来ません。 特にソーホーのディーン&デルカの周りにはホールフーズやトレーダー・ジョーは無かったと記憶しているので、 どうしてあんなにいろいろな映画に登場して、いつも買い物客で溢れていたお店がクローズするのか分かりません。
このコーナーの質問には適切ではないかと思ったのですが ニューヨークの事情に詳しい秋山さんならご存知かな?と思って、他に尋ねられる人も居ないこともあり 思い切ってお尋ねしたいと思いました。 別のコラムで書いてくださっても良いので、教えて頂けたらとっても嬉しいです。 よろしくお願いします。

- N -



実は長く赤字が続いていたビジネス


Nさんから頂いたのと同様の疑問は日本からやってきた知人にも時々尋ねられることです。
ディーン&デルカとバーニーズは2年ほど前からそれぞれの業界では経営悪化が伝えられてきた存在で、 ニューヨーク州外のストアの方がその悪化が顕著に分かる状況だったようです。

ディーン&デルカは 学校教師でありチーズも販売していたジョエル・ディーンと ビジネス・マネージャーのジョルジォ・デルカが 1977年9月に ソーホーのグリーン・ストリートとプリンス・ストリートのコーナーにオープンした高級食材店で、 程なくアーティストのジャック・セグリックがパートナーに加わり、1981年にはカタログ・ショッピングをスタート。 プリンス・ストリート&ブロードウェイのコーナーに誰もが知る大型フラッグシップを構えたのは1988年のこと。 「ギャラリーのようなデザインの フード・ミュージアムとしてのストア」というコンセプトを提案したのはジャック・セグリックでした。 以来「ニューヨークの食材ショッピングの歴史を変えた」と言われたのが同店で、 イタリアから直輸入のバルザミコやロシア産キャビア、 フランス産フォアグラのパテ等といった高級食材や、エキゾティックなフルーツや野菜、 聞いたことも無い名前のスパイスが モダンでスタイリッシュな店舗で手に入った革命的なグルメ・ストアがディーン&デルカでした。

日本人の多くはディーン&デルカが全米の主要都市で大々的に展開していたというイメージを持っているのですが、 実際にはアメリカでディーン&デルカのストアがあったのはニューヨーク以外ではカリフォルニアのナパ、ワシントンDC、 ノース・キャロライナ、メリーランド、ヘッドクォーターがあったカンサス等、比較的限られたロケーションで、 最も店舗数が多かった段階で エスプレッソ・バーの業態を含めて42店舗。 それに比べると日本はアメリカの20分の1の国土に約50店舗が存在していて、世界中で最もディーン&デルカの店舗が多い国となっています。
実際にディーン&デルカが最初に海外進出を果たしたのが日本で、2003年からの伊藤忠商事とのビジネスが ディーン&デルカにとって最初のライセンス契約でした。 その後 同様のライセンス契約をバンコク、シンガポール、中東、韓国等の企業と結び、合計8ヵ国でそれぞれ3〜5店舗が ライセンス展開されていますが、2014年に1億4000万ドルでディーン&デルカを買収したのが 2010年にタイにおけるライセンス契約を結び、現地で3店舗を展開するペース・デヴェロプメントです。

ペース・デヴェロプメントによる買収前までディーン&デルカのオーナーであったのは、初期のオーナーから1990年代の半ばに 株式の半分を買い取ったカンサスのアントレプレナー、レスリー・ラッドで、ディーン&デルカのヘッドクォーターがカンサスにあったのはそのため。 レスリー・ラッドの経営下にあった2000年5月には ディーン&デルカがIPOを試みていますが、その申請書類によれば同社は1993年から一度も黒字になったことがなく、 当時の負債額は3,490万ドル。UberやWeworkに比べれば微々たる額とは言え、 当時はその経営状態が理由でIPOをギブアップせざるを得ない状況でした。
そのディーン&デルカは過去20年近くに渡って、勤めている人間さえもが「一体誰がオーナーなのか分からない」というような経営が行われていたようで、 特に2010年代に入ってからのディーン&デルカは ”かつての黄金時代のビジネスのパロディ版” と食品業界で呼ばれるようになっていました。

借金、支払い滞納、資金不足での新業態スタート


私自身はディーン&デルカでショッピングをするのが楽しいと思えたのは 2005年くらいまでだったと記憶しています。それ以降はマンハッタン内にホールフーズやその他のグルメ食材店が増えただけでなく、 それまで私がディーン&デルカに足を運ぶ最大の理由だったベーカリー・セクションの魅力が衰えて、逆にマンハッタン内に徐々に 優秀なベーカリーが増えてきました。2010代に入る頃には ソーホーに住むリッチな友人達でさえも徐々にディーン&デルカ離れを始めましたが、その理由は他の食材店で同等の商品がもっと安価で手に入ること、 「食材が値段の割にフレッシュでない」というもの。事実、2〜3日前に入荷したと思われるようなスポンジがバサバサのケーキが販売されていることは ソーホーのディーン&デルカでは全く珍しくありませんでした。 またエスプレッソ・バーをチェーンで展開していた割にはコーヒーの味が悪いことはニューヨーカーの間では頻繁に指摘されることでした。

そんな状態だったので2014年にペース・デヴェロプメントが買収した段階では、ディーン&デルカの建て直しとアグレッシブな拡大を 謳っていて、具体的にはアメリカ国内に2年以内に100店舗を新たにオープンし、世界15ヵ国への進出を掲げていました。 ですが実際にはペース・デヴェロプメントの経営に代わってからも赤字が膨らむ一方で、借金をして借金を返すという 火の車状態であったことが伝えられています。
ペース・デヴェロプメントの買収後のディーン&デルカは、パーク・アヴェニューのモダンな高層ビルの37階に抜群のビューを誇るオフィスを構え、 元ラルフ・ローレンの社長を新しいプレジデントとしてヘッドハントし、USオープン・テニスのスポンサーを務めただけでなく、数億円を投じて PGAゴルフ・トーナメントのメイン・スポンサーとして複数年契約を交わし、トーナメントのネーミングが ”ディーン&デルカ・インヴィテーショナル”と なるなど、 ハイエンド・グルメストアとしての体裁を演出するような多額の出費が続いていたとのこと。
結局PGAゴルフ・トーナメントのスポンサーは契約を終える前に資金不足に陥ったようですが、 ビジネスの内情を知る人々によれば、そんなビジネスに繋がらないスポンサーシップの資金は 本来なら 仕入れ先やベーカリー等に食材代として支払っているべきだったお金。 2017年に入る頃からは そんなディーン&デルカに対して 複数のビジネスが未払いの食材代の請求訴訟を起こし始め、その金額は1つのビジネス当たり日本円で800〜1000万円という金額。 そして2017年の半ばになると、長年仕入れに貢献したフード・ディレクターを含むスタッフが徐々にレイオフされていったとのこと。 加えて社内スタッフへの給与の支払いも徐々に遅れ始めたのがこの頃でした。

そんな状況にも関わらず、ディーン&デルカは数人のスタッフを新業態のアイデアを得るための2週間半のヨーロッパ視察旅行に送り込んでいて、 その新業態とは2019年春にミートパッキング・ディストリクトにオープンし、僅か3カ月で閉店した「Stage / ステージ」というサラダバーのような小さなフォーマットのビジネス。 資金が底を付いていた中で無理にスタートした新業態は、多店舗展開を狙っていたことから ストア・デザインにも多額の資金を投じていたそうです。
その一方で、ディーン&デルカ店内には引き続き75ドルの特別注文の氷、15ドルのコールドプレス・ジュース等、 大金持ちとグルメをターゲットにしたような商品が並んでいましたが、 ディーン&デルカで売られている商品に 来店客が盲目的に高額を支払う時代はもはや完全に終わっている状況でした。
やがて2019年3月からは全ての仕入れ先への支払いがストップし、それを受けてディーン&デルカへ商品を卸さない業者が続出。 店舗の閉店が始まったのはニューヨーク州外のストアからで、 そのプロセスは店の商品の陳列量が激減していって、それに伴って来店客も来なくなるというもの。
ニューヨークでも最後に1店舗だけ残ったソーホーのフラッグシップ・ストアが11月1日に同様の閉店をしましたが、 それまで店内では その商品不足について「店舗改築の準備のため」と説明するサインが掲げられていて、 それを信じた来店客は少なくなかったとのこと。
閉店が告知された日には、既に破産裁判所によって店内の備品や残った商品がオークションに掛けられるという悲惨な状況でしたが、 その3週間ほど前に閉店したニューヨーク・タイムズ・ビル内のエスプレッソ・バーでは、 給与が支払われないので 最後の営業日にスタッフさえ姿を見せなかったことが伝えられています。

ビジネスが傾いて、倒産するまでにはここで書いた以上の様々なプロセス、駆け引き、トラブルがあったかと思いますが、 かつてはディーン&デルカと言えば 同店で商品を扱って欲しいと切望するグルメ業者が黙っていても売り込みにやってきた殿様ビジネス。 なのでそれにあぐらをかいた経営をしていたという批判がある一方で、 ペース・デヴェロプメントのエグゼクティブが ディーン&デルカというハイエンド・グルメストアのビジネスとそのスポンサーシップを通じて、 アメリカのビジネス界の上層部との関わりを模索するために経営費が無駄に使われていたという指摘もあります。 いずれにしてもそれは ディーン&デルカのオリジナル・コンセプトを守っていこうというリーダーシップが不在だったということなのだと思います。
Nさんのメールではシティ・ベーカリーについてもふれていらっしゃいましたが、2019年の閉店で最もニューヨーカーに惜しまれたのは、私の知る限りではシティ・ベーカリーです。 私も90年代から同店に通って、プレッツェル・クロワッサンやベーカーズ・マフィンが大好きだったので同店の閉店は本当に残念に思っています。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。




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