May Week 1, 2021
Japan=Land der Sushis?
日本人が気にしなくても”寿司の国”は人種差別?


秋山曜子様、
いつも楽しくウェブサイトを拝見しています。
少し前にドイツのサッカー解説者がドイツのサッカー・チームに所属する日本人選手について「彼は最後のゴールを寿司の国で挙げていた」と語って 人種差別発言だと大炎上したことが ニュースになっていて、友達と「最近こういうことに異常に過敏だよね」と話していたのですが、 それを聞いたイギリスから戻ったばかりの友達には「えー!?、それって立派な人種差別じゃない、日本に住んでいるとそんな事が分からないの?」と驚かれてしまいました。
「寿司の国=人種差別」はヨーロッパのリアクションでしたが、アメリカでも人種差別扱いされたでしょうか。 だとしたらどうしてそう思うのでしょう。当の日本人が「そんなの馬鹿げている」と思っても、他の国の人が日本人に対する人種差別を決めてしまうのはおかしいように思うのですが、どうなんでしょうか。
お考えを聞かせて頂けたら嬉しいです。よろしくお願い致します。

- K -


特定の国を「Land of (Food)」と呼ぶのは…


この問題が報道されていた時、私は日本に一時帰国していたのですが いつも通りアメリカのメディアのニュースをフォローしていたので Kさんのメールを頂くまでこの件については何も知りませんでした。 アメリカはそもそもサッカーに無関心ということもありますが、それ以前にアメリカでは事件やニュースが多過ぎることもあり、 私が知る限りアメリカでは全く報じられなかったのがこのニュースです。

Kさんのメールを拝読してグーグル検索をしてみましたが、日本語で検索するとかなりの数のサイトが出てきたものの、 英語で検索をすると 検索フレーズを何回か変えても この件に結び付く結果は1ページ目に2~4件程度しか出てきませんでした。 同じ英語圏での英語検索でも グーグルはアメリカ、イギリス、オーストラリア等、国によってアルゴリズムが異なるので、アメリカではこういう結果が出たのかもしれません。 いずれにしても日本語サイトの記事2つ、英語では記事が見つからなかったので 欧州のSNSサイト2つの合計30件の書き込みを読んだ私の感想は、 「今のWokeカルチャーでは人種差別発言と受け取られるのは仕方がない」というものでした。
海外のSNSでは「日本=寿司の国」だけでなく、特定の国を「Land of (Food) と呼ぶことが適切か?」ということが論点になっていましたが、 人や国を食べ物に例えるのは「食べ物の話をしている時以外は不適切」という声が多かったように思います。 確かにこの解説者の発言が魚を3枚に下すコンテストの最中であれば日本人に対して「寿司の国」は問題が無いと思います。 しかしサッカーの試合の最中で、例えばそれが韓国人プレーヤーに対する「キムチの国」という発言であった場合も、同様のリアクションが起こっていたと思いますし、 「寿司の国」が人種差別発言ではないと言っている日本人とて、総理大臣や天皇のことを 「寿司の国の首相」、「寿司の国の天皇」などと言われた場合は 反発するはずです。だとすれば 「サッカー・プレーヤーに対してなら それはOK」と考えること自体が 差別と見なされるのが今の世の中なのです。

人種問題のスタンダードは世界です

Kさんのメールにあった ”当の日本人が「そんなの馬鹿げている」と思っても、他の国の人が日本人に対する人種差別を決めてしまうのはおかしいように思うのですが ” という センテンスを読んで 私がふと思い出したのが、1990年代にイチロー選手がシアトル・マリナーズに入団し、ヤンキー・スタジアムに初登場した時のこと。 外野席から「ヒロシマ」、「ナガサキ」という野次のチャンティングが起こり、そのマナーの悪さをNYタイムズ、NYポスト紙などが批判していたのですが、 日本人の知人は「そんな日本人に意味が分からない野次を飛ばしたって仕方ないじゃない」と言って軽視していました。
確かに いきなりアメリカ人に「ヒロシマ」、「ナガサキ」と言われても 日本人はそれを人種差別だとは思いません。ですが 原爆を投下した国の国民が たとえスポーツの野次であっても 人種侮辱を目的に語っている場合、 「当の日本人に意味を成さないのだから、人種差別には当たらない」というのはかなり乱暴な考えです。 アメリカでは日本人を含むアジア人は、これまで人種差別があっても「そんなことをいちいち問題にしない毅然とした態度」を貫いてきたつもりでしたが、 それは他の人種からはただの「事なかれ主義」にしか映らなかったことは、パンデミック以降 アジア人差別や暴力が横行するようになって明らかになったことです。 実際のところ人種差別発言をするような人々にとっては「やっても文句が来ないこと」は「やって良いこと」と解釈されてしまうものなのです。

人種差別、性差別、年齢差別等、世の中にはさまざまな差別がありますが、差別行為をする人が特定の差別だけをするというケースはまずありません。 差別意識というのは優越感、競争心、敵対心、劣等感等、人間の本能的な感情が入り組んだもので、誰もがプライドに通じるある程度の差別意識を持っているのは事実です。 だからこそ日頃は差別主義とはかけ離れた人でも、何かトリガーになるような突発的な出来事があった場合に 蔑視語で怒鳴りつけるような失態を演じることは珍しくありません。 世の中で人種差別主義者、性差別主義者と呼ばれる人は、往々にしてそんな誰もが持つ差別意識が一定の許容レベルを超えているケースですが、 そういう人ほど差別が何であるかを理解していませんので、差別的な発言をしても「差別の意図などない」と弁明しますし、 差別発言をジョークとして語る傾向も顕著です。

「寿司の国」発言をしたドイツの解説者、ヨルク・ダールマンはそもそも日頃からサッカー・ファンの感情を逆撫でするような笑えないジョークが多かったようなので、 批判を浴びたのはそんな過去の伏線もあってのことかもしれません。その点では女性蔑視発言の森前首相の問題と似ていなくもないように感じられます。 いずれにしても人種差別は 「日本人が気にしていないのだから」というような一国の観点から判断するべき問題ではありません。 当の日本人が気にしなくても、それを聞いて不愉快に思う他国の人は沢山いるのですから、人種問題のスタンダードは世界なのです。
過剰反応は良くないかと思いますが、「それくらいのこと」という軽視や放置が積み重なるのも大きな問題になるのです。 だからこそ人種差別は極めて難しい問題であり、どんなに時代が経過しても社会問題であり続けているのだと思います。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。
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