June Week 2, 2021
No Such Thing As Bad Karma?
悪事を働いても大丈夫な人!? 因果応報の理念は無い!?


秋山曜子さま、
もう何年もこのコーナーを愛読しております。以前本も購入させて頂きました。
少し前にYouTubeを観ていた時に「因果応報は実はない」というビデオに出くわしました。 それは「因果応報というのは、悪いことをしたらやがて自分に返ってくるとか、努力や正しい事をしていれば報われるという思い込みを人々が持つことによって 秩序を保つために使われている便利なコンセプトであるだけで、実際には悪いことをしても平気でのさばっている人は沢山いるし、 努力などしなくても出世したり、幸運に恵まれる人はいくらでもいる」というような内容でした。 因果応報を信じるメリットは、「自分は正しいことをやっているのだから大丈夫」というような自信が持てること程度と解説されていて、 ふと考えてみると私の周りでもずるいことをしてもバレないで自分の手柄にしている人や、 身勝手を人に押し付けてもチヤホヤされている人は少なくありません。 成功者も必ずしも人格的に良い人とは限らないようですし、そうなると一生懸命正しいことをして、真面目に生きようとすることが 「正直者が損をする」、「信じる者は救われない」ことになるだけのような気分になります。
秋山さんは因果応報とか、「悪いことをしていればやがて神の天罰が下って、正しいことをしていたら救われる」というようなことを信じますか。 だとしたらその根拠はどんなものでしょうか。 変な質問で申し訳ないのですが、何となく自分の中でモヤモヤしているのでお答えがいただけたら嬉しいです。 これからもお身体に気を付けて頑張って下さい。

- C -


正義は世の中で言われるのとは異なる意味で必ず勝つものです


Cさんのメールに記載されたいた通り、世の中では不公平、不合理、不平等、不正というものがまかり通ってしまうケースは少なくありません。 様々なレベルで散々悪事を働いてきた人が それに見合う代償を支払うことなく、そのまま生きていく姿は誰もが人生の中で何度も目にするものですし、 一生懸命に努力している人よりも、人の尻馬に乗って手柄を横取りする人の方が魅力的に見えて世の中から優遇されたり、出世したりすることも全く珍しくないことです。 しかしそれを”正義の敗北、悪の勝利”と考えるのは それを気に入らないと思って見ている人だけで、悪事を働く本人にとっては 自分こそが正義であり、正義である自分が勝つのは当然と考えているものです。
実際に正義と悪、善人と悪人というのは世の中で一般的に考えるられるほど白黒がはっきり分かれている訳ではありません。 そもそも人間という生き物は善と悪の双方を持っています。その善悪が健全なバランスを保っているのが普通の人間の精神状態です。 これは腸内に善玉バクテリアと悪玉バクテリアが存在し、その良好なバランスが健康な腸内環境、引いては精神状態をもたらすのと全く同じです。 「目には目を」という言葉がある通り、善玉菌では対処しきれない悪玉菌を退治するための別の悪玉菌の存在は不可欠ですし、人間の腸内を善玉菌だけにした実験では、 その被験者の精神状態に異常が見られたことが報告されています。すなわち善を保つためには悪の存在は不可欠なのです。

それとは別に子供は物心がつけば、自然に自分をかばうためのウソをつくようになります。 用心深い性格の人ほどウソも巧妙ですし、知恵に勝る人は悪知恵にも長けています。それらで利益や恩恵を受ければ「要領の良さ」と評価され、多くの人が他人のウソや悪知恵を 自分でも実践して罪悪感無しに上手く立ち回ろうとするものです。 世間一般の概念では正直は美徳とされますが、思ったことを正直に言い続ければ 確実に嫌われます。「ウソも方便」というセオリーはそのまま誠実さや正直さにも当てはまるものなのです。
こうした善悪のパラドックスは世の中に溢れている、というより世の中そのものが善悪のパラドックスで成り立っています。 経営難に追い込まれた企業で粉飾決済を上手くやり遂げれば、それが不正であってもその場を乗り切る手段として評価されます。 厳しい道徳観を持っているはずのキリスト教保守派にしても、1990年代のアメリカでは中絶手術を行うクリニックの医師の名前と住所を集めた「暗殺リスト」が製作され、 敬虔な信者が中絶医を射殺する事件が何件も起こりました。しかしキリスト教保守派にとってその殺人は中絶で失われる命を救い、神の教えを貫くための正義であると見なされていました。 また凶悪犯罪者のメンタリティにしても 「自分がこれまで味わってきた苦しみの復讐を社会に対してするのが何故悪い」などと、自分の犯罪を正当化するセオリーを持っているケースが非常に多いのです。

すなわち価値観やモラルが異なる人間においては、正義や善悪の定義が異なるのです。 それは現在の真二つに分断されているアメリカにも象徴されています。 左寄りのリベラル派、右寄りの保守派の主張は歩み寄りが不可能な平行線を辿っていますが、共に一貫して自らの主張が正義であり、それに相反するカウンター思想を悪、誤りと見なしています。 したがって、この先アメリカがどちらに転んでもその結果は「正義が勝利した」ということになります。 「正義が勝つ」というセオリーは立場さえ変えれば常にまかり通るのです。

因果応報はインスタントなものではありません

因果応報については私は信じる立場です。でもそれは「悪いことをしたら、必ずその罰が当たる」というような インスタントでシンプルなルールに基づいたものではないという考えです。
私は母が占いをする関係で人生を「運気の流れ」として捉えるようになりましたが、運気が非常に強い時には 偽り、裏切りなど、様々な悪事がまかり通って、人を踏みつけての快進撃が出来ますし、周囲もそれを止めることは出来ません。 逆に運気が弱い時には発明を横取りされたり、詐欺に遭ったり、人の失敗の責任を取らされるなど、自分の思い通りに行かない辛い局面を迎えることは少なくありませんし、 何をやっても上手く行かないフラストレーションで自暴自棄になる人も居ます。 ですが運気はバイオリズムなので、どんなに強運の人でも上がった後は必ず下がります。強運な人ほどサクセスの規模が大きい反面、転落の度合いも桁外れになるケースは少なくありません。
その一方で 人間でも野生動物でも自分より強い相手との闘いは避けるものですが、その相手が弱ってきた時には本来なら勝てないと思われてきた相手に束になって襲い掛かるのが常です。 強運期に好き勝手なことをしてきた人は、その運気の衰えを自覚すると焦り始めるもので、それを察知した周囲がそれまでのディフェンス・モードから、 徐々に攻撃を始めたり、もっと勢いのある対抗馬を持ち上げるといったオフェンスにシフトするようになります。 かつて”ハリウッドの神”とまで言われたハーヴィー・ワインスティンのMeTooムーブメントにおける転落ぶりは、彼の運気と経営する映画会社の興行成績が下がってきた段階で起こっています。 それまでにもワインスティンは何度もセクハラで訴えられてきましたが、盛運期には敏腕弁護士が被害者をことごとく叩き潰していました。ですが一度社会を巻き込んだ猛攻撃が始まると、 その弁護士さえ彼との関りを絶ってしまいました。因果応報とはそういう形で起こるものと私は考えます。

もちろん世の中には悪事が明るみに出ても 逮捕される訳でもなく、散々蓄えた資産で優雅な暮らしをしているように見受けられる人が存在するのは事実です。 ですが人生というのは人から見える部分だけで成り立っているほどワンディメンショナルなものではありません。 ロスチャイルド家のメンバーでさえ自殺をするのですから、人によって地獄もそれぞれ 様々なのです。 昨今では「そんなことぐらいで自殺するなんて」とか、「その程度のことで銃乱射事件を起こすなんて」という事件が増えていますが、 それは報道を見ている側の価値観であって、本人にとってはそんな些細なことが自分を苦しめる地獄なのです。 周囲から見て幸せそうな人が本当に幸せとは限らず、周囲が同情するような境遇の人の方が幸福度が高いといった考察は 決して恵まれない人への その場しのぎの慰めで語られているストーリーではありません。
そもそも人間は「自分が見ている相手の側面が その人の人生全般ではない」と頭では理解しつつも、他人については勝手な思い込みをしているケースが少なくありません。 ですから「天罰が下った」と思って見ていた人間が、知らない間にその状況を好転させて成功している様子を見ると 因果応報や正義のコンセプトに無力感を覚えることになります。 しかし世の中の視点では 努力をして不遇を跳ねのけた人の方が正義で、その人物が不遇に見舞われた際に「いい気味」などと感じて、助けようともしなかった側が 他人の不幸を喜ぶ悪者と見なされて、 その成功を妬む姿が 因果応報的に捉えられたりもします。要するに人間が限られた情報や感情が入り混じった視点で因果応報を語ろうとすること自体に無理があるとも言えるのです。

確実に言えるのは運気の強弱に関わらず自分の行動が自分の人生を形成するということで、運気が強かった時に行ってきた善行や悪事が運気が弱い時の自分に返ってくる一方で、 弱かった運気が強まる段階では それまでに身に着けた知識や技術、築いた人脈、信頼といった 点が線で結ばれて一気に成功を掴む人も居れば、その時期にアルコールやドラッグ中毒からようやく立ち直るきっかけを得る人、 もしくは多額の借金返済のための好条件のローンが組めるなど、それまでのマイナスをイーブンにする形で迎える人も居ます。 強運気の時に鬼や悪魔のような毒気を帯びる人も居れば、弱運気の時にそうなる人も居ます。 誰にでも運勢のバイオリズムがありますが、その波にどう乗って生きるかを決めるのが日頃からの自分の行いなのです。

いずれにしても人生や運気というものは、前述の通り 誰にとっても生涯同じ状態が続くことは決してありません。 世間一般では若くして成功と富を手に入れる若年運の人を幸福と捉える傾向がありますが、実際には中年期以降に盛運を迎える方がそれまでに蓄えた経験や知識を生かせる反面、 勢いに任せた無謀な行為に及ばないという点で恵まれていると言えます。 その意味で今が恵まれていないという若い層ほど、将来に希望を持つべきなのです。
人生は長丁場なのですから、余計な騒音や他人が唱える短期展望のセオリーなどは深刻に捉える必要などありません。 私も20代後半~30代前半には自己啓発本を何冊も斜め読みした時代がありましたが、そんな付け焼刃のメンタリティは一時的に共鳴したり、そこから学んだような気持ちになったとしても自分を混乱させただけで、 結局は本当に信じられるのは自分だけということを悟りました。
ですので苦しい時、迷いがある時ほど 他人よりも自分を信じるべきですし、自分の正義と信念を貫くシンプルな生き方を実践していくことこそが幸福への近道であり、後悔しない人生の送り方だと私は考えます。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。
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