秋山曜子さま。
いつもサイトを楽しく読ませて頂いております。私にもご相談させて下さい。
私の悩みは自分に自信が持てなくて、時々自分が嫌になることです。20代後半から「こんな自分を何とかしないと」と自己啓発本を何冊も読み、一時はコーチングにもお金を払いましたが、
全く効果が感じられないまま早10年が経過しました。
今では自分が出来ないこと、失敗しそうなことが分かっているので トライさえしなくなり「一念発起が出来ない典型的な凡人タイプ」、
「世の中の動きに流されるだけの小市民」の自分が益々情けなく思えています。
最近は精神性を高めるYouTubeビデオなどもチェックしますが、その時は感動したり、「そうか」と納得しても
そんな思いが長続きせず、酷い時には「今朝何のビデオを観たっけ?」と全く覚えていない時もあり、
脳が自分を変えようとするモードを受け付けなくなっているのを感じます。
「自分を変えたいのに、変えられない」ジレンマから脱して、「自分が愛せて、自信が持てる人間」、「凡人ではない、幸せが掴める自分」になるには
どうしたら良いでしょうか。
変なご相談ですが、秋山さまならばお答え頂けるかもしれないと かすかな期待を寄せております。
他の方のご相談でお忙しいかと思いますが よろしくお願いします。
- M -
CUBE New Yorkがお客様にプレゼントさせ頂いていたライオンズ・ゲートのブレスレットに無料で霊気をして下さった霊気マスターが
おっしゃって下さったのが「日本人は世界で一番魂がキレイな国民」ということで、私はその言葉をとても嬉しく、誇らしく思いながら聞きました。
でもそんな魂のキレイさや真面目さ故に、日本人は他国の人よりも歪んだ形で自分に厳しく、それによって自ら幸福を遠ざける生き方をしているようにも見受けられてしまう次第です。
Mさんは自分を変えたいと考えて自己啓発本を読んでいらしたようですが、
英語で自己啓発本は Self Improvement Book、もしくはSelf Development Bookで
自分を進化させ、育てるために読むのものです。
変えるように提案されているのは自分よりもライフスタイル、人への接し方、物の考え方で、それが引いては自分と人生を向上させるというのがコンセプトです。
自分を変えるというのは、頭で考えるほど簡単なタスクではありません。それに比べれば自分に改良を加えて向上していくのは遥かに簡単です。
自動車でもコンピューターでも開発段階では まずはプロトタイプが存在する訳で、その改良を繰り返すことによって完成度を高めていくのです。
失礼ながらMさんのご質問を読んでいて感じたのは、プロトタイプの改良には取り組まず、別物に作り替えようとするメンタリティでした。
「自分を変えたい」と考えるのは 往々にして自分の欠点や問題点に着眼して 自分を責める、自分に厳しい人です。
自分の良さを誇ろうとせず、自分自身を過小評価する傾向にもあります。
ですが一度自分を伸ばす方向に転換すれば、逆に自分の良さに着眼出来るようになります。
自分に欠けている資質があれば それを責めるのではなく、それが無くても頑張って生きている自分を褒めるようになります。
自分を励まし、自分の成長や変化に喜びを感じて生きるようになれば、自分に自信が持てるようになりますし、
昨今の日本でよく耳にする「自己肯定感」も高まって行きます。
そもそも人間というのは変化や成長を遂げないものとは 長く付き合って行けない生き物です。自分に変化や成長がなければ、自分にさえ諦めや倦怠感を抱いてしまうのです。
でも自分という存在を「磨けば光る可能性を秘めた原石」だと捉えて、
自分を押さえつけていた意識を解き放つと 自分本来の能力や魅力が、
それまでとは違う方向に動き出します。それは自己覚醒とも言える状況です。
覚醒とは 自身がある一定レベルまで進化して初めてもたらされるものであり、試行錯誤を続ける稚拙なレベルからは到達できないものなのです。
私が拝察するに、Mさんが本来望んでいらしたことも「自分を変える」ことよりも、自分を進化させ、覚醒させることだったように思います。
それが自己啓発本を読みながら「自分を変えたい」と思い、口に出すうちに そちらに塗り替えられてしまったこととお察しします。
それほど言語というのは 人間心理に大きな影響力を持っていて、言語によって人間性が封じ込められたり、一定方向に先導されるケースは非常に多いのです。
私自身、NYに暮らして 英語を話すうちに日本語によって縛られていた自分の価値観や考えを改める経験をしてきました。
日本語は奥ゆかしく、慎み深い言葉である反面、自分の可能性を制限し、堂々と幸せに踏み込めない思考回路を形成する要因になっていると思います。
私が日本人にもっとしっかり英語を勉強して欲しいと思う理由は、海外のニュースソースから直接自力で情報を得るべきと考えることもありますが、
英語の簡潔さが人生を明快にシンプルにして、もっと楽に、楽しく、幸せに生きる思考をもたらしてくれるという部分も大きいのです。
日本語の凡人は、英語ではAverage People, Ordinary Person 等になりますが、英語が平均的な中間レベルを意味するのに対して、
日本語の凡人は「その他大勢」の取るに足らない、つまらない存在という ネガティブな意味合いが強いように思えます。
これは日本の方が 大勢と同じであることによって安心感を得る国民性であることを考えると不思議にさえ感じます。
私は世の中に生まれた全ての人々が それぞれに異なるユニークな存在で それぞれに生まれてきた意味があると考えているので「凡人」という言葉は個人的に好きではありません。
ですが話を簡単にするためにあえて「凡人」という言葉を使わせて頂くと、私は社会にとって凡人ほど大切な存在は無いという考えです。
人間が他人と同じように考えたり、反応したりしなければ心理学は成り立ちません。現代社会では凡人と呼ばれる人達のインターネットのブラウズ・ヒストリーや検索内容、位置情報、
消費動向等の分析が社会を動かすための情報源になっているのです。
また ミュージシャンやアーティストがどんなに素晴らしい作品を生み出しても、世の中一般が評価しなければヒットチャートやオークションでもてはやされることはありません。
凡人は社会において空気のような存在で、もし凡人のいない真空状態になってしまえば たとえ音を発しても それに振動する空気の波が発生しないので音として認識されることはありません。
何かが発信されて それが世に広まり、影響を与えるのは凡人達が反応してそれが社会でウェーブを生み出すからに他なりません。
凡人とは言っても、中には極めてアンテナ精度が高い人が存在しています。そんな感度に優れた凡人は 周囲より先に大衆心理や時代の流れを感じ取って
投資やビジネス、新しい趣味を始めたり、仕事や住む場所を変えるなどして 人生を謳歌しているケースが殆どです。
逆に凡人でも感度が劣る人ほど 無駄なお金を遣わせられたり、様々な出来事で感情を揺さぶられるなど「踊らされる側」になってしまうのが世の中の仕組みです。
凡人の感度を鈍くするのは 思い込み、固執、余計な意地やプライド、そして歪んだ価値観です。
逆に感度に優れた凡人にはそうした不幸を招く要素が無い代わりに 行動力が伴っているケースが殆どです。
その一方でウォルター・アイザックソン著の「スティーブ・ジョブス」のプロローグで、「スティーブ・ジョブスは専門分野以外では至って普通で、
クイズを出しても凡人並みの答えしか返って来なかった」という内容が書かれていた通り、特筆すべき能力を持つ人でも
専門分野以外は凡人であるケースは全く珍しくありません。それどころか専門外では凡人レベルにさえ達しないケースさえあります。
そう考えると凡人と思われている人が ひょんなきっかけで自分の才能に目覚めたとしても不思議ではありませんし、
時代やテクノロジーの変化によって凡人の得意分野が突然脚光を浴びるケースもあります。
要するに自分の良さや得意分野をしっかり自覚して、それに磨きをかけておくことがとても大切であり、それ以外では誰もが凡人で当たり前なのです。
残念ながら人間はどんなに頑張っても、たとえ生活の手段だと割り切ろうとしても 自分の不得意な分野で嫌いなことをしながら 幸せや成功を掴むことは出来ないのです。
それと共に忘れてはいけないのが、人間は誰もが幸せになるために生まれてきたという事です。
日本でもアメリカでも幸福追求は憲法で人権として保障されていますが、人間にとって幸せになるのはこの世に命を授かった使命です。
私は人生というものが自分の魂の修行の場と思って生きていますが、
最も難しい修行だと痛感するのが「常に人生を楽しみ、幸せに生きる」ことです。人間は気を緩めたり、自分をちょっとでも甘やかした途端に不幸になって行くものなのです。
ほんの小さな出来事が不安や疑いを心に植え付け、それをどんどん大きくしていこうとする事態は日常茶飯事で起こります。
その一方で世の中には人生を楽しめない人、幸福を拒んで不幸に甘んじたい人は驚くほど沢山存在します。以下はその典型例の一部です。
前述のように人間であれば誰にとっても生きる目的と使命は幸せになることです。
幸せになりたいと思う人は その使命が果たせる人なのです。そのためには資質の問題にいちいち取り組んでいたら「木を見て森を見ず」の状態になりかねません。
そんなことよりも幸せへの近道は、幸せな人間としてふるまうことです。英語には
「Fake it till you make it」という言葉がありますが、幸せな振りをしていたら やがては幸せになれるのです。
幸せそうに見える人には幸せな人、幸せにしてくれる物とお金が寄ってきます。
逆もまた然りで、類は友を呼ぶのです。
幸せに振舞うには 自分と他人を許して、自分と自分を支える全てに感謝すること、そして常に笑顔でいることです。
それが出来た時には幸せになっているはずです。
Yoko Akiyama
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執筆者プロフィール 秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。 |
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