Dec Week 2, 2021
Wishing Bad Karma on Bad Person
自分に酷い事をした人の天罰を望む気持ちはどうしたら直せるのでしょうか? 


秋山曜子様、
過去5年以上このコーナーを読ませて頂いております。いつも親身で、筋が通ったアドバイスをありがとうございます。
私も迷った挙句、ご相談をしたいと思ってメールを書かせて頂いています。

私はアラフォーで自営業を営んでいますが、以前は交際相手兼ビジネス・パートナーが居ました。ですがビジネス・パートナーが私のアシスタントと浮気をして、 ビジネスのノウハウや顧客リストを盗んで2人で独立して、ライバル会社を立ち上げました。 それだけでなく私が育てた有能なスタッフも2人引き抜かれ、そのせいで私の会社は一時ガタガタになってしまいました。 そこから立ち上がるまでの苦しさは言葉に出来ないほどで、悔し涙を流しながら夜を徹して仕事をしたことは今でも昨日のことのように思い出されます。 このコーナーに出会ったのはその一番苦しい時期で、自分に「頑張れ」と言われているような秋山様のお言葉に何度救われたか分かりません。

今ではビジネスが盛り返し、投資も上手く行ったお陰で経済的にも時間的にも、精神的にもゆとりが生まれました。 ですが元アシスタントと元パートナーの裏切りは 今でも思い出しては怒りが込み上げてきます。 風の噂で既に2人はビジネスでも 私生活でも決別して、元アシスタントも元パートナーもそれぞれ年下の相手と交際や結婚をしていると聞きましたが、 「あの2人には幸せになる権利なんてない。天罰が下るべき」と思う気持ちで一杯です。

先日、知人に薦められてスピリチャル系のちょっと有名な方とお話をする機会に恵まれました。 事情を全てお話ししたところ 「どんなに酷い事をされたからと言って、他人の不幸を天罰という名目で望めば、やがてそれがカルマとして自分に戻ってくる。 そんな執念深さは捨てて、2人を許してあげなさい」と言われました。
ですが私はどう考えても執念深いタイプではなく、むしろサバサバした性格と言われます。それに簡単に許すことが出来るようなことをされたのだったら、とっくに許しています。 2人のせいで何年も苦しんで、本来だったら女盛りを謳歌出来るはずの30代の大半がメチャクチャになってしまい、 その上2人を許さなければならないかと思うと、「何故自分が2人よりも人生で冷遇されなければならないのか」という怒りや不満が沸き上がり、 その方とお話したことが 全く逆効果になってしまいました。
でも別の人からも「自分を陥れた相手に対する恨みや怒りを捨てなければ、自分の人生も相手の人生と同じくらい惨めなものになる」と言われてしまい、 2人への天罰を望むことで自分まで不幸になるのでは割が合わないとは考え始めています。

私が何度も読み返した秋山様のアドバイスが、ビジネス・パートナーに裏切られて会社を追い出された女性からのもので、 その時に秋山様もビジネス・パートナーの裏切りを経験されたと書いていらしたのを覚えています。 秋山様は自分を裏切った人達を許していらっしゃいますか。もしその場合、どうやったら許すことが出来たのでしょう。
今の自分は以前に比べて幸せになったのを自覚しているだけに、2人への怒りや恨みがましい気持ちが収まらないことが悔しく感じられます。 お差支えない限りで アドバイスを頂けたら嬉しいです。よろしくお願いします。

- J -


自分を一番傷つけて、学ばせる教材…


以前のアドバイスを何度も読んで頂いてありがとうございます。
おっしゃる通り、私もビジネス・パートナーに裏切られたのがきっかけで CUBE New York Inc.を2000年に自分の会社として立ち上げました。 それとは別に友達だと思っていた人の裏切りもあり、苦境というものが 自分が知る人間の悪意や裏切りが絡むと 如何に辛いものになるかは 誰よりも熟知していると思っています。
苦境の最中にあった時は、私もJさんと同様に悔しさから泣いたり、腹を立てたりしながらも 仕事はしなければならない状況で、そのストレスは大変なものでした。 自分が知る人間が絡む苦境は、自分が犯したミスや過ち、あるいは不運がもたらした苦境とは比べ物にならない辛さですし、 状況が好転してからも 心の傷が癒えて、それを乗り越えたと思えるまでには時間と共に、沢山の幸せの投入が必要でした。

今 私が自分のこれまでの人生を振り返って、この2つの裏切りが「自分に起こって良かったと言えるか」と言えば、その答えは「No」です。 「何故自分がこんな形で 人生に試されなければならなかったのか」という気持ちは今も強く持っています。でも人生や世の中というのは、いろいろな意味で残酷なものなのです。 2つの裏切りを振り返って言えるのは 「どんな試練や苦境でも乗り越えて、強く立派な人間になりたい」といったピュアで真摯な人生への意気込みが、 狡猾で 自己中心的で、私のモラルが全く通用しない人間達によって見事に叩き潰された という事です。
要するに私は、世の中というものが自分の正義が通じる場所だと信じて、甘く捉えていた反面、自分の人生に一生懸命に取り組み過ぎて、ゆとりも余裕もないまま 頑張ることだけ考えていたのだと思います。 それだけに私は楽観的で、無防備で、人間の持つ恐ろしさを理解していませんでした。 そう悟る気持ちが生まれてから、私は初めて元パートナー、元友人(と思っていた人物)の裏切りが、私の人生にとっては その時に学ばなければならないことを もたらした教材に過ぎないと考えられるようになりました。

私が悔しさをぬぐい切れなかった時期には 「一緒に立ち上げたビジネスのために 昼夜働き続けた私のことを…」、 「良い友達であろうとして、出来る限りの友情を示してきた私を…」、「どうやったら裏切れるのか?、私には決してそんなことは出来ないし、決してしない」 という疑問、怒り、失望が ループのように巡り続けて、そこから抜け出すことが出来ませんでした。 でも彼らを私の人生の教材と捉えるようになってからは、相手がどんな気持ちで私を裏切ったのかなどは もうどうでも良くなりましたし、 既に私の人生で役割を終えた彼らのことも 全く気にならなくなりました。 私が一番傷ついて、一番学ばざるを得ない状況をクリエイトして、胆に命じざるを得ないレッスンを与えてくれた教材ですので、 望まぬレッスンであったとは言え、今となっては感謝の気持ちさえ抱いています。
そしてもう十分に学んだという自信と確信があるだけに、私の人生に二度と同じ教材は必要無いとも考えています。 誰もが成長過程で小学校の教科書を捨てて、どんな表紙だったかも思い出せないのと同様に、 教材を捨て去って、その存在を忘れながらも 学んだことは生かせる状況こそが 教育課程が終了した証なのです。

経験者として言わせて頂くと、怒りのように強い感情を相手に抱いているうちは たとえ相手がもたらした事態を好転させてて、安定を得たとしてもそれは 未だレッスンの前半を終えた時点です。 後半に控えている相手へ感情の払拭は、それより遥かに難しいタスクです。ピュアで情熱的な人ほどそれが難しいというのも 人生と世の中の残酷さの一面でもあります。 ですが自分の人生の中に 自分を裏切った人間の居場所を作る必要や意味は全く無いのです。  自分の感情との無益な闘い止めることさえ出来れば、それを実感するものと思います。

人間は天罰で悔い改めることはありません

私もJさんと同じように裏切った人物に対しては、自分で復讐しようとは思わなくても「復讐するは我にあり」という聖書の言葉通り、 「天罰が下るはず、そうなって当然」と考えた時期がありました。
ですがそんな気持ちは時間の経過と共に変わってきました。というのは天罰も人の不幸には変わりは無い訳で、どんなことがあっても 不幸というものに価値や利点を見出したり、それを望む気持ちを抱きたくないと考えたためです。 11月2週目のこのコーナーにも書きましたが、人間という生き物は 幸せや裕福さを求める一方で、幸福になる勇気が無かったり、お金を汚いものだと考えて、 自分が欲するものを遠ざける反面、苦労や我慢といった幸福や裕福さとは正反対のものに美徳を見出して、そちらに足を突っ込むことを奨励する傾向にあります。 私に言わせれば天罰を願う気持ちは、そんな苦労や我慢を美化する歪んだ正義や道徳観と同等ですし、 不幸に価値を見出す限りは カルマを信じる、信じないは別として、やがてそれを自分に引き寄せてしまっても不思議ではありません。
本当に苦しい思いをしたことがある人ならば、極力余計な苦労や我慢などはせずに 幸せを目指すことを考えるものです。 幸せを感じて、それを持続しながら更なる幸せを追求するということは、苦労や我慢よりも遥かに難しく、人生のために意義あるタスクなのです。

私が天罰や不幸に価値を見出すべきではないと説明する際に持ち出す例が刑務所です。 刑務所は本来、罪を犯した人がそれを償い、更生するために入る場所です。しかしアメリカでは服役した犯罪者が、もっと酷い悪人になって出て来るケースが少なくありません。 その原因の1つが 刑務所内の無秩序で悪がはびこる状況です。アメリカ社会は「服役中に他の服役囚や看守に酷い目に遭わされたとしても、それは刑のうち」と 考える傾向が強いので、一向にそんな状況が改善されることはありません。 その結果、刑期を終えた犯罪者が更なる犯罪を繰り返すため、アメリカでは刑務所経営がドル箱ビジネスで、施設が不足するほど犯罪者が溢れてしまっています。
それと同じで 自分に酷い事をした人間に天罰が下ったからといって 良い人間になる訳では無いのです。益々悪い人間になって、他の人をもっと不幸にするかもしれません。 そうなれば自分が望んだ不幸が原因で、間接的に他の罪の無い人が不幸になってしまう訳で、世の中はそういう理不尽さや残酷さで満ち溢れているのです。
逆に酷い人間が心から悔い改めるとすれば、まともな人間の心がある限りは、それをもたらすのは本当に困った時に差し伸べられる救いの手であったり、 本当に傷ついた時に癒しや励ましを与えてくれる愛情や友情なのです。 だからこそ本当に困っている人や傷ついている人が居たら、自分の出来る範囲で助けてあげることは、この先に起こる不幸の連鎖を止めて、それをリバースさせるためにも大切だと私は考えています。
少しずつでもそれが出来るようになってくるだけで 人間は幸せの本質に近づけるのです。 実際に 私自身もそうやって行動することによって 怒りがもたらす負の連鎖から解き放たれましたし、 本当の意味で幸せを感じながら、1日1日を感謝して生きられるようになりました。

裏切りによる苦境を完全に乗り越えるためには 前述のように、沢山の幸福を投入しなければならないのです。 その幸福は自分の幸せだけでは足りません。周囲の幸せも巻き込んで初めて打ち負かせるものです。 そのために必要なのは大規模な慈善活動などではなく、毎日笑顔で 明るく挨拶をして、周囲に優しい言葉を掛けてあげることです。 相手の立場を理解して、自分を許して、相手も許して、問題やトラブルが起こった場合も「こういう事は人生には付き物」と寛容になることです。 そして臆することなく幸せを追求する姿勢を生活のあらゆる局面に持ち込むべきなのです。
幸せにフォーカスすればするほど、人間は辛い経験を客観的に捉えることが出来るようになるものです。 辛い経験からの本当の意味での学びを悟れるのはその段階になってからの事だと私は考えています。

最後に何度もこのコーナーに書いている通り、人間には幸せになる権利があり、それは憲法でも保証された人権です。 ですからJさんには、今後は「あの2人には幸せになる権利なんてない」ではなく、「私には幸せになる権利がある」という気持ちで生きて頂きたいと思います。
身体と心をいたわりながら、強く、美しく、明るく 人生を楽しんで下さい。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。
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